<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


〜君の思いは湯煙の中にあり〜


 年も押し迫った、大晦日の数日前のその日、手元に届いたとても稀有なものをまじまじと見つめ、松浪静四郎(まつなみ・せいしろう)は目を細めてつぶやいた。
「向こうからのお誘いとは…どうしたのでしょうね、いったい」
 普段、自分から積極的に私的な外出をあまり申し出ない義弟・松浪心語(まつなみ・しんご)からの手紙は、もう何年も受け取ったことがなかった。
 そもそも手紙を書くという行為自体、彼はほとんどしないのだ。
 松浪家にいた頃、静四郎が心語の将来を慮って、いろいろと教育の手配をしたおかげで、心語は戦飼族にしてはめずらしくきちんとした文字が書けるのだが、その後彼が歩んだ道のりを考えると、手紙を書くなどという悠長なことをしている暇などなかったのだろうと思われた。
 だから、こうして心語が、その頃受けた教育の一端を今も忘れることなく、きちんと身につけていることを見せてくれると、静四郎はどことなく誇らしく、安心したような気持ちになるのだった。
 短く、ある意味素っ気ない文面を、何度も何度もていねいに読み返してから、静四郎は明日からの数日間の予定を思い返す。
 それから立ち上がり、紙と羽ペン、インク壷を持って来ると、流れるようなきれいな字で、返事を書き始めた。
 
 
 
「骨休め、ねぇ…」
 年末年始くらい、さすがに貧乏な生活をしたくないと思ったフガク(ふがく)は、このひと月、ギルドからだけでなく、個人的な依頼も含めてかなりの数をこなし、少し――ほんの少しだが、懐が温かった。
 そしてようやく今日、一息つくことができたのだが、宿に着いたとたん、一階の食堂にいた女将に呼びとめられ、この手紙を受け取った。
「俺に手紙?! 何かの間違いじゃないの?!」
「アンタあてだよ、ほら、そう書いてあるじゃないか」
 女将は豪快に笑って、フガクにそれを押し付けた。
 フガクにしてみれば、手紙なんてくれるような相手はひとりくらいしか思いつかなかったが(何しろ、文字をちゃんと書ける人間は上流階級の人間に限られるのだ)、このタイミングで送ってくれるような心当たりはまったくない。
 半信半疑で自分の部屋に上がり、荷物をベッドに放り投げてから手紙を開く。
「え…あいつ、字、書けたのかよ…」
 ざっと読み終えてから、フガクはびっくりしたような顔で最後に記された署名をながめた。
 村を出てひとりで生計を立てるとなると、さすがに公用語くらいは読めないと駄目だからと、読むことに関してはフガクもある程度できるようになっている。
 しかし残念ながら、書く方はそんなに得意ではなかった。
 だから、長く借りているこの部屋にも、筆記用具などというものは存在しないし、これからも購入する予定はない。
 うーん、とうなってから、フガクはまた下に降りて行った。
「女将、悪いんだけどさ、なんか書くもの、貸してくんない?」
「書くものって、ペンとインクでいいのかい?」
「それと、切れっぱしでいいからさ、紙もよろしく」
 長々と返事を書く必要はないのだ。
 一言、いつが空いているかだけ書いて、エバクトまで行く行商人に預ければいい。
 フガクは女将がくれた紙に、日にちをいくつかと自分の名前を書き入れて折り、簡単に封をした。
「あー仕事しといてよかった」
 いつもなら、年末にこんな贅沢などできる金銭的余裕はないのだが、今年はちょっとちがう。
 この寒い時期にハルフ村に行けるなんて、しかもあの心語からの誘いだなんて、天からの贈り物以外の何物でもない。
 実に満ち足りた気分になりながら、フガクは女将に向かって、「エールとシチュー!」と笑顔で注文を投げたのだった。
 
 
 
