<東京怪談ノベル(シングル)>


無垢なる傾国の踊り子

柔らかく優しい陽だまりが心地よく、エルファリアはゆったりとソファーにもたれた。
視線の先には石像と化しているレピア。
ゆるゆるとまどろみ、やがて意識を手放した。

焼けるような日差しが肌を焼き、否応なく体力を奪い、意識が朦朧となりかかるのを必死でつなぎ止め、王宮前の広場に集まった群衆に晒された身体をなんとか隠そうと試みる。
が、一斉に突き刺さる憎悪と侮蔑の嵐にレピアは一瞬だけ全身を震わせ、動けなくなった。
―なぜこんなことになったの?
きつく唇を噛みしめ、思考を巡らせるが、レピアには思い当たることが何もない。
当然だ。なぜなら自分は無実なのだから。

小国ながら豊かで栄えた国だった。
踊りを極めようと、国々を渡り歩いていたレピアがこの国にたどり着いたのは、偶然。
大地の神を讃える豊穣祭で舞を披露するはずだった踊り手が怪我をし、困り果てていた司祭たちの目に止まり、レピアは国王夫妻が観覧している舞台を見事に舞いきった。
その妖艶にして、可憐なる舞に観衆たちの熱狂的な大歓声を一身に浴びたレピアの舞に魅入られた国王は自らが支援を約束し、この国にとどまるようにかき口説いた。
元々、芸術が盛んだった国風が気に入り、レピアはその支援を快く聞き入れ、一層踊りに専念した。
そして容姿端麗な踊り子のレピアは人々から歓迎され、いちやく国を代表する舞姫となった。
だが、レピアは気づいていなかった。
王自らが臣下たちどころか異国の使者たちを前に、たかが流浪の踊り子を熱心に口説き落とした光景を、王妃が表面上、柔らかく穂微笑みつつも、内心、憎悪と激怒の炎で身を焼き尽くさんばかりに睨みつけていたことを。

「告。この者、レピアなる踊り子は事もあろうに国王をそそのかして贅の限りをつくし……」

ふいに聞こえてきたのは、若い男の声。
そっと視線を上げると、質素な軽装鎧に身を固めた兵士たちの一人が集まった群衆に向かって、高らかに羊皮紙の罪状を朗々と読み上げていた。
国を疲弊させ、ここに集った国民に苦痛を強いたのは、捕えられた踊り子である、と。
違う、とレピアは叫びたかったが、喉元に押し当てられた兵士の槍が食い込み、身を凍らせた。

「これら数々の大罪により、国を憂い給う王妃陛下のご決断により、国王は退位、永年幽閉。大罪人・レピアは咎人の刑に処する」

勝利を告げる宣言に集まった群衆の大歓声が広場を包み、熱狂させ、その熱さがこの国の民に強いられた苦しみを表していた。
重税につぐ重税。過酷な労役。深刻な食糧不足と疫病。
守るべき国民を顧みず、国王が入れあげた舞姫。その寵愛を盾に国を地獄に叩き込んだ悪女。
それが国民―群衆のレピアに対する認識で、一片の温情もなく、断罪を欲していた。
と、群衆たちの視線が王宮のテラスに注がれ、それに気づいた兵士たちはレピアは乱暴に振り向かせると、頭を床に押し付けた。

「親愛なる我が国民たちよ。今日この時を私は待っておりました」

聞こえてきた涼やかなる声にレピアはびくりと肩を震わせる。
テラスに姿を見せたのは、清楚かつ質素なローブに身を包んだ王妃とその少し後ろに控える大臣。
滅びる寸前の国を救い上げた英雄たる二人の登場に広場の熱狂は頂点を極めた。

「夫であるとはいえ、無辜の民に重税を課し、飢えと病の苦しみに強いた果てに舞姫・レピアの言うなりとなった国王は退位し、幽閉となりました」
「違うわ!私は何もしていない。国王をそそのかしてなんていないわっ」

苦しげに瞳を伏せる王妃の言葉にレピアは激しく反応し、あらん限りの声で否定する。
途端に兵士たちに組み伏せられ、憎悪にあふれた表情の大臣が王妃を背にかばうのが、わずかに見えた。
傍目から見れば、稀代の悪女と救国の聖母の図。
その光景を見せつけらた群衆からはたちまちレピアに向かって罵声が浴びせられた。

「黙れっ!!売女っ」
「貴様さえいなければ、王は道を踏み外さなかったんだっ!!」
「極悪人っ!!」

思いつく限りの罵声にレピアは身を震わせ、ついには『殺せ』という叫びへと変わる。
憎んでも憎み切れない傾国の踊り子がこともあろうに無実を訴えるなど、あってはならない。
悪に断罪を求める人々にレピアは心底恐怖していた。兵士もその勢いに酔い、そのままであれば実行しかねない状況になっていた。
だが、それを止めたのは敵である王妃その人。

「皆、静まりなさい」

王妃の言葉に人々が一瞬にして静まり返る。
それを合図に大臣は恭しく膝をつき、騎士のように頭を垂れた。
あまりに白々しい、芝居がかった姿にレピアは憤りを覚え、睨むも無駄な行為だった。

「この国にはしかるべき法があります。大罪を犯した者にはしかるべき罰があります」

嫌な予感がした。
慈悲深く、優しい笑みを讃える聖母然とした王妃こそ、つつましく控える大臣と結託し、国を傾かせた大罪人というのに、人々は全く気付かない。麗しき救い主を見つめて、その言葉を待つ。

