<東京怪談ノベル(シングル)>


私の勇者様

 エルファリアの獣化が完治してから数週間が経ち、レピアとエルファリアは別荘の図書室へ来ていた。
 時間は相変わらずの深夜で、眠くない?と心配して声をかけてもエルファリアは一向に離れる様子はない。
 ここ2,3週間というもの、エルファリアはレピアにベッタリとくっついて離れなかった。

(また甘えんぼさんになったのかしら?)

 エルファリアに聞かれないように小さくため息を漏らす。
 本心は顔が緩んでしまうほどに嬉しいのだが、やはり王女としての自立ということを考えると、両手離しで喜んでもいられない。
 なのだが当の本人は、レピアに寄り添うようにくっついたまま。
 くしゃっと髪を撫でると嬉しそうに頬を擦り合わせてきた。

(まるで子猫ちゃんね)

 指で蔵書群の背表紙をなぞっていると、ふと一冊の本に目が止まった。

「あら、これは?」

 取り出した本はとても古く、タイトルは掠れて読めない。
 隣からエルファリアも興味津々な様子で覗き込む。
 表紙を捲ると、説明書きが書かれていた。
 要約すると「本の中に入って冒険を疑似体験できる魔法の本」とある。
 普段冒険に出ることができない王侯貴族向けに作られたもので、本の中で死んでも本の外に出されるだけなので実害はないという。
 うろ覚えに知識のあるエルファリアによると、特殊な魔法が施されているようで、とても貴重で高価なもの、らしい。

「貴重な魔本……ね」

 眉間にシワを寄せてレピアは本を閉じる。
 本に積もっていた埃がもわっと舞った。
 咳き込むエルファリアに、レピアが提案を持ちかける。

「一緒に試してみない?」
「え?」
「勇者を助けるお姫様、エルファリアにぴったりだと思うの」

 掠れたタイトルをなぞってレピアは言った。
 だがエルファリアには先のドールハウスでの出来事が胸につかえる。

「でも私また……」
「囚われの勇者っていうのもちょっと面白そうだし、今回もエルファリアが助けてくれるから、何も問題ないわ」

 にこりと微笑んだレピアの顔はとても優しかった。



 目を開けると、幾重にもフリルのついた純白のドレスを身につけた自分の姿が映る。
 城内の一室で、姿鏡に向かい合ってるレピアがいた。
 後ろには同じドレスを身につけたエルファリアが立っている。
 振り返り、ゆっくりとエルファリアに歩み寄る。
 自分よりやや小柄なお姫様の背に腕を回し、額に静かに唇を添えた。

「少しだけお別れね……。信じて、待ってるから」

 姫はコクンと頷く。
 エルファリアからそっと手を離して、木製の扉に手を掛けた。
 扉を開けた向こうは凄まじい熱気と興奮の坩堝(るつぼ)だった。
 城には魔王軍が攻めて来ている。
 圧倒的数に勝る魔王軍に押され、ついに生き残っているのはレピア一人となった。
 エルファリアの影武者として逃げ回っていたが、四方を囲まれてしまった。

「くっ……」

 魔王の無遠慮な視線が全身を舐めるように突き刺さる。

「影武者とはいえ、なかなかの上玉だな。このまま殺してしまうのも惜しい」

 いやらしい笑みを浮かべ、レピアの前にかがむ。
 絹のような肌に手を触れようとしたその時、レピアは右手に掴んだ石で思いっきり魔王の脳天を叩いた

「ぁぐっ!……この、小娘がぁ!!」
「逃げて……エルファリア!」

 魔王の放った術で、レピアは走る姿のまま石像と化した。

「くっくっ、これが勇者の末路とはな。支配の象徴として城にでも飾っておけ」

 衣装室の奥に隠れていたエルファリアも捉えられ、魔王の前に引きずり出された。
 エルファリアはキッと睨みつける。
 今魔王が座っている椅子は、本来はこの城の王が座る椅子だった。

「そんな怖い目で見られたら、……壊してしまいたくなるではないか」
「や、……やめて!」

 魔王の眼の奥には爛々とどす黒い欲望が渦巻いている。

「……ふむ、趣向を変えてみるか」

 片手でエルファリアの顔を捕まえ、目を合わせる。
 魔王の眼光の奥が紫色に光り、エルファリアは力なく両腕を垂れた。

「…………」

 エルファリアは人形のように力なくうなだれる。
 そして口から無機質な言葉が発せられた。

「私は、魔王様の、メイド……」
「ふん、他愛もない」

 どかっと玉座に座り直し、頬杖をついてエルファリアを見る。
「魔王のメイド」としての本能と記憶を植えつけられたエルファリア。
 それから昼間はメイドとして魔王の側に仕えた。
 夜は魔王の自室に呼び出される。
 薄布を垂らしたベッドの中で優雅に腰掛ける魔王がいた。


 1日の務め全て終了すると、眠る魔王の側を離れ一人自室へと戻った。
 暗い部屋に灯りは付けず、窓の外の月を見ては頬を冷たい雫が流れる。
 涙が流れたことなど気づかないまま、真っ白なシーツの混沌へと意識を手放した。
 そのような月日を12年ほど繰り返し、魔王の視察に同行したエルファリアは雨に晒されて汚れた1つの石像を目にした。
 とても見覚えのあるその姿。
 かつて自分が身に着けていたものと同じドレス。
 苔生した口は誰かの名前を叫んでいるように思えた。
 そして、無意識にエルファリアはその名前をなぞっていた。

「える……ふぁり…あ?」

 虚ろな目の奥に微かな日が灯る。
 混濁していた意識は少しずつ浮上してきた。

(レピア……!)

 洗脳が解け、かつての自分とその全てを思い出した。

「エルファリア、どうかしたか?」
「……いえ、異常ありません」

 先を行く魔王に気取られないよう、低く感情を押し殺した声で答えた。
 王城に戻ったエルファリアは、いつものように宝物庫の掃除をしながらあるものを探していた。
 装飾華美な剣が飾られている脇に、乱雑に置かれた一振り。紛れもなく勇者レピアの剣だった。
 その夜の夜伽の時間に、いつものように魔王に近づき、その首をレピアの剣で跳ねた。

 王女は汚れた勇者の像を、神秘の泉で清めた。
 苔生した汚れは落ち、ごつごつとした石の手足が滑らかな肌色になる。
 髪と瞳が灰色から青へと、頬にほんのり朱が差して、12年野ざらしにされた石像は、美しい女性の姿へと変わった。
 石化の呪力から開放された勇者は王女に抱きかかえられ、二人は神秘の泉で永久の愛を誓ったのだった。

――パタン。

 本を閉じ、同時に目をつむった。
 じんわり眼の奥が熱くなる感覚がある。
 左手でそっと髪の毛を撫でた。

「……んぅ」

 幸せそうに眠る王女の寝顔が、とても愛おしい。
 エルファリアの背中に自分の上着をかけ、そっと額に口を添えた。

「おやすみ、私の勇者様」