<東京怪談ノベル(シングル)>


紡ぐ魔本の物語―囚われた美姫と石人形の物語

昼下がり、街の本屋から荷台いっぱいに積まれた新しい書物の山が運び込まれるのを見てエルファリアの胸は自然と高鳴った。
機敏な動きで古今東西の新書から古書をそれぞれの棚に収め、使用人たちが出ていくのを待ちかねたようにいくつかの本をエルファリアは手に取った。
外に出ることができないエルファリアにとって本を読むことは唯一外の世界を知ることが出来る術であり、また娯楽である。
そして彼女にとっての楽しみはもう一つ。
いつもなら丁寧に読み込んでいく本を中身は読まず背表紙だけ見ていく。
やがて若干黒ずんだ銀の刻印が押された本。
お目当てのものを見つけたエルファリアは満面の笑みを浮かべると、楽しげな足取りで図書室を飛び出した。

「あら、また見つけてきたの?」
空を闇色のとばりが支配する頃、石化の呪いから解放されたレピアは凝り固まってしまった身体を伸ばしていると楽しそうに歩み寄ってきたエルファリアとその腕に抱え込んだ本を見て、小さく首をかしげた。
「ええ、本屋が新しく持ってきてくれたの。どうでしょうか、また冒険をしません?」
わずかに興奮したように頬を赤らめながら差し出された魔本を見て、レピアは小さくうなずいた。

―紡ぐ紡ぐ魔法の本。紡ぐは一人の美姫の物語

けたたましく鳴くモンスターの遠吠えに追い立てられ、レピアはうっそうと生い茂る森の中を必死に逃げ回る。
道なき道を足をもつれさせながら、なぜこんな目に合っているのかを思い返す。

居城の庭園で咲き誇ったばかりの白百合を愛でていたレピアは目の前に現れた漆黒のフードをかぶった一人の女。
どこからやって来たのか分からなかったが、うなだれ、ひどく疲れていたように見えた女にレピアはその前に膝をついて声をかけた。

「いかがなされました?何かお力になれることがあるなら、手を貸しましょう」
天女のような、と称される慈愛にあふれた表情で問いかけるレピアの手首を女は突然きつく掴むと、その口元に邪悪としか言いようのない笑いを作り、レピアを睨みつけた。

フードの舌から現れた燃え盛る憎悪の目にまともに射抜かれた途端、竜巻に飲まれ―次の瞬間には、モンスターが跋扈する森の中に放りこまれていた。
待ちかねていたとばかりに無数のモンスターたちが襲い掛かり、その鋭い爪と牙がレピアの柔らかな肌を切り裂き、鮮血が染め上げていく。
どうして?と必死に逃げ惑いながら、放り込まれたこの森が邪悪な魔女が住まい、支配する場所であり、フードの女がその魔女だったのだと気づくが遅かった。
ふいに聞こえてきたのは嫉妬に狂った女の声。

―柔らかい風になびく美しき青の髪が気に食わぬ
―陶磁器よりも白い肌が憎らしい。
―男たちを魅了してやまぬ麗しき身体を持つなど認めぬ。
―許さぬ、許さぬ

怨嗟の念が実体となって、レピアに襲い掛かったのは一瞬。
最後に聞いたのは、狂ったようにあざ笑う女の声。
真っ黒な闇によって意識が塗りつぶされていく。
同時に誰もがほめたたえてやまなかった白い豊満な肢体が暗褐色と化し―やがて血の通わぬ石へと変貌を遂げた。

無造作に転がされたレピアの石像をホウキに乗った魔女は愉悦の表情で見下ろすと、遠巻きに様子をうかがっている子飼いのモンスターたちに見回した。

「可愛い我が下僕たち、思う存分にこの女を穢しておくれ。麗しき美貌の魔女たる我への忠誠を示すのだ」

悪意に満ち溢れた声で魔女が言い放つとモンスターたちは我先にと石像へと殺到した。
打ち倒され、汚れた魔物たちの舌が全身を嘗め回す。悪臭を放つ唾液がねっとりと張り付き、そこに穢れた魔の森の胞子が根を張り付く。
青々とした苔が生え、石像の肌を穢していく。
その様を見ながら、モンスターたちは次なる手として己の汚物をぶちまけ、さらなる穢れを纏わせていく。
美しかった乙女の無残な姿に変わっていく。
悦楽と享楽の宴は途切れることなく毎日のように続いた。

それから半世紀が過ぎた。

―魔物の楽園たる森の奥深くに傲慢なる魔女の嫉妬によって石像にされた哀れなる乙女が囚われている。

森の周辺にある村々に伝えられる一つの伝説。
廃墟と化した白亜の館に住まう美しき姫が嫉妬深い魔女の妬みを買い、森の奥深くに連れ去られ、石像となって囚われているのだ、と。
物言わぬ石像とされた姫は悪辣なる魔物たちの手にかかり、弄ばされて、哀しみに打ちひしがれている、と

