<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


泉のユニコーン

「どうか、どうか、お願いいたします」
 黒山羊亭店内。村人風の老人が、テーブルに腰掛けている人物一人一人に頭を下げ、両手を合わせながら懇願していた。最初は冒険者と思わしき人物へ、次は傭兵へ、さらには一般人としか思えない女性へ……。エスメラルダがやんわりと注意しても、
「後生です、どうか冒険者さんを説得してください」
 と、反対にお願いされてしまう始末。
「こっちがお願いしたいところなんだけど」
 苦笑しため息をついて、ふたたび柔和な表情を浮かべると。
「ね、おじいさん。お願いだから、依頼の内容をわかりやすく伝えて頂戴。そうじゃなきゃ、冒険者さんもうんとは言えないでしょ?」
 すがるような目で見上げてくる老人を諭した。
 エスメラルダの言葉に何度もうんうんと頷いた老人は、それでも落ち着き無く店内を視線だけで見回していた。やがてなんとか息を整えると、組んでいた両手を解き、とぼとぼと席に戻った。エスメラルダが自らコップを持ち、彼のテーブルへと運んでくる。

「それで、どんな依頼なのかしら?」
 しょぼしょぼと瞬きをし、結露のしずくが大きくなりはじめたコップを見つめ。老人はぽつりぽつりと語り始めた。
「わたしの村は山のふもとにあります」
 しずくがコップの曲線を伝い、テーブルクロスに灰色の染みを作った。
「山には泉があります。かつてはただ水が湧き出ているだけの、なんの力も持たない場所でした。しかし、わたしの父にあたる……先代の村長が、その湧き水を囲うように壁を作ったのです。つまり、人工の泉を作ろうとしたんですな」
 しわくちゃの手でコップを掴み、一口分を喉に流し込む。喉がごくりと鳴った。長い息をつくと、老人はコップをテーブルに置いた。
「計画は上手くいきました。村には若い戦士もいたし、確かな腕の魔法使いもいました。山みたいな泥で器を作って、魔法で補強して。おかげで山には緑が増え、動物も集まり、わたしたちの生活も――今までは肉なんてめったにありつけませんでしたからね――豊かになっていきました」
 彼は堰をし、「失礼」と頭を下げた。
「そして現れたのです、一角獣が。白い体に青い鬣の、それはそれは美しい獣です」
 泉に現れる精霊をご存知ですかなと、エスメラルダへ問う。詳しい話は知らないと首を振れば、
「人工の泉にはめったに現れんものです。水と緑と土と火と、すべてが調和したときに形となって作り出される、その土地そのもの。そういう生き物を、われわれは精霊と呼んでいます。今泉にいるユニコーンは水の精霊ですな。水があの場の核ですから」
「普通の生き物とは違うのね?」
「見た目こそ普通ですが、魔法の素養がある者なら、土地こそが精霊の心の臓だとすぐに解るでしょう」
 土地が息をし、涙を流し、傷つけば、精霊も傷つくのです。コップについた露を指につけ、テーブルクロスに木の形を描く。幹と葉、花、根。
「精霊は花、実です。そして土地が根と幹。……精霊と土地について、お分かりいただけたかな」
「ええ」
 聖獣の加護を受ける土地はいくつもある。なんらかの魔力が働きそのような生き物が誕生したとしても、不思議はないはずだ。

「そして、依頼なのですが」
 老人はそこで口ごもった。視線を落とし、コップを見つめる。底に隠れているコインの影を、注視することで作り出そうとしているみたいに。
 一度だけ、長いまばたきをして。
「その精霊を退治していただきたい」
 搾り出すように、一言つぶやいた。

