<PCシチュエーションノベル(グループ3)>
小さな雷神
いくらか時給が低めで残業手当も付かず、社会保険完備でもない点を除けば、あのコンビニは最高の職場であった。
オーナーも店長も先輩や同僚たちも、本当に良くしてくれた。
自分が、とうの昔に解雇されているのは間違いない。ここまで無断欠勤が続いてしまったのだ。
「ばっくれた……って思われてるわよねえ、きっと」
それが、いささか残念ではある。
まあ、こちらの世界へ来てしまったものは仕方がなかった。
「こっちの世界で楽しさ極めないと……ね? ヒム」
「楽しむのは結構ですが」
絡み付こうとする夢見月の細腕を、さりげなく回避しながら、ヨアヒムは苦笑した。
「仕事の方も、しっかりと……お願いしますよ?」
「わかってるわよ。時給安くたって残業付かなくなって私、仕事だけは本当きっちりこなしてたんだから」
ソーン某所。『封印の塔』ヘと向かって、2人は荒野を歩いている。
20代半ばの若い女と、いくらか年上の男。仲の良い夫婦、に見えない事もない。
実際は夫婦でも恋人同士でもなく、単なる仕事仲間である。
「ねえヒム……私って、厨二病だと思う?」
「チュウニ病? どんな病気ですか、それは。私から見た貴女は、いたって健康。病気と縁のある女性とは思えませんが」
「それがね、結構こじらせてたのよ私。色々とね」
厨二病とは何か。それを正しく説明出来る者など、元の世界にもソーンにもいないだろう。
だが、と夢見月は思う。
夢見がちになる。それが厨二病の主な症状であるとしたら、自分は紛れもなく重度の厨二病患者である。
「異世界へ飛んで、イケメンと出会う……夢、って言うか妄想の極みよねえ。それを叶えちゃったんだから、私ってば」
だから、夢見月などと名乗ってみた。
「夢もいいですけど、そろそろ現実に戻りましょう……ほら、見えてきましたよ」
ヨアヒムの言う通り、封印の塔が視界に入っていた。
地に突き立った巨大な槍のような、禍々しい建造物。
「仕事です。気を引き締めて下さいよ」
「封印の塔……曰く付きのお宝が、いっぱいあるって聞いたけど」
「変な気は起こさないように。我々は、宝探しに来たわけではないのですからね」
「わかってるわよ。魔物退治、でしょ? 今回のお仕事は」
封印の塔に、魔物が棲み付いているという。
封印された宝物を守る衛兵として、ゴーレムの類が大量に塔内を巡回している、という話は夢見月も聞いている。
それとは違う、純然たる魔物であるらしい。
先日、1人の魔導師が「エインへリャル」に助けを求めてきた。
とある魔法の物品を塔に封印しようとしていたところ、その魔物が突然現れ、暴れた。そんな話であった。
その後、塔近辺の村々からも被害報告が届くようになった。
「食料が盗まれたとか、そんなのばっかりでしょ? 魔物って言うより、ただのコソ泥だと思うんだけど」
「こそ泥なら、それで良し。捕えて官憲に引き渡すだけです」
「エインへリャルって……要するに、何でも屋さん?」
その何でも屋に、夢見月は拾われた。
魔術集団エインへリャル。地球の北欧神話に登場する、死せる戦士団と同じ名を有する組織。
夢見月は今、その一員として働いている。
ヨアヒムは、エインへリャルにおける先輩である。ソーンに飛ばされて来たばかりの夢見月を、いろいろと指導してくれた。
「本当に魔物の類であれば、討伐する事になります。命懸けの何でも屋、であるのは確かでしょうね。あの魔導師の話が真実であれば、容易い相手ではありません」
「命懸け、ね……とんでもない所に就職しちゃったってのが最近、わかってきたわ」
「暇な時は本当に平和なものですよ? エインへリャルという職場は」
ヨアヒムが、微笑んだ。
「ですが最近、そんな平和と無縁であるのは確かですね。妙な出来事が、本当に多い……貴女のような、異世界からの来訪者も増えているようです」
「それはまあ、妙な出来事だったでしょうねえ。あれは」
財布を忘れた。取りに戻るべく走り出した。転んだ。
起き上がったら、そこは異世界だった。
夢見月がソーンにやって来た経緯を説明すると、そのようにしかならない。
「せっかく来たんだもの……この世界の事、もっともっと知らないとね」
視界の中で少しずつ大きくなってゆく『封印の塔』を、夢見月は見据えた。