「大罪人・レピアに烙印を与え、咎人とします」
「刑の執行をっ!!」
「いやぁぁぁぁぁぁっ!!!」

毅然と言い放つ王妃に大臣は高らかに執行を宣言する。
悲鳴をあげて抵抗するレピアだが、無情にも烙印は焼き付けられ、その唇と爪が見る間に色を失い、紫に染まった。
助けて、という叫びは音になることなく、空気に消える。暖かな日の光が狂気と化し、肌が見る間に石と化す。
群衆たちの歓声と雄叫びの中、レピアは醜悪な石像にその姿を変えた。

「王家に災いをなした咎人。その罪の重さを思い知りなさいっ」

鋭い―だが醜悪な笑いを含んだ王妃の声が耳に残った。
石像となったレピアは群衆たちの手によって、郊外の廃物場に放り出され、そのまま誰にも省みられなかった。
風雪にさらされ、雨にうたれ、自然と堆積していく泥や苔が石像と化した身を汚していく。
時に動物たちが現れて、周囲をたむろし、汚物をまき散らしていくということもあった。
本来、咎人の呪いは日の光を浴びる間は石化するもの。だが、真実を知るレピアをひと時でも人間に戻すことを許さなかった王妃はさらなる呪いを掛け、永遠に石像から解き放たれることがないように仕向けていたのだった。

長い時が過ぎ去っていった。
多くの国が栄え、滅びていき、悠久の時の流れに消えた。
レピアに呪いをかけた王妃たちの国も例外ではなく、歴史の中の数ある―名もなき小国として、その流れに飲まれた。

見つけたのは、ほんの偶然だった。
巡礼の旅路で見つけたその石像は風雪に耐えてきたせいか、苔と泥に覆われ、動物の汚物に汚れたのか、ひどい悪臭を放っていた。
好んで近づくこともない、と無視することは容易かった。
だが、その石像から感じた命の息吹とただならぬ気配を見抜いた僧侶は自らの信仰と慈愛を持ってひるむことなく、手を触れた。

「なんてことっ」

大罪を犯した者を日中の間、石像に変えて罰する咎人の石化呪縛だけでなく、幾重にも絡みついた執念のような呪縛に僧侶は言葉を失った。
どんな罪を犯したかは知らないが、人を長きにわたって石像のままにするなど見捨てては置けない。
救わねば、と決意を固めた僧侶は革袋をひっくり返し、ありったけの聖水をかき集めると、迷うことなく石像に浴びせかけた。
傷を極力つけないよう、おろしたての布で僧侶が汚れとともに呪縛を落としていく。
その心地よさに石像は身を震わせ、僧侶は慈悲に満ちた笑みを浮かべ、汚れを落とす手に一層力を入れた。

太陽が西の空に消え、夜を支配する女王の帳が空を覆い隠し、銀のしずくが彩り始める。
ようやく清め終わった石像は日の光が地平の彼方に沈むと、その全身を緩やかに光が覆った。
鮮やかに息づいていく石像に僧侶は心の底から安堵した表情を浮かべ、すっと背筋を正す。
二重の呪縛を掛けられていたことには深く同情したが、相手は咎人。
神に仕える者として、同じ女として罪の告解を聞く必要があると、僧侶は思っていた。

「あ……あああ、やっと動けるっ、助かったのね。ありがとう、僧侶様。私はレピア。この国の王妃によって無実の罪で咎人に……」
「ちょっとお待ちなさい。貴女はいったい何の話をしているの?ここに名もなき小国があったのは700年以上前の話……今は聖地巡礼の聖職者たちや巡礼者たちが通りがかるだけの寂れた村ですよ」
「な、なんですって!!」

息せきこんで、話し出したレピアだったが、僧侶の冷静極まりない言葉に強い衝撃を受けた。
国があったのは700年前。自分が石像とされてから、あまりにも長い時間が流れていたことに絶句した。
レピアにとっては、ほんの2、3日前のことだというのに、本来の時は700年なんて。
失われた時間の長さにレピアは衝撃を受け、力なくその場に座り込んだ。

「もう王妃たちはいないのね……なら、私の呪いは」
「申し訳ないのだけれど、私が解けたのは二重の呪縛だけ。咎人の呪いは解けなかったの……まさか700年も前の呪いなんて、解く術が失われてしまっているかも」
「そ、そんなっ!!」

言いにくそうに顔を伏せる僧侶の言葉にレピアは愕然となる。
レピアが生きていた時代では、ありふれた罰の呪いでも、この時代ではあまりに古すぎて、解き方が失われるなんて考えてもいなかった。
予想外の事態にレピアの脳裏にじわりと絶望の二文字が浮かぶ。

「簡単にあきらめてしまわないでください。この大陸では、古い書物を保存している地や古代魔法の研究を行っている地も多々あります。その中のどこかに貴女の呪いを解く術があると思います。私が道を探すように道をお探しなさい。神が貴女をそのような運命を課したのも、何らかの意味があるのですよ」
「そうね…私は踊りを極めたいの。踊りに磨きを掛けながら、呪いを説く方法を探すわ。僧侶様、ありがとう」

自分よりも遥かに若い女僧侶の厳しい言葉にレピアは苦笑いを作りながらも、内心、その通りだと思っていた。
諦めてしまえば、石像と踊り子の二重生活。それは楽なのかもしれないが、踊りを極めたいという願いがある限り、そんなことはごめんだった。
しっかりと動く足で立ち上がると、レピアはふわりと夜空を見上げる。
夜空を彩る小さな輝きに励まされるように、己の身にかかった呪いを解くことを強く誓うのだった。