「彼が誰某構わず依頼していたのは、なるべく早く村へ向かって欲しいから。そしてもう一つ、彼や彼の村にとって、そのユニコーンはとても大切な存在だからなの」
 エスメラルダがあなたに語る。
「なぜユニコーンを退治してほしいのか……。まずはそこから話すわね。
 老人の村にある、人工の泉。実は枯れかけているらしいの。そしてそれを囲う、土の壁――といっても、山をくりぬいて作ったものなんだけど――。それが崩れかけているんですって。もしどちらかがなくなってしまったら、ユニコーンは弱ってしまう。理由はわかるわね」
 店内に飾ってある絵画、みずみずしい葉と色とりどりの花の咲く大樹の絵をちらりと見やって。
「そして……。その弱ったユニコーンを捕獲して、売りさばこうとしている輩がいるらしいのよ。黒山羊亭に依頼に来たのは、その盗賊団のせいだわ。
 精霊はその土地を離れると、同じような場所を求めてさまようらしいわ。そして手近な場所を見つけると、自らの命と引き換えに、自分が住んでいた土地を再現するんですって。団が精霊を売るとしたら、きれいな水すら手に入らない貧しい村か、自宅に噴水でも作りたい富豪か、そんなところでしょうね」
 ここで、エスメラルダは老人に問うたらしい。
「だからって、なんで退治を? って。
 まず第一に、精霊は自分の意思で自分の土地を離れられない……というより、意思を持てないんですって。だから、逃がすことはできない。
 第二に、盗賊団を追い払いつつ泉を補強することはできないから。村全体がどちらかに集中しないと、どちらもだめになってしまうの。どちらかだけ上手くいっても、ユニコーンか村がひどい目に合ってしまう。捕獲や襲撃ね。
 そしてもう一つ。ユニコーンが、村の人を襲って怪我をさせてしまったらしいの。その後、精霊の姿を見に来た富豪にも怪我をさせてね。彼らがひどくユニコーンを怖がってしまった……。富豪は精霊の討伐を命じたわ。精霊がいなくても、土地は残るから」
 エスメラルダは息をつき、いったん言葉を区切った。
「村では、ユニコーンの暴走は、土地が汚れていることに関係しているって読んでるの。土地の汚れっていうのは、森に残ったゴミとか泉に落ちた酒とか、そういうもの。そういうものって、時間をかけて土地に染みこんで行くでしょう? 精霊にとっては毒と同じ。取り除くのは難しいの。それが積もりに積もって、ユニコーンはついに弱り、理性を失い始めた。
 つまりね……ユニコーンは、もう、道がないのよ」
 わかったでしょう? とでも言うように、エスメラルダは肩をすくめた。
「ねえ、冒険者さん。……これ以上、時間をおくべきじゃないと思うの。なんとかしてあげられないかしら」
 複雑に絡み合った感情を、最後の一言に込めて。


* * *


 エスメラルダの見つめる先には、黒い翼をもつルド・ヴァーシュ。黒い瞳に彼女の姿を映し、その隣にいる老人へと視線を移す。
「……そうだな。返事に迷っている暇はない。手伝おう」
 コップに残っていた水を飲み干し、椅子から立ち上がる。
 エスメラルダも老人も、安堵のため息を漏らした。見るからに屈強で戦闘経験もあるだろうその青年が快諾してくれたことに、どれほど感謝をしたことか。
 その気持ちが伝わっているのかいないのか、彼は店をまっすぐに横切り、老人のすぐそばの椅子に腰をおろした。開き気味だった翼をしっかりと閉じ、
「さて、情報をもう一度確認したい。それと、村の様子はどうなっている? 見取り図などはあるか?」
 羽毛の擦れる音を残して訊ねた。
 老人は「ペンと羊皮紙を」とエスメラルダに頼むと、彼女はカウンターの奥から筆記用具を取り出して、ルドの座るテーブルの上に置いた。

「ねえ、他にも一緒に村へ行ってくる人はいらっしゃらない?」
 ルドが老人から詳しい話を聞いている間に、エスメラルダが店をぐるりと見回した。
 ふと、視線に気が付く。
 依頼主たちの姿をじっと見つめている青髪の青年が一人。壁に背をもたせかけ、熱心に話を聞いていたらしいケヴィン・フォレストは、エスメラルダと目を合わせると、小さく首を縦に振った。
 自分も手伝おう。そういう意味の身振りな、気がする。
「ええと、じゃあ、よろしく頼もうかしら」
 肩をすくめるエスメラルダにもう一度頷きかけてから、彼もまた老人の傍へと歩み寄っていく。

「その話、あたしも乗ってみるよ」
 カウンター席に座っていたロザーリア・アレッサンドリが手を上げる。笑顔で首をかしげて見せれば、帽子の羽飾りがひらりと、黒山羊亭の淀んだ空気の中に光った。
「助かるわ」
 彼女の快活な調子につられたのか、エスメラルダも明るい声で返事をする。
「いやぁ、あそこまで懇願されちゃ、聞き流すわけにはいかないだろ? 興味もあるし」
 飲み物と軽食の代金をカウンターに乗せ、余りも誤りもないことを確認してから、相談を続ける三人の(とはいえルドと老人が二人で会話し、ケヴィンはそれをぼんやりとした顔で聞いているだけだが)表情と素振りを観察するように眺める。時々モノクルのふちに指を添え、会話にひとつふたつ質問をはさんで。

