＜PCシチュエーションノベル（ツイン）＞
帰り着く場所
軽やかな蹄（ひづめ）の音が砂利道に響く。
聞き覚えのある音色に、アリサ・シルヴァンティエは尖った耳をぴんと揺らした。
彼女は日課のお祈りを手早く済ませると、そそくさと修道服の裾を持ち上げる。
そのまま、足早に教会を駆け出した。
外へ出たアリサが見たのは、鮮やかに馬を駆る女性の姿だ。
「エスメラルダさん！」
「久し振りね、アリサ！」
うら若き冒険商人エスメラルダ・ポローニオは、己を呼ぶ声に腕を上げて応えた。
その瑞々しく整った面立ちには、友へ向ける最大級の親しみが込められていた。
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教会へ辿り着いたエスメラルダは、まず旅の汚れを落とすことに専念した。
次に旅装束を脱ぎ去ると、年頃の乙女らしい、色彩豊かな普段着へと着替えた。
そこでようやく、２人は落ち着いて向き合えるようになった。
アリサの部屋は聖職者らしく、質素で慎ましい造りをしている。
だが、粗末な印象は微塵もなかった。
端々にはレースの小物が飾られ、ポプリ袋は良い香りを漂わせている。
持ち主に似たこの瀟洒な部屋を、エスメラルダは愛していた。
「シャワー貸してくれてありがとね、アリサ」
そう言いながら、彼女はタオルを畳んで置く。
「いいえ。サッパリできましたか？」
「もちろん。それに、これでようやく……えいっ！」
「きゃっ！」
悪戯っぽく笑うと、エスメラルダはおもむろにアリサの胸の中へと飛び込んだ。
突然のことに、アリサは瞳をぱちぱちと瞬いた。
そのまま、飛び込んでくる親友の体を抱きとめる。
途端に柔らかな香りが舞った。これはシャンプーの匂いだろうか。
彼女の腕の中で、エスメラルダは機嫌良く笑みを浮べている。
「ちゃんとキレイにしとかないと、こうやってアリサに抱きつけないもんね」
「ふふ。……改めて、お帰りなさい。エスメラルダさん」
アリサは微笑みに目を細めて、エスメラルダの艶やかな髪を指で梳いた。
エスメラルダもまた、アリサの手に大人しく撫でられている。
こうして過ごす優しい時間こそが、２人にとっての宝物なのだった。
暫くして、エスメラルダがゆっくりと身を起こす。
彼女たちはどちらからともなく顔を見合わせると、くすくすと笑い合った。
「さあ、まずはお茶にしましょう。積もる話もありますから」
「はーい」
「今日は、エスメラルダさんから戴いた茶葉を淹れてみたんですよ」
促されるがまま、エスメラルダはティーカップへと手を伸ばす。
カップには紅鳶色のお茶がたっぷりと注がれていた。試しにひと口啜ってみる。
すると、果実に似た甘い香りがふわりと鼻を抜けていった。
その言い知れぬ心地よさに、ほう、と息を吐く。
続いてエスメラルダは、皿の上の焼き菓子に手を伸ばした。
多種に渡る菓子の中から選んだのは、シンプルなクッキーだ。
前歯で齧ってみれば、さくっと小気味良い音が鳴る。
次の瞬間、クッキーは淡雪のようにほどけて消えた。
「んー、おいしいっ」
「よかった。たくさんありますから、お好きなだけ召し上がってくださいね」
「これ、アリサの手作りよね？
こんなに色んな種類が作れるだなんて、尊敬しちゃうわ」
嬉々として菓子を頬張る親友を前に、アリサは何故かバツの悪そうな顔をした。
「？ どうしたの、アリサってば」
「その……。
実は私、エスメラルダさんからお便りを頂いてからというもの、
どうも舞い上がっていたみたいで……。
いつ頃いらっしゃるのかな、なんて上の空で作っていたら――この通りです」
そう言って、彼女は傍らのバスケットを引き寄せた。
そのまま、気恥ずかしそうに布の覆いを取る。
エスメラルダが覗き込んでみれば、
そこには到底２人では消費しきれない量の焼き菓子が詰まっていた。
「……アリサ。あなた……」
アリサは羞恥に指先まで朱色に染めると、再びバスケットに覆いを被せた。
エスメラルダはまずアリサを見つめ、次にバスケットへ視線を移すと、
最後にもう一度アリサを見た。
そうして彼女は暫くの間、静かに押し黙っていた。
言葉をなくし、ぴたりと硬着していた体は、次第にぷるぷると震え出す。
そして、遂にエスメラルダは彼女に向かって飛びついてしまった。
「もうっ！ アリサってばいじらしいんだから！」
「ひゃあっ！」
溢れ出る愛おしさもそのままに、エスメラルダはアリサをかいぐり回している。
先程とは打って変わったシチュエーションに、アリサは目を白黒させた。
「え、エスメラルダさん……」
「あたしが帰ってくるのを、それだけ楽しみにしててくれてたってことよね？
そんなこと言われて、あたしが喜ばないはずがないじゃないの！
もーっ、嬉し過ぎてどうにかなっちゃいそうよ！」
うりうりと頬を擦りつけると、アリサの肌はますます赤味を増す。
エスメラルダは腕の中の親友を見つめながら、ひとり甘やかな感傷に浸っていた。
アリサがこうして待っていてくれるから、あたしは強くいられるんだ。
帰る場所があるからこそ、何度だって旅立つことができる。
あたしを『放浪者』でなく『冒険商人』たらしめているのは、
