<東京怪談ノベル(シングル)>


- 白山羊は始まりと共に啼く -

「冒険なんて、楽しみだね!」
 やや年季の入った酒場のカウンター越しに、オレンジがかった金色が跳ねる。
 普段は背中まである三つ編みを、ヘアバンドで束ねていた。
 素朴な笑顔が愛らしい。
 頬を上気させているのは、これから訪れる未知の旅路にやや興奮気味だから、だろうか。
 ここはアルマ通りにある酒場「白山羊亭」。
 情報や娯楽を求め、多様な冒険者が訪れる場所である。
 彼女の名前はルディア・カナーズ。
 白山羊亭でウェイトレスをしているのだが、今は軽装に肩掛けカバンが一つ。
 小柄な少女の笑顔に、つられて旅の女剣士は微笑んだ。
 女性にしてはやや高めの背丈に、すらりと伸びる手足。常に憂いを帯びた表情は薄幸美人のように感じさせる。
 物静かで引っ込み思案だが、長身の女剣士をそうさせる理由もあった。それとも因果とも言うべきだろうか。
 腰に携えた一振りの相棒がカチャリと揺れる。
「準備はいいかしら?」
 ジュリス・エアライスは声をかける。
「いつでもいいよ!」
 ルディアのピースサインに満足そうに頷いた。
「じゃあ、行きましょうか」


 エルザードより少し離れた街道を、二人は歩いていた。
 旅に慣れているジュリスには見慣れた光景だが、いつも酒場で働いているルディアには新鮮なのだろう。
 物珍しそうにあちこち首を回していた。
 街道に出るまでに、必要なものを道すがらの露天で買い足していた。
 買い足した中には薬や携帯用旅具もあったのだが、それ以上に飴やチョコレートといった類のものが7割を占めていた。
 ジュリスは甘いものが好きらしい。
 あまりに大量に買うので、見かねたルディアが必要なものだけを買うように注意した。
 後輩冒険者にたしなめられてシュンとしたまま、街道へ出たのだった。
 年相応にはしゃぐルディアは、買い物の時に叱る様子とはまた別人のようだったので、ジュリスはつい緩んだ口元をそっと手で隠した。
 ルディアと同じように、足元へと視線を落としてみる。
 緑の葉に朝露が残っていた。
 ほとんどの人はそれと気づかずに通り過ぎるような小さな目立たない葉だが、瑞々しく全体で力強く根を張っている。
 風が心地よく頬をなでる。
 つられて草葉もその方へ流れる。
 季節はそろそろ春を告げるか。
 少し暖かくなった風に目を閉じると、ふいに地面に物が落ちる音がした。
「ルディア?」
 不審に思って振り返る。
 ルディアを視界に捉えたところで、両腕を締め上げられ、口元にひんやりとした感触がした。
(敵――っ!?)
 うかつにも背後をとられてしまった。
 ルディアはうつぶせに倒れていた。恐らくこの敵の仕業だろう。
 相手は一人か、それとも複数か。
 抵抗しようとするが、強烈な眠気が襲ってくる。
 この口元にあてられたものは催眠薬の類だろう。そう認識したのを最後に、ジュリスの意識は薄れていった。


