<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


求:魔物の討伐、成果報酬にて。


 酒場の壁にはずらりと「冒険者求む」の張り紙が並ぶ。聖都でも、冒険者の多い場所――ほとんどが酒場か宿屋か、その両方だ――では然して珍しくも無い風景だ。眺めると無しに眺めていた青年は、ふとその一枚で目を留めた。
 都市付近では「大物」の魔物は珍しいが、人の少ないエリアでは今でも出現報告が稀ではない。
 そうした「大物」専用の掲示板に貼られた沿岸の漁港町からの依頼だというその一枚には、矢張り魔物の退治依頼が表示されていたのだが、
「《風蝕》だ? …小物じゃねぇか、何でこっちに張られてんだよ」
 独白と共に眉根を寄せて青年が紙切れを剥がす。その姿に、傍でダラダラとエールを煽っていた、奇妙に色彩の欠けた女が声をかけた。
「あー、それ、大物扱いでいいみたいだよ」
「はぁ?」
 だって、《風蝕》だろ。青年の反駁に、ジョッキをぐいと干して、女が笑った。
「そうそう、《風蝕》。海沿いの町の空にたまに飛んでくるアレ」
 《風蝕》は、形こそ大きい鳥形の魔物だが、決して珍しくも無ければ、厄介な相手でもない。
 翼を広げた姿は大人が二人手を広げた程度の大きさ、鋭い爪と嘴、それに「風を喰う」という性質から、特に船乗りには嫌われている魔物であり、そのため大量発生すると凪を嫌う船乗り達から退治依頼が届くことが多いのだ。が、女はにんまりと笑って張り紙を指差した。
「その《風蝕》はね、レアな奴なんだって。だから迷惑してる町の連中がここまで依頼を持ってきたんだが、何分、通常の《風蝕》とは性質が違ってて、情報が少ないって理由で大物扱いなんだよ」
「あー…成程な。変異種の類か」
 すんなりと納得した様子で、青年は張り紙に視線を落とす。記されている報酬額は悪いものではないし、何よりも前例のないレアな魔物、というのが興味を惹いた。彼の視線の変化に気付いたのだろうか、眼前でエールを干した女が、しかし欠片も酔った様子もなく立ち上がる。
「それ、興味ある?」
「…まぁ、な。――お前もか」
「いや、私が興味があるのはそれの報酬の方。金に困ってるんだ」
 使い込みがバレちゃってさー、とけろりと笑いながら剣呑な発言をしてから、彼女は手を差し伸べてきた。
「あん?」
「端的に言うけど、手ぇ組もうよ。弱点も何も分かんない変異種相手の魔物討伐なんて、一人じゃめんどくさいなーと思って悩んでたトコでね」
 面倒だなぁ、というのが青年の最初の感想である。が、大剣を背にした女の立ち居振る舞いから見て、それなり程度には使えるのだろう、と彼は即座に判断を変えた。差し伸べられた手については無視して、同意の代わりに名を告げる。元より、慣れ合う積りも毛頭なかった。
「リルドだ。そっちから提案してくるからには、そこそこ使えるんだよな?」
「ま、それなりってとこかな。――私はレシィだ。よろしくな、リルド」



