<鈴蘭のハッピーノベル>
幸せのコイン、ひとつ sideアレクセイ
●
Something old, something new,
Something borrowed, something blue,
and a coin in her shoe.
花嫁が幸せになるための、4つのおまじない。
そして靴の中にはコインをひとつ。
●幸福の再来
街中で、大きな荷物を抱えて歩くアリサ・シルヴァンティエの姿を見かけた時、アレクセイ・シュヴェルニクは素直に自身の目を疑った。
(どうして、こんなところにアリサさんが……)
とある教会に併設されている診療所の、医師兼神官。それがアリサだ。
しかし。
美しい、黒髪のハーフエルフ。日は中天を過ぎ、柔らかな光を受けて歩く姿を見間違えるはずはなかった。
いくつか疑問がないでもないが、彼女であるのなら素通りするわけにはいかない。
その日の仕事を終えたアレクセイは真っ直ぐに歩み寄り、驚かせないよう声量に気を配りながら呼びかけた。
「こんにちは、アリサさん。今日は…… 買い出しですか?」
「アレクセイさん! 奇遇ですね。そうなんです、今日は皆の手が空かなくて、私ひとりで―― きゃっ」
大荷物をバランスよく抱えることに集中していたアリサは、それでもやはり驚いたようだ。
勢いよく振り返り、そのまま紙袋が崩れる。
「わっ、無茶ですよ、こんなにたくさん! 僕が持ちますから」
破れかけた紙袋の底へアレクセイが腕を回し、事なきを得た。
野菜に果物、……それに、お菓子?
色々なものが詰め込まれていた。
「けど……なんだか申し訳ないです。アレクセイさんにもご予定もありますでしょう?」
軽々と荷物を受け取ったアレクセイを見上げるアリサの両の手は、行き場をなくしている。
「いえ、今日はもう帰るだけだったんで。時間を持て余していたくらいです」
「それじゃあ」
人の良い青年の笑顔に、アリサは安堵の色を見せた。
「あと三軒、回らないとならないお店があるんです。助かります」
「……さん」
どうやって、ひとりで全てを済ませるつもりだったのだろう?
時として気の強さを見せるアリサではあるが…… やや呆然として、アレクセイは腕の中の荷物を見詰め直した。
●
並び、ゆっくりと歩きながらアレクセイが声を出して笑う。
「……そんなに笑わないでください」
「すみません。これを全て、一人で持ち帰るアリサさんを想像したら、つい……」
年上の女性が、困ったように怒って見せる表情が可愛らしくて、なんて言えるはずもなく。
誤魔化して、それでもやはりアレクセイは笑った。
きっと、自分が通りかからなくたって、困っている彼女を放っておかない者は現れるはずだ。
(運が良いな)
こっそりと、そう思う。
今日に限って『仕事』が早く終わったことも、こうしてアリサと帰り道を共にできることも。
「あれ」
どこからとなく鐘の音が響き、アレクセイは顔を上げた。
定時を告げるものとは違う。
「結婚式……ですね。この辺りの教会ですと、たしか……」
一緒に、アリサも音のもとを探し……視線を止める。
「あ、あった。あそこにも、教会があるんですね。気づきませんでした」
「本当に、お祈りや式典の類だけを執り行う教会ですね」
孤児院や、診療所などを併設している教会であれば建物はともかく敷地が広い。
街中で、人々が純粋に祈りだけを捧げる場であるらしく、本当に小ぢんまりとした建物であった。
親族と思われる、ごく少数の人々が新郎新婦を待っている姿。
やがて扉が開き、晴天へフラワーシャワーが舞った。
アレクセイとアリサの二人は、そのまま足を止め、遠巻きに式の様子を眺める。
「綺麗……。あの花びらには、香りによって辺りを清めること、幸せを妬む悪魔から二人を守るという意味が込められているんですよ」
「へぇ。あぁ、そうか、アリサさんは」
「式を執り行う側ですから」
神官の表情を覗かせて、アリサは結婚式にまつわるエピソードを語り始めた。
なにかひとつ古いもの。なにかひとつ新しいもの。
なにかひとつ借りたもの。なにかひとつ青いもの。
歌うように挙げるのは、花嫁が幸せになるための、4つのおまじない。
「僕は結婚とは無縁ですけど…… なんだか耳になじみがありますね」
「異国の童謡に、あるようですね」
「……ふむ」
『仕事』で各地を飛び回ることの多いアレクセイだ、どこかの街で耳にしたのかもしれない。
もちろん、この街でということもあるだろう。
仕事の、本当の本当の内容は、アリサにもまだ、教えていないけれど……
「なにかひとつ古いもの――祖先、伝統などですね。なにかひとつ新しいもの――これから始まる新生活に向けて。
なにかひとつ借りたもの――友人や隣人との縁を大切に。なにかひとつ青いもの――これは、純潔を表現しているそうです」
サムシング・フォー。そう呼ばれるものにも、由来はきちんとある。
「…………」
「アレクセイさん?」
「あ、いえ。幸せになる、4つの『なにか』……おまじないというよりは、理に適っているように思えますね」
「ふふ、確かに」
(なにか、ひとつ―― 忘れているような)
