<東京怪談ノベル(シングル)>


裸の闘神


 雨に濡れるのは、一向に構わなかった。もともと裸も同然の格好である。
 暇さえあれば鍛え上げてきた、筋骨隆々たる巨体。衣類と呼べるものは、その腰に巻き付いた布くらいだ。
 たくましい胸元には首飾り、力強い両手首にはミノタウルスの腕輪。身に着けているものと言えばその程度で、靴すら履いていない。足の裏の皮は、今や履き物など必要としないほど分厚く固くなっている。
 そんな姿であるから濡れるのは構わなかったが、いきなり大雨が降ってきた時には、さすがに雨宿りを考えた。
 手頃な洞窟があったので、入った。
 とある山中である。ガイ・ファングは現在、仕事中であった。
 この山でしか採れない、ある植物の採取を依頼されたのである。
 その植物は現在、麻袋に入れられ、ガイの腰にくくり付けられている。
 下山しようかというところで大雨に降られ、この洞窟に入ったわけであるが、一向に降り止む様子がないので、濡れながら帰ろうかとガイは思い始めていた。
 思い始めたその時、おかしなものがガイの視界に入った。
 洞窟の奥の地面に、奇妙な穴が空いている。ガイの巨体がすっぽり入ってしまうほどの大きさに、地面が穿たれている。
 自然に生じた穴ではない事は明らかだった。穴の中で、石の階段が地下に向かって続いているからだ。
「何でえ、この階段は……ま、とにかく入ってみっか」
 身を屈め、苔むした階段を踏み締め、ガイは地底へと向かった。
 何かありそうな気がする。有益な実戦訓練に繋がる、何かが。
「へへ……どえらいバケモノでも、隠れてねえかなあ」
 牙を剥くように、ガイは微笑んだ。闇の中で白い歯がニヤリと光り、緑色の瞳が爛々と輝く。
 両手首でも、ミノタウルスの腕輪が光を発していた。念ずる事で発光するこの装身具は、照明として使う事も出来るのだ。
 やがて階段は終わり、広々とした空間へと到着した。足元は土ではなく、石畳だ。
 石造りの古びた城郭のようなものが、洞窟の地下には広がっていた。
 遺跡の類であろう。壁にも柱にも、奇怪な怪物の姿が彫刻されている。
 生き物の気配はない。が、敵意は感じられる。生命なき悪意が、ガイのたくましい半裸身に、あらゆる方向から突き刺さって来る。
 前後左右、全ての方向に、ガイは敵の存在を感じていた。
「……いいぜ、どっからでも来やがれってんだ」
 姿なき敵たちに声をかけながらガイは、のしのしと歩を進めた。
「右からでも左からでも、後ろからでもよ……おおっと」
 轟音と共に、天井が降って来た。
 罠である。遺跡の天井を成していた巨石の1つが、半裸の侵入者を圧殺せんと落下して来る。
 それをガイは、右拳で迎え撃った。
「上から来やがった! 気をつけねーとなああ!」
 岩のような拳が突き上げられ、巨石を粉砕した。
 ガイの周囲に、石の破片が落下し散らばり、そして立ち上がってくる。巨石の破片が、人型にガッチリと組み上がってゆく。
 何体もの石の兵士が、出現していた。ゴーレムの類であろうそれらが、一斉にガイを襲う。
「はっはっは、出迎え御苦労!」
 ガイは突進し、左腕を振るった。丸太のような剛腕が、横殴りにブンッ! と弧を描く。
 もともと石の破片だった兵士たちが、薙ぎ払われて砕け散り、さらに細々とした破片に変わった。
「うっし、準備運動終わり……っと」
 身体にこびりついた石の粉塵を払い落としつつ、ガイは再び歩き出した。
 しばらく歩くと、通路が3つに分かれた。十字路である。
 とりあえず右折する事にしながら、ガイは気力を燃やした。この遺跡はどうやら迷宮のようなので、通った場所には目印をつけておかなければならない。
 燃え上がる気力が、体内を循環しつつ右足へと集中してゆく。
 気を宿した片足で、ガイは右方向へと踏み出した。ズン……ッと、石畳に灼けた足跡が刻印される。


