<東京怪談ノベル(シングル)>


夜の香


 世界は違えど、朝日が昇れば夜には沈む。
 元の場所と同じ部分を探して彷徨うよりも、違う部分を楽しむように時を重ねる。

 自身の適応性を疑ったことはないけれど、住めば都。割となんとかなるものだ。
 身の振り方が決まるまで、白神空はエルザード城内に滞在を許可された。
 特に規制的なものを掛けられるようなことはなかったが、城門を閉める関係上門限なるものが存在した。
(子どもじゃないんだから)
 と空も笑ったけれど、仕方ない。ここに居させてもらう以上。ルールは守らなくてはならないだろう。
「つまり、バレなければ良いということよね」
 ふふっと一人微笑んだ空は、そっと背の高い木に登り、城壁を身軽に飛び越えた。
 ―― ……とっ
 軽い靴の音と共に、衝撃を最小限に食い止め着地。今夜も大成功。
 お日様が沈んだからといって、寝台に潜り込まなくてはいけないなんて誰が決めたのだろう。そんなつまらない生き方なんてない。
 夜の町には夜の町の楽しみというものがあるはずだ。
 すぅっと夜の香りを含んだ空気を、胸いっぱいに吸い込み、満足げに頷く。そして、こつんっと踵を響かせて歓楽街までの道のりを楽しむ。


 ―― ……ガシャンっ!! ……キー……ン……ッ
 城内の一角で激しく刃を打ち合わせる音が響いている。刃を潰してある模擬刀なのだろう。少しばかり音が鈍い。
 その日暇を持て余した空は、簡単に手合わせでもとその場を訪れていた。
「…… ――」
 中央に立ち、アサトルアックスを現出させようとしたらストップを掛けられた。身の内から聖獣装具が現れる感覚は、一種の麻薬のようなもので陶酔したような気になる。
 止められて初めて気が付いた。
 囲んでいた他の兵士たちの表情に、畏怖の念が浮かんでいる。
 どうやら、かなりの殺気も含んでいたらしい。殲滅戦でもない限り急な発動はよろしくないようだ。

(専門職か、冒険者っていってもな――)
 思い出して、苦笑する。
 爆発的な戦闘力を発揮出来ることは確かだけれど、それを実証する機会は見送られた。
 からんっと酒場のカウンターを陣取って、グラスの中の氷を揺らし、一息に煽る。アルコール濃度の高い酒は臓腑が焼け付くような感覚が良い。かっと身体中を巡る熱に、微かに頬を染め、ほうっと吐いた溜息からは色香が漏れる。それに誘われるように声を掛けてくる者も後を絶たない。
「―― ……一人?」
 なんてありきたりな一言に答えるか無視するかは、やはり好みの問題だろうか?
 やっぱり綺麗で可愛い方が愛でる方も気合いが入る。何のかは深く追求してはいけない。察するものだ。
 ―― ……今日はハズレねぇ……
 ぼんやりと空になったグラスを手持ちぶさたに揺らしていると、すっとお変わりが差し出された。
 つぅっとグラスの縁を指先でなぞる。キィィ……ン……と無機質な音が胸に沁みて心地良い。
 やっぱり、一番美味しそうといえば彼女に違いないと思うのに……。


 天蓋からはドレープのきいたカーテンが柔らかく降りる。
 時折窓から吹き込んでくる、優しい風がカーテンを悪戯に揺らして抜けていく。
「……ん……」
 二人分の体重を支えた広く大きな寝台。
 真っ白なシーツの波間に、金糸と銀糸が混ざり流れる。それはまるで夜の空に流れる天の川のように秀麗な様子だ。白く美しい肢体が微かに朱に染まり、とろけるような甘い時間は、星が流れるほど刹那的なもの。
 瞬きする一瞬も逃すのが惜しいとばかりに、ぎしりと寝台を沈ませると、優しげな瞳と重なった。彼女を構成する全てが、そこにあるべくしてあって、端麗な姿を形成している。彼女の存在そのものが芸術品のようだ。
「……は、ぁ……」
 どちらともなく熱い吐息が洩れる。
 互いの肌から滲み出る熱を感じられる距離に居るというのに、それを欲しがらないものがいるだろうか……答えは否だ。
 空自身それを望まないことはなかった。だからといって、まさか自分が王女:エルファリアとそんな関係になるとは…… ――

(―― ……なったら、良いな)
 今夜は何処に繰り出そうと城内の廊下を歩きながら、そんな妄想を巡らせる。そんなとき、ふと目に付いた。
「エルファリア?」
 目に付いたら反射的に声を掛けて、吸い寄せられるように歩み寄っていた。
 エルファリアは、優雅な所作で空を振り返り、その顔に笑みを浮かべる。
「城の生活には慣れましたか?」
 空は、テラスから城下を見下ろしていたエルファリアの隣りに立つ。王女はちらと空へと柔らかな視線を送ったあと、つっと階下へと視線をおろした。
 逢魔が時。そんな曖昧な時間。町にはぽつぽつと明かりが灯り始め、一種独特のに雰囲気を醸し出している。
「私、この時間も好きです。昼でも夜でもない狭間の刻。異世界を垣間見るような気がしませんか?」
「あたしは、夜の方が肌に合ってる気がするけど」
 特に気負うことなく、あっさりと口にすればエルファリアは愉快そうに微笑んだ。夜を好む自分を有り体に、夜の蝶などと例えるとすれば、王女はおそらく朝露を含んで朝日の下で煌めく蕾。その柔らかな花びらに触れてみたい、そんな衝動に駆られて手を伸ばせば、拒絶されることなく指先は頬を撫でることが出来るのに…… ――


(それ以上は出来ないんだよねぇ)
 カウンターに肘をたて、その先にある指をまじまじと見つめて嘆息。聖なる気質がそれを阻むのか、それとも見えない何かに拒まれているのか。空には分からない。
 思い焦がれるだけにしては勿体ない、と思うのに、触れてしまうのも戸惑うなんて、妙な感じだ。
「おねーさん。隣り良い?」
 再び掛けられた声に、顔を上げ口角を引き上げる。少年だろうか少女だろうか、年の頃も曖昧だが性別も曖昧。けれど、愛でるには申し分ない相手だ。
「―― ……良いわよ」
 ふ……と空が細めた瞳に、相手は、ほふっと頬を染めると胸の内が満たされる。
 魅惑的な毎日は魅力的。
 並んだ相手の手に指を絡め弄ぶ。相手の体温が上昇するのが分かると高揚する。とても心地良い時間だ。空の整って美しい容貌に満足げな笑みが添えられた。
 さて、今宵は王女様の落とし方でも考えつつ楽しむことにしよう。


【夜の香:終】



■□ライターより□■
 こんにちは、汐井サラサです。ご用命ありがとうございます。
 今回は、空さんの日常生活という部分をクローズアップ。そうなると必然的に時間帯は夜になるのでしょうか?(笑)
 空さんの濃艶な雰囲気が出るように書かせていただきました。
 ご納得していただき、ふふーっと微笑んでいただけるようなものになっていれば嬉しいです。
 重ねまして、ありがとうございました。