<東京怪談ノベル(シングル)>
ガイよ、来たれ!
半裸で裸足がトレードマークの格闘家、ガイ=ファング。
彼はいくつもの格闘術を会得し、己の筋肉と格闘技を極めるため、武者修行の旅を続けている。この日、しばし滞在した街を離れ、また当てもなく歩き出した。明るいうちは広めの街道沿いを進み、小さな宿場町を通りがかったが、ガイはとりあえず先を急ぐ。街で食糧をもらっていたし、野宿にも抵抗はないので、景色を見ながら、その大きな歩みを街道に刻み込んだ。
そのうち道幅が狭くなり、両側に木々が迫る。道幅も狭くなり、人通りも少なくなった。どうやら、この先に集落はないらしい。さらに夜を迎え、あたりは真っ暗になった。ガイは周囲を見やり、寝そべる適した大きさの木を見つけると、そこにどっかりと腰を据える。今日はここが寝床だ。小さなカバンから食糧を取り出し、それを食べて小腹を満たすと、不意に眠気が襲ってきた。
「お? 今日はよく歩いたか。よし、筋トレは明日の朝にやるか!」
彼は眠気に逆らわず、そのまま目を閉じた。星の瞬く夜空に照らされながら、いつもと変わりない休息の時を過ごす。
ふと目を覚ましたガイは、思わず声を上げた。
「いっけねぇ! 朝寝坊しちまったか?!」
彼は慌てて立ち上がるも、その体は勝手にスクワットを始めていた。さすがは格闘家、考えるよりも動く方が早い。
いい高さまで上がった太陽を「朝日」と呼ぶには、少し無理がある。ガイは苦笑いを浮かべながら、リズムよく運動を繰り返した。
「こりゃ参ったぜ。そんなに疲れてたとはなぁ〜。鍛え方が足りねーってことか?」
口ではそうは言うものの、彼は何とも言えない違和感を覚えていた。
例えば、寝床にしたはずの大木。この形、なんとなく違う気がする。背中を合わせれば確信できるだろうが、今はトレーニングを優先した。
それに周囲の木々は、こんなに鬱蒼としていない。もっと素直に、空が見えたはずだ。それが今は、わずかに木漏れ日が降り注ぐだけ‥‥ガイの疑問は風船のように膨らむばかりである。
そんな微妙な悩みを吹き飛ばしたのが、黒い毛皮を纏った人型の魔物の登場であった。
ガイはとっさに身構え、じりっじりっと間合いを開く。相手の瞬発力が読めない以上、そうするしかなかった。しかし彼は、こんな化け物と出会うのは初めて。何をどうすりゃいいのか、まったくわからない。
「ウゴオオオォォーーー、ガアアァァッ!」
「狼のようにも見えるが‥‥敵が喋らねーのは、何かと厄介だな」
ならば、肉体言語を駆使して、意思疎通を図るしかない。ガイは腹を括った。
筋トレのおかげもあり、下半身の動きは快調。一気に狼との距離を詰める。敵の出方を待つよりも、彼は先手を打つことを優先した。そして風を切りながら、右ストレート。その瞬間、敵はピクリと鼻を動かし、ガイの右腕を左手で払いながら側面へ移動。すぐさまわき腹めがけて、白く光る爪を振るう。
「その動き、お前のことをすっげー物語ってるんだぜ!」
ガイはこの時、払われた右腕だけでなく、体をくるりと回転させ、身を低くした。回転の軸は左なので、右足を大きく伸ばし、敵の体勢を崩さんと足払いを穿つ。並の格闘家が放てば、これはほんの小技。しかしガイの一撃は、そんな威力では済まない。強烈なローキックを食らい、狼は思わず足を上げて苦しむ。
「グゲーッ! クゲッ!」
その隙を見逃すほど、ガイは甘くない。瞬時に構え直し、腹に向けて強烈な正拳突きを放った。
人間を模した動きをする以上、おそらく弱点も同じ。そう考えた彼だが、あえて頭や急所を狙わず、腹を狙った‥‥いや、正確には腰を狙ったのには、それなりの訳がある。手や足、頭の回避は容易だが、腰は体の根幹ともいえる部位‥‥ここを狙えば、だいたいは当たるのだ。
敵も野生の嗅覚でそれに気づくが、時すでに遅し。腹に強烈な一撃を食らうと、ピクピクとその身を震わせる。ガイも「手ごたえあったぜ!」と改心の笑みを見せた。
「‥‥グゴッ!」
最後に一声鳴くと、魔物はその場に崩れ落ちる。それに続き、ガイも地面に膝をついた。敵のノックダウンを確認すると、まずは息を整える。
「ふーっ、寝起きで準備不足のわりに、よく動いたぜ。やっぱ、先手必勝は正解だったか」
端から見れば完勝だが、ガイはそれなりの緊張感を持って戦っていた。もし万全であれば、もっと幅のある戦闘もできただろう‥‥彼はあごに手をやり、そんなことを考える。
すると突然、格闘家の集団が姿を現した。彼らはガイの姿を見ると「大丈夫かー!」と声をかける。どうやら味方と考えていいようだ。ガイは彼らの服装を見て「この辺の奴じゃねぇな」と思いつつも、まずは身の安全を相手に伝える。
「なっ、なんと! 我々が倒すはずの魔物が、すでに倒れている!」
先頭のマッチョが驚嘆すると、後ろのマッチョたちも「おお!」と声を上げる。彼らの視線はガイへと向けられ、「もしや、あなたがやったのか?」と問うた。
「やったはやったが‥‥俺はこんな化け物は見たことねぇ。なんだ、こいつは?」
これを聞いたマッチョのひとりが「なるほど」と頷き、ガイに事情を説明した。
ここは「聖獣界ソーン」と呼ばれる異世界で、ガイは何らかの理由でここに招かれたという。こういった存在は幾人もおり、彼らはこの世界で冒険者として活躍しているのだ。ソーンには異形の怪物が存在し、それらを倒すのが一般的な役目である。
ガイはここまで聞いてすぐに、「自分が求める修行をするのに適した世界だ」と認識した。ここで自らの筋肉をさらに鍛え、未知なる格闘技を習得するのも一興だと考えた。
「なんか面白そうだな。俺はしばらく、ここで修行するぜ」
「おお、そうか。なら、俺たちの道場に来ないか。その魔物をひとりで倒した者を、俺たちは見逃せない」
ソーンのことも教えてくれるというので、ガイは申し出を快諾。あの小さなカバンを持って、彼らに帯同する。
「実は起き抜けでよ、体が鈍ってるんだ。ランニングしながら向かってくれるとありがたいぜ」
「はっはっは! さっそくやる気だな! なら、道場まで走るか!」
マッチョな格闘家に連れられ、ガイは見知らぬ土地・ソーンでの第一歩を踏み出した。
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