<東京怪談ノベル(シングル)>


舞姫の夜遊び


「あー……可愛かったなぁ、みんな」
 ほろ酔い気分で、レピアはベルファの裏通りをふらふらと歩いていた。いささか治安に問題のある区域だが、エルファリアの別荘へ帰るには、ここが一番の近道なのだ。
 急がなければ、夜が明けてしまう。
 新しく出来た店に、少しばかり長居をし過ぎてしまったのだ。
 バニーガールパブであった。
 ウサギの格好をした娘たちが、レピアをちやほやと扱ってくれたのだ。
 若い美男子を侍らせたりしても、レピアの場合、あまり嬉しくはなれないのである。侍らせるなら、女の子の方がいい。
「ふふ、楽しかったぁ……さて、エルファリアに何て言おうかな」
 千鳥足気味に歩きながらレピアが、少しばかり憂鬱な気分になった、その時。
 周囲に、気配が生じた。
 レピアは立ち止まった。物陰から、複数の何者かが、自分を取り囲んでいる。
 真夜中。歓楽街の裏通りを、若い女が1人で歩いているのである。襲われるのは、まあ当然であった。
「いいんじゃない? ちょうど、おねむの時間だし……出ておいで、眠らせてあげるから」
 周囲の物陰に潜む不逞の輩に、レピアは微笑みかけた。そうしながら、ゆらりと振り返る。
 振り向く動きに合わせて、左足を後方に突き込む。
 襲撃が、背後から来ていた。
 その襲撃者が、レピアの蹴りを食らって吹っ飛び、だが軽やかに着地して低く身構える。
 あの店にいた、バニーガールの1人だった。可愛らしい顔をニヤリと凶悪に歪め、付け耳を揺らしている。
 右手には短剣。持ち方が、素人ではない。
「あんた……」
 レピアが絶句している間に、不逞の輩が一斉に物陰から跳躍し、襲いかかって来た。
 全員、ごろつきやチンピラの類ではなく、あの店のバニーガールたちであった。
 何本もの短剣が、猛獣の牙の如く襲いかかって来る。
 網タイツに包まれた無数の美脚が、様々な蹴りの形に一閃する。
 辺境のどこかに棲息するという、肉食のウサギを思わせる猛襲である。
 レピアは、よろめくようにかわした。酒が回って足元が覚束ない。
 多方向からの攻撃に煽られたかの如く、レピアはよろりと転倒した。
 青い踊り衣装をまとう半裸の肢体が、転倒しながらもフワリと躍動する。上半身が倒れたまま、下半身が跳ね上がって回転する。
 美しく鍛え上げられた長い両脚が、あられもなく開きながら全方向を薙ぎ払った。
 バニーガールたちが蹴り飛ばされ、石畳や建物の壁に激突する。
「ふふっ……駄目駄目ぇ、ウサギちゃんたち。そんなんで、あたしをどうこうしようなんて。ひっく」
 ゆらりと立ち上がりながらレピアは、おどけて酔っ払って見せた。
 酔っ払いの動きを模した、戦いの舞踊。遥か昔、東の方の国で学んだものだ。
 肉食ウサギのようなバニーガールたちが、痛みに呻きながら、よろよろと身を起こして短剣を構えた。
 全員、殺し屋の目をしている。獣の動きをしている。本職の暗殺者であるのは、間違いなさそうだ。
「……かわいそうだけど、何人か取っ捕まえさせてもらうよ。エルファリアのいる街で、殺し屋稼業なんてさせない」
 いくらか怯んでいるバニーガールたちに向かって、レピアは駆け出そうとした。
 だが、身体が動かなかった。
 夜明けだった。
 東の空から、陽の光が降り注ぎ始める。その清かな光の中で、レピアは石像と化してゆく。
(殺し屋稼業なんて……させ……ない……)
 それが、この夜のレピア・浮桜の、最後の思考となった。