あそこに棲み付いているのが魔物であれ何であれ、戦いになるのは恐らく間違いない。
戦いは、初めてではなかった。エインへリャルの一員として夢見月は、今まで何度も実戦を経験している。
負ければ命を落とす戦いを、繰り返してきた。
(どんな戦いでも……駅前のコンビニの通勤通学時間帯よりは、ずっとマシよね)
そんな事を、自分に言い聞かせながらだ。
食料盗難被害に遭った村々で聞き込みを行ったところ、魔物の正体を判断するのに有益と思われる情報が、1つだけ手に入った。
「人死にが出てない、って事よ」
「……それが、有益な情報ですか?」
ヨアヒムが、少しだけ呆れている。
夢見月は、しかし自信満々であった。
「人を襲って食べてるとかじゃなくて、人間の食べ物を、人を殺さずに盗んでるわけでしょ? 魔物なんかじゃなくて人間の仕業、じゃないかって思うのよねー」
「話し合いでどうにかなる相手、などと思っているわけではないでしょうね」
ヨアヒムが、ちらりと睨んでくる。
「もちろん、むやみな殺戮を行うつもりはありませんが……生かして捕縛するのが困難となった場合、私は対話の努力を放棄しますよ。相手が魔物であろうと人間であろうと」
「……私だって、躊躇うつもりはないわ。この力、はっきり言ってあんまり好きじゃないけど」
魔術集団に雇ってもらえただけの力が、夢見月にはある。
元の世界にいた時から、密かに疎んじていた力。
「使うわよ……ヒムが、危険な目に遭ったら」
「……私よりも、自分の身を守る事を考えなさい」
言いつつヨアヒムが、さっさと歩き出した。
封印の塔、1階の通路である。
「己の身を顧みずに他者を助ける、それが美徳であるというのは幻想です。実戦においては各々が、自分の身の安全を自力で確保しなければなりません。他者を気遣うあまり、それをおろそかにしたのでは結局のところ、助かるはずの自分も助からず犠牲者が増えるだけ、という事になってしまいますよ」
「そ、それはわかったから、ちょっと待ってってば」
夢見月は、慌てて追った。
「まったく、ヒムは仕事人間なんだから……まるで日本人みたい」
「ニホン……それが貴女の、元いた世界ですか?」
ヨアヒムが、興味を持ってくれた。
「帰りたい、と思った事は?」
「まあ、ない事もないわね。あの世界が嫌いで、こっちへ来たってわけでもないし」
「良い思い出、のようなものはありますか?」
その質問に対しても夢見月は、
「ない……事もない、わね」
としか、答えようがなかった。
両親は、普通に自分を慈しんで育ててくれた。
小中高と、それなりに楽しい学校生活を送ってもいた。別に、いじめられていたわけでもない。厨二病などと言われる事はあったが。
本当に、普通としか言いようのない思い出ばかりである。
そんなものでも、失ってしまえば恋しくなるのだろうか。
それをヨアヒムに訊いてみる事は、出来なかった。
しばしの沈黙の後、突然ヨアヒムが立ち止まった。
その広い背中に、夢見月はぶつかりそうになった。
「ど、どうしたの……」
「……来ますよ、夢見月さん」
来る、と言うよりも、すでにいた。
歩く2人を見下ろすように立ち並ぶ、奇怪な石像。いくつかはゴーレムかも知れないから、夢見月は警戒していた。
そんな石像の1つを、椅子代わりにしている者がいる。
猫を思わせる、小柄な人影。石像の頭上に、ちょこんと腰掛けていた。
そして、声をかけてくる。
「ねえ……泥棒?」
少年だった。
衣服とも言えないボロ布を、細い身体に巻き付けた少年。12、3歳であろうか。
いや、15歳には達しているか。
幼く見えるのは、身体が小さく、痩せているせいだ。
栄養が足りていない、と夢見月は思った。だから、食べ物を盗んでいるのだ。
まるで野良猫のような少年。こちらを見下ろす瞳は、塔内の薄暗闇の中で、緑色に輝いている。
「ボクんちに、勝手に入って来るなんて……泥棒?」
「泥棒は、そちらでしょう」
ヨアヒムが、まずは会話に応じた。
「食料の窃盗は、多くの人々が思っているよりも、ずっと重い罪なのですよ」
「ボク……泥棒じゃないもん」
言葉と共に少年が、石像の頭上から降って来た。
そして、ふわりと着地する。ボロ布が、軽やかにはためく。
黒っぽいものが一瞬、見えた。少年の左右それぞれの手に握られた、恐らくは武器。
(……拳銃!?)