 道中、質問は? とレシィが問うので、リルドが尋ねた事と言えば、
「…あんたその馬鹿でけぇ剣が得物なのか?」
「開口一番それか。女性に対して他に訊くことないのかね、青年」
 軽口で返されて、リルドは苛立ちを隠しもせず彼女を睨みやる。乗合馬車の中で、冷え冷えとした空気が流れた。そんな中、レシィは尻尾をゆらりと持ち上げ、にんまりと、それこそ猫の様に笑う。
「傭兵歴の長い先輩からの忠告だ。戦場で背中を預ける相手の事は信頼出来なきゃやってられないぞ」
「戦場で互いの自己紹介から始めようってか? 呑気な話だ」
「そこまでは言わないさ。傭兵も冒険者も、事情抱えた連中だって多い訳だし、でも――」
 言いかけた所で、レシィの尻尾がだらり、と力を失った。気の抜けた笑みを浮かべて彼女は頭をかく。
「…いかんな。ハニーみたいなお説教を始めてしまうところだった」
 独白の様にそうぼやいて、彼女は気を取り直したようにあぐらをかき直した。安物の馬車は震動が酷く、決して座り心地の良いものではないのだ。そうしながら、彼女は傍らに置いた大剣に手を触れる。「切る」ことよりも「重量で潰す」ことに特化した、どちらかといえば剣と言うよりは鈍器と呼ぶべき形状である。
「武器は何でもイイんだけど、ここしばらくはコレをメインで使ってる。素手でもそこそこ戦えるよ」
 へぇ、と、微かにリルドの相槌に感嘆が混じった。全身が灰色という異相を除けばレシィは、同年代の女性と比べて長身なことと、猫耳と尻尾が生えている、という程度でこれといって特徴が無い。(獣人なんてそれこそ王都では珍しくも無いのだ)
 細く華奢にさえ見える腕をしているのに軽々と大剣を担いで歩いていたから、見目によらぬ剛腕であることは想像がついたが、素手での戦いまでこなせるというのはリルドからすれば意外の一言に尽きた。
「あとはそーだなー、魔法の類はからっきしダメだ。これでも昔は『魔女』なんてやってたんだが、今は現役引退してるよ」
「…何だ、魔術は駄目なのか」
「そっちはどうなの? ニオイからしてかなりイケてそうだけど」
 匂い? と眉を寄せつつも、リルドは頷く。同じ魔物を討伐する、その戦場を共にするのであれば、必要なカードは伏せるべきではない、その程度の分別はある積りだ。
「…メインは剣術だ。あとは魔術は――属性で言うと水と風と雷撃系だな」
「へぇ、結構使えるんだな。じゃあ当てにさせてもらおうかなぁ」
 楽してお金が手に入るなら言うことないもんねぇ。
 彼女のそんな物言いに、思わずリルドは顔を顰めた。手を組むことに同意はしたが、端から彼はあまり協力者というものを当てにはしておらず、邪魔にならなければそれで良し、程度の認識しかない。それが一方的にアテにされるのでは、割にも合わないし、性にも合わない。
 さすがにそれを口に出す訳もないが、リルドのそんな表情に察するところがあったのか、レシィは口元に人の悪そうな笑みを浮かべて見せた。
「報酬を山分けにするんだぞ? 私にうまいこと利用されてくれよ」
「…信頼がどうとか、言ってたのはどのクチだお前」
「背中を預けるかもしれない相手を信頼しなくてどうするのさ。それとこれとは別問題」
 諭すように言われ、挙句、青いねェ、なんて揶揄交じりに呟かれて、いよいよもって不機嫌を隠そうともせずにリルドは馬車の幌からそっぽを向く。街道沿いの道には海が近い証拠に微かに潮を含んだ匂いの風が吹いている。町についたらまずどうするかと、思案をする彼をあざ笑うように、不意に馬車の上に影が落ちた。
 見上げる先。
 ――青い空に、青黒い雨雲を連想させる巨体が羽ばたく。
「おいおい、海に出るって話だろ。気の早い奴だなァ」
 いつの間にか身を乗り出すようにして、レシィが馬車から空を見上げている。
「…何にせよ、退治することに変わりはねぇだろ。行くぞ」
「行くって、ここから?」
「呼び寄せりゃいいだけだ」
 あっさり言い捨てて、それきり振り返りもせずにリルドは馬車を飛び降りる。待ってよー、と不服そうな声が遠のくのを聞きながら彼は風を纏い、衝撃の一つも無しに地面に着地した。そのまま剣を抜き、纏っていた風を放るような積りで空へ向けて一陣、狙いも何もなしに乱暴に「風」を発生させる。それだけで、巨大な海鳥の姿に似た影が空中で方向を転じた。潮風の発生源である海の方から、一直線にリルドの方へ。
 風を喰う、という性質故に、《風蝕》を相手取るのに風属性魔術は基本戦術だ。餌でおびき寄せ、近付いたところを仕留める――シンプルだが、戦い方なんてシンプルが一番良いに決まっている。
(並みの《風蝕》なら、風で釣っておいてぶった切るのが基本戦術だな)
 さてどうするか。雷撃を纏わせた剣を手に、リルドは裡の昂揚を呼吸と共に吐き出して、眼前、迫る黒い嘴を睨み据える。相手は変異種、情報は無い、であれば試行錯誤だけだ。
 構えた剣を、相手の羽毛の形が分かるほどに肉薄するのを待って振り下ろす。充分な手応えと同時に傷を負ったモノに特有の、巨体が身をよじる気配を感じて、リルドは思わずため息をついた――折角変異種だと聞いていたのに、この程度なのか、と。
 ――だが次の瞬間、リルドの視界がぐるりと反転した。少し遅れて、全身を打ち据える鋭く重たい一撃が呼吸を寸の間、呼吸を詰まらせる。吹き飛ばされた、と、気が付いた時には、彼の視界いっぱいに魔物の白い瞳が迫っていた。



