<東京怪談ノベル(シングル)>


あるガイの日常

暗がりからやや青みがかった空の下、徐々に赤茶けたレンガの屋根に光の焦点があたってくる。
まだ人の気配は感じられない。
静かな空気の中、小鳥の囀りだけが聞こえてくる。

「はっ、はっ、はっ、ほっ、ほっ、ほっ」

街から少し離れた林の中、裸体の男がリズムよく走っていた。
いや、裸体という表現は適切ではない。上半身裸で素足、身に着けているのが両腕の腕輪に牙をあしらったかのような首飾り、そして毛皮の腰ミノだけだ。短く刈り込まれた茶色の髪から汗がほとばしり、隆々たる筋肉質の全身から放たれる放射熱で景色が揺れて見える。
ガイ=ファングは深く息を吸い込む。
肺の中一杯に新鮮で澄んだ気が巡ってきた。

【気功鍛錬法】。
目には見えないが、両手足に気のオーラを纏う。
まるで錘を付けたかのように両手足の動きが緩慢になるが、気の力の回復速度が上がり同時に気の力の成長を僅かだが促進する効果がある。
今回もガイは筋トレの一環としてこの能力を利用していた。
本来なら一歩踏み出すのにも相当な筋力と精神力が必要だが、遠目にガイは普通にランニングしているようにしか見えない。

「……さすがに、朝は、空気が、うまいなっ」

気功鍛錬法を用いてるので、体で感じる負荷は相当なものだろう。走りながらしゃべるのはやっとのようだった。負荷といっても気功鍛錬法を用いている間は気の回復が早まるため、ガイの場合ランニング程度ならば疲れて動けなくなる、ということはない。
何十週目かの町の外周を踏破し、今まさに昇らんとしている朝陽の前で立ち止まった。
目を閉じ、すぅっと肺の奥深くまで息を吸い込み、その5倍の時間をかけてゆっくりと息を吐きだした。
にぃっと笑って豪快に告げた。

「さてと!飯にするか」



放浪の旅を続ける途中、ガイ=ファングはとある「イイ街」に立ち寄った。
「イイ街」、というのはガイの基準で、「うまい飯屋」があること。「体を鍛えることが出来るし施設があり、かつ自分が利用出来ること」である。
ガイは美食家ではないが、量が多ければなんでもいいといったタイプでもない。うまい飯にはやはりそれなりのこだわりがある。
肉や魚がカチカチだったりパンがマズイ店で食べた日なんかは修行効率が格段に落ちる、気がするが、逆にうまい飯にありつけた日には気分も乗り、非常に修行が捗る、気がする。
そしてこの町の多くある食事処の一つ、ガイがうまい飯屋と賛する「白樺亭」にて豪快な骨付き肉に、まさに豪快にかぶりついているところだった。

「……っうまい!したたる肉汁もたまんねぇなっ!」

周りのテーブルからは遠慮がちながら、奇異の視線が集まっていた。
ガイの机に並んだ皿の数は20個。
その殆どを平らげており、今かぶりついているスペアリブで最後だ。
これだけ食べたからといって、ガイに金銭の心配はない。
先の仕事でたんまり儲けたというのもあるが、ガイの使う金は飲食がその殆どを占める。
ガイは基本的に仕事をしていない時の寝泊まりは野宿で過ごしていた。野宿自体に抵抗は無く、宿代に金を使うならメシ代や鍛錬にという、なんとも分かりやすい理由だった。
宿で寝ようが野で寝ようが、日が昇る前に起きて今朝のように鍛錬をし、暇さえあれば何らかの修行に励んでいた。
軟骨まで綺麗に平らげ、満足した様子で店主に顔を向ける。

「うまかったぜ店主。あとエビ野菜炒めに鳥のスープと胡麻団子と……」

ガイは人の3倍以上は食べるのだ。


太陽は一番高い時刻をやや傾き、一日の最も市場の賑わう時間帯に差し掛かっていた。
ガイの滞在している町は、大きな川が町の真ん中を東西に二分するように流れている。
町の西側は「うまい飯屋」や露店がいくつも並び、東側は仕事の斡旋所や町の自警団の詰所、そして公共の「修練場」もある。
腹ごしらえにと、ガイはその修練場にいた。
この修練場も、ガイにとっては「イイ町」の要素でもある。
スポーツジムのような場所では、ガイの激しい鍛錬に施設が耐え切れずいろんな物を壊してしまう。
この町の修練場は、自警団も利用するほど規模が大きく、かつ耐久力の高い器具を備えてあり、防音や施設の耐久力のために、外壁は分厚い石英の壁で囲まれている。
ガイは滞在中、何度も足を運んでいるお気に入りの場所でもあった。

気を集中させ、深く息を吸い、吐き出した。
両手がずっしりと鉛のように重たい感覚になる。
周囲には誰もいない。

カッと目を見開き、右拳を鋭く前へ突き出す。

「せぁあああっ!!」

ごぉっと音を立て、びりびりと空気が振動する。放たれた正拳突きは空気を押し出し、見えない拳が正面の壁を強烈に叩いた。
ぐっと拳を握りしめる。
体中に巡る気の高ぶりを抑えられないようだった。
気功鍛錬法を維持しながら、丸太や巨大な鉄アレイのようなものをいくつも全身に吊り下げ、広大な修練場で一人修行を開始した。
塀の内側を50週走りこみ、シャドーボクシングの要領で想像する敵とのイメージファイティング、片手逆立ちのまま腕立て、会得した格闘術の基礎の反復。
幸いにもその日はガイ一人だけが修練場を独占できたので、日が暮れるまでたっぷりと修行に打ち込めた。

全身から迸る汗。
上半身からはもうもうと湯気が放出されている。
体中にみなぎる気の循環に、ガイは自らの力が高ぶっていくのを感じていた。

「さてと、飯にするか!」