<東京怪談ノベル(シングル)>


最強の敵


 縦に裂け目の入ったリンゴ。一言で表現すれば、そうなる。
 単なるリンゴと異なるのは、その裂け目の内部に、びっしりと牙が生え揃っている点である。
 リンゴの形をした、凶暴な怪物であった。
 それが数百匹、いかなる力によってか空を飛び回り、地上の人間たちに襲いかかる。
 町の衛兵や雇われ用心棒といった者たちが、剣や槍を振り回して応戦している。
 振り回される武器を敏捷にかわしながら、リンゴの怪物たちは牙を剥き、衛兵たちや用心棒たちに食らいつく。
 あちこちで真紅の飛沫が噴出し、悲鳴が上がった。
 町の防衛施設である砦の前で今、戦いは行われている。
 ここで食い止めなければ、リンゴの怪物たちは砦を飛び越え、町の中へと流れ込んで住民を襲うだろう。
 砦の中では、兵士たちが懸命に弓を引き、矢を放ち、空飛ぶ怪物たちを射落とそうとしている。だがリンゴほどの大きさしかない物体が、俊敏に飛び回っているのだ。そうそう当たるものではない。
「……こいつを試すしか、ねえようだな」
 ずん、と地響きを立ててガイ・ファングは踏み込んだ。
 腰布を巻いた、筋骨隆々たる半裸の巨体。
 そこへ、リンゴの怪物たちが空中から一斉に群がった。縦に裂けた口が、歯応え豊かな上質の筋肉を求めて牙を剥き、凶暴な奇声を発する。
 ガイは避けず、その場で身を屈め、右拳を握った。
 岩石のような握り拳に、気の力が集中してゆく。
 覚えたばかりの技がある。実戦で使用するのは、これが初めてだ。
「必殺、火炎の嵐……喰らいやがれ!」
 屈めた巨体を、ガイは一気に起こした。右の剛腕が、肘、手首へと捻りを伝えながら上方に伸びる。気を宿した拳が、天空を殴り抉る形に突き上げられる。
 その気が、剛腕の捻れに合わせて竜巻状に放出され、ガイの周囲で渦を巻いた。
 気力の大渦巻きが、そのまま発火し、燃え上がった。
 拳を突き上げた巨体の周囲で、紅蓮の炎が螺旋状に荒れ狂い、リンゴの怪物たちを焼き払う。
 火炎の嵐。気の力を炎に変えて放出し、敵を灼き尽くす技である。
 凶暴に牙を剥いていたリンゴたちが15、6匹、ことごとく灰に変わって熱風に舞った。
 それでも怪物の群れは、あまり減ったようには見えない。
「何つうか……食いもん粗末にしてるみてえで、あんまり気分が良くねえなあ」
 ぼやきながら、ガイは左の手刀を振るった。ブンッと唸りを立てる、鉈のような一撃。
 火炎に怯んだ様子もなく襲いかかって来たリンゴ怪物が2匹、その手刀に薙ぎ払われて砕け散った。
 今回、ガイを用心棒として雇ったのは、リンゴが名物の町である。
 聖獣界一のアップルパイが食べられる町として知られており、リンゴ関連の収益だけで財政の大部分が成り立っている。
 リンゴの形をした怪物が人を襲う、などという事態は、だから町全体にとっての死活問題であった。すでに町直営の果樹園にも被害が出ているのだ。
「見た目はリンゴなんだがなあ……」
 食らいついてきた怪物リンゴを1匹、ガイは無造作に左手で捕まえた。
 捕えられた怪物が、太く力強い五指に圧迫されながらキシャーッ! と牙を剥く。
 縦に切れ込みの入ったリンゴ、に見えなくもない怪物を、ガイは一口かじってみた。
 奇怪な歯応えが、口の中でグジュグジュと蠢いた。味はよくわからないが、美味ではないのは確かである。
「うーむ……これじゃアップルパイは作れねえよなあ」
「そんなもん食うのはやめとけよ、兄ちゃん」
 衛兵の1人が、声をかけてきた。
「このバケモノどもがいなくなりゃあ、ちゃんとしたリンゴがいくらでも食えるからよ。その前に腹壊しちまったら、つまらねえぜ」
「心配いらねえ。俺、胃腸は丈夫な方だからよ」
 他に食い物がなかったので、倒したマンティコアの肝臓を焼いて食った事がある。あれよりはましか、と思いながらガイは結局、リンゴもどきの怪物1匹を全部バリバリと食べてしまった。
 仲間の仇討ち、のつもりなのかどうか、リンゴもどきの群れがガイ1人に襲いかかって来る。他の用心棒たちや衛兵団を無視してだ。
「わわわ、きっ来たぞ兄ちゃん」
「俺から離れねえ方がいいぜ……」
 慌てふためく衛兵を背後に庇いつつ、ガイは全身で呼吸を行った。
 コォオオオオオッ! と雄叫びのような呼吸音が、ガイの口から溢れ出す。
 消耗した気の力を回復するための、特殊な呼吸法……気功回復術。とある霊山で、学んだものだ。
 回復した気力が、拳に宿る。
 その拳で、ガイはまたしても天空を殴り抉った。
 火炎の嵐が再び、ガイと衛兵を取り巻いて激しく吹き荒れた。
 群がり襲いかかって来たリンゴもどきたちが1匹残らず灰に変わり、粉雪のようにサラサラと降った。
 ガイの広い背中にしがみついたまま、衛兵が呆然としている。
「ふぇえ……すげえな、兄ちゃん」
「ま、雑魚にしか効かねえ技だけどな」
 もっと気力と熱量を絞り込んで敵に喰らわせる技術を、身につける必要がありそうだった。


