<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


赤い手紙は君を見た「最適な舞台」


 聖都エルザード。ベルファ通りの黒山羊亭から出てきた大きな人影。ドアを潜って背筋を伸ばしたそれは、人間とは思えぬ体躯と四つの腕を持っていた。
 多腕族の大男シグルマは、その四つの手の一つを店に向けて振り、店員になにやら声をかけていた。それと反対側の手の一つに、くしゃりと丸められた手紙。
「気をつけろよ、シグルマー」
 酔いでろれつが回っていない、中年男性の声が通り一杯に響く。
「正面からぶつかりゃ、俺が負けるわけねーだろ」
 同じくらい声を張り上げる。「だいたいこの手紙、宛先間違えてるんじゃねーのか!」
 赤い手紙をひらひらと、月にかざして振ってみせる。しわくちゃになった手紙は、冬に置き去られた蝶のように力なくはためいた。

「うん、確かに。これはレッドローズからの予告状です」
 聖都の街をしっかりとした足取りで横切ったシグルマ、ようやく仕事を終えたらしい新聞記者をとっ捕まえて、『赤い手紙』を突きつけた。彼は自分に『手紙』が来たのかと身震いしたが、自分に来たんだと胸を叩いてみせると胸をなでおろした。
「俺も何度か見たことがあるんです、予告状。たいてい人伝いに届くんですよ」
 しかも、白昼堂々大人数の目の前でってこともある。
 まだ続きそうな記者の話をさえぎり、
「とにかく、俺の命が危険に晒されてる。明日の晩には死ぬかもしれねえ。だから、それにお誂え向きの舞台を用意するんだ。……どうだ、こういう記事を書くのは?」
 四本の腕をあちこちへ動かし、明晩の決闘についてあれこれ語る。最初は、シグルマが死を恐れていないのか、戦うつもりなのかと詮索ばかりしていた記者も、彼の熱を帯びた語り口にだんだんと引き込まれていき、ついには拳を握ってうんうんと頷くようになった。
「で、どうだ、こういう一面を明日の朝刊に載せるって言うのは?」
 盛り上がるだろうぜと胸を張る。
「そうだね、必ず盛り上がる。聖都を騒がせている殺人鬼との一騎打ち! コロシアムはきっと大盛況だよ」
「だろ? それで俺がそのレッドローズに勝ったらどうだ」
 自身の敗北のことなど微塵も匂わさない、心の芯から溢れ出る自信。その双肩にのしかかった重圧をものともせず――双肩がさらにもう一つあるから、というだけではない、もちろん――聖都を守りきってくれるように、記者は思っただろう。
「そうなったら……すばらしいじゃないですか」
 何度も何度も頷いて、ようやく納得したころに、バッグの中からペンとメモ帳を取り出す。シグルマさん、今のお気持ちは? 記者のインタビューが、早速始まった。


 エルザード中に届けられた朝刊の一面に、ある人は声を上げ、ある人は手を打った。
 戦士・シグルマ、殺人鬼レッドローズと対決! 一対一の勝負、決闘は月夜の下で。
 力自慢の虎人も、半分寝ていた盗人も、これには驚いた。レッドローズの存在は皆が知っている。つい先週も犠牲者が出たばかりだ。被害者は常に一人、選ばれる理由は不明、どんな種族も狙われるし、唯一の共通点は『赤い手紙』を受け取った人だと後に判明するくらい。だから皆レッドローズを恐れて、家から出てこない者もいるくらいなのに、とんでもない戦士が現れた。
 大通りを肩で風切って歩くシグルマに、好奇の目や呆れのため息を投げるだけの人もいれば、よう戦士殿、今日は期待してるぜと声をかけてくる獣人も、なんとかあいつをやっつけてくださいと頼んでくる街人もいる。それの一つ一つにおうと答えながら、ずんずん向かった先は、行きつけの酒場だ。
 古い木の扉を開けると、こもっていた酒気がぶわっとシグルマの顔を襲う。けれどそれはシグルマにとっては花の香りみたいなもので、気にせずドアをくぐって閉める。
「おい見たか、今日の朝刊」
 酒場の常連顔見知りに、次々と声をかけていく。周りに居た三人の肩を叩き、手に持っていた新聞を広げさせる。
「うわー」とか「おおー」とか、感嘆やら悲鳴やらが狭い酒場のあちこちでささやかれる。
「命知らずね、シグルマ」と、酒を運ぶ女。「死んじゃうかもしれないのに、こんなことして」
「男の一対一の決闘だぜ」
 テーブルに置かれた酒に口をつける前に、銀貨を女に握らせて。
「たとえどんなプライド持った殺人鬼だろうと、逃げるような奴でも、客に手を出すような奴でもねーだろ」
 たっぷりと注がれた酒を一気にあおる。ごくごく喉が気持ちいい音を立てている。
 グラスを空にして、テーブルに音を立てて置く。大きく息をつき、
「俺が命を狙われる覚えはねーぞ。その理不尽を思えば、向こうだってこっちの要求に答えてくれたっていいじゃねーか。なあ」
 隣に居た男性客の肩に手を回し、余った手を上げてみせる。
「ああ、そうだとも」
 と、客が言う。
「まずい酒飲まされたら、元は取っとけ」
 ほろ酔いだった客達は、決闘のことを覚えているのかいないのか、腹の底から笑った。

