<東京怪談ノベル(シングル)>


野生の闘神


 野生動物が全速力で山林を駆け回ると、人の目ではまず追えなくなる。
 だからガイ・ファングは目を閉じていた。
 視覚以外の、全ての感覚を研ぎ澄ませた。
 僅かな風の揺らぎを、皮膚で感じ取った。木の葉の舞い落ちる音すら、聞き逃すまいとした。
 そうしながら、体内で気力を練り上げ、右手へと集中させてゆく。
 分厚い右掌が、ぼぉっ……と淡く白く輝き始める。
 荒々しく山林の中を駆ける気配を、ガイは微かに、だが確かに感じ取った。
「……そこかい!」
 太く力強い五指に囲まれた掌が、白く燃え上がるように輝きを強めた。
 その光が球形に固まり、ガイの右手が白い光球を掴んでいる形となった。
 大木のような左足が跳ね上がり、振り下ろされる。
 山そのものを揺るがす踏み込みと共に、ガイの巨大な上半身が前傾し、右の剛腕が唸りを発して弧を描き、光球を手放した。
 投擲。
 白い光球が、宙を削り取るかの如く弧形の軌跡を残しながら、山林のどこかへと吸い込まれて行く。
 ガイから見て、左後方の辺りである。
 まっすぐ前方へと投げられた光の球が、そんな方向へと消えて行ったのである。
 結果、どうなったのかは、まだわからない。
 だが確かな直撃の手応えのようなものを、ガイは感じていた。
 目を開き、呟く。
「完成したぜ……気功追尾弾」


