<東京怪談ノベル(シングル)>


闘神の都


「おうりゃ!」
 気合いと共に、ガイ・ファングは拳を叩き込んだ。
 筋骨隆々たる巨体、その全体重を、上手く右拳に乗せる事が出来た。
 戦斧を振りかざしたオーガーが1体、醜い顔面を拳の形に凹ませながら吹っ飛んで行く。
 そして、空を飛ぶワイバーンの1体と激突した。
 魔物2体が、重なり合って落下する。
 そこへ向かって、ガイは踏み込み、跳躍した。巨体が、重力を強引に振り切って、空中へと突進する。
 空中で、ガイの全身の『気』の力が、左足へと集中して行く。
 重なり合うオーガーとワイバーンに、光り輝く左足が突き刺さった。
 必殺・巨人の蹴り。魔物2体が、まるで花火のように砕け散った。
 地響きを立てて着地しつつ、ガイは周囲を見回した。
 軍神の寺院を中心とする、辺境の町。そこへ、またしても魔物たちが攻め寄せて来たのだ。
 寺院の僧兵団が、傭兵たちと共に、この襲撃を迎え撃っているところである。
 鎖付きの巨大な鉄球を振り回し、オークの群れを粉砕している僧兵がいる。
 目にも留まらぬ居合い斬りで、骸骨剣士数体を切り刻んでいる傭兵もいる。
 自分の戦いぶりだけが際立っているわけではない事を、ガイは実感せざるを得なかった。
「やれやれ……強え奴なんてのぁ、いくらでもいるなあ」
 彼らとも戦ってみたい、という気持ちはある。
 だが今は、協力して魔物の軍勢を退ける時だ。
 虚空を殴る感じに、ガイは左拳を突き出した。
 その拳から『気』の力が放たれ、僧兵たちに、傭兵たちに、叩き込まれる。
 彼らの身体が、黄色い光に包まれた。形なき鎧のような、気の輝き。
 それが、トロールの棍棒を、マンティコアの牙と毒針を、弾き返す。
 守りの波動。
 それによって守られた僧兵団・傭兵団が、怯む魔物たちを片っ端から討ち取ってゆく。
 勝敗は決したか、と思いかけたガイの肩を、何者かが叩いた。
「ガイ殿、油断なきように……来ますよ、背後から」
 上背はさほどないが筋肉の分厚い、年配の僧兵。寺院の、大僧正である。
 彼の言葉が終わらぬうちに、光の魔法陣が生じた。こちらの軍勢の、背後にだ。
 その魔法陣から、何体ものデーモンが出現し、禍々しい言葉を喚き立てる。
 呪文。攻撃魔法だった。
 火の玉が、稲妻が、大量に発生し発射される。
 それらが僧兵たちに、傭兵たちに、降り注ぐ……寸前。ガイは踏み込み、右手を突き出した。拳ではなく、掌。
 分厚い掌から気力が放出され、僧兵たち傭兵たちを緑色の光で包み込む。
 黄色と緑、2色の光をまとう彼らを、デーモンたちの攻撃魔法が直撃する。
 火の玉が、稲妻が、砕け散った。僧兵たちも傭兵たちも、全くの無傷だ。
 退魔の波動。これを受けた者は、魔法に対する抵抗力を一時的・飛躍的に向上させ、あらゆる攻撃魔法を弾き返す。守りの波動と併用すれば、このように鉄壁の守りをもたらす事が出来るのだ。
 欠点は2つ。その1つは、まず気力の消耗。
 ガイは軽く頭を押さえ、よろめき、どうにか踏みとどまった。
 守りの波動も退魔の波動も、効果が無限に持続するわけではない。戦いは、まだまだ続く。
 消耗した気力は、回復しておく必要がある。
 ガイは目を閉じ、強靭な腹筋を凹ませ、暴風のような呼吸音を発した。
 特殊な呼吸法による、気力の回復。だが、それを行っている間は無防備に等しい。
「ぐっ……!」
 ガイは回復を中断し、かわそうとした。が、僅かに遅い。
 熱い痛みが、背中を斜めに走り抜けた。
 リザードマンの1体がガイの背後に回り、大型の剣を振り下ろしていた。
 後頭部と首筋は、辛うじて守った。が、背中を叩き斬られていた。強固な背筋に、一筋の裂傷が走る。幸い、背骨に達する傷ではない。
 振り向きながら、ガイは右足を叩き込んだ。蹴りを喰らったリザードマンが、原型を失い、吹っ飛んで行く。
 蹴り終えた右足を着地させようとしたガイに、火の玉が、稲妻が、降り注ぎ激突した。
 火傷と感電、二種類の激痛が全身を襲う。悲鳴を噛み殺しながら、ガイは片膝をついた。
 2つ目の欠点が、これだ。守りの波動も退魔の波動も、ガイ本人には全く効果をもたらさないのである。
「まったく……貴方は、他人の事を気遣い過ぎる」
 言葉と共に、ガイの身体から痛みが失せてゆく。
 大僧正が、こちらに向かって左手をかざしていた。神に仕える者の、癒しの力。
 それを行使しながら大僧正が、右手に握った双節棍を振るう。襲いかかって来たマンティコアが1匹、砕けて散った。
「己を守ろうという気がないから、己を守る術が身に付かない。違いますか?」
「ど、どうですかね」
 ガイは苦笑した。
 2色の光をまとう傭兵たち僧兵たちが、いつの間にか周囲で円陣を組み、ガイを守っている。
「1人で頑張り過ぎる事ぁねえぜ、ガイの旦那!」
「そうとも、ここは我らに任せてもらおう」
「その代わり、この守りの光が途切れないように頼むよ!」
 傭兵団の槍や剣が、僧兵団の鉄球や節棍が、群がる魔物たちをことごとく討伐してゆく。
「だよな……俺ぁ、1人で戦ってるわけじゃねえ……」
 自分は今まで、1人で出来るような戦いばかりを経験し、それで強くなったような気分に浸っていたのだ。
 それを思い知りながらガイは、呼吸による気力回復に専念した。
 無防備にはなるが、仲間たちが守ってくれる。


