<東京怪談ノベル(シングル)>


闘神の道


 鏡を見ている。ガイは一瞬、そう思った。
 自分よりも、いくらか小柄な男ではある。だがガッシリと固まり引き締まった筋肉の密度は、もしかしたら自分よりも上ではないのか、とガイは感じた。そんな身体に、軽めの甲冑をまとっている。
 頭はつるりと禿げ上がり、耳は片方、削ぎ落とされていた。顔つきは、凶悪そのものだ。
 両手には2本の剣。左右共に長さはないが、分厚く鋭い。短めの剣と言うより、大型の短剣と呼ぶべき刀身である。
 この山には、魔物も棲息している。
 普通に歩くだけで大抵の魔物は道を空けるだろう、と思われる男が、いきなり眼前に現れたのだ。ガイの寝泊まりしている洞窟に、歩み入って来たのである。
 姿形はいくらか違っても、自分と同じ類の男だ。ガイはそう思った。やはり、鏡を見ているような気分だった。
 片耳の男が、ニヤリと凶暴に牙を剥いた。
 言葉はない。
 会話など必要なかった。この男が何者なのか、何用あってガイの面前に姿を現したのかは、語られるまでもなく明らかである。
 賞金稼ぎ。
 今やガイに懸けられた賞金は、傷1つで金貨1枚と言われるほどに高騰しているのだ。
 言葉もなく、襲撃が来た。ガイよりも小柄ながら筋骨たくましい身体が、猛牛の如く駆け出していた。
 光が2つ。辛うじて、ガイは視認した。左右2本の剣が、一閃していた。
 片方は首筋を、片方は心臓を、正確に狙っている。
 見て回避出来るような、生易しい攻撃ではない。受けるしかない、とガイは覚悟を決めた。
 衝撃が、激痛が、右腕と左胸にズンッ……と埋め込まれて来る。
 鉈のような、大型の短剣2本。その片方を、ガイは右前腕で受けていた。分厚い刃が筋肉の塊を切り裂き、骨に激突している。
 もう片方の刃は、左の胸板に突き刺さっていた。
 鋼のような大胸筋が、その切っ先を傷口でガッチリとくわえ込み、心臓への到達を辛うじて妨げている。
 片耳の男が、驚愕の表情を浮かべる。ガイは間近からニヤリと微笑みかけた。
「惜しかったな……心臓まで、あとちょっとだぜ」
 言葉と共に、左拳を叩き込む。相手の、凶悪な顔面にだ。
 片耳の男が、よろめいた。
 間髪入れず、ガイは右足を離陸させた。その右足に、気の力が集中して行く。
「気功……乱舞脚!」
 片耳の男の全身に、ガイの足跡が無数、刻印された。
 踏み潰されたような様を晒しながら、片耳の男は吹っ飛び、岩肌に激突し、動かなくなった。
 踏み砕かれた口元が、辛うじて言葉を発する。
「俺の死体……持って行きな……金になるぜえ……」
「……何だ、おめえも賞金首か」
 賞金稼ぎにして、賞金首。やはりガイと同じだ。
 鏡を叩き割るような戦いでしかなかったのではないか、とガイは思った。
「殺して……殺して殺して殺しまくって、最後はぶっ殺される……最高の生き方だよなあ、兄弟……」
 潰れた顔面でそう笑いながら、片耳の男は息絶えた。


「おいおい、あの片耳をぶっ倒しちまったのかい」
 飯屋の店主が、驚いている。
 出された物をガツガツとかき込みながら、ガイは言った。
「どえらい賞金が出たぜ。あの野郎、かなりの大物だったみてえだな」
 焦げ茶色のシチュー、のようなものを米飯にかけて食らう。そんな料理である。
 獣肉と各種野菜が柔らかく煮込まれ、程よく辛味がついている。シチュー、とはいくらか違うようだ。
「片耳の悪魔。この辺りじゃ、知らない奴はいないよ。とんでもねえ人殺しさ……あいつがいなくなりゃあ、安心して商売が出来るってもんだ。いやあ、お客さんのおかげだよ」
「別に人助けをやったつもりはねえが……それより親父、これ美味えな」
「東の方の、ちょいと暑い国の料理でね。いろんな種類のスパイスをいい感じに混ぜ合わせると、その味と香りになるのさ。もう1杯どうだい、お客さん」
「いいね、大盛りで頼むぜ」
 戦いの後は、飯が美味い。いつもの事だ。
 あの洞窟がある山の、ふもとの町である。
 申し分のない町だ、とガイは思った。賞金が受け取れる窓口もある。それに、美味い飯屋が何軒もある。
(戦って、飯を食う……俺って奴ぁ、それしかねえんだなあ)
 洞窟での戦いで受けた傷は、激痛にのたうち回りながら気の力で治療した。
 右腕で、胸板で、激痛の余韻のようなものが、まだ微かに疼いている。
 痛くても、戦えば腹が減る。だから飯を食う。そしてまた戦う。
 何年、それを繰り返してきたのだろう。これから何年、繰り返してゆく事になるのだろうか。
 その繰り返しの果てに、自分はどこへ行き着くのか。
 ガイは思う。無惨に蹴り潰された、片耳の男。あれこそが、この道の先にある自分の姿ではないのか。
「……上等」
 ガイは牙を剥き、焦げ茶色のものがかかった大盛り飯をひたすら食らった。


 山中の洞窟と、ふもとの町との往来は、普通の人間ならば命懸けの登山となる。だがガイの足ならば、ちょっとした山道の上り下りにしかならない。
 このところ、実戦相手が向こうから来てくれる日々が続いている。
 しばらくは、この山を拠点に修行をするのも悪くはない。ここなら、いくらか派手な戦いをしても、誰かを巻き込む事はない。
 洞窟に射し込む朝日を浴びながら、ガイは力強い両腕を組み、思い出していた。
 とある霊山で、気の力を用いる戦いをガイに教えてくれた、師匠の言葉である。
 何のために戦うのか……なんて類の悩み事が出て来ちまったらな、とにかく戦え。戦ってりゃ、そのうちわかる。言葉じゃねえもんで、何となくわかっちまうもんだ。生きてりゃな。
「……別に、わからなくたっていいじゃねえか。なあ」
 ガイは言った。この場にいない師匠に対してか、あるいは先日この場で仕留めた、片耳の男に対してか。
 最高の生き方だよなあ、兄弟。あの男は、そう言い遺した。
 血まみれの生き方をしてきた男だったのだろう。
 自分はどうか、とガイは考えてみた。
 考えるほどの生き方など、していない。戦って、美味いものを食らう。戦って、勝ち続ける。いつかは敗れて命を落とし、誰かの賞金となる。それだけだ。
「それでいいじゃねえか……俺は、それでいい」
 ガイは目を開き、立ち上がった。
 不穏な気配が、洞窟を取り囲んでいる。
 生きる目的や戦う理由など、考えている余裕のない日々が、これからも続きそうだった。