<東京怪談ノベル(シングル)>


吹雪の夜、嵐の中。

 その冬は、寒さが酷く厳しかった。
 もともとが避暑地として利用されていたくらい、この辺りは総じて気温が低い。水郷であり、常に涼やかな水辺の空気が辺りに満ちるような場所だから、当然ながら冬になれば、その分だけ他所の地域よりも寒さが厳しくなるもので。
 おまけにこの冬は、例年にない寒波のお陰で、瑞穂国すべてが寒さに身を凍えさせていた。となればこの、見渡す限りに湿地と湖沼が広がる場所にあっては、地に満ちる水はほぼ凍りつき、冷え切った空気が氷のように人々の頬を切り裂くような寒さになるのは、当然だ。
 そんな中でも、松浪・心語(まつなみ・しんご)がやるべき事は変わらない。

「――どうだ?」
「今のところ動きはない」

 定時で見回りに来た兵の問いに、冷たく凍りつく空気の向こうに目を凝らしたまま、心語はそう答えた。それに「そうか」と大して感情も見せぬまま、兵は次の場所へと向かって、同じように問いかけている。
 それはいつも通りの、幾度となく繰り返されたやり取り。――ここ半月ばかり、この最前線ではずっと、膠着状態が続いているのだから。
 瑞穂国では今、国を二分する大きな戦に明け暮れていた。『中つ国』最大の国の戦だ、そう容易く決着がつく訳もなく、戦況は一進一退を繰り返し。
 戦いが長引くに連れて、当然ながら国も民も疲弊する。戦は働き手を少なからず奪い、土地を荒れさせるものだ。そうなると、戦線への補給も滞り、食糧事情が悪化するのはむしろ当たり前の事だった。
 ましてこの冬は滅多にない寒波が訪れ、この最前線までは満足に食糧が届かない事も多い。だが、敵と睨み合っている以上は動く事も出来ず、兵士達のストレスは溜まる一方で。
 無意識に腹を撫で、心語は湖ほどもある湿地帯の向こう側を睨み据えた。そこには心語たち来た軍と敵対する、南軍の陣が在って、やはり同じように寒さに凍えているはずだ――食糧事情まではどうだか知らないが。
 とはいえ同じ瑞穂国内でのこと、そう変わりはしないだろう。そう考える事だけがこの頃の、北軍の兵士達の飢えへの不満をやり過ごす術だった。――そのぐらいしか、術がなかった。
 いったい、この戦はいつまで続くのか‥‥そんな不安はもしかすると、戦の飛び火を恐れる民よりも、前線の兵士達の方が大きかっただろう。だが逃げ出す事が出来ないという圧力が、今の所はまだ、彼らのそんな不安を押さえつけていた。





 夕暮れ時ともなれば、水辺は一気に気温が下がる。ましてこの戦時下では、『炎帝国』北部の山岳地帯と並んで、移動及び戦闘の難所として兵士から嫌われている湖沼地帯だ、その寒さたるや半端なものではない。
 はぁ、白い息をかじかむ手に吹きかけて、僅かなりと暖を取ろうと、心語は両手を擦り合わせた。その動作を何度も無意識に、定期的に繰り返しながら、幾度かの休憩を挟んで湿地帯の向こうを見つめ続ける。
 この寒さでは、冷え切った手を擦り合わせた所で殆ど、暖など取れはしなかった。それはもう半月もここで過ごしていれば良く解っているのだが、もはや習い性のようなものでもあるし。
 いざという時を思えば備えておかなければなるまいと、思う。――膠着しているとはいえ、戦争中なのだ。たとえば今、南軍が仕掛けてきたとして、武器を取れなければ何の為の傭兵か、それこそ意味が解らなくなってしまう。
 だから、繰り返し。武器を取るのに不都合のない程度に、時には衣類の懐に手を差し入れて――