 そしてもう一人、静かに椅子を引いて立ち上がる青年が一人。
「私も同行して構わないだろうか」
 顔をあげれば金の髪が靡く。こつこつと足音を立て、リュスが依頼人とエスメラルダを見比べた。
「ええ、お願い。村も村で大変みたいだし、人手はあった方がいいだろうから」
「違いない。私の力が、少しでも役に立てばいいのだが」
 役に立たないわけないわ、そう言ってエスメラルダが彼を老人のもとへ促した。

「さて……、あとは吉報を待つだけね」
 手書きの地図を囲む人々を見つめ、腕組みをして微笑む。そこには安堵と不安が入り混じっていたが、それを振り払うように頷き振り返ると、店の奥から人数分の飲み物をトレイに乗せ、彼らにどうぞと一つずつ差し出した。


 例の村は老人が言ったとおり、緑に満ちた山岳のふもとに存在していた。入口からは山を真正面に捉えることができ、斜面を少し上ったところにまで住居が点在しているのがわかる。
 村人たちは一同をあたたかく迎え入れてくれた。彼らは軽く武装していたが、客人を見るまなざしはどこまでもやさしい。村娘が手を振ってくれている。赤ん坊を抱えた女性が、ようこそと会釈した。
 老人が冒険者を連れて帰ってきてくれたと半ば叫ぶようにして、若者が村の奥へ駆けていくのが見えた。

「ここがわたしたちの村です」
 振り返った老人が、黒山羊亭にいたときよりもずっと穏やかな調子で語りかけた。
「わたしが冒険者さんを連れて帰ってくることは、ほとんどの者が知っています。この調子だと、村人全員があなたたちの来訪を歓迎してくれそうですな」
 どこか懐かしそうに目を細めてから、村へと足を踏み入れる。
 四人の冒険者たちが、その後に続いた。


 ひとまず村の者を集めておきますと、老人が去っていく。さてどうするか。皆の言葉を代弁するように、ケヴィンがそれぞれの顔を見比べた。
「では、俺は山の方へ向かうとしよう」
 ルドが空を仰ぎ見、翼を開いた。
「まずは盗賊の立ち入りそうな場所を探すつもりだ」
「ふうん。村人たちにそれを教えるの?」
 ロザーリアの言葉に頷く。
「ああ。障害物や罠でも仕掛けておけば、そう簡単に奴らも攻め入れないだろう」
 彼の隣に立っていたケヴィンが、山への道を目線で辿る。確かにそれはいい考えだとでも言うように、ルドへ視線を戻した。
「あたしは、ユニコーンの方に気を配りたい。まあ、戦いの前までは、村人たちの手伝いをするつもりだよ」
 罠を仕掛けている間に精霊が出現しなければいいが。ロザーリアが呟けば、
「障害物を仕掛けることが自然を侵すことに繋がるかもしれん」
 ルドが肯定気味に言葉を続けた。そこなんだよと言わんばかりに彼女が肩をすくめる。
 彼らの不安を和らげるように、リュスが手を自分の胸に置く。
「私は、ユニコーンが現れる前に森の中を探索したい。精霊が現れた際にはすぐに伝えよう。罠を仕掛ける場所が決まったら教えてくれ」
 ルドが頷く。頼むよ、と、ロザーリアが笑った。
 さて、彼らの中にいながらぼうっとあたりの様子を観察していたケヴィンだが、幾度か不思議そうに目をとどまらせては、じっと何かを考えていた。彼の視線の先には、数人の村人。どうやら若者らしい。彼らの手には酒瓶と、持ち運びに適している軽食。食べたい……、とは思っていないらしい。比較的新しい、インクの色が鮮やかなラベルを注視した後、すいと天をへ目を凝らした。