「う……」
 ジュリスは暗がりの中で目を覚ました。
 壁の隙間から光が零れていた。干草や土の乾いた匂いがする。
 どこかの小屋の中のようだった。
「―――っ?!くっ……」
 身体を動かそうとするが、両腕が動かない。まだ視界がはっきりしないが、どうも縛られているようだった。
 ふいに同行者のことを思い出す。周囲の様子がはっきりしないので、近くにいるのかもわからなかった。
「ルディア?」
 暗がりの中、彼女の名前を呼んでみる。
「うぅ……」
 すぐ近くでうめき声が聞こえた。
「ジュ……リ、ス?」
「よかった……」
 近くにルディアが居たことと、すぐ意識を取り戻したことに安堵した。
 けれども二人とも囚われ身。武器も取り上げられていた。相手の姿や人数、目的も分からない。
 どう対処したものかと頭を悩ませていた。
「ここは?あれ、動けない」
 顔は見えないが、ルディアの不安そうな声が聞こえる。
「私たちは気絶させられてこの小屋に連れて来られたみたい。ごめんなさい、私がついていながら」
 ルディアは頭を振った。
「うんん、ジュリスは守ってくれてるよ。だってこんなところに一人だったらたまらないもの。それに」
 言いかけたところで、木の扉が軋んだ音を立てて開いた。
 暗闇で閉ざされた小屋の中に、外の光が流れ込む。
「よう、目を覚ましたか」
 深い男の声。
「いったい何の目的でこんなことを!」
「さぁて、答える必要もねぇし義理もないな」
「彼女は白山羊亭のウェイトレスよ。何の因縁だか知らないけど、無関係なはず。彼女だけでも返してあげて」
「いいや、ダメだね。二人ともここで大人しくしてもらう」
 押し問答をしているようで妙な苛立ちを覚えた。
 どうやら簡単に口を割るような相手ではなさそうだ。
「あなた一人?」
「そうだが?」
「なら……」
 踏み込み、男の目の前まで迫る。
 男がつかみかかろうとするところを屈んで避け、反動で大きく後ろ回し蹴りを放った。
 だがそれは見切られていて、男は軽々と受け止める。
「ち、余計なことを……」
 ジュリスは男に殴り飛ばされた。
「ジュリス!」
 ルディアが駆け寄る。
 ジュリスは顔をしかめ、逆光になっている男の顔を睨み付けた。
「やっぱり、強いわね……」
「状況が飲み込めないわけでもないだろう?変な気を起こさないことだ」
 分かっていたことだ。街道で気配を悟られず、一瞬にして二人を気絶させるほどの凄腕の刺客。
 いくらある程度の体術があるからといって、獲物もない剣士のジュリスには勝ち目の薄い戦いだ。
「ルディア、よく聞いて」
 男に聞こえないほど小さく、厳かな声でジュリスは話しかけた。
「え?」
「いい?私があいつを押さえるから、合図したらその隙に全力で外に走るの」
「押さえるって、あいつすごく強いよ」
「大丈夫よ、奥の手があるから。ルディアは何があっても私が護るから」
 そう言ってジュリスは微笑んだ。
 腹部は笑ってられないほど痛むが、心配はかけられない。
「少し力を入れたらロープは解けるわ。拾ったガラスで傷をつけてあるから」
「まったく、少しは大人しくしてほしいものだな」
「それは悪かったわ、ね!」
 今度は正面から思い切り蹴りを放つ。
 だが、難なく受け止められてしまった。
「同じ手は食わん」
「これなら!」
 とめられた足を引き、身体を回転させて両手で地面に手を付く。手で身体を押し返して男に両手を振った。
「ぐぁっ!」
 砂の目潰しを受けた男は短い悲鳴をあげた。
 ガードの空いた腹部に再度渾身の蹴りを放つ。
 男の身体は吹き飛び、地面に叩きつけられた。
「今よ、ルディア!」
 ルディアは頷き、両手を縛る縄を引きちぎって走り出した。
「ま、て……くそ!」
 顔をこすりながら、男はルディアを追おうとする。
「あなたの相手は私よ!」
 近くにあった木の棒切れを手に取り、出口を背にして男に言った。
 冷たい汗が一筋、頬を伝う。
「いいだろう、少し痛めつける必要があるらしいな……」
 男の声には凄みが含まれていた。
 まともな武器はない。力の差も歴然。
 ルディアには奥の手があるといったが、それは彼女を安心させるための口実だった。
 もしかしたら気づかれてるかもしれないが。
 だとしても、ルディアを守らなければならない。それが護衛を引き受けた者の務めなのだから。
 ジュリスは木の棒を持つ手に力を込め、踏み込んだ。