 山林の中で、猪が1頭、全身の骨を砕かれて絶命していた。
 光球の直撃を、喰らったのだ。
 気功追尾弾。その名の通り標的を、正確に追尾して粉砕する。
 その標的の気配を、ガイ自身が把握していなければならない。闇雲に放っただけで敵を仕留められるほど、便利な技ではないのだ。
「いただくぜ」
 ガイは1度だけ片掌を立ててから、猪を木に吊るして手早く血を抜き、解体した。
 そして大雑把な切り身と化した猪を、大袋に詰め込む。
 肉は、時間をかけて燻製にする。腐りやすい臓物は、今この場で食べてしまうしかない。
 栄養の塊である肝臓をむしゃむしゃと平らげた後、ガイは心臓をリンゴのようにかじりながら大袋を担ぎ、のしのしと歩き出した。
 仮の住居である洞窟が視界に入ったところで、ガイは足を止めた。客が、待ち構えていたからだ。
 何体もの狼が、牙を剥いている。
 野生の狼ではない。全て、作り物である。
 土塊を狼の形に練り上げ、疑似生命を宿らせたもの……ゴーレムであった。
「お食事中、失礼しますよ。ガイ・ファング殿」
 狼型の、ゴーレムの群れ。その製造者・統率者と思われる男が、慇懃無礼そのものの口調で挨拶をした。
 黒いローブに身を包んだ、見ただけでわかる黒魔術師。猪の心臓をかじりながら歩いて来たガイに、フードの下から侮蔑の眼差しを向けている。
「こんな野良犬のような蛮人が、闇社会屈指の賞金首とは……美味しい時代になったものです」
「……食うかい?」
 担いだ大袋を地面に下ろしながらガイは、かじりかけのリンゴのようになった心臓を軽く掲げて見せた。
 黒魔術師が、鼻で笑った。
「私は今から貴方を始末し、その賞金で、王侯貴族並の晩餐を堪能するのですよ。さあ死になさい野人」
 黒魔術師が、杖を振るう。
 虚空から、もう1体、敵が出現した。
 道化師の装束をまとう小男。ガイの太い首すら一閃で両断出来そうな、巨大な鎌を携えている。
 そんな姿の魔物が、着地しながら跳躍した。
 道化師のような死神のようなその姿が、ふわりと増殖した。20体近くは、いるであろうか。
 残像である。
 それら残像が、ふわふわと跳躍・疾駆しながら大鎌を構え、ガイの首を狙っている。
 本体は1つ、ガイの首筋に食い込んで来るであろう鎌は1本だけだ。
 見極めている余裕は、なさそうであった。狼型のゴーレムたちも、一斉に襲いかかって来ているからだ。
 速い。自分がいささか苦手とする、高速俊敏な敵たちだ。
 そう感じながらガイは、かじりかけの心臓を口に詰め込み、頬張り咀嚼しつつ1歩、巨体を踏み込ませた。
 地響きが、山全体を揺るがした。
 地面に巨大な足跡が刻印され、そこを中心に、激しい震動が波紋の如く広がってゆく。
 必殺・巨人の足。
 気の力を宿した震動が、土塊の狼たちを粉砕してゆく。
 その時には、ガイは次の構えに入っていた。掲げられた右掌に、気の光が集中する。先程の、気功追尾弾と同じようにだ。
「気功……追尾陣!」
 気合いの声と共に、ガイの右掌で光が膨張し、球形を成した。
 気功追尾弾の10倍ほどもある、巨大な光球。
 それをガイは、左拳で打ち砕いた。
 巨大な光球が砕けて飛び散り、いくつもの小さな光球と化して飛翔する。
 そして、鎌を振りかざした小男の残像たちを、正確に直撃・粉砕した。
 おぞましい絶叫が、一瞬だけ聞こえた。残像たちに紛れていた本体が、光球を喰らって潰れ散る。
 敵の一掃を確認する暇もなく、ガイは続いて左腕を、防御の形に掲げていた。
 筋骨たくましい前腕が、鉄槌の如き一撃を受け止める。土塊で出来た、巨大な拳。
 ガイを上回る体格の人型ゴーレムが、拳の一撃を振り下ろしてきたところである。
「これが、私の真の戦力……さあ、野人を叩き潰してしまいなさい!」
 黒魔術師の命令を受けた巨人型ゴーレムが、今度は巨大な足を振り上げて来る。
 その蹴りをかわしながら、ガイは敵の背後に回り込んでいた。
 小型で動きの素早い敵は若干苦手、とは言えこの巨大な筋肉も、瞬発力の塊である。大抵の力自慢よりは、俊敏に動く事が出来る。
 背後からガイは、土の巨人の胴体に両腕を回した。
 土塊で出来た腹部が、腰部が、剛腕に締め上げられてビキビキッ……とひび割れてゆく。
 そのまま、ガイは思いきり身を反らせた。筋骨隆々たる巨体が、見事なアーチを形作る。
 後方へと投げられたゴーレムが、真っ逆さまに地面に激突した。
 黒魔術師が言葉を失い、呆然と青ざめてゆく。
 倒れ、ひび割れたゴーレムを地上に残し、ガイは立ち上がった。
「やれやれ……勝っちまった、か」
 このところ戦う度に、苦笑したくなる気分に陥ってしまう。
 食う、戦う。自分には本当にそれしかないのだと、実感させられてしまう。
 ただ命を繋ぐためだけに戦い、食らう。まるで野生の獣のように。それが自分だ。
「ま……いいじゃねえか、それで。なあ」
 語りかけながらガイは、ゴーレムの頭部を踏み砕いた。
 食って鍛えて、戦い続ける道。その先に何があるのかを一丁前に悩み考えるほど、自分はまだこの道を歩み進んではいない。
「ひたすら歩いてくしかねえって事よ……それで何か見つかりゃ、儲けもんだ」
 黒魔術師が、青ざめて座り込み、腰を抜かしている。縛り上げる必要もなく、しばらくは動けないだろう。
 叩き殺すか、半殺しで勘弁してやるかは、猪肉の燻製でも作りながら考えれば良い。
 大袋の口を開きながら、ガイはそう思った。