 村人たちの集まった広場で、ルドが地図を片手に指示を出す。
「先ほど上空から確認したところ、盗賊の姿は見当たらなかった」
 緊張した面持ちの聴衆から、ほっとした雰囲気が漂う。
「ただいくつか、森の中に入り込める道がある。おまえ達にはそこに罠を、それができなければ障害物を設置してもらいたい」
 村人たちは顔を見合わせた。人用の罠なんかあったか、イノシシ用のならあったぜ、障害物って何がいいんだ、確か使っていない大きなテーブルがあったな……。
「場所については、あたしやルドが案内するつもりだよ」
 ロザーリアの、よく通る明るい声。
「それと、もし記憶力に自信のある奴や、森の地理に詳しい奴は前に来てくれないかい? 森中に罠を仕掛けて回るには、あたし達の案内だけじゃ難しいんだ」
 ロザーリアの注意は、盗賊よりもユニコーンに向いている。案内をすればすぐにユニコーンの捜索に入りたい。ならば、ルドには村人たちの援助が必要だろう。それを考えての提案だった。
 しばらくざわめきが続いた後、数人の村人が挙手し二人の前へ歩み出た。彼らは地図を確認し、確かにあの道は危ないなと思い思いの言葉を口にしている。
 そこにロザーリアが注釈を入れている間、ルドが「各自罠や障害物をいったんここへ運んでくるように」と腕を払い広場全体を示した。
 村人たちは各々の家や倉庫へと散っていく。

「リュスは森に向かったんだったな」
 一通り森の道について解説し終わったロザーリアへ、ルドが向きなおる。
「あと一人――、ケヴィンはどうした?」
「彼なら、詳しいことは言わなかったけどね、村を見て回る様子だったよ」
 こう……村の一番大きな道を指差して。彼の行動を再現して見せる。
「いつ頃出て行った?」
「広場に人が集まってきて……ちょうどいっぱいになった頃だね」
 彼なりの考えがあっての行動だろう。二人には彼を疑う気はなく、今は目の前の、警備の穴とも言える場所へ注意を向けるのだった。

 舞台は森の中へと移る。
 苔で緑色に染まる地面、リュスが屈んだその先に、ウサギが横たわっていた。それはもう息絶えており、見開かれた黒い眼は虚空を見つめていた。
(この傷は、ユニコーンの角がつけたものじゃない)
 そう断言できる。
 精霊の角が生き物を襲ったならば刺し傷が残るだろうし、もしくは無理やり引き裂かれたかのような、ぼろぼろの、目も当てられないような姿となって息絶えているはずだ。それに、周りの木々や地面には、暴走した馬の蹄や体が残した痕跡が一つもない。
 あたりに風が舞う。強い風ではないのに、枝葉がざわめく。
 リュスは目を伏せた。今、ユニコーンはどこに? それに応えるのは風。そして森。
(彼はまだ現れない)
 心に響く森の声。そこに一筋、凛とした声色が、陰を貫く光のように落ちる。
(私は、守る)
 何を? 声なき声で問いかける。
(私自身を)
 枯葉を攫った風が、命ある者と死に絶えた者の間をつなぐ。依然、森の声はリュスの心に響き続けている。

 一方、単独行動を続けるケヴィンは、大通りをふらつきながら、道行く人々を眺めていた。
 彼が広場を離れてきたのは、ある違和感を感じ取ったからだ。
 ルドと老人の呼びかけに応え集まった人々は、若くて三十歳前後の、中年とも呼べる村人ばかり。若者の姿はほとんど見かけなかったのだ。
 黒山羊亭で老人から聞いた、「襲われるのはたいてが若者ばかり」という言葉がひっかかる。
 よく均された土の道。その上に時々転がっている、食べカスの末路とおもわしき泥の塊。村人たちは広場に収集されているはずなのに、幾人かの若者とすれ違う。道の両端へ視線を流せば、話に夢中になっている小さな集団が時折見える。
 彼の中にあった疑問が確信へと変わっていく気配。
 しかしそれは表に出ない。
 踵を返した彼は、相変わらずの表情を浮かべたまま森へ足を向けた。

 ルドの翼が風をはらむ。ばさりと羽ばたくたび、眼下の森が流れていく。
 茂る葉の隙間から、思い思いの大道具を抱えた村人たちが見える。彼らは確実にルドの指示した場所へ向かって前進していた。
 あらためて上空から森を眺める。
 精霊の力が弱まっているというのが信じられないくらいみずみずしく生き生きとした森だった。
 バリケードを森より少し離れた場所に置くよう指示したのは、間違いでなかったのかもしれない。
 実は、ロザーリアから懇願とでも言うべき言葉を受けていたのだ。ユニコーンをおびき寄せるまでに、もう少し時間をくれないか、と。つまり、森を汚す可能性のある人工物は、森より離れた場所に設置してほしいと。
(精霊が完全に理性を失ったその瞬間に、)
 携えた狂狗銃が太陽に照らされ鈍く光った。
(必ず、一撃で仕留める)
 その夜色の目はさらに鋭く細められ、ユニコーンの姿を探している。
 羽を広げ、森全体を視界に留められるよう、旋回を続ける。

