<東京怪談ノベル(シングル)>


死神と闘神


 黒のマント。髑髏を模した、不気味な覆面。
 こけ脅しではない、とガイ・ファングは確信した。
 覆面とマントで、この男は、とてつもなく危険な正体を包み隠してる。それがわかった。
 黒衣に髑髏。死神を気取っている、のかも知れない。が、この男が黒服を着た骸骨などではない事は明らかだ。その全身では、マントの上からでも見て取れるほどの筋肉が、猛々しく隆起している。
 髑髏の覆面の下では、眼光が燃え盛ってる。
 巨体の死神、とでも呼ぶべきそんな男が、約束通りの時間に現れた。約束と言っても、この男が手紙で一方的に告げたものなのだが。
 この山に住み着いて以来、住居としている洞窟の前で、ガイはその手紙を軽く掲げて見せた。
 昨日、狩りから戻って来たところ、この手紙が洞窟内に残されていたのだ。
「下手くそな字だぜ。何が書いてあんのか、さっぱりわからねえ」
 巨体の死神に、ガイはまず微笑みかけた。
「どうにか読めたのは……この俺をぶっ倒す、って所だけだな」
「それだけ伝わりゃ充分さ」
 言いつつ死神が、黒のマントを脱ぎ捨てた。
 鋼のように固く盛り上がり引き締まった、それでいて柔軟さをも備えた筋肉が、ガイに劣らぬ巨体を形成している。拷問にも等しい鍛錬で作り上げてきた肉体である事に、間違いはなさそうだ。
「ガイ・ファング……その名前、あっちこっちで聞いてきたけどよ。俺ぁ他人の評価ってやつを信用しねえ」
「そうかい。じゃあ自分で確かめてみな」
 左の掌に、ガイは右の拳を打ち込んだ。爽快な音が、山中に響き渡った。
「俺の首を持ち帰りゃあ大金持ちだぜ。頑張ってみろ」
「ああ賞金とかは、とりあえずいいや。金が絡まねえとこで、名を上げてみてえ」
 骸骨の覆面が、にやりと歪んだ。
「名を上げる。これよ。戦う理由なんてもの、結局はこういうガキっぽいとこにしか行き着かねえと思うんだが、どうだい」
「違えねえな」
 死神の格好などしているが、本当は陽気な男なのかも知れない。ガイは、そう思った。
「そんなわけで、まあ客がいねえ、くそったれなプロモーターの類もいねえ、金にもならねえ……ねえねえ尽くしのファイトを始めようじゃねえか。はいゴング鳴ったあ!」
 言葉と共に、凄まじく重い衝撃が、ガイの腹部にぶつかって来た。
 死神の巨体が、突進して来たのだ。ガイが全く反応出来ないほどの、高速の体当たり。
 その衝撃に耐えながら、ガイは地面に倒されていた。
 倒された巨体に、死神がまたがっている。馬乗り、の形だった。筋肉の塊としか表現しようのない左右の太股が、ガイの胴体をがっちりと挟み込み、地面に押さえ込んでいる。
「止めてくれるレフェリーもいねえからよ。ギブアップは、とにかくでけえ声でな!」
 言葉と共に、死神の拳が降って来た。ガイの顔面に、叩き込まれた。左右交互に2発、3発と。
 ガイの視界が暗転し、その暗闇の中で幾度も火花が散った。
「おおい、まだギブアップしねえのかあ? まだぶん殴っても大丈夫かあ、もしもぉーし!」
 鉄槌のような拳が、間断なく降り注いで来る。
 ガイは両腕で防御を試みたが、死神の拳は、その防御を巧みに迂回して、側頭部に、顔面に、叩き込まれて来る。
 地味な、だが恐ろしく高度な技術である。
「頑丈だなあ、てめえ。もうちっと本気でぶん殴っても大丈夫ですかぁ、もしもーし! まあさっきから本気なんだけどな」
(いけねえ……このまんまじゃ、本当に……死んじまう……)
 素手の戦いで、自分を殺せる者がいる。薄れかけた意識の中で、ガイはそれだけを思った。
 それを思うだけで、心が燃えた。
 闘志が、力となって全身に漲ってゆくかのようだった。
「……ぅぉおおおおおおおおおおおッッ!」
 巨体にまたがられた状態のまま、ガイは思いきり全身を反り返らせた。頭と左右の爪先を地面に押し付け、強固な腹筋を突き上げる。
 馬乗りになっていた死神の巨体が、吹っ飛んだ。
 そして地面に激突し、だが即座に起き上がる。
 その時にはガイも立ち上がり、左足で踏み込みながら、右足を振るっていた。
「気功、斬鉄蹴!」
 大剣を振り回すような回し蹴りが、白い気の光を帯びながら一閃し、死神を直撃し、止まった。