他の何者でもない、アリサの存在なんだ……。
エスメラルダはそう確信していた。
「エスメラルダ、さん」
ハッと我に返ると、アリサがもぞもぞと腕の中でもがいている。
「あの、足元が」
「――あっ」
指摘を受けたことで、エスメラルダはようやく状況を理解した。
足元では行商用に仕入れた品物が散らばってしまっている。
おそらく、飛びついた拍子に蹴倒したのだろう。
年齢相応の行動ではあったが、それでもエスメラルダは己の行動を恥じて、
照れくさそうに苦笑した。
「……お茶、仕切り直そっか」
はい、とアリサは口元を緩ませた。
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それから２人は、他愛もないお喋りに花を咲かせた。
「……それでね。なんでもそこの王様ったら、１日に８回も食事を取るらしいの」
「８回も、ですか。お腹がまんまるになっちゃいそうですね」
「そうなの。臣下の人たちも、王様の暴飲暴食にはほとほと困り果ててたみたい」
アリサは遥か遠国を統治しているのであろう、
まんまるシルエットな王様のことを思った。
「だからあたし、こないだアリサにもらったお薬を献上しに行ったのよ。
『これを振りかけさえすれば、どんなお食事を召し上がっても太らなくなりますよ』って」
「この間のお薬……というと、まさか」
「そう。持って行ったのよ、『苦虫薬』をね！」
エスメラルダは茶目っ気たっぷりにウインクをひとつ。
その仕草に、アリサもつられて笑い出す。
「エスメラルダさんったら。
いくら食用ハーブが材料とは言っても、『苦虫薬』をお料理に掛けなさい、だなんて……」
「でも、王様の悪癖はちゃーんと治ったのよ？
ただ、翌日から暫くの間『口の中がまだ苦い』なんて
泣き言を漏らしてはいたみたいだけどね」
そこまで言うと、２人は声を立てて笑った。
エスメラルダはユーモラスな口調で、鮮やかに旅を物語ってくれる。
こうして話を聞いているだけで、アリサは自分までもが旅人になったような気分になれた。
日夜、医師役・看護師役・薬剤師役と同時に激務をこなしている彼女にとって、
遠方への旅など夢のまた夢だ。
それでも腐らずに自分がやっていけているのは、
エスメラルダの存在が清涼剤になっているからであるはずだ、と彼女は思っていた。
ハーフエルフである自分に対して、深い親愛の情を向けてくれる親友。
そんなエスメラルダのことを、アリサはずっと敬愛している。
彼女がそんなことを思っている一方で、
エスメラルダはちょうどティーカップを空にしたところだった。
「それで、アリサの方はどうなの？ 何か変わったこととかあった？」
不意に水を向けられ、彼女は慌てて話題を探し始める。
「そう……ですね。
私はこの前、以前エスメラルダさんから戴いた薬草を使って
『女神の水薬』を作ってみたんです」
「ええっ？！ 確かそれって、伝説級の回復薬よね？」
驚きのあまり、エスメラルダは手に持っていたラングドシャを砕いてしまった。
「『女神の水薬』って、本当に実在してたのね……。
てっきり神話上だけのものだと思ってたのに」
「実はあのお薬の調合自体は、それほど難しくないんです」
「あれ、そうなの？ じゃあ、どうして……」
不思議そうにしているエスメラルダを見て、アリサはくすりと笑った。
「むしろ伝説級に難しいのは、あの薬草の入手の方です。
エスメラルダさんったら、あんな珍しいもの、どこで手に入れたんですか？」
「えっ、そっち？！ えーっと、確か……」
記憶を辿ってみても、ぼんやりとした輪郭しか思い出せない。
確かあの草は、砂漠のオアシスに生えていたような。
いや、それとも、虹の国の特産物だったっけ？
「うーん、ごめん。ちょっと思い出せないみたい」
エスメラルダは決まり悪そうに頬を掻く。
「でも、あたしもひと目見てみたかったかも、その薬。
『女神の水薬』なんて名前なんだから、きっとキレイな薬だったのよね？」
しかし、投げられたその問いかけに対して、アリサは何故か沈黙を保っている。
刹那の後。
不思議に思って首を傾げたエスメラルダの前へ、
アリサがおもむろに取り出したるは――。
「これがその『女神の水薬』です」
「……わお」
しずく型の瓶に詰められていたのは、ほとんど泥に近い見た目のゲル状物質だった。
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久々の邂逅ということもあり、２人の話は尽きることを知らなかった。
ポットのお茶が切れ、皿の上の菓子があらかたなくなっても、
エスメラルダとアリサは話し続けていた。
何せ話したいこと、共有したいことならいくらでもあるのだ。
１分１秒を惜しむように、２人はいつまでも言葉を交わし続けた。
窓の外には、黄昏のヴェールをまとった空が広がっている。
やがてヴェールは黄金色から、濃紺色へと移り変わる。
辺りに宵闇が広がり、教会の輪郭が溶けて消える。
それでもこの晩、遂にアリサの部屋から賑やかな光が消えることはなかったのだった。
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