 それを見上げていたロザーリアは、手のあいた村人たちに大地の穢れを取り除くように頼んでいた。
「泉の周りだけでも、目に見えるものだけでいいんだ。人が持ち込んだものならなんでもいい。できるだけ森をきれいにしてやりたいんだよ」
 しかし、と村人は言う。精霊が理性を取り戻すまでには相当の労力と時間がかかるのではないか?
「それでも、何か変わるかもしれない。あたしたちがユニコーンに会うまでに、凶暴化だけでも抑えられればいいんだ」
 頼むと頭を下げる彼女を見つめ、どうしたものかと首をひねる。
 このまま何もしないよりずっといいと、一人が声を上げた。そして善は急げと言わんばかりに森の中へ駆け込んでいく。最初の“穢れ”はすぐに見つかった。誰かが捨てた、袋のようなもの。ぬかるみにはまっていたのか泥だらけになっており、彼が鼻をつまんでいるところを見ると中身は腐敗しているらしい。
「その調子だ! あたしも手伝うよ。ほら、キミらも動いた動いた!」
 まごついていた人々の背を叩きもう一度発破をかける。自分も目を光らせ、森のいたるところを探り始める。
(こりゃ確かに、精霊様も怒るはずだよ)
 やはりゴミはすぐに見つかった。栓のしっかり閉められた、どろりとした酒の詰まる小瓶であった。

 ロザーリア達が行動を起こし始めた直後だ。リュスの心に届いていた森の精霊たちの声が、鮮明になりはじめたのは。
 どこかから、小鳥のさえずりが聞こえる。
(森よ、泉の精霊はどこに?)
 瞑目したまま再び問う。
(彼と話をするのは困難だ)
 森の声。
(なぜなら、彼は声を出すことすらできないほど疲れているから。息も絶え絶えだ。しかし、お前の声に応えようとしている――)
(応える?)
 彼は理性を失っているのではなかったのか?
(彼は“ちゃんと生きている”。私たちと、彼自身を守るために)
 リュスが目を開いた。ゆっくりと立ち上がり、揺れる枝葉を見上げる。
 誰が一番近くにいるだろうか?
 森が答えた。
 ――南へ。南へ走れ。


 ロザーリアとケヴィンがはち合わせたのは、森への入り口その場所だった。
「キミ、なんか探しに行ってたんだろ? 何か解ったかい?」
 こくりとうなずく。そして、ロザーリアと並走していた村人を見つめ、ロザーリアが彼を見たのを確かめてから、村を振り返った。そこには数人の若者の姿。
 ケヴィンがロザーリアを振り返る。ちょうどもう一人の村人が、両手いっぱいのゴミを抱えて戻ってきたところだった。
 もう一度村を、若者を振り返ったケヴィンを見て、ロザーリアが目の色を変える。
「すごいよキミ、よく気づいたもんだね!」
 片手に下げていたゴミ入れの袋を放り出し、ケビンの肩を勢いよく叩く。思わずよろめいたケヴィンはしかし、もう少しやりたいことがあると、村を指差した。
「いいよ、行ってきな。あたしはあたしでできることをするからさ」
 ロザーリアが森へと戻っていく。彼女が残した袋を抱え、ケヴィンは村へ引き返した。無口な青年と快活なお嬢様の、一方的のように見えて疎通できているらしいコミュニケーションを目の当たりにした村人は、呆然と彼の背を見送っていた。……が、すぐに我に返り、待ってくれと声を張り上げながら彼を追いかけた。

 外部へ続く道という道に障害物や罠を仕掛け終わり、それぞれの村人たちがルドへ手を振り合図を送る。これでバリケードの設置は完了した。あとは、ユニコーンか盗賊、どちらかの登場を待つばかりだ。
 旋回をやめ、樹木の少ない開けた場所に着地する。あたりの気配を探るが、精霊と思わしき空気の震えは感じ取れなかった。

