<東京怪談ノベル(シングル)>


闘神と召喚士


 拳を叩き込んでも、粉砕出来ない。そんな物質に出くわしたのは、本当に久しぶりだ。
 山中で走り込みをしている最中、その生き物は突然、襲いかかって来た。
 恐らくは生き物だろう。
 人間1人を包み込んでしまえそうな巨大なゼリー、としか表現し得ない姿をしている。
 いきなり茂みの中から飛び出し、覆い被さって来たそれに、ガイ・ファングは右拳を叩き込んだ。
 巨大なゼリーが、一瞬だけ拳の形に凹みながら吹っ飛び、地面に激突して跳ね、再び襲いかかって来る。
 スライム、であろう。ガイも噂に聞いた事があるだけで、実際に戦うのは初めてだ。
 物理的な攻撃をほぼ無効化してしまうゼリー状の巨体で、相手を包み込んで溶解・消化してしまう怪物。
 襲い来る、その難敵を見据えたまま、ガイは気力を拳に込めた。岩石のような握り拳が、白く発光する。
「おうりゃ!」
 光り輝く右拳が、ガイの気合いに合わせて流星の如く一閃する。
 スライムが、砕け散った。
 ゼリー状の屍が、潰れて飛び散りながら白色光に灼かれ、消滅してゆく。
 その時には、ガイは取り囲まれていた。
 赤、青、黄色、緑……色とりどりのスライムが木陰から飛び出して来て着地し、跳ね、様々な方向からガイを襲う。
「こいつら……!」
 迷宮や洞窟の奥に棲息する怪物である。自然の山中に、こうして大量に現れる事など有り得ない。
 ガイはそう聞いていたが、しかし現れてしまったものには対処するしかなかった。
 筋骨たくましい半裸身に、気の力が漲った。
 下半身はどっしりと大地を踏み締めて力の土台となり、上半身が様々な方向へと捻転する。
 気力の光を帯びた左右の拳が、全ての方向に繰り出された。
 荒れ狂う白い流星雨のような、拳の乱打。それが、スライムの群れを片っ端から粉砕する。
 色とりどりのゼリー状の破片が、光に灼き尽くされて消滅した。
 襲い来るスライムたちは、しかし一向に減ったようには見えない。
「大量生産してる野郎がいやがると、そういう事かッ!」
 ガイの右掌で、気力の白色光が膨張した。巨大な光の球が、そこに出現していた。
 それをガイは、左拳で打ち砕いた。
 必殺・気功追尾陣。砕かれた光球の破片が、無数の白い流星と化す。
 流星に打たれたスライムたちが、ことごとく砕けて灼け消える。
「こっちかい……」
 山林の奥から際限なく出現する、スライムの群体。その真っただ中に、ガイは猛然と踏み込んで行った。


 山全体が、揺れた。
 大地に、ガイの巨大な足跡が穿たれる。そこを中心に、気力の波動と震動が、波紋の如く広がって奔る。
 その波紋に触れたスライムたちが、次々と破裂していった。
 必殺・巨人の足。
 続いてガイは巨体を捻り、右の拳を思いきり突き上げた。
 地を踏む足から、天空を殴る右拳に至るまで、隆々たる筋肉に螺旋状の回転が加わった。
 それに合わせて竜巻が生じ、燃え上がった。
「火炎の嵐……喰らいやがれ!」
 激しい炎が、螺旋を成しつつ山林の木々を避け、ガイの周囲を焼き払う。
 襲い来るスライムの群れが、ことごとく溶け焦げて灰に変わった。
 渦巻く熱風の向こうに、それはあった。
 山林の地面に描かれた、奇妙な図形。魔法陣である。
 光を発する魔法陣から、際限なくスライムが出現している。まるで地中から吐き出されて来るかのようにだ。
 実際には地中ではなく、どこか魔界のような領域から召喚され続けているのだろう。
 その召喚者が、魔法陣の近くに倒れていた。気を失っている。
 藍色のローブを身にまとう、細身の若い男。魔法使いの類であろう。召喚魔法の実験でもしている最中に、魔力が尽きたか何かで意識を失ってしまったに違いない。
「ったく、はた迷惑な野郎もいたもんだ……」
 ぼやくガイの眼前で、スライムたちが積み重なり、融合してゆく。
 際限なく現れ続けていた無数のスライムが、1体の巨大なゼリー状有機物と化した。
 またしても山が揺れた。巨大なスライムが、跳躍したのだ。
 ゼリー状の巨体が、空中からガイを襲う。
 かわそうとせず、防御しようともせず、ガイはただその場で身を翻した。
 重量級の筋肉が、超高速で躍動する。巨大な全身が、旋風の如く回転していた。
 筋骨たくましい左脚がブンッ! と弧を描きながら光を発し、空中に新月のような軌跡を残す。
 気の光をまとう、後ろ回し蹴りだった。
「気功……斬鉄蹴」
 ガイが、左足を着地させる。
 巨大なスライムは、真っ二つになっていた。
 滑らかな断面が、白く輝いている。塗り拡げられた、気力の光。
 その輝きに灼かれて、スライムは消滅した。
「おい、起きろ」
 気絶している魔法使いを、ガイは掴み起こして揺さぶった。思いきり揺さぶったら折れ砕けてしまいかねないほど、細い身体である。
「う……ん……あ、あれ……?」
 魔法使いの若者が、弱々しく目を覚ます。
 その目が、いきなり見開かれた。
「う、うわわわわ食われるううぅぅぅぅぅ!」
「食わねえよ。いいから、この魔法陣を何とかしろ」
「魔法陣の描き方を間違えたのか!? こっこんな凶暴なオーガーを召喚してしまうなんて」
「誰がオーガーだ! おめえが召喚したのはスライムだよスライム! 際限なくポコポコぽこぽこ垂れ流しやがって」
 ガイは、魔法使いの細い首根っこを掴んでぶら下げた。
「何を召喚したかったのか知らねえが、どう見たって失敗だろうが。とっとと消せ、その魔法陣を」
「はあ……また失敗かあ……」
 ガイに掴まれたまま、魔法使いが力なく杖を振るった。
 魔法陣が、キラキラと飛び散り消え失せた。
「可愛くて色っぽいサキュバスを大量に召喚して、ハーレムを作ろうと思ったのにぃ……」
「……ま、夢を見るのは勝手だがな。他人に迷惑かけるんじゃねえ」
「あの、貴方は……人食い巨人族の方ですか?」
「人は食わねえっつってんだろうがああああ!」
「ひいいい! ご、ごめんなさい……」
 魔法使いの細身がポンッと煙に包まれ、消え失せた。
 その煙の中から、小鳥が1羽、ぱたぱたと現れた。
「あの……ど、どうも、ありがとうございました……」
 小鳥に化けた魔法使いが、そう言いながら大空へと飛び去って行く。
「ったく、魔法使いって連中はよ……」
 見上げ、見送りながらガイは、ある欲望を止められずにいた。
「……何か、ゼリー食いたくなってきやがったな。走り込みが終わったら、ちょいと街へ行くか」
 マンティコアやバジリスクなら、食べた事がある。
 ただスライムは、どう調理しても食べられそうになかった。