 そんな調子であちこちに足型を残しながら、ガイは遺跡の中央部と思われる大広間に到着していた。
 奥の壁は巨大な門となっており、重厚な扉がしっかりと閉ざされている。
 その向こうに何があるのかを確かめる前に、片付けなければならないものがあった。
 壁面、柱……とにかく大広間の至る所に備え付けられた石像たちが、ガイに向かって動き出したのだ。
 様々な姿をした、石の怪物の群れ。生命なき殺意を剥き出しにして、一斉に襲いかかって来る。
「おいでなすった!」
 ガイは、全身で気合いを燃やした。
 その巨体に秘められた力が、ミノタウルスの腕輪によって、最大限まで引き出されてゆく。
 気を漲らせた左足の踏み込みが、大広間全体をズンッ! と揺るがした。
 激震が、石の怪物たちを足元から襲う。何体かが、砕け散った。
 粉砕されずに耐えきった怪物たちが、石の爪や牙、石の槍や剣を振り立ててガイに迫る。
「ほう、【巨人の足】に耐えて間合いを詰めて来やがるたあ……つまり【巨人の拳】を喰らう資格があるってこったあ!」
 左右の拳に気力を宿らせながら、ガイは身を捻った。強靭な腰が回転し、岩の如く隆起した背筋が躍動する。
 気の光をまとう左拳が弧を描き、石の怪物たちを片っ端から殴り砕いた。破片が、飛び散りながら崩れて石の粉末と化し、漂った。
 左拳を引き戻しつつ、ガイは右拳を振るった。
 気合いの輝きを帯びた【巨人の拳】が、何体もの動く石像を薙ぎ払う。薙ぎ払われた怪物たちが、粉塵状に砕けて噴き上がる。
 奇怪な咆哮が、その時、遺跡全体に響き渡った。
 大広間の奥の、重厚なる門扉。その前に、巨大なものが出現していた。
 一際大型の、動く石像。その姿は、甲冑を着込んだ竜、というのが最も近いであろうか。前足と言うか両腕が特に巨大で、生えた爪は、そのまま攻城兵器として使えそうである。
 地響きを轟かせて襲い来る石の巨竜を、緑の瞳でしっかりと見据えながら、ガイは姿勢低く身構えた。半裸の巨体が腰を落とし、光まとう両手がゆったりと宙を舞って白色の軌跡を残す。
 全身の気を、ガイは下半身に、右足に、集中させていった。
 そして床を蹴る。跳躍。石畳に深々と足跡が穿たれる。
 石の巨竜がガイに迫り、大型の爪を振り下ろす。
 その爪が、砕け散った。
 ガイの右足。白色の光を帯びた、飛び蹴りだった。
 筋骨隆々の半裸身が、白く輝く右足を槍のように伸ばしながら飛翔し、怪物の爪を粉砕し、石の巨竜の胴体を直撃する。
 甲冑をまとう竜の石像が、轟音を立てて崩壊した。
 破片や粉塵を蹴散らしながら、ガイは着地し、呟く。
「必殺【巨人の蹴り】……決まったぜ」
 もはや動いている石の怪物は1体もいない。
 ガイの行く手を阻むのは、大広間の奥で重厚に閉ざされた、巨大な門扉のみである。
 ここへ来るまでに当然、鍵のような物など入手していない。
 どうするか。雨宿りのついでの遺跡探検など、この辺りで切り上げて引き返すべきなのかも知れない。
 いや、ここまで来てしまったのだ。
「せっかくだからな……俺ぁこの扉をブチ破るぜ!」
 ガイは、光り輝く左足を叩き込んだ。
 門扉は砕け、崩壊した。
 もしかしたら穏便に門を開く仕掛けのようなものがあったのかも知れない、とガイは思わなくもなかったが、破ってしまったものは仕方がなかった。
 今まで門扉で隠されていたものが、ガイの視界の中で光り輝いている。
 それは、積まれて山となった金銀財宝であった。
「おう……こいつぁ助かるなあ」
 これでしばらくは働かずに済む、とガイは思った。労働が嫌いなわけではないが、やはり肉体鍛錬と武術の修行に、出来る限りは専念したい。
 これだけの宝物があれば、しばらくは修行鍛錬のみに打ち込んでいられる。
「まだまだ……強くなるぜ、俺は」
 宝石の粒をいくつか掴み取りながら、ガイ・ファングは誓いを口にした。