 が、音がする。そちらを振り返り、銃に手をかけた瞬間。茂みを掻き分けて現れたのは、村人でも精霊でもなく、リュスだった。
「ずいぶん時間がかかったな」
 銃から手を離し緊張を解く。
「かかった時間以上の収穫を得たよ」
 服についた葉とほこりを払い、リュスはルドを見上げた。
「ユニコーンが凶暴化している、それは村人の勘違いだ」
「つまり、精霊は理性を保っていると?」
 ルドの理解の速さに感謝しながら、その通りだとうなずく。
「精霊は森を守護するために、自らの命をかけて戦っていただけ」
 ルドの翼が、陽光を遮るように広がる。それならば話は早い、と。
「俺は盗賊の襲撃に備える。お前はどうする?」
「若者と話をしなければならない。何もかも終わったあとで構わないから」
 姿勢を正す。踏みつけられていた芝が、本来の形を取り戻す。
「因果応報。仲間を傷つけられた精霊へのあてつけに、森の命を奪うことは許されない。彼らと同じように、精霊も自らを守り続けなければならないのだから」

 村を練り歩いていたケヴィンが、若者の群れに近づく。彼らが騒ぐのをやめ青年を見上げたその瞬間、ずいっと袋を付きつけられる。
 わけがわからない。ケヴィンと袋を交互に見る若者に、ケヴィンはもう一つの袋を開いて見せた。
 その中にはいくつもの酒瓶、打ち捨てられた軽食の包装、おそらく何かの串焼きだったもの(串にわずかながら肉片が付いている。もちろん腐っているが)、あきらかに森では見つからない人工物の数々が詰め込まれていた。
 若者たちが顔をしかめる。それはそうだ、中に入っているものは森に打ち捨てられてからだいぶ時間のたっているものだ、においも見た目もひどい。
 ケヴィンの目が、彼らの持っていた瓶に向けられる。そして、くいっと、森の方へ顔を向ける。
「……あんたらが捨てたんだろ?」
 彼らはお互いの顔を見合わせ、俺じゃない、お前じゃないか、いや自分は違うと、慌てて弁護する。そして果てには、あいつらじゃないか? と別の人物の名前を出す始末。
 それをじっと見下ろしていたケヴィンが、もう一度からの袋を突き付ける。
 そいつらがやった分、あんたらが拾ってこい。心当たりがなくてもだ。
 鋭い眼光が突き刺さる。
 しばらく黙っていた若者たちは、しぶしぶその袋を受け取った。

「……これはまた、酷いありさまだね」
 ロザーリアが深くため息をついた。
 広場に積み上げられたゴミ袋の数々。どれも泥だらけで、中身は見たくもないものばかり。村では見つからないようなものもごろごろしていた。おそらく、泉と精霊の話を聞きつけた誰かが村の外からやってきて、泉をひとしきり眺めた後、その場に残してきたのだろう。
 そりゃあ、土地から生まれた精霊が怒り狂うはずだ。
 眉間に指を当て、何をやっているんだ若い奴らは、そう独りごちる。
 彼女を含め、手の空いた村人たちは、森中のゴミを拾い集めた。森の入り口から泉に至るまで、いやそのあたりをうろつくだけで、あれよあれよと言う間に袋がいっぱいになってしまう。どうしてこんなに! 村人たちでさえ驚くほどだった。
「たしかに森に出入りしている若者たちは多かったですが」
 老人は目を見張りながら言う。
「よくもまあこんな巧妙に、忘れ物をしたものですな」
 それに気づけず見とがめられなかった大人たちの責任でもあると、頭を抱えてしまう。それをなだめながら、行き来する村人たちを眺めるロザーリア。
 おや、と片眉を上げる。その中に数人、若者の姿が見えたからだ。
(さては、説得が上手くいったんだね? 暴力に訴えるようなやつじゃなさそうだったし、目は口ほどに物を言うとはこのことだ)
 そうしている間にも、村からわらわらと若者たちが追い出される。彼らは一様に渋い顔をしながら袋を片手にしていた。
 その最後尾に、青髪の青年の姿。
 よくやったと手を振れば手を上げ返し、まあよくこんなにも“サボリ魔”がいたものだと、地面が見えなくなるほどゴミで埋め尽くされた広場を見つめるのだった。