哀れな哀れな、と人々が涙しながら伝えている伝説に心惹かれたエルファリアは単身モンスターが跋扈する闇の領域に足を踏み込んだ。
行く手を拒むモンスターたちを薙ぎ払い、奥へ奥へと踏み込むと、それに比例するようにモンスターたちの数はいや増していく。
硬質の毛を逆立て、紅く染まった牙をむき出しにして襲い掛かってくる小山ほどの大きさを持つ狼型のモンスター。
鋼鉄がごとく鋭く研ぎ澄まされた爪を四肢に持った大熊と蛇の合成モンスター。
赤黒い舌をのぞかせ、だらりと唾液を垂れさせて迫ってくるキメラたち。
そこから先へ一歩も進ませないとばかりに大挙して押し寄せてくる魔物たちの姿を悲しげな眼差しを送ると、エルファリアは剣を振るった。

「哀れな……この森を支配する魔女に手下としてしか生きられないなんて」

悲しげにつぶやくとエルファリアは倒れ伏したモンスターたちを一瞥し、森の最深部へと踏み込み―言葉を失った。

藪と化した草むらの上に転がされた上、モンスターたちの汚物や吐瀉物に沈んだ汚らしい女の石像。
その顔や肢体にはガラス玉をはめ込んだような大きな一つ目の猿型のモンスターたちが競い合って胡坐をかき、汚物を垂れ流す。
汚れが増すたびにモンスターたちは愉快そうに奇声をあげ、石像の上を飛び跳ねて回っていた。

あまりに無残な光景にエルファリアは一瞬、目の前が暗くなり―次の瞬間、モンスターたちに剣を向けていた。
白銀の一撃がきらめき、石像を穢していたモンスターたちは悲鳴をあげながら、一握の砂となって風に消えていく。
ようやく全てのモンスターを倒すと、エルファリアは苦悶と絶望の表情で石化した哀れなる姫・レピアの冷たき頬に触れる。
石像とされてから半世紀。いったいどれほどの穢れを浴び続けてきたのか計り知れない。
その年月を語るように全身のあらゆる場所に生した苔とすさまじい悪臭にエルファリアの瞳から我知らず涙が零れ落ちた。

モンスターたちが跋扈し、魔女が支配する森であるといえども、命をつなぐに欠くことが出来ない水は存在する。
地表から湧き出した澄んだ水はゆっくりと大きく広がり、森に生きるあらゆるものたちの喉を潤す糧―泉となる。
深く清らかな泉にエルファリアは敬意を示すように頭を垂れると、そっと横たわらせた石像に微笑んだ。

「姫、その長き呪縛より今こそ解き放って差し上げます」

エルファリアは両の手で水を掬い、指の隙間からそっと石像の上にかけていく。
きらきらと光を放ちながら零れ落ちていく水が穢れを清め、ゆっくりと元の色を取り戻す。
丁寧に水をかけ終わると、今度は持ち合わせていた柔らかな手巾でへばりついた汚れや苔をこそぎ落としていく。
小一時間ほどかけて穢れを洗い清めたエルファリアは苦悶の表情を浮かべた石像のレピアの頬に両手で包み込むと、静かに口づけを落とす。

悪しき魔女の呪いより清らかな乙女を解き放つ口づけ。

これで命を吹き替えし、止められていた血が流れ、身体が脈動を始める―はずだった。
唇を放しても冷たい石のまま変わることのないレピアの姿にエルファリアは息を飲み―絶望した。

「なぜ?なぜ、変わらないの!!これで呪いから解放されるはずなのに!!」
「さぁねぇ〜どうしてだろうねぇ?おせっかいな王子様」

ダンッ、と拳を振り下ろし地面をたたくエルファリアの頭上から異様に艶っぽい―憎悪に満ちた女の声が落ちる。
思わず声のする方を仰ぎ見ると、そこには豊満な肉体を強調させた妖艶な女がふわりとホウキに乗って浮かんでいた。
その姿を見た瞬間、エルファリアは彼女が何者であるか、すぐに気づいた。

「お前はっ!!」
「せっかちな子だね〜そんなんだと女に嫌われちまうよ?」

言うが早いか刃を振り下ろすエルファリアにホウキの女―魔女はおぞましいまで真っ赤に染まった口の端をにぃと釣り上げ、右手をあげると指先で虚空になぞる
淡い光を放って浮かび上がる魔道の印に呼応して、魔女の周囲4つに細かな岩が集い、その背丈の10倍はありそうな石人形―ゴーレムが現れる。
鈍い音を立てて頭部に浮かんだモノアイが動き、エルファリアを捕えるとゴーレムは猛烈な勢いで拳を打ち下ろす。
とっさに背後に飛んでよけるも、打ち下ろされた拳のあたりは一気に吹き飛び、クレーターを刻みつける。
あまりの威力を目の当たりにエルファリアは背中に冷たいものが流れていくのを感じながらも、狂ったように笑い転げる魔女をキッと睨みつけた。