 そして、次の夜。
(……何……これ……変な感じ……)
 それが、レピアの最初の思考であった。
「ふふ……お目覚めですか、レピア・浮桜殿」
 声がした、ねっとりと耳朶にまとわりつく、中年男の声。
 この店の、支配人であろう。
「昼は美しき石像、夜は傾国の踊り子……貴女の噂は聞いていました。ぜひともこのお店で働いていただきたいと思っていたのですよ」
 そんな言葉を、レピアはもはや聞いてなどいなかった。
 暗殺者でもあるバニーガールたちが、あらゆる角度からレピアの全身にじゃれついていた。
「ち……ちょっと、あんたたち!」
 男ならば全員、蹴り倒すだけである。
 だがウサギの格好をした娘たちに、こんなふうに甘えて来られては、レビアとしては狼狽するしかない。
 狼狽え悶える肢体に、バニーガールたちが、くすくす笑いながら絡み付いてゆく。
 いくつもの綺麗な手が、レピアの青い衣装の内側に滑り込んだ。そして、舞踊で鍛え上げられたボディラインをさわさわと愛で回す。
 むっちりと膨らみ引き締まった太股に、1人のバニーガールが顔を寄せ、唇を寄せて来た。キスの感触が、ちゅっ、ちゅ……っとレピアの内股をくすぐる。
「こっ、こら! 駄目だったら……ッ」
 吐息混じりの悲鳴が、レピアの綺麗な唇から紡ぎ出された。
 優美な肢体が切なげに反り返り、豊かに実った果実のような胸が、上向きに激しく揺れる。
 その瑞々しく豊麗な膨らみに、バニーガールたちが甘えるような頬擦りを仕掛けて来る。
(駄目……こっ、このままじゃ……このままじゃ……っ!)
 愛撫とキスと頬擦りの感触が、レピアの全てを蕩かしつつあった。
 蕩ける思考の中に、支配人の言葉が溶け込んで来る。
「貴女もお気付きの通り、このバニーガールパブは暗殺者の店……この娘たちは、私の命令通りに人の命を奪う、可愛い可愛い黒ウサギ……貴女もそうなるのですよレピア。私の言う通り、闇夜にぴょんと跳ねなさい。可愛らしく、美しく……」
「あたしは……闇夜の、黒ウサギ……」
 暗殺者レピア・浮桜が、ここに誕生した。


 レピアが、いなくなってしまった。
 その動揺を懸命に押し隠して、エルファリアは今、夜中であるにも関わらず公務の真っ最中であった。
 非公式の会談である。
 場所は別荘。相手は、この国の闇の勢力とも繋がりを持つ、とある要人である。
 大勢から命を狙われている人物であるから、護衛体制はしっかりと整えた。
 その鉄壁の護衛を擦り抜けるようにして、1人のバニーガールが会談の場に姿を現した。
「……レピア!」
 大切な会談相手が目の前にいると言うのに、エルファリアはついそんな大声を出してしまった。
「一体どこへ行っていたの! 心配したのよ?」
 レピアは、何も言わない。エルファリアの方など、見ていない。
 見ているのは、王女と向かい合って長椅子に座っている要人のみ。
 バニーガール姿のレピアが、ゆらりと踏み込んだ。その右手で、短剣が光った。
「……駄目!」
 エルファリアはとっさに要人の前に立った。
 こんな事をしても、レピアが本気で殺しにかかれば、自分などでは止められはしない。要人もろとも殺されてしまうのが関の山だ。
 だが、レピアは立ち止まってくれた。
 短剣が、エルファリアの首筋に切り込む寸前で止まった。
「……エル……ファリ……ア……?」
 綺麗な唇が虚ろに開き、微かな言葉を紡ぐ。
「レピア……」
 エルファリアのその呼びかけには答えず、レピアはくるりと身を翻し、駆け去った。


「まったく、期待はずれもいいところ……」
 バニーガールパブの支配人は、氷像と化したレピアを眺めながら溜め息をついた。
 仕事に失敗した暗殺者は、この地下室で氷漬けにされる。そして生体実験等の材料として売りに出される。それが、この店の掟である。
 失敗したレピアを捕えて来たバニーガールたちに、支配人は命じた。
「標的はまだ王女の別荘から出てはいない。お前たち、何とか隙を見つけて仕留めてきなさい」
「……そんな事は、させませんよ」
 声がした。凛とした、若い女性の声。
 エルファリア王女が、そこにいた。兵士の一部隊を引き連れている。
「暗殺のお仕事など、聖都エルザードにおいては認められてなどいません」
「うぬっ……お、お前たち、王女を始末しなさい! 死体さえ適切に片付ければ、わかりはしません!」
 支配人の命令で、バニーガールたちが一斉に動こうとする。
 短剣を構え、襲いかかって来ようとする彼女らを、エルファリアはじっと見つめた。そして言った。
「こんな事は、やめて下さい……どうか、人の心を取り戻して。お願い……」
 どんな悪党でも改心すると言われているエルファリア王女の説得を食らって、バニーガールたちが動きを止めてしまう。
 その間、兵士たちが支配人を押さえつけ、捕縛していた。


「あー……えっらい目に遭ったわ」
 別荘の浴場で湯を浴びながら、レピアはぼやいた。
「まったく……1人でいかがわしいお店に行ったりするから、こんな事になるのよ」
 解凍されたレピアの頭に、エルファリアはいささか荒っぽく湯をかけた。
「貴女はしばらく、外出禁止ね」
「か、勘弁してよ。やっぱり外で踊りたいよー」
「ふふっ……私のためだけに、踊っていなさい」
 冗談めかして、いくらかは本気で言いながら、エルファリアはレピアに思いきり湯を浴びせた。