アリサの話を聞きながら、何かがアレクセイの記憶に引っかかった。
結婚式に関する知識なんて、本職のアリサに適うべくもないだろうに。
●
アリサの声を聴きながら、アレクセイはぼんやりと幸せそうな結婚式を眺めていた。
(ウェディングドレスか……。アリサさんが着たら、綺麗だろうな)
その時は、自分が隣に――
などと、考えてみたり。
想像するくらい、良いだろう。
――結婚とは無縁ですけど
自身の、先の言葉が胸に刺さる。
それもまた、実情であった。
軽々に語ることのできない本職故に、アリサへの想いが仮に成就しなくとも、相手がだれであろうとも……
自分が『なにかひとつ』のために駆け回ることは、難しいことのように、思う。
なにかひとつ、そして――
●
「そういえば、先のフラワーシャワーですけど。『豊潤な恵みと子孫繁栄』を祈って、ライスシャワーとする場合もあるんです」
「結婚式に、白いハトが多い印象が強いのは……それでしょうか」
「あらっ。それは考えたことがありませんでしたね……」
意外な切り返しに、アリサが真面目な顔で考え込む。
撒かれた米を、エサとするために……? てっきり、祝福のために飛来しているのだとばかり。
その辺り、狡猾さに欠け純真さへ大きく傾いている彼女の気質ゆえであろうか。
それをいうなら、アレクセイとて純朴な青年ではあるのだが。
「私の教会でも、挙式は多いんですよ。数年後に、お子さんを連れて礼拝にいらっしゃったり……。
永く幸せでいてくれる姿は、こちらも幸せな気持になります」
指折り数え、アリサは思い出を呼び起こす。
知らずアリサが受けている『女神様の加護』により、赤い糸に導かれ結ばれてゆく恋人たちの姿。
すれ違いや、葛藤や、幾多の試練を超えて、誓いを立てる姿もあった。
(幾多の……)
それは、たとえば種族の壁。
(私は……)
ハーフエルフ。それだけで、アリサにとっての壁は、高い。
自身にとっては高いものだけれど、例えばアレクセイからすれば、どうなのだろう――?
美しい花嫁を遠くに見つめるアリサの表情に影が差す。
「アリサさん。――何か、気に懸ることでも?」
ひょい、とアレクセイが顔を覗きこんできた。
小麦色に焼けた肌、さらりと茶の髪が揺れる。人好きのする眼差しで、アリサの心の中まで見透かすように。
「あ、いえ、なんでもないんです。……腕が痺れてきちゃいましたね。アレクセイさんも重いでしょう?」
「たしかに」
荷物を抱えながら、立ち話をするものではない。
我に返ったことでズシリと重量を増した腕の中の存在に、アレクセイも苦く笑った。
「――思い出した」
何がきっかけ、というでもなかった。脳裏に電流のような物が走り、アレクセイは呟く。
荷物を片腕で担ぐようにし、空いている手で上着のポケットを探る。
「アリサさん、手を出してください」
「はい、なんでしょう――?」
「『そして靴の中にはコインをひとつ』。先の歌の、続きです」
落としたのは、ここでは使われていないどこかの銀貨。こうべを垂れる花の彫り物がされている。
「まぁ」
「記念に持っていてください」
「記念……ですか?」
「僕も、長く忘れていました。だから」
「けど」
「多くの幸せを見守ってきたアリサさん自身に、幸せがありますように」
「――……はい」
すれ違いや、葛藤や、幾多の試練、立ちはだかる壁。
叶わぬ願いもあるだろう。
悲しみに終わることもあるだろう。
けれど、今日、こうして二人で歩いたことを、鐘の音を、忘れることのないように。
並び、歩くときに、思い出すことのできるように。
「帰りましょうか」
「はい」
青年の言葉に、アリサは静かにうなずく。
(……なんだか、これって)
同じ場所へ、二人で『帰る』ということ―― その言葉の意味に。
同時に気づき、なんとなくくすぐったい思いを荷物と一緒に、二人は並んで歩き始めた。
気づけば、二人の影は長く伸びていた。
●
なにかひとつ古いもの。なにかひとつ新しいもの。
なにかひとつ借りたもの。なにかひとつ青いもの。
そして靴の中には、コインをひとつ。
末永く、幸せであるように。
【幸せのコイン、ひとつ sideアレクセイ 了】
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3828/アレクセイ・シュヴェルニク/ 男 /19歳/魔法騎士】
【3826/アリサ・シルヴァンティエ / 女 /24歳/魔法医師】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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マザーグースの唄にのせ、今は祈るだけの祝福のお話、お届けいたします。
冒頭・再会のシーンを、それぞれの視点で差分としております。
背を押してくださるお言葉、ありがとうございました。
楽しんでいただけましたら幸いです。
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