 吐く息が白くなるほど寒い午後、静四郎は乗合馬車から降りて、ハルフ村の入り口に立った。
 同乗者たちは楽しげな会話をかわしながら、村の奥へと向かっていく。
 温泉日和と言ってもいいくらいの晴天だったが、気温はこの季節らしく、とても低い。
 マントにマフラーという出で立ちで、静四郎も彼らに続いて村の中へ入って行った。
 年末だから、白山羊亭の仕事も立て込んでいたのだが、日々の頑張りに対する報酬だということで、心語が指定してきた日にきちんと休みが取れた。
 約束の時間よりだいぶ早めに到着した静四郎は、一足先に心語が予約を入れたという露天風呂へ行く。
 次の乗合馬車の到着時刻は四半刻後だ、心語は遅刻はしないから、来るならきっとその馬車でだろう。
 静四郎は人でごった返す待合室を横目に見て、先に露天風呂に入っていることにした。
 ただ、入るときに受付に一言言伝をし、心語が自分を探さなくても済むようにする。
 ここの露天風呂の湯はとてもなめらかで、白く濁っていた。
 近くに立てられていた案内板には、「疲労回復、美肌効果」と書かれている。
 湯あたりを楽しみながら心語を待っていた静四郎のすぐ近く、頭上から不意に「邪魔するよ」という声が降って来た。
 その声に聴き覚えがあった静四郎は、もくもくと煙る湯気を透かして相手を見上げた。
「あっ…」
 小さな声をあげた静四郎と、思わず目をまるくしているフガクとが顔を見合わせた。
 しばらく固まっていたふたりだったが、先に我に返ったフガクが、「どうしてここに?」と声をしぼり出した。
 静四郎はまだ少し緊張した面持ちで、目を伏せたまま、こう答えた。
「…心語から手紙が…」
 一瞬、口をあんぐりと開けて、あっけに取られたフガクだったが、すぐに額に片手をやって大笑いし始めた。
「あっはっは、またやられた! あの野郎、どうしても俺たちを仲直りさせたいんだな…!」
「では、あなたも?」
「ああ。ハロウィンのこともあるから、もしやとは思ったけど…俺たちは揃ってあいつに甘いな」
 湯に浸かりながら、フガクははっきりとした苦笑いを浮かべた。
 それを見て、静四郎はあることを思い出し、言った。
「ええ、考えてみれば、あの子は温泉が苦手だったはずですし…」
「そうなのか? 初耳だな、そりゃ。俺はてっきり、いさながここの温泉が大好きで、どうしてもここに来させたいんだと思ってた」
「手紙にはそんなふうに書いてあったのですか?」
「ああ、なんか『どうしても来てくれ』ってさ」
 静四郎は心語の心情を推察しながらも、ふふ、と小さく笑ってフガクに告げた。
「実は、以前にもここに来たことがあったのですが…」
 初めてこのハルフ村にふたりで来たときのことを、静四郎は身振り手振りを交えてフガクに説明した。
 心語が温泉のにおいに盛大に顔をしかめたこと、服を脱いで大勢の人と湯に入ることにずっと警戒心をあらわにしていたことなど、心語らしいと言えば心語らしい行為の数々に、フガクは腹をかかえて笑っていた。
 その屈託のない笑顔を見ているうちに、静四郎の心の中から、緊張感と、わだかまりの最後のかけらが、温泉の白い湯の中に溶け出ていくような気持ちになっていた。
 それはフガクも同じだったようだ。
 以前感じたような、鋭い刃のような痛みと激しさを伴う声色が、彼の相づちからすっかり消えてしまっていた。
(心語はこれを狙っていたのかもしれませんね…)
 ハロウィンのとき、既に静四郎とフガクの間の壁は崩れかけていた。
 あとたった一突き、小さな衝撃さえあれば、その壁は完全に壊れて、なくなる――そう気付いたからこそ、こんな、彼にとっては苦手にちがいない「小細工を弄する」ような真似をして、自分たちを強引に引き合わせたのだろう。
 そのときだった。
「だ、大丈夫か、坊主?!」
「おーい、誰か! 誰か来てくれ!」
 近くにある別の露天風呂から、大きな叫び声とざわめきが聞こえてきた。
「何だ?」
 フガクが湯から立ち上がり、湯煙の向こうを見晴るかす。
 店の人間が中と露天風呂とをつなぐ表戸から手ぬぐいを持って走り寄っていく。
 その足元に、小さな人影が倒れているのが見えた。
「あ、あれ、は…!」
「お、おい、冗談だろ…!」
 静四郎とフガクは血相を変えて風呂から飛び出した。
 あわててその人影に駆け寄り、助け起こすと、さっき助けを呼んだ男が「アンタたち、この子の知り合いか?!」と声をかけて来た。
 中に運びながら、周りの人たちから事情を聞くと、どうやらこの人影――心語は、ずっとちがう露天風呂の岩陰から、こちらの様子をうかがっていたようだった。
 ずいぶんと長い間湯の中にいたらしく、全身が真っ赤になっていたが、あるとき笑顔になって立ち上がり、湯から出たところで、突然めまいを起こして倒れた、ということだった。
 あきれるふたりの目の前で、心語は目を回したまま、のぼせてぐったりとしていた。
 ――後になって本人から聞いた話では、心語は彼らよりも半刻も早く風呂に入って二人を待ちかまえ、ふたりが仲直りしたと確信したところで先回りして風呂を出て、外で出迎えようと思ったら倒れてしまったらしい。
 しかしそれは、また後日の話、そのときの静四郎とフガクは「心語の介抱」という共同作業を、あたふたしながらやり遂げたのだった。


〜END〜

〜ライターより〜

 あけましておめでとうございます。
 ライターの藤沢麗です。
 今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 やっと…この日が…!
 心語さんもきっと万感の思い…のはずですが…、
 ちょっと思惑が外れてしまったようですね…。^^;
 ですが、これで静四郎さんとフガクさんの気持ちも、
 落ち着いたことかと思います。
 よかったよかった…めでたし、ですね!

 それでは近い将来、
 またこのお三方の仲睦まじい冒険譚を綴る機会がありましたら、
 とても光栄です!

 このたびはご依頼、本当にありがとうございました!