<東京怪談ノベル(シングル)>
〜「まほら」と「フガク」〜
迷いを吹っ切るのに、ずいぶん時間がかかった気がする。
目の前に座る義弟の真剣なまなざしを見ながら、フガク(ふがく)は心の内で苦笑をにじませた。
本名を封じて、「フガク」という名を名乗るようになったその理由を、こうして誰かに話すことになるとは夢にも思わなかった。
そして、その相手がまさか、この義弟だったなんて。
もう一度、感触を確かめるようにくしゃっと義弟の髪をなでてから、フガクは腕を組み、窓際に近寄った。
この『海鴨亭』を常宿に決めた理由のひとつ、「一面に広がる大海原」を窓越しに見やる。
そうしてようやく、部屋に降りた沈黙を、フガクは自ら切り開いた。
『まほら』――それが、フガクの本当の名前だ。
戦飼族として生まれ、その後冒険者稼業を始めてからの数年間は、ずっとその名で暮らしてきた。
名前を偽る風習があるわけでもないし、発音が難しいのか、きちんと呼んでもらえないときがたまにあるくらいで、何の不都合もなかったからだ。
村を離れた他の先達たちと同様に、フガク――まほらもまた雑多な仕事をいろいろな場所で引き受けては日々の糧を得て暮らしていた。
そうして流れ流れて生きて行くのが、彼らの一生だった。
そんなある日、中つ国世界のとある島国の小さな山中の集落で、怪物退治の依頼を受けた。
腕に覚えのあるまほらにとって、多少の怪物など敵にもならない。
既に両手にも余るほどの怪物を倒してきた戦歴を持つまほらには、この依頼を断る理由がこれっぽっちも見つからなかった。
依頼をしてきた村長の話では、今のところ特に被害は出ていないようだったが、怪物の棲みついた場所が問題なのだという。
ちょうど隣りの集落へ続く街道の途中の崖にその場所はあり、このままでは細々と続いている隣りの集落との交易が途絶えてしまう可能性があるらしい。
「『将来の不安』ってヤツね」
力を持たない者たちにとっては、それは重要な問題だ。
現在、害をなさないのだから「怪物」とは言い切れないのに、そこにいるだけで「不安」だから取り除いてほしい――実に勝手な言い草だが、まほらにとってもこれは飯のタネだから、お互い様だ。
ふたつ返事で依頼を引き受けたまほらは、その夜は村長の家に泊めてもらい、その村なりの歓待を受けて、翌朝意気揚々と出発した。
「まーさか弁当まで作ってくれるとは思わなかったけど」
ぽんぽん、と腰に下げた小さな袋をたたきながら、まほらは上機嫌で崖への道を急いだ。
怪物は、半月ほど前、崖の途中にある洞窟に棲みついたらしい。
そこからは恐ろしいうなり声が昼夜を問わず漏れ聞こえ、今では誰もそこには近付かないのだという。
つまり、誰もその怪物の姿を見た者はいないということでもある。
「本当に怪物なのかねえ…」
洞窟の入り口で、疑わしげに首を傾げながら、まほらは薄暗い内部をのぞき込んだ。
一部の怪物は、人間の気配に気付いて襲いかかって来たり、吠えかかって来たりするものだが、特に何の変化もないようだ。
念のため、三眼兜を装着し、赤茶色の湿った土を踏みしめながら、薄暗がりへと入って行く。
途中、天井から水が落ちて来て、それに少々ひやりとさせられながらも、まほらは慎重に奥へと進んで行った。
洞窟はさほど奥行きがなかった。
視界の向こうに行き止まりの壁が見え、その手前に何か大きな塊のようなものが転がっているのが目に入る。
まほらはそこでいったん立ち止まり、その塊の様子をじっとうかがった。
これだけ近寄ってぴくりともしない。
自分の聴覚も呼吸音を捉えないし、何より三眼兜がそれを「命のある生き物」ではなく「単なる物体」だと告げている。
まほらは警戒心は解かずに、それでも大股でその塊に近付いた。
「なんだ、これ…」
まほらは口元を右手で押さえながら、地面に片膝をついて塊を観察した。
今まで見たどんな怪物ともちがう形状をしている。
言うなれば、半魚人と虫が混じったような、中途半端な生き物だ。
ヒトと魚と虫を無理に融合させようとし、何らかの理由で途中でやめてしまった――まほらは、そんな印象を持った。
ゆっくりと右手を出し、生き物に触れる。
生命反応はまったくない。
だいぶ前に死んでしまったようだ。
あっけない幕切れに少々拍子抜けしながら、まほらは立ち上がろうと地面に手をついた。
その指先に、カサッと何かが当たった。
「ん…?」
怪物の手に、手紙のようなものが握られていた。
まほらはそれをそっと取り上げ、破かないようにていねいに広げた。
読み進めていくうちに、だんだんとまほらの顔から表情がなくなっていく。
まほらは読み終わると、その怪物を目を細めて見下ろした。
その手紙は、この怪物――いや、同朋の、命を賭けた訴えで埋め尽くされていた。
それは中つ国の共通語で書かれ、この怪物が元戦飼族の「フガク」という青年であり、「伝説の地」が魔瞳族に乗っ取られた経緯とその陰謀が克明に記されていた。
そして、決して「伝説の地」に近付くなという警告文で締めくくられている。
ところどころ血のようなものが付着しているのはきっと、この青年がこの洞窟にたどり着いたときにはもう、かなりの重傷だったことを表していた。
それでもなお、このフガクという青年は、「伝説の地」を求める同朋の戦飼族たちのために、苦しい息の下でこれを書き綴ったのだろう。
まほらは手紙に再度目を通してから、元通りにたたんで懐にしまった。
戦飼族と魔瞳族――数の上でも権力構造の上でも、その立場が逆転することは天地が裂けてもあり得ない種族同士だ。
だからこそ、永遠に下位に立つことを余儀なくされた戦飼族は、自分たちを守るために、この告発を同族の誰かが引き継がなければならない。
まほらは決めた――祖先が各世界に残した「伝説の地」への扉をすべて破壊しようと。
たとえその行為が、戦飼族すべての人々の、楽園に対する永久の憧れや夢を打ち壊すことになろうとも、魔瞳族の生贄にされるよりはましなのだから。
まほら、否、「フガク」は、目を海の青さから義弟に移し、真摯な口調でこう語り終えた。
「『フガク』だけが、他の同族の手でどうにか逃げ出せた。でも、外の世界では長く持たなかった。魔導を使った戦飼族の改造強化実験は失敗だったんだ。その日から、俺はあいつの代わりに、フガクを名乗ることに決めたんだ」
その目はいつになく昏い色を帯び、悲壮な決意をたぎらせながら、一段と輝きを増して義弟の心を貫き通した。
〜END〜
〜ライターより〜
いつもご依頼、誠にありがとうございます!
ライターの藤沢麗です。
フガクさんのつらい告白に胸が痛みます。
今後も同族を守るために、彼は戦うのでしょうか…。
それではまた未来のお話を綴る機会がありましたら、
とても光栄です。
このたびはご依頼、本当にありがとうございました!
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