 シグルマは行きつけの酒場をぐるりと回り、その一店一店で自分の決闘を宣伝した。店によっては、扉を開いた瞬間に「すごいじゃないかシグルマ」と声をかけてくる者もいた。殺人鬼と決闘だって? あいつなんかお前の腕でエルザードの外に放り投げられるぜ、間違いない。
「ん? お前、レッドローズのこと知ってるのか」
 “あいつなんか”という言葉を聞き逃さなかったシグルマが、聞き返す。
「んー、知っているというか」
 客は言葉を濁らせ、何度か酒場の様子を伺った風だった。不意に声を潜め、シグルマへ語りだす。
「このあたりの喫茶店とか酒場とか、あと市場なんかに時々やってくるローズ・ヴァーミリオンっていうのが居てな。あいつがレッドローズなんじゃないかって、みんなが噂してるのさ」
「どんなやつだよ」
「赤い髪に茶色い目の、優男みたいなのだったよ。なあ」
 隣の客に同意を求めて、彼もそうだと頷いた。
「胸のポケットに薔薇を挿してるから、すぐわかるよ」
「ずいぶんな伊達男だな」
 ここでも酒を注文したシグルマは、酒をグラスの半分飲んだ。
「ローズは酒場じゃワインばかり飲んでる」
「そういや、手紙もワイン臭かったな。酒好きだから選ばれた……なんてことはないだろな」
「ないね。この前殺されたやつは、大の酒嫌いだった」
「そりゃ健康体だったんだろうな」
「ああ。野菜も驚くだろうな」

 とりとめのない会話を繰り返し、二杯目の酒がなくなったところで店を出る。勝って来いよとエールを浴びて。
 レッドローズはともかく、彼とつながりのありそうなローズ・ヴァーミリオンという男、彼がこの近辺に昼間の間だけ出没しているらしい。
「犠牲者が決まるころには、ローズがそいつの周りをうろついてるんだよ。俺の友人に探偵がいてな、奴を捕まえて尋問したんだが、肝心なところを掴めずに逃がしちまった」
 彼が語った証言を頼りに、いくつかの店を回ってみる。最初の三軒にはいなかった。道ですれちがう人々の中にもいない。四軒目にもいない。
 喫茶店の窓から店内を覗き、それらしい人物がいないとわかると、シグルマは再び道を辿った。