 一方、後方。少し遅れて馬車から飛び降りたレシィはその現場をまざまざ見せつけられる羽目になっていた。彼女とて素人ではないから、戦いの場において目を逸らしたり瞑ったり等と言う愚は、侵さない。
 彼女の眼前では、青年の身体が盛大に吹き飛ばされていた。巨鳥の翼の一撃に煽られたように、傍目には派手に打ち据えられたかのようにも見える。
 とはいえ、本人が意識したかどうかは定かではないが――あの様子だと無意識だろう、とレシィは冷静に観察していた――咄嗟に巨鳥の爪と翼による連続の攻撃を「流す」姿勢に移行し、更にわずかではあるが風術で衝撃を逸らして、ダメージは最小限に留めている。が、姿勢は崩れていた。
 敵対的な行為を向けてきた「敵」の隙を逃すほど、《風蝕》は間抜けではない。まして。
 彼らの目の前に今現れている《風蝕》は、大変厄介なことに、一体ではなかった。
 ――確かにリルドの一撃は、変異種の《風蝕》を両断したのだ。が、少し離れていたレシィはその様子をしっかりと視界に収めていた。リルドの剣に一撃された《風蝕》は、そのまま、「分裂した」。大きさは半分に、しかし個体としては2体に分かれたのだ。攻撃の直後にリルドが吹き飛ばされたのは、全くの不意打ちでその分裂した個体に攻撃をされたためである。
(あらー、これはまずいかなぁ)
 体勢を崩しているリルドへ、もう一体の《風蝕》が襲い掛かろうとしている。それをニヤニヤとした笑みを浮かべたままに眺めていたレシィは、表情はそのまま地面を、蹴った。
「ふふ、トドメと思って気を抜いたか、若いなぁ! 凡ミスしやがって!」
 ――叫ぶ時には既に、彼女の身体は一体の《風蝕》の頭上だ。彼女が蹴りつけた地面は抉れて陥没し、蹴った彼女の脚力をまざまざと物語っている。
 そのまま彼女は背中の大剣は抜かず、素手で《風蝕》を殴りつけた。悲鳴をあげて、《風蝕》は地面に叩きつけられる。
「リルド、一個、貸しだぞ!」
 楽しげな叫びに、体勢を立て直したリルドからは盛大な舌打ちが返った。唇の端を切ったらしく、彼は血を拭いながら、分裂していたもう一方の《風蝕》へ視線を戻す。その視線の先で、《風蝕》は耳鳴りのような異音で雄たけびをあげ、そして――2体いたそれは、再び融合して、1体の巨体へと戻っていくではないか。
「何だこれ。2体なの? 1体なの?」
「知るかよ…。クソめんどくせぇなオイ」
 うんざりした口調で吐き捨てつつも体勢を立て直したリルドが自分の周りに風を産めば、矢張り本能なのだろうか、《風蝕》はまた、その「風」目がけて飛び込んでくる。今度はリルドの、氷を纏う短刀と、一瞬で巨鳥の背後に回ったレシィの大剣とが同時に《風蝕》へと食い込んだ。するとまた、分裂。今度は油断なく二撃目を構えた二人の様子に、攻撃を不利と見て取ったのか。2体になった《風蝕》は翼を打って空へと飛翔し、そのまま空中でまた、一個の個体に戻る。
 その様子を見て、どちらからともなくレシィとリルドは顔を見合わせあった。レシィはニヤニヤと楽しそうに、リルドは酷くうんざりとした様子で。
「これはアレだなー。ジェミニ型の変異って言うんだっけ? たまに居るよなこのタイプの魔物」
 楽しそうなレシィに、リルドは舌打ちで返す。が、笑みはそのまま、レシィは目を猫の様に細めて、煽る様にリルドを覗き込んだ。
「協力、要るよねぇ? あのタイプは、分裂したところを同時に叩かないと倒せないからねぇ」
「わざわざ解説垂れてくれてんじゃねぇよ。そのくらい、経験ねぇと思うのか、俺が」
 この手合いは、「変異」した魔物の中であればそれなり程度には存在している。どういう理屈なのかは――理論や説明や理屈付けなんてものはリルドも、そしてレシィも興味が無いのだが、「分裂して2体に分かれる」という特性を得ている魔物だ。
 討伐方法はシンプル。2体に分裂した、その双方を同時に倒せばいい。
 前提条件、「超広範囲を一人で攻撃する」ことが出来るか、もしくは「二人で息を合わせて同時に攻撃する」ことが出来ること。
「で? リルド、どうするの? 一人でやる? それとも撤退する?」
「誰が!」
 撤退、という単語にだけ反射的にそう返し、それから、何かを待つように彼を眺めている灰色の視線へ向き直る。口を開くのがいつになく億劫な気分だったのは、からかうような、とにかく人の悪そうな笑みを浮かべたレシィの表情が気に喰わなかったからだ。そうに決まっている。
「……手ぇ貸せよ」
 そうして大層不本意そうに告げられた言葉は、巨鳥の羽ばたきに紛れてしまいそうな程であったが、しかしレシィの猫の耳はしっかととらえていたようであった。満足そうに彼女は、今度は素直な笑みを浮かべ、空いている右の手を広げる。
「おーけい、手伝ってやらないこともない!」


 今度はパシリ、と、ハイタッチの音が鳴った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3544/リルド・ラーケン/  冒険者】



**ライターより
ご依頼ありがとうございます。
オチ部分については色々悩んだのですが、最終的にご想像にお任せします、という体にしてみました。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
リテイク等のご希望があればお気軽にご相談くださいませ。