 村人が森の浄化にいそしむ間に、ルドは再び上空で旋回を続けていた。開けた場所にはリュスが立ち、ルドの合図を待っていた。他にも上空を見上げている村人が数人。
 ルドの提案により、盗賊が村へ向かって来たその時彼らに合図を出し、そこからすべての村人へ襲撃を伝えることになった。村人はゴミを拾う手をいったん止め森への道に走り、障害物にひっかかっている盗賊を個別に叩く作戦だ。
 大勢の盗賊が一挙に攻めてくるならともかく、罠によって足止めさればらばらになった彼らとなら、村人たちだけでも十分に渡り合える。
 ルドとロザーリアが確認したところ、罠もバリケードも十分な強度をほこっていた。狩猟を生業にする者が熊やイノシシ用に作った罠、魔力を持つものが付くった足止め用のトラップ。人々が倉庫や屋根裏から引っ張り出してきたガタクタの山は高くそびえ、そう簡単には崩せそうにない。
 そのほかにも侵入できる経路があるか、ゴミ拾いの際にしらみつぶしに森中を歩き回ったのだが、どの場所入り込んだにせよ、巨大な樹木とそれに絡みつく蔦や高く茂る雑草に阻まれるのがおちだ。念には念をと、可能性のある部分には、外からやってきた人間の侵入を知らせる魔力の罠を仕掛けた。これは、魔法の素養がある若者が率先して仕掛けたものだ。
 あとは、精霊と窃盗をあきらめた盗賊の退却をまつばかりだ。
 そうと決まれば、冒険者たちはユニコーンの捜索に取りかかれる。

 やがて、その時はやってきた。
 あらゆる方向から押し寄せる、盗賊たちの群れ。
 人数は村人と同程度。誰もが武器を手にし光を鈍く反射する刃を振りかざしているのが、空からでも確認できた。
 ルドの読みは当たった。彼らは分散し、村や森のあらゆる入り口へ向かって走っていた。
 ルドが二度急旋回し、両手を大きく振る。侵入者発見の合図だ。
 彼を見上げていたリュスや村人たちが声を張り上げる。森の中でうごめいていた人々が、手にしていたものを投げ出し、腰に携えた武器に手をかけながら一目散に持ち場へ向かう。老人から若者まで、誰もかもが。


 冒険者たちが森の中心に集まる。ルドの着地を待ち、互いの表情を見合う。

 精霊の出現を待つ必要はなかった。彼は自ら冒険者たちの前に姿を現した。
 白い体が木々の間を縫うようにかけていく。蹄の音は枯葉と芝と腐葉土に沈み、青いたてがみが風とともにたなびいている。
 それは彼らの周りを一度だけ回ると、森の奥へと消えていく。
 冒険者たちは誰彼もなく駈け出した。
 スピードを上げれば、その分白い影が遠ざかる。誰かが木の根に足を取られれば、着地の後に数拍の間を置く。その間にしとめられるかと武器を構えれば、左右に大きく跳ね駆けて、樹木の影へと身を隠す。
 精霊がどこに向かおうとしているのか、四人ともうすうす感づいていた。

 人口の泉。かつて美しい水で満たされていたのであろう、土のくぼみ。一番深いところに一度沈んでしまえば、どんな長身を持つ人間でも水面に顔を出すことはできないだろう。しかしその水面も、今はない。たまるのは泥ばかりだが――そこに放り投げられていたゴミは一つ残らず攫ってあり、やがて木が芽を出すこともできるかもしれない、それくらい、あるべき土の色や形を取り戻していた。
 森から飛び出した精霊を追い、ケヴィン、ルド、リュス、最後にロザーリアが泉のほとりに辿り着く。
 ユニコーンはかつて泉であった場所で、かつて水の張っていただろう空気の上に立っていた。その足元には白い波紋が広がり、透明な湧水がゆらゆらと揺れているようにも見えた。