 ふと、前方の街灯に背をもたせかけている人物が目に留まる。赤い髪に茶の目、胸に飾られた赤い薔薇。
 大またで路地を突っ切り、青年の目の前に立った。彼は不思議そうに、そして興味深げにシグルマを見上げた。
「ブラッディ・レッドローズって知ってるか」
 しわだらけの『赤い手紙』を突きつけながら言う。
「こいつに命を狙われちまってな。調べなきゃいけなくなっちまったんだ」
 シグルマの表情はいたって冷静――つまり、常日頃の感情を浮かべていた。警戒でも威嚇でもなく、どちらかといえばおどけた様子だった。
「ああ……知ってるよ、友人みたいなものだからね」
 なるほど同一人物だと疑われるわけだ、普通に聞いたら拍子抜けしてしまうほど普通に、青年は言った。
「調査してる、って言ってたね。何が知りたい?」
「何でもいい。そうだな、世間一般に知られてるレッドローズの情報以外で」
 あまりにもあっさり返されたが、シグルマも平然と調査を続ける。
 赤髪の青年は短い時間考え込んでいたが、
「静かな夜が好きだね」
 と、まじめそうに答えた。「新月でも満月でもいいらしい。雲の出る日だとなおいい。そういう時は機嫌がいいんだよ」
 これは、かわされたと思うべきだろうか、それとも何か殺人鬼に関係があるのだろうか。
「おい、そんな情報じゃ酒の一杯も飲めないだろ」
「まさか。銀貨のお釣りが出るよ」
 心底驚き眉を上げて、もたせていた背を街灯から浮かせる。
「でも……、今夜はどうかな。キミは予想外の舞台を用意したから。……まあ、俺だったら受けて立つけどね、キミとの決闘」
 シグルマよりもずっと小柄な青年は、それじゃあと言い残して歩き出す。引きとめようと思わず手を伸ばしたが、彼が振り向き様に見せた表情と去っていく後姿から、本当に話すことはこれ以上ないのだ……聞かれても答えない、という決意を読み取れた。
「おい、気取るのもいいかげんにしておけ」
 変わりに言葉を投げてやる。返って来るのももちろん言葉。
「いいじゃないか。こっちのほうが目立つしさ」
 見つかりやすい上に声も掛けやすかっただろ。
 殺しのことには少しも触れず、彼は人波の中へ身体を滑り込ませると、そのまま北へと姿を消した。


 手紙が示した時間に、時計の針が追いつこうとしていた。
 夜中、砂糖みたいな星が散らばった空の下、エルザードに住む皆は眠い目をこすってベッドの上で身体を起こした。
 コロシアムからエルザード中へ響く、爆音のような歓声。深夜だというのにレンガの道を照らす手持ちランプ、花火大会でも始まったのかと窓から顔を出す住人達、通りすがりにコロシアムを見上げる通行人。そして皆一様に、今朝の朝刊のことを思い出すのだ。
 観客席を埋めるさまざまな種族の見物客が、シグルマへエールを送っていた。数は決して少なくない。シグルマの顔を見知った者、友人、行き付けの酒場の店員。事情を知らなさそうな野次馬もいるが、シグルマにとっては関係ない。
 けっこうけっこう、大盛況じゃないか。
 拳を突き上げる若者の隣で、打ち合わされる戦士の両手。熱狂の渦の中心で、シグルマは威風堂々胸を張り、挑戦者を待ち受けていた。

 すこし欠けた月の下、明かりに照らされ踊る影。
 音もなく羽ばたく翼の主、雲を割って舞い降りた殺人鬼、レッドローズ。

「こんな月夜に出てくる趣味はないんだけれど」
 両肩をくるくる回し、飛行の疲れをほぐして一言。
「レッドローズは、約束を破るような輩じゃないんだ」
 腰に手を宛がって、手にした短刀をもてあそぶ。刃が照明に当たってぬるりぬるりと光っていた。それを見たシグルマ、手にしていた剣を振るい、
「その剣で俺に勝とうってのか?」
 斧と鉄球と槌を順々に振りかざした。いいぞシグルマやっちまえ、お前がそんな奴に負けるかよと観客達。周りは全員味方だった。慣れないのか怯えたのか、はたまた別の楽しみでも見つけたのか、ブラッディ・レッドローズはにやりとした顔のままナイフをくるくる回しているだけだ。
「……で、レッドローズ。俺を殺しに来たんだよな?」
「もちろん」
「それだけ聞けりゃあ十分だ。挑戦なら、受けてたつぜ!」
 シグルマの腕が振り上げられる、客席から雄たけびが響く。ローズがナイフをしっかり握った。