 止められていた。
「まさか……マウントポジションをブリッジで跳ね返す奴がいるたぁな」
 鋼のような前腕を楯の形に掲げ、ガイの蹴りを受け防いでいる。その体勢のまま、死神は笑った。
「ソーン、だっけか? この世界へ来て、本当に良かったと思うぜ。こんな化け物と、戦えるたああ」
「俺の斬鉄蹴を素手で受け止める……おめえこそ化け物だぜ」
 ゆらりと右足を着地させながら、ガイも微笑んだ。口元がニヤリと歪み、牙のような歯が剥き出しになってしまう。
 何やら別世界から来たかのような事を死神は言っているが、そんな事はどうでも良かった。
 この男は、強い。今のガイにとっては、それが全てだ。
「ケージマッチの戦い方じゃあ勝てねえと見た……俺本来のスタイルで行かせてもらうぜえ!」
 死神が、跳躍した。
 その巨体が、惚れ惚れするほど高く宙を舞い、空中で丸まって両膝を抱え込む。
 丸まった巨体が、一気に伸びた。
 両足での飛び蹴りが、ガイの顔面を直撃していた。
 山全体が、微かに揺れた。
 吹っ飛んだガイの巨体が、岩壁に激突したのだ。
「ぐぅ……ッ」
 よろりと跳ね返ったガイを、死神の剛腕が容赦なく襲う。
 首が飛んだ、とガイは一瞬感じた。
 鋼を詰め込んだかの如く隆起した死神の二の腕が、首筋に叩き込まれたのだ。
 ガイの巨体が一回転し、地面に叩き付けられる。
 そこへ、死神が倒れ込んで来た。重い右肘を、断頭台の刃の如く掲げ、振り下ろしながらだ。
 絶大な全体重を宿した肘打ちが、ガイの喉元を直撃する。
 呼吸が、止まった。
 止まった呼吸を回復させる暇もなく、死神の両脚が、倒れたガイの右腕と頸部を一緒くたに挟み込む。
 巨木のような大腿筋が、頸動脈を容赦なく圧迫してくる。
 それをガイは、手で振りほどく事も出来なかった。死神の両手で右腕を引き伸ばされ、固定されてしまっている。
 右腕と頸部を、一まとめに両脚で締め上げる。そんな形の技であった。
「ドロップキック、ラリアット、そしてエルボードロップから三角締め……俺の、フィニッシュムーブ! 超久々に決まったぜええ」
 死神が、感極まった口調で説明をしている。
「マジ楽しかった。このまんま、気持ち良く落としてやっからよ」
 まだだ。お楽しみは、これからだぜ。
 ガイはそう言おうとしたが、気管・頸動脈それに頸骨もろとも、声帯をも締め上げられて声が出ない。
 なので、立ち上がった。
 三角締めとかいう技でガイを捕えたまま、死神の巨体が、ゆっくりと宙に浮く。
「なっ、何……!」
 死神の太い両脚を首に巻き付けたまま、ガイは立ち上がっていた。
 右腕にしがみついているような形になった死神の巨体を、ガイはそのまま、
「うぉお……おおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
 思いきり、地面に叩き付けた。
 山全体が、先程よりもいくらか激しく揺れた。
 死神の両脚が、力尽きたように、ガイの上半身からほどけ落ちる。
 倒れた死神に、さらなる一撃を叩き込む余力もなく、ガイはその場に尻餅をついていた。
「俺の……負けだ……煮るなり焼くなり、好きにしな……」
 死神が、そんな事を言っている。
 立ち上がれぬまま、ガイは弱々しく苦笑した。
「……煮ても焼いても食えねえ野郎だよ、てめえは」
 死神は倒れ、自分は尻餅。辛うじて勝った、という事なのだろうか。
「なあ……お前さん一体、何者なんだい」
「見ての通り死神だよ……元いた世界じゃ、俺はそう呼ばれてた。こんな覆面被って、見せもんの戦いをやってたわけだ」
 語りつつ死神が、倒れたまま覆面を脱いだ。
 金髪碧眼の、秀麗な素顔が現れた。
「少なくとも、見せもんの戦いじゃ俺が一番強かった……見せもんじゃねえ戦いがしたくて、この世界へ来た……結果が、この様よ。俺もまだまだ全然だな」
 見せ物の死神、ではなくなった男が、むくりと上体を起こした。
「なあ、ここでおめえと一緒に修行させてくれよ。異世界での強化合宿って事で。メシとか作るからよ。俺、新弟子の頃からチャンコ番の達人って呼ばれてたんだぜ?」
「好きにしな」
 断っても居着くつもりだろう、とガイは思った。