<東京怪談ノベル(シングル)>


夢の中の夢の夢
エルファリアの自室で目覚めたレピア・浮桜(れぴあ・ふおう)は溜息をついた。
閉じられた窓。灯された明かり。そして丸テーブルの前のソファーに腰掛け、レピアを見ているエルファリアの姿。
「今日も夜なのね」
レピアは念のため、エルファリアに確認する。
エルファリアは困ったような微笑みを浮かべ、小さく頷く。
レピアは意識して明るい声を出す。
「まあ、わかってたけどね。じゃあひとつ、踊りにでも行こっか?」
伸びをするレピアにエルファリアが言う。
「もっといい場所を見つけたのよ」
「へえ、どこ?」
レピアは体を伸ばしながらエルファリアに近づく。エルファリアは丸テーブルの上の重厚な本を指し示す。
「この中よ」
レピアは覗き込むように本を見る。皮製の表紙には金箔で文字が刻まれている。
レピアは眉間にしわを寄せる。
「ごめん、意味わかんない」
その反応を見てエルファリアはうふふ、と笑う。
「魔本っていうの。この中に入って冒険したり、ラブロマンスを体験したりできるのよ」
「なんでそんな本があるの?」
「貴族の方々が実際に大冒険に出たりするわけにはいかないでしょう? だから」
さらに詳しく説明しようとするエルファリアをレピアは手で制する。
「いやあたしが聞きたいのは今ここにある理由だけどね」
エルファリアは心なしか得意げにレピアを見上げる。
「レピアにぜひ体験してもらいたい内容の本だったからよ」
「へえ?」
「どう? 行ってみる?」
「行くも行かないも、あたし実質選択肢ないよね? まあいいわ、体験させてもらいましょうか」
エルファリアは頷き、本を開いた。



昔々。
レピアという大層美しく、心優しいお姫様がおりました。
レピア姫のいる王国は大変に豊かで、国民も心安らかに暮らしておりました。

ところが。
ある日、邪悪な魔王がやってきて、王国を乗っ取ってしまったのです。
しかも魔王はレピア姫を我が物にするため、姫が石になる魔法をかけました。
「この魔法を解いて欲しくば我が后になれ」
魔王はそう迫りましたが、姫はこう答えました。
「あなたの后になるくらいなら、石でいることを選ぶわ」
どうしてもレピア姫が欲しくてたまらなかった魔王は、今度は催眠術をかけました。
その術は、魔王に自らの体を捧げずにはいられなくなってしまうという術でした。
レピア姫は昼間は石像として広間に飾られ、夜は人間に戻り魔王に奉仕するという日々を過ごすことになりました。
二重の魔法に掛けられたレピア姫は、年を取ることはありません。
しかし季節は流れ、国は衰退してゆきました。

魔王は時々思い出したかのように姫を正気に戻しては后になれと迫ります。
しかし姫の答えは変わりません。
答えを聞くたびに魔王は怒り、姫を再び催眠術に掛けます。
それが何度繰り返された時でしょうか。
久しく国交が絶えていた他国の騎士が、この国にやってきたのです。
騎士は広間の石像を見て、国民に問いました。
「この石像のモデルになった人物はどこにいるのか」
「それは生きている石像でございます。夜になれば人に戻りますが、正気を保ってはおりません。全ては魔王の呪いの力です」
「では、魔王を倒せば呪いは解けるかもしれない」
騎士は魔王の棲む城を見つめそう言いました。

騎士エルファリアは魔王を倒しました。
しかし姫は魔王の姿が見えなくなったことに怯えるばかりです。
騎士エルファリアは姫に口づけをしました。
姫の目に正気の光が灯りました。
騎士は姫を見つめ、問いかけました。
「私はあなたを后にしたい。それは許されるだろうか?」
「ええ、喜んで」
そうして王国は末永く栄えました。



「というお話だったとさ」
エルファリアは魔本を閉じる。
レピアとエルファリアの二人は、閉じられた本を見つめている。

レピアは本のタイトルを指でなぞりながら、本の中では言えずにいたことを口にする。
「これはいつか、現実になるのかしら」
エルファリアはそんなレピアの横顔を見ながら悠然と微笑む。
「ええ、なるわ」
「本当に?」
夜明けが近い。レピアの意識が急速に石と化してゆく。
「本当よ。だから、私は」
エルファリアは喋るのをやめ、石と化したレピアの頬をなでる。レピアの頬は夜明けの露のように冷たくなっている。
確かめるように唇に触れ、そっとキスをする。
これは義務? 友情? それとも。
レピアは冷たいまま、そこにある。



夜が明ける。
昨日と変わらぬ朝が来る。
そしてまた、エルファリアは図書館で文献を紐解く。
いつかレピアの呪いを解く日が来ることを信じて。
<了>