<東京怪談ノベル(シングル)>


ささやかな幸運

 賑やかな表街道を逸れ、人通りが半減している裏通りをガイは歩いていた。
「何か仕事ねぇかな……。よし、ちょっくら酒場に顔出してみるか」
 仕事を探していたガイは一人そう呟きながら、急ぎ酒場目指して歩を進めていた。
 裏通りとは言え、なかなかに広い路地。大柄なガイが歩いていても邪魔にならず、何人もの人と幾度もすれ違えるほどの広さがある。そして通り沿いには小さな店がちらほらと出て、若い女性や男性が出入りしている様子もある。
「ど、泥棒ーっ!」
 穏やかな街並みを歩いていると、その雰囲気に似つかわしくない悲鳴が突如として上がった。
 その場にいた全員が一斉に声のするほうを振り向き、騒然となる。
 見れば、一人の老婆が通りの真ん中で尻餅を着いたように倒れ込み、人々の間をすり抜けるようにしながら走り去る男を指差して叫んでいた。
 その様子を見たガイは弾かれるようにその場から走り出し、老婆の横をすり抜けてその盗賊を追いかける。
 走りながら後ろを振り返った男は、凄い勢いで追いかけてくるガイにギョッとすると、形振り構わず周りの人々を突き倒しながら全速力で駆け出した。
「待ちやがれーっ!」
 怒鳴りながら走るガイの声は、裏通りに響き渡った。
 もう一度こちらを振り返った盗賊の男は思いがけずその場に躓き、体が大きく回転するほど勢いよく地面に倒れ込んだ。ガイはすかさずその男を取り押さえるとギョロリと彼を睨み付ける。
「さっきの老婆から奪った物を返すんだ」
「い、いててててて! くそっ、何すんだよ!」
「いいからさっさと出せ!」
 後ろから羽交い絞めをするようにして押さえ込んでいたガイに、完全に完敗した盗賊は懐から水晶玉を取り出した。
 ガイはそれを受け取るとすぐに盗賊の上から退いた。その瞬間、盗賊は即座に立ち上がり尾を巻いてその場を走り去っていった。


「婆さん。ほら、取り返したぜ」
 もと来た道を戻り奪い返した水晶玉を老婆に手渡し立ち上がらせると、老婆は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
「いいって事よ。世の中にはああ言う節操の無い人間も多いんだ。気をつけねぇとな。それより、体は大丈夫か?」
 老婆を気遣うガイに、彼女は何度も頭を下げ「大丈夫です」と繰り返した。
 支えられるように立ち上がった老婆は着ていた衣服の埃を払い、ガイを見上げた。
「お礼に、あなたのことを占わせてもらえませんか?」
「占い?」
「はい。私に出来るお礼といえばこのくらいなものですから……」
 にっこりと微笑む老婆に、ガイは占ってもらう事にしたのだった。
 老婆は手にしていた水晶玉を覗き込んで黙り込むことしばし、ふと顔を上げてガイを見詰めにっこりと微笑みかけてくる。
「近い内に、あなたはささやかな幸運に恵まれる事でしょう」
「そりゃあありがたいね。ありがとうよ、婆さん。ところで婆さん、これからどこへ行こうとしていたんだ?」
「表通りにある、自分の店に戻ろうと思っていたんですよ」
「なら、そこまで送ってやるよ」
 気前よく、ガイが老婆を連れて裏通りから表通りまで連れて行くと、沢山の人の波が目の前に現れる。
「婆さん、本当に大丈夫か?」
「えぇ。大丈夫です。どうも親切にありがとう」
 老婆は深々と腰を折り、人の波の中に消えていった。
 ガイはしばらくその見えなくなった後姿を見送っていたが、踵を返して裏通りへと戻っていく。そしてその足で酒場に向かった。


「これと言って、目ぼしい仕事はねぇなぁ……」
 ガイは酒場にある求人の掲示板を見詰め、一言呟いた。どれもこれも、すぐに終わってしまいそうな仕事ばかりだ。依頼の仕事もほとんど無いに等しい。
 顎に手を当て大きな溜息を一つ零し、今後のことを考えていたガイの後ろに人が立つ。
「悪いがどいてくれないか」
「あ、すまん……」
 ガイほどではないが、体格の良い厳つい顔の木こりがジロリとガイを見詰め、手にしたビラを掲示板に貼り付けようと彼の隣に立った。
 木こりは手にしていたビラを掲示板に貼るのかと思えば、手にしたままじっと立ちつくしガイを上から下までマジマジと見詰めてくる。
「な、なんだよ」
 思わずしり込みしてそう聞き返すと、木こりの男は持っていたビラをガイに差し出してきた。
「あんた、仕事探してるんだろう。良かったらうちで働かないか。住み込みの長期バイトになるんだが……」
「いいのか?」
「あぁ。あんたは見込みありそうだと思ってな」
 木こりがニッと歯を見せて笑うと、ガイもまたつられてニッと笑った。
「そりゃありがたい。願っても無い申し入れだ。俺に断る義理はねぇ。喜んで引き受けるぜ」
 ガイの快諾を得た木こりは、満足そうに頷いた。


 木こりの家に住み込みで働き始めて数日。ガイは雇い主である男の期待以上に働いていた。
 もともとこの場所でずっと働いてきた者達よりも倍に働く。
 ガイは特別それに対し苦痛に感じたこともなければ辛いと思うことはなく、むしろ楽しんで仕事をやっていた。
 働ける場所があって、しかも三食付いて寝る場所まで約束されている。これ以上の幸せがあるだろうか。
「おーい、ガイ。悪いがちょっとそっち持ってくれねぇか? 重くって俺一人じゃ運べそうもねぇんだ」
 てきぱきと仕事をこなしているガイに、先輩でもある男性が声をかけてきた。
「あぁ、それじゃ俺が運んでおくよ」
 自分がやっていた仕事を手際よく終わらせ、ガイは男のところへ向かう。そして積み上げられた木の束をいとも簡単にひょいと肩に担ぎ上げた。
 それを見た男は目を瞬かせ固い笑みを浮かべる。
「さすがだなぁガイ。お前、重くないのか?」
「いや。これぐらい朝飯前だぜ? それよりこれ、どこに運べばいいんだ?」
「あぁ、それは積んであるあの木の山に運ぶんだ。お前が来てくれて本当に助かってるよ。ありがとな」
 感謝の言葉に、ガイはただニカッと笑いかけるだけだった。
 ガイは木の束を軽々と担ぎ上げたまま、目的の場所まで歩いていくと荷物を下ろし額の汗を拭った。そしてその時、ふと思い出すことがあった。
 そう言えば数日前街中で出会った老婆の言葉……。
「近い内にささやかな幸運に恵まれる……だったかな。もしかして、そのささやかな幸運ってこのことか?」
 一人呟くようにそう言うと、口の端を引き上げて微笑む。
「うん。ま、こう言うのも悪かねぇな」
 ガイは嬉しそうにそう呟くと、すぐに仕事に戻っていった。