 ルドでさえ銃に手をかけない。ユニコーンは完全に理性を取り戻していた。瞳に光が宿り、透きとおった空色の角はどんな血の色にも染まったことがないのだろう、燦然と光輝を放っている。
 白い馬は鼻を鳴らした。冒険者を見、後ろを振り向き、見えない水にかつかつと蹄を打ちつけながら、泉をぐるりと見渡した。
 突然、その黒い蹄が浮き上がる。前足が掲げられ、後ろ脚で体を支え、彼はいなないた。森中の木という木がざわめき、すべての風が泉に集まる。
 突風にさらわれた細い枝が背を打つ。緑の木の葉が腕に張り付く。ルドは翼を閉じ、ロザーリアは帽子を抑える。四人の視線を浴びたまま、ユニコーンは四つの足を水面へ戻した。
 そう。
 水面がそこにあった。
 そして聞こえてくる、もう一つの蹄の音。
 一番最初に気づいたのはロザーリアだ。小さな声を上げ、ユニコーンの背後を指差す。風の止んだのを確認してからルドが顔を上げ、指の示す先を見てリュスがほほ笑んだ。
 新しい森の精霊、白い仔馬。まだあどけない顔をした――そこに意思がないとは到底思えないような、生き生きとした表情――森の息子が、親馬の周りを跳ねている。
 風に運ばれた枝と葉が、泉にすべて落ち切ったころ。
 そこに親馬の姿はなかった。
 そう。そこにある泉は、新しい形を取り、新しい命を生みだしていくことになるのだ。仔馬は、新緑の葉の浮かぶ泉の上をあちこちに跳び回っていた。そのたびに波紋が広がり、蹄の周りに飛沫が上がり、軽い音が響く。

「もう大丈夫だ」
 と、リュスは言う。
「さて、早く事を終わらせよう。すべての村人に伝えなければならないことが、できたのだから」


 彼らが戦場に舞い戻ったころ、ほぼすべての盗賊が退却していた。小隊の頭だけが声を張り上げ下っ端を脅し続けていたが、そんなのお構いなしとでも言うようにごろつきどもが散っていく。
 威嚇するようにルドが銃を突き付ければ、顔を青くした盗賊が一様に退散していく。罠とバリケードを大きくよけるようにして盗賊の前に姿を現したケヴィンが、小隊の隊長と思わしき盗賊の武器を取り上げていく。剣筋が何度かひらめき、無骨なサーベルが地面にたたきつけられる。
 すっかり抵抗する気をなくした盗賊の首根っこをつかみ、バリケードの上で銃を構えていたルドに目配せをする。このへんは賞金首かもしれないぞ、と。
 よくよく見てみれば、ちゃちな手配書にあった似顔絵に似ていなくもない。
 村人に投げてもらった縄で獲物を縛っている間に、ルドが別の戦場へと羽ばたいていった。

「それじゃあ、聖都から来る従者にこいつらを引き渡すんだね?」
 広場の入り口に集められたぐるぐる巻きの盗賊たちを呆れた顔で見下ろしつつ、ロザーリアが両手を腰に添える。彼らを取り巻いているのは、村人のなかでも屈強な、戦士と言っても差し支えのないほどの力を持った大人たちだ。従者がやってくる間にも、暴れ出す気は起きないだろう。
「思わぬ収穫だ」
 ルドがため息をついた。収穫とは言っても、二束三文にしかならない可能性がある。むしろ、その可能性の方が高いことは分かっていた。
 その後ろで、ケヴィンとリュスがゴミの山を見上げている。
「言葉に迷うけど……、精霊の怒りを買うには十分だとは思わないかい」
 ケヴィンがこくりとうなずいた。

 村人たちは森中からゴミを拾い集め、すべて広場に積み上げた。
 新しい精霊の誕生を聞き、老人は涙を流した。何度も何度も深く頭を下げ、冒険者の手を骨ばった手で力強く握りしめた。その力の強いことと言ったら、感謝の深さの裏返しと言えばいいのか、ケヴィンでさえわずかに眉を曇らせるくらい、だった。

「子供へ、それからまた彼らの子供へ、精霊のことを伝えていってください」
 四人が村に残した言葉は、形はどうであれ、一様に同じ意味を含んでいた。
「あの仔馬を育てられるのは、あなたたちの行いにかかっています」


 帰還した冒険者たちが再び黒山羊亭を訪れたとき、エスメラルダに依頼を持ちかけたのは別の話だ。
 再び彼女は黒山羊亭の客に呼び掛けなければならなかった。
「ごめんなさい。あなた、力に自信はある? もしくは火の魔法に心得は? ゴミの処分に困ってる村があるそうなの。ボランティアだと思って――まあ、報酬はなくもないわ。美しい泉の水と景色、それに手の骨が砕けそうになるほどの感謝の握手だそうよ」


おしまい

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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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3364/ルド・ヴァーシュ/男性/26歳/賞金稼ぎ
3425/ケヴィン・フォレスト/男性/23歳/賞金稼ぎ
3827/ロザーリア・アレッサンドリ/女性/21歳/異界職(迷宮司書)
1576/リュス/男性/21歳/冒険者(剣士)