<ラブリー&スイートノベル>


パラドクス・キューピッド

 いつもと同じはずの世界が、ほんの少しの要因でねじ曲がることがある。
 そして、本当に時折、『ありえないこと』が起きる。
 
 もしそれがバレンタインに起きるとするならば。
 きっとそれは、チョコレートの甘い香りが誘う、幻想のようなもの――


「……あれ?」
 ロザーリア・アレッサンドリ――通称ロザリーは、目を何度か瞬いた。
 普段見ている町並みのはずなのに、どこか違う気がする。どこが違うか、何が違うかはよくわからないけれど、肌にピリピリとするような違和感があった。
 迷宮大図書館からの帰り道、辻をひとつ曲がってからの違和感。
 周囲に甘くただよう、ショコラの香り。
 けれどそんな違和感も、一歩歩くごとに薄れていく。いや、彼女の身に馴染んでいく。
 それももしかしたら、彼女の素性にあるのかもしれない。
 ロザリーはもともと本の精霊――大事に扱われてきた書物が魂を持って姿を変えた存在だ。長らく大切にされていた冒険活劇小説、それがロザリーの本性である。
 書物というのは空想世界を広げてくれるものであるから、非現実のような出来事に順応するのが早いのも、考えてみれば納得のいく話だった。しかも時経て命を宿した存在である。ちょっとくらいのハプニングはへっちゃらなのだ。
 まだこの姿になれるようになってからはほんの二年ほどだが、それでも精神年齢はそれなりに二十歳程度の見た目相応。落ち着いた行動だって当然できる。
「それにしても……」
 見慣れた道なのに、どうして違和感を感じたのだろう?
 その正体はわからないまま、ロザリーはゆっくりと歩く。自分の養父母であるやさしい老夫婦のもとへ、早く帰らねば――。
 と、ふと目に飛び込んできたのは、おどおどした感じの少女だ。
 特に見栄えのする外見というわけではないのだけれど、なんだかそわそわとしていて、それが妙に可愛らしく映った。
 ロザリーは驚かせないようにして、そっと少女の後ろから声をかけてやる。
「あら、お嬢さん。どうしたの?」
 少女はその声にビクッと肩を揺らし、ロザリーに振り向いた。ロザリーよりも少し年下くらいだろうか。長い髪の毛を三つ編みにしたその姿が、いかにもおとなしそうな少女という風体で可愛らしい。
(……ん?)
 その少女を見た時に、また首の後ろがチリっとしたような、不思議な感じ。よくわからない、でもなんだか見たことのあるような、そんな感じ。
 なんとなく誰かに似ている気がするけれど、……誰だろう?
「え、あ……」
 少女は顔を真っ赤にさせながら、あわてふためいている。胸元に、なにか大事そうにプレゼントの包みを抱え込んで。
 先程まで少女が見ていた視線の先にそっとロザリーも目を移す。聖獣装具であるオウルモノクルの効果もあってか、その見つめていたものは難なく発見することができた。
 少女と同じくらいの年の頃だろうか、元気のよさそうな若者がひとり、歩いている。
 仕事帰りか何かなのか、ちょっとくたびれた帽子をかぶり、カバンを肩から下げていて。でもいきいきとした表情は、明るい未来を待つ少年らしい感じがして、好感が持てた。
 そしてその少年のことを、少女はそっと、けれどずっと、見つめているのだ。
 折しも季節はバレンタイン。
(ははあ、そういうことだね)
 ロザリーは心のなかで頷いた。