「ぬぐうぅっ……!」
 悲鳴に近い声を、ガイは発していた。
 たくましい手足が、未体験の角度まで容赦なく折り曲げられる。関節が、ばきばきと凄惨な音を発する。
 堅く強固な筋肉が、容赦ない指圧で揉みほぐされている。
「疲労が蓄積しておりますな。今まで余程、無茶な戦い方をしてこられたのでしょう」
 小言を言いながら大僧正が、ガイの巨体を折り曲げ、ほぐし続けた。
 戦い済んだ、夜の野営地である。
「ほらほら、どうしたガイの兄貴! 痛かったら泣いてもいいんだぜ?」
「大僧正様のマッサージは格別効くからなあ。あんたのと同じくらいなあ」
 昨夜、ガイの容赦ない治療を受けた傭兵たち僧兵たちが、楽しそうに囃し立てている。
「貴方の筋肉は、本当に素晴らしい……ただ、いささか柔軟さが足りないようです」
 鉄のような指先を、ガイの分厚い三角筋に食い込ませながら、大僧正が言う。
「筋肉は、堅ければ良いというものでもないのですよ」
「わ、わかっちゃいる、つもりなんですけどね……うがががががっ!」
 激痛が、体内でバキバキと鳴った。
 蓄積していた筋肉疲労が、全身で掻き回されて熱を持っている。
 その激痛と熱の下で、しかし活力が覚醒しつつある。
「きっちり治したって下さいよ大僧正様。ガイの旦那にゃ、まだまだ活躍してもらわにゃいけませんからね」
「いやあ、ガイさんのおかげで俺ら今日も生きてられましたよ」
「俺なんか……大した事ぁ、してねえさ……」
 激痛に耐えながら、ガイは無理矢理に微笑んだ。
「1人の力じゃ、何にも出来やしねえ。今日勝てたのは、あんたら全員の力だよ」
「奥ゆかしいのは美徳ですが、今少し御自分を大切になさいますように……うむ、このような所にも疲労が溜まっております」
「うおおおおおおおッッ!」
 ガイの悲鳴が、傭兵たち僧兵たちの笑い声が、野営地に響き渡った。


 後年、この町は辺境最大の都市として、大いに発展する事となった。
 その発展の黎明期に、魔物の襲撃から町を守り抜いた勇士たちの名が、軍神寺院の石碑には刻み込まれている。
 その筆頭に、風来坊ガイ・ファングの名はあった。