夢見月は、息を呑んだ。ここソーンは剣と魔法の世界、と思っていたが、科学技術のようなものが全く存在しないわけではないようだ。
「お腹空いたから、食べた……だけだもん」
「空腹は理由になりませんよ。他人の食べ物を勝手に食べてしまったら、それは泥棒です」
ヨアヒムが、説教を始めた。
「それに、ここは貴方の家ではないでしょう。勝手に住み着くのも泥棒ですよ」
「……じゃあ、どこがボクんち?」
「それを私たちが知りたいのよね」
会話に加わりながら夢見月は、携行食の包みを掲げて見せた。
「貴方、一体どこから来たの? 食べ物なら分けてあげるから、教えてくれないかな。こんな所で、何をしてるの?」
「……競争!」
幼さの残る少年の表情が、パッと輝いた。
「ボクはここで、競争をしてるんだよ!」
重い足音が響いた。
石像のいくつかが、動き出している。
ゴーレムだった。
石造りの巨大な手足が、少年に、ヨアヒムと夢見月に、襲いかかる。
ボロ布をひらりと舞わせながら、少年は叫んだ。
「こいつらを、たくさんやっつけた方が勝ちだよぉ! よーい、ドン!」
雷鳴が、轟いた。
少年の両手で、2丁の拳銃が光を発していた。
銃口から迸るのは、鉛の弾丸ではなく電光である。
稲妻があちこちに乱射され、ゴーレムたちを打ち砕く。
石の破片が、大量に飛び散った。
特に大型のゴーレムが1体、夢見月の近くで電撃に打たれ、崩落する。
巨大な石の生首が、落下して来る。
下敷きになる寸前、夢見月はヨアヒムに突き飛ばされていた。
無様に尻餅をつき、悲鳴を漏らしながら、夢見月は目の当たりにした。
自分を直撃するはずだったゴーレムの頭部が、ヨアヒムの身体を押し潰している、その様を。
「ちょっと……! 何やってんのよ、ヒム……」
夢見月の声が、おかしな感じに震え、かすれた。
「他人を助けるのが美徳、なんてのは幻想なんでしょ……ねえ、ちょっと……」
ヨアヒムは応えない。動いてもくれない。
石造りの巨大な生首に背中一面を圧迫されたまま、うつ伏せに倒れている。ひび割れた石の床に、赤い汚れが広がってゆく。
「ほらほら早く! ボクが一等賞になっちゃうよお!」
自分のした事に気付かぬまま少年は、雷撃の銃をあちこちにぶっ放し、ゴーレムを粉砕し続けている。
「……よくも……ヒムを……!」
夢見月の心から、一切の躊躇いが消え失せた。
この忌まわしい力を行使する、その事への躊躇いが。
少年を睨み据える赤い瞳が、淡く燃え上がる。
雷神の如く暴れる少年の姿を、夢見月はもう見てはいない。
見ているのは少年の、姿ではなく心だ。
幻覚を見せる。それが魔術集団エインへリャルに見込まれた、夢見月の力である。
相手の、目に見せるのではなく、心に送り込む幻覚。
その相手に対し、いかなる幻覚が最も効果的であるか。それを知るために、心を見る。覗く。調べる。
それが、夢見月の能力であった。
「……これね」
1人の女性の姿が、見えてきた。
少年自身、その存在を忘れている、だが心の奥底から消し去る事は出来ずにいる女性。
彼女は、怯えていた。まるで化け物を見るような目を、こちらに向けている。
何に対して怯えているのか、そんな事はどうでも良い。
夢見月の両眼が、炎の色に激しく輝いた。
怯える女性の姿が今、少年の心の中に、はっきりとした幻覚となって生じたのだ。
電光をまき散らしていた少年の動きが、凍り付いたように停止した。
幼い顔が、青ざめている。小柄な細身が、弱々しく座り込んでしまう。
楽しげに発光していた緑色の瞳が、輝きを失いながら震えている。
涙が凍り付いているのだ、と夢見月は思った。
「……ま……ま……ぁ……」
少年が、微かな声を発した。
「……どうして……そんなかお、するの……? ママ……」
あの女性が、何に対して怯えていたのか、夢見月はようやく理解した。
「……お見事です、夢見月さん。貴女自身は、嫌な思いをなさっているでしょうが」
ヨアヒムが、ゴーレムの生首を押しのけながら、苦しげに身を起こしていた。
「ヒム……大丈夫なの……?」
「この程度で死にはしませんよ。肋が折れて、変な所に刺さっている感覚はありますけどね」
口元の血を拭いながらヨアヒムは、少年に歩み寄