 親玉とも言うべき怪物が、やはり存在するらしい。それを撃滅しない限り、リンゴもどきの群れは際限なく発生し続けるようだ。
 砦の近くの山に生えた、マザーツリーと呼ばれる怪物化した巨木。それがリンゴもどきの発生源であるという。ガイたちが戦っている間に、衛兵の何人かが調べてきたようである。
 その衛兵たちはマザーツリーの攻撃を受けて瀕死の重傷を負い、現在は町の診療所で、生死の境をさまよっている。
「戦ってるのは俺たちだけじゃねえ、って事だな……」
 闘志を燃やしながらガイは、分厚い左掌に、岩のような右拳を叩き込んだ。爽快な音がした。
 砦の内部で待機中である。
 リンゴもどきの群れが攻めて来たら、また戦う事になるのだが、敵の発生源が判明した以上こちらから打って出るべきではないか、とガイは思っている。
 マザーツリーには、賞金が懸けられた。
 もちろん賞金はもらう。金を稼ぐために始めた仕事である。
 だがそれ以上にガイは今、燃え上がる闘志を抑える事が出来なくなっていた。
「敵の親玉が見つかったんだぜ……一気に攻めねえ手はねえだろうよ」


 元々は、豊かな山林であったのだという。だが今は、荒涼とした禿げ山である。
 木々も草花も、マザーツリーによって養分を奪われ、枯れ果ててしまったのだ。
 その禿げ山の風景の中央に1本だけ、リンゴの巨木が立っている。カギ爪のような枝をバキバキと蠢かせる、樹木の怪物。
 マザーツリー。無数のリンゴもどきを、全体にビッシリと生らせている。
 それらが牙を剥き、一斉に枝から分離し、襲いかかって来る……寸前でガイは1歩、思いきり踏み込んだ。
「おぅらッ!」
 巨大な素足が、禿げ山の荒れ果てた大地をズン……ッと圧迫する。
 必殺・巨人の足。気の力が地中に流れ込み、山全体を揺るがす。
 ひび割れた地面がさらに砕け、細かな土の破片が舞い上がった。
 震動が、マザーツリーを襲う。怪物化した巨木が苦しげに揺らぎ、分離寸前だったリンゴもどきの群れが片っ端から砕け散った。
 辛うじて震動を避け、分離に成功したものたちも何体かいる。縦に裂けた口をキシャーッ! と開いて凶暴に飛翔し、襲いかかって来る。
 拳で、手刀で、ガイは迎え撃った。左右の剛腕が暴風の如く唸りを発し、襲い来るリンゴもどきを粉砕してゆく。
 粉砕しながらガイは駆け、そして跳躍した。筋骨たくましい巨体が、土煙を引きずりながら宙に舞い上がる。
 そして、隕石のように急降下してゆく。枝を蠢かせる、マザーツリーに向かってだ。
 蠢く枝のあちこちで、赤いものが腫瘍の如く膨らんでゆく。リンゴもどきが、際限なく発生しつつある。
「させねえよ……巨人の蹴りを、喰らいやがれええッ!」
 巨大な足跡が、マザーツリーの幹の中央に刻印された。ガイの右足が、めり込んでいた。
 足跡を中心に、亀裂が広がってゆく。その亀裂から、白い光が溢れ出す。ガイが飛び蹴りで叩き込んだ、気の力だ。
 マザーツリーは砕け散った。枝が、幹が、それに地中の根に至るまでが、細かくちぎれながら白い光に灼かれ、消滅してゆく。
 消滅してゆくものを蹴散らしつつ、ガイは地面を削り、大量の土を舞い上げ、着地していた。


 町の診療所で生死の境をさまよっていた衛兵たちは、どうにか一命を取り留めた。
 賞金の半分は彼らに、とガイは申し出てみたが、衛兵たち本人に断られた。
 そんな事より、この町でアップルパイを食っていけよ。彼らは笑いながら、そう言った。
「うーむ……甘いものってのは良くねえなあ」
 この町の名物をひたすら口の中に詰め込みながら、ガイは呻いた。
 サクサクと歯応えの良い衣の中から、適度な熱さと舌に心地良い甘みがトロリと流れ出して来る。
 実に危険だった。一口かじると、もう止まらなくなる。
「いかんいかん。筋肉が弛んじまうぞ、まったく」
 空になった皿が、すでに20枚近く積まれている。
 マザーツリーなど問題にならぬほど手強い敵を相手に、ガイは完敗中であった。