「おのれ魔女っ!!姫を呪いより解き放て」
「お断りだよ、王子様。この私よりも美しさを持っている女なんざ存在しちゃいけないんだ!可愛い私のペットの汚物まみれがお似合いなんだよ」
「くだらぬことをっ!!」

怒りに染め上った目で面白そうに空を飛ぶ魔女を睨むと、襲い来るゴーレムの攻撃をかわす。
容赦なく打ち込まれてくるゴーレムの拳を巧みにかわし、一瞬の隙をついてエルファリアはその拳を踏み台にし、空飛ぶ魔女へと剣を向けて迫る。
だが、ほんのわずか剣先は届かず、無情にも魔女の頬をかすめるだけだった。
すうっと切れた傷からうっすらと血が流れ、頬を伝う。
たったそれだけのかすり傷にエルファリアは悔しく感じたが、それ以上に魔女の怒りは大きかった。

「おのれぇぇぇぇぇぇぇっぇえぇ!」

美しい己が肌を傷つけられた怒りを爆発させた魔女は右手を天に突き上げると一瞬にして巨大な青白い魔力球を生み出し、ゴーレムもろとも着地したばかりのエルファリアに向かって放つ。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあっ!!」

かわす暇などなく直撃した青白い雷光に全身を貫かれ、エルファリアが苦痛の声をあげ続ける。
無数の雷に射抜かれたところから肌が暗灰色となり、やがて無骨なごつごつとした岩肌へと変わっていく。
ふんと鼻を鳴らして魔女は終息を知らぬ雷光のそばに降り立つと、軽く指を鳴らして霧散させる。
消え失せた雷光のあとに立っていたのは先ほど生み出されたゴーレムよりも一回り大きく、ずんぐりとしたゴーレムが一体たたずんでいた。

「ふん、この私に逆らうからいけないのよっ!その無骨なゴーレムとなって永遠に私の下僕として生かしてやるわ」

首尾よく己が魔術によってエルファリアをゴーレムに変わったことに魔女は満足そうに睥睨すると、こいつを使って気に食わぬ村の女どもを痛めつけてやろうと考えながら再びホウキに乗ろうとし―そのまま制止した。

柔らかな聖なる波動を背に感じ、何が起こったのかを理解し、焦った魔女は振り向きざまにゴーレムに命を下すと同時に石化の呪いを打つ。
雷光の魔力球の先にふわりと動く―呪いから解き放たれたレピアを認め、もう一度石化になる様が見えると思った。
無情にも振り下ろされたゴーレムの拳に悲しげな光をたたえたレピアの瞳が小さく伏せられると同時にその姿が掻き消える。
標的を探して振り向くゴーレムの腕に雷光が直撃し、閃光とともに爆発した。

「幻っ!!?しまっ!!」

全てを悟り、とっさに腕で顔をかばいながら魔女はなんとか逃げようとするが間に合わなかった。
高圧縮された石化の雷光はゴーレムの身体を粉砕し、全てを焼き尽くす炎熱となって砕けた岩にまとわりつきながら魔女の身体をずたずたに切り裂き、貫く。

少し離れた古木の下で耳をつんざく絶叫をあげて燃え尽きる魔女を見ながら、レピアはくたりとその場に膝をついた。
半世紀にも及ぶ長き呪いの枷からようやく解放してくれた恩人であるエルファリアを魔女を倒すためとはいえ、犠牲にし、助かっても何の感情も浮かばなかった。

「ああああ、こんなっ……こんなことって」
自然とあふれ出る涙が頬を濡らし、レピアは地に伏して慟哭した。
と、ふいに金色の光の粒がレピアの周囲を舞い始め、粉々に砕けたゴーレムの跡に集い始める。
優しい光は砕かれたエルファリアの石像となり、やがて熱く息づく生身の身体へと変わっていく。
やがて、光が消え失せるとそこには両腕を広げて優しく微笑むエルファリアの姿があり、レピアはまばゆいばかりの笑みを浮かべてその腕に飛び込んだ。


―紡ぐ紡ぐ物語。終わりはここに語りましょう

「こうして、悪辣なる魔女が滅ぶと森は解放され、美しい姿を取り戻しました。そして王子と姫は結ばれ、国を治めるといつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし」

頬を紅潮させ、うっとりと目を閉じて本を抱えるエルファリアに寄り添うと、レピアは優しくその髪を梳いてやる。
魔本とはいえどもかなりの冒険譚であることには変わりなく、エルファリアには少々酷かなと思いつつも、止めることはない。
自由に外に出ることが叶わないならば、せめて本の中だけでも、と願う。
いつか―いつの日か、この物語のように自分にかけられた呪いが解かれる日が来るならば、その時はエルファリアとともに思う存分旅してみたいとレピアは思うのだった