 とたんに蹴られる地面。砂を散らして駆けるレッドローズの突き出すナイフを避けたシグルマ、身をよじった勢いで槌を叩きつける。その上空へ飛び上がる殺人鬼、刃を頭に付きたてる――が、腕の装甲とぶつかる。腕を振ればローズは飛びのき、それを追う剣が銀の軌跡を描く。金属音。どっと沸き上がる歓声。
 ナイフと剣の小競り合いが続く。シグルマの黒い瞳と、殺人鬼の狂喜の視線が交差する。鉄球を振り回そうと腕を上げた瞬間、青年の体躯から想像できないほどの強力が剣を押し返した。一歩退きバランスを保ち、横から鉄球を打ち下ろす。懐へ飛び込んできた赤い影目掛け、剣を振り下ろす。
 手ごたえ。と共に、鎧をがつんと割るような衝撃。薄く血に染まった剣の切っ先に、深く抉り取られた鎧が映りこむ。
「なかなかの腕っ節だな」
 血を払い、背後へ向き直る。
「キミもだ。見た目どおり、だね」
 裂かれたスーツとブラウス、左の脇腹から血をだらだらと流しながら、彼はまだ笑っていた。
「心臓を狙ったんだけどな」
 刃こぼれ一つしていないナイフを宙で一回転させ、手に収める。
「俺の心臓を捕るなんざ、百年早い」
「いや、今日頂くよ」
 見物客が猛獣どもを囃したてる。五つの武器は持ち主の手の中から相手の心臓に今にも飛び掛ろうとしている。
 雲が月をさえぎる、二人の影が揺れる。
 シグルマの腕が鉄球を振り回し、槌を振り上げた。そのまま突進、鈍器が十字に交錯する。隙間を縫って剣をかわし、大男の後ろを取ったレッドローズ。背を狙って突き出した刃を、弾き飛ばす剣が唸る。出血の止まった傷目掛けて斧を振るう、ナイフがそれを風のようにいなす。血のにじむ足跡をつけ後ろへ軽く飛びのき、着地の反動で飛び掛る。
 梟の爪は首を外し腕に突き刺さった。瞬間、シグルマの斧が足を捉えた。ナイフを抜いて跳躍したレッドローズの、左足が鈍い音を立てて……。
 彼は空中で身体をひねり、地面に両手をつき、腕だけで軽く跳んで右足だけで立った。ナイフは着地した彼の目の前に落ちた。左足からは滝のように血が流れている。ナイフにはシグルマの血がべっとりとくっついていた。食事を終えた狼の、そばにいるようなにおいがした。

「その足、叩っ斬ってやるつもりだったが」
 血を流す青年の、真っ赤な足を見て。自分の腕から滴る血の温度を感じながら。
「外見ほどやわじゃないらしいな」
「こう見えて丈夫に出来てるんだ」
 鉄のにおいがかすかに鼻をつく。
「キミと同じくらい、かもしれないね」
 奇妙さを感じたのは、シグルマだけではなかっただろう。額に脂汗が浮かび血色こそ多少悪くなっているものの、青年の動きには余裕がありすぎた。
 ナイフを拾い上げる姿は、片足立ちをしながら手紙を拾い上げる普通の人間にしか見えない。斧の攻撃がまともに入ったというのに、悲鳴の一つもない。

「さすがにこの足じゃ分が悪すぎるね。元から、不利な戦いだとは思っていたけれど……」
 真っ赤な足を見下ろしながら、ため息混じりにかぶりを振る。
「悪いけど、手紙の予告は後回しだ。今夜はキミを殺せない」
「ふうん。逃げるんだな」
「後回し、だよ。またいつかキミを殺しに来るから」
 ナイフを両手で握ったレッドローズの背に、翼が生える。それは二・三度羽ばたくと、主の体を持ち上げた。
「それじゃあね」

 筋の通った戦士なら、手負いの相手を追い掛け回し、背後から殴りつけるような真似はしない。コロシアム中から響き渡る歓声や、逃げる相手へのブーイングの真ん中、シグルマは月を覆う雲を見上げていた。
 影から血が滴る様子はない。
 ふと、視界に何か飛び込んできた。丈夫な樽に入れられた酒だ。次に花束、今度は酒、今度もまた酒。シグルマは四つの腕をあちこちに、投げ入れられる贈り物を受け取った。
 戦士シグルマ! 誰かが叫ぶ。
 戦士シグルマ! ありがとう! 俺は今日、どんな日よりもよく眠れそうだ!
 その声の方から、酒瓶が飛んでくる。それを上手く手掴んで、答えるように振って見せ。
「酒も飲んどけ、いい夢見られるぞ!」
 雲間に消えた殺人鬼の脅威から、エルザードの住人達はしばし守られることとなった。その後顔を出した酒場で、目の合った客全員から酒を勧められたのは言うまでもない。