 きっとこの少女は、あの少年にほのかな好意を抱いている。手の中の包は、おそらく彼への心をこめたプレゼント。
 けれど、世の中の女の子というのは、案外引っ込み思案なことが多い。
(とはいえ、控えめな女の子って、男の子は好きだよね、結構……)
 ロザリーはそんなことを思いながら、自分の姿を思い浮かべる。ベースになった物語が冒険活劇であったこともあって、彼女自身は司書兼学者でありながらいかにも活発そうな面を併せ持っていた。自分が似たような立場なら、何も考えずに相手にアタックを仕掛けていてもおかしくないだろう。
 それでも、少女の細やかな機微がわからないほど単純なわけでもない。ロザリーは声のトーンを落として少女に話しかけてみることにした。……自分から他人の問題に首を突っ込むなんて、珍しいことなのだけれど。
「キミ、なにか気になることでもあるの?」
 そう尋ねてみれば、少女はロザリーと少年を何度も見比べて、そしてうまく言葉のでないままにまた頬を赤くする。
「えっと、その……せっかくのバレンタインなので、チョコレートをあげたいと思う方がいるんですけど、声をかけられなくて……」
 だんだん尻すぼみになっていく声。自信がないのだろうことは、その言動で明らかだった。
「でも、なにもしないでいると、きっと後悔するんじゃないかな? あたしの知ってる物語でも、そんなエピソードがあったよ」
 ロザリーはそう言って笑ってやる。情けないへの字まゆにしている少女の眉間をつんとつついて、そうして微笑みかけてやった。
「家族や友だちと喧嘩したり、好きな人ができたり、そんな時に弱気になったままではいけないんじゃないかなって思う。いつか本当に後悔することが、起きるかもしれないよ?」
 少女はロザリーの言葉にだまって耳を傾けていた。そうして、顔をわずかにくしゃっと歪ませる。
「でも、もし迷惑だって言われたりしたら……」
「言われるかどうかなんて、本人に直接聞いてみないとわからないよ。少なくともあたしなら、そうやってしょぼしょぼおどおどしているよりも、いちどくらいはきちんと想いを伝えたい、そう思うけどね?」
 ロザリーはそう言いながら、微笑みを浮かべた。
 少女の気持ちだってわからないわけではない。繊細な心の機微を描いた物語だって、世の中には山のようにある。
 けれど、ロザリーの本質は冒険活劇。
 心はずませる、少年少女や子どもの心を忘れない大人たちのための最高のエンターテインメント。そんなロザリーだからこそ、心の冒険に出るのだ。
 少女も、ちょっと笑った。
「わたしの大好きなお話の主人公も、きっと同じ事を言うと思います。……そう、お姉さんのような雰囲気の素敵な主人公」
 そして、少女は小さく頷いた。
「わたし、いってみます。あの人に、ちゃんと好きだって、言いたいです」
 はっきりとそう言うと、少女は少年に向かって駆け出していく。何を言っているのか、離れた場所にいるのでそれはわからないのだけれど、仕草などで良い結果を迎えていそうなことはわかった。
(……よかったね)
 ロザリーは少年と少女に向かって微笑む。物語の主人公は、いつだって少年少女たちの味方なのだ。

 と、視覚に対して特に強い耐性を持つはずのロザリーの視界がわずかに揺らいだ。
(え?)
 一瞬足元がふらついて、慌てて踏ん張る。
 ――瞬きを一度すれば、それはいつもどおりの先ほどまでいた場所で。
 けれど、何度目を凝らしても、さっきまでいた少年と少女は見当たらなかった。


「ただいま、養父さん養母さん」
 ロザリーが家に戻ってみると、養母がホットチョコレートを渡してくれた。
「これは?」
「バレンタインでしょう? ロザリーも誰かにチョコレートをあげたりはしなかったの?」
「そういうのとはあまり縁がないんだよ。でも養母さんのホットチョコは美味しそう」
 それを一口すすって、ロザリーも思わず笑顔を浮かべる。
「……そういえば、わたしがあの人に想いを告げたのも、こんなバレンタインの日だったわ」
 養母は頬に手を当て懐かしそうに呟いた。
「あの人って、養父さんのこと?」
 思わぬ春の香りに、ロザリーは思わず身を乗り出す。
「ええ……まだわたしがあなたよりもうんと若くみえる頃、恥ずかしくて想いを伝えるどころかチョコレートを渡すこともできなくてね、ずっと影からもじもじ見てるだけだった。何年も何年も。でもある年にね、頑張りなさいって、言ってみないことには何もわからないからって見知らぬお姉さんから言われて、告白して……そしたら色よい返事を貰えて。それから、付き合うようになったのよね」
 まるでどこかで聞いたような話だ。いや、さっきであった少女のような……?
 そこまで考えたけれど、それ以上深く考えるのはやめた。
 老夫婦が今、幸せであるのならば。
「もうすぐあの人も帰ってくるわ。ロザリー、夕飯の準備を少し手伝ってくれるかしら?」
 養母は楽しそうな声でいう。
「あたしがやっても大丈夫?」
「あの人への気持ちがこもっていれば大丈夫よ」
 やさしい養母の言葉に、家事が苦手なロザリーも頷く。

 チョコレートの香りが誘った、これは偶然?
 それはわからない、けれど。
 こんな夢のようなことがあっても、いいのかもしれない。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3827 / ロザーリア・アレッサンドリ / 女性 / 21(実質2歳) / 迷宮司書】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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このたびは発注ありがとうございました。
ソーンのお客様からは初めてだったので、まだ緊張気味ではありますが……!
若かりし頃の養父母のキューピッド、というまるで本当にお話のような設定、とても可愛らしくそして素敵だなと思いながら執筆させて頂きました。
楽しんでいただければ光栄です。