「‥‥‥ッ!?」

 もう自分でも幾度目になるのか解らない、その動作の中でふいに心語は奇妙な気配を感じて、ぴくり、肩を震わせ息を呑んだ。素早く懐から手を抜き出して、背中の愛剣の重みを感じながら辺りを見回し、その正体を確かめようとする。
 何とも、言い様のない『気』だった。夕暮に沈みつつある湿地帯を瞬時に染めた、恐ろしく不穏で、捕らえどころのない『気』――
 だがすぐに心語はその『気』の正体を探る事を諦めて、大きく息を吸い込んだ。――それは咄嗟の、勘のような選択。

「敵襲―――‥‥ッ!!!」

 そうして声を限りにそう叫ぶと、心語はすぐさま辺りを見回す余裕もなく、一番身を隠すのに良さそうだと日頃から目をつけていた、泥の浅瀬に躊躇なく身を投じた。泥、と言っても濁った水とほぼ同義の浅瀬は、すぐさま心語の小柄な身体を飲み込み、全身を泥で覆いつくす。
 ずぶり、あちこちから鎧の下、衣類の中へと侵入した冷たい泥が、心語の体温を容赦なく奪っていった。ただでさえ寒さの厳しい日々が続いている、しかも夕暮れ時ともなれば全身に絡みつく泥はいっそ、凍っていないのが不思議なほどの冷たさだったが、自分の判断を信じて静かに、泥の中に沈みこむよう努める。
 この不穏な気配の正体は今だ解らなかったものの、間違いなく南軍の連中が何かを仕掛けてきたのだろう、ということだけは確信していた。そうして、それらを迎え討つよりも戦いを避けるべきと、判断したのはただの直感で。
 ――けれどもそれが、心語と他の者の命運を分けた。それを心語は、泥の中に沈み、生い茂る葦に身を隠したままで、知った。

 ドー‥‥ンッ!
 ヒュッ、ヒュヒュ‥‥ッ!!

「な、何だ‥‥ッ!?」
「て、敵襲‥‥? 敵襲だ‥‥ッ! 南軍め、魔法を仕掛けて来やがった‥‥ッ!」
「盾を構えろ―――ッ! 矢が来るぞ―――ッ!」

 泥と葦に閉ざされた視界の中で、激しい物音と、それから状況を把握しようとする味方の、けれども混乱し、狼狽し切った声が耳に届く。同時に弓矢が空気を切り裂く音が響き、魔法によって引き起こされたらしい爆発音が、あちらこちらで立て続けに空気と泥を震わせる。
 葦を踏み荒らし、泥を蹴散らして走る音が、思いの外すぐそばで起こった。見つかりはしないかと、ひやりとして手足をぎゅっと身体に引き寄せ、出来る限り体温を奪われないように努めながら、心語はじっと耳を済ませて、状況を判断しようと試みる。
 怒号とも、奇声ともつかない声は敵のものも味方のものも入り混じって、どちらと判断はつかなかった。だが、どの声も狂気がかり、切羽詰っていて、必死な様子なのは伺える。

(あちらもやはり、同じ状況だったのか)

 それらを聞きながら、心語はそう胸の中で考えた。この凍てつくような寒さに加えて、食糧難。その膠着状態に、耐え切れなくなったあちら側がついに、現状打破を狙って奇襲攻撃を仕掛けてきた――といった所だろう。
 聞こえてくる戦乱の音に耳を澄ませながら、そう、状況を分析する。その間にも心語の隠れている葦の群れの辺りまで戦いは広がり、すぐ側を敵や味方が駆け抜けるのに、ヒヤヒヤする。
 だがそれでもひたすら動かず、じっと泥に潜ったままで居るとやがて、戦いの音はまばらになっていった。やがてそれすらも聞こえなくなり、辺りにはむせ返るような血の匂いと、何かが焦げたような匂いだけが立ち込める。
 どうやら戦いは、終結したらしかった。十分に辺りの気配を探り、近くに動くモノの気配がない事を確かめてから、心語はそうっと、そうっと首を伸ばして、葦の影から辺りを窺い。

(――負けたか)

 遠くに垣間見える、南軍の鎧を身に着けた兵士達の姿にそれを、悟る。――元より、あの不穏な『気』を感じるまで南軍の接近を察知出来なかった時点で、北軍に勝ち目はなかったと言えた。
 湿原には目を凝らせば、動かなくなった北軍の兵士の骸や、やがてそうなるに違いない兵士達がガラクタのように転がっている。満足に動けるのはどうやら、心語1人だけらしい。
 となれば今から彼らを助けて回るのは無駄だと、心語は判断して更に視線を巡らせ、敵に気付かれずに近づける位置にある味方の骸を探した。そうして泥の浅瀬を静かに泳ぎ、無傷の弓と矢筒を奪う。
 自分という生き残りが居るという事は、南軍には気付かれていないはずだった。けれども万が一の事を警戒してだろう、敵はぐるりと周りを包囲したまま、当分移動する気配を見せない。

(だが勝機はある)

 口中だけで呟き、心語は矢筒の中身を確かめ、顔を顰めた。音を聞いていただけでも判る激戦の後だ、予想はしていたけれども、思っていた以上に矢の残りが少ない。
 とはいえ更に辺りを見回してみても、他の矢を確保するのは難しそうだった。次に近い骸を見ても、どうやったって南軍の警戒網に引っかからずには動けそうにない。
 だが――数は少ない。奇襲ゆえに北軍に察知されるのを恐れたのか、それとも元よりあちらの陣営から割ける兵士が少なかったのか、或いはその両方の理由だろうが、今、心語の視界に映っているのはごく少数の射撃兵と魔法兵のみだ。
 だからこそ、突破の可能性はゼロじゃない。やりようによっては十分、心語が生き残れる目は残っている。

(とはいえ、どうするか――)

 背中の愛剣の重みを確かめながら、心語はじっと泥の中に潜んだまま、敵を観察しながら思案した。葦の影からは未だに、奇襲の興奮冷めやらぬ様子で辺りを警戒している敵が見える。
 残り少ない矢と、背中の愛剣で、この包囲網を単身、どう突破するか。どう動き、どこに矢を撃ち込み、剣を振るえば突破する事が出来るか。
 静かに、幾通りもの思案を重ねる心語の上に、はらはらと白い雪が舞い落ちてきた。湿地帯を渡る風がひゅぅ、と音を鳴らして通り過ぎ、葦をざわざわと震わせる。
 この様子では、今宵は吹雪になるかもしれない。この刻限から降り始めた雪ならば、そうそうの事では止みはしない――日頃ならば吹雪になれば視界が効かず、体温も急速に奪われるから難儀するが、この状況を打破するには十分な一助となりそうだ。
 ざわり、全身の血が沸き立った。荒れ狂う吹雪が、まるで目の前に現れたかのように鮮やかに思い浮かび、ふつふつと闘志が腹の底から湧き上がってくる。
 知らず心語の口の端が、楽しそうに吊り上った。それと自覚して心語は、今度は心底楽しくなってきて、にッ、と凶暴な笑みを浮かべる。
 圧倒的不利の中、そうして心語は沸き立つ血に突き動かされるままに、泥の中をゆっくりと移動し始めたのだった。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /  PC名  / 性別 /  年齢  / 職業  】
 3434   / 松浪・心語 / 男  / 13(23) / 異界職

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
また体調へのお気遣い、重ねてありがとうございます、この頃は冷房さんと扇風機さんのお世話にならない日はございません(ぁぁ

息子さんのかつての世界での物語、如何でしたでしょうか。
こちらこそ、いつも本当にお世話になりまして、ありがとうございます。
そしてたびたびお待たせしてしまいまして、本当に申し訳ございません‥‥(土下座
息子さんはこんな風に動かれるのかなぁ、と想像しながら書かせて頂きましたが、イメージとかけ離れておりましたら本当に申し訳なく‥‥その、いつでもリテイク下さいませ、ね‥‥(どきどき

息子さんのイメージ通りの、起死回生の一手を打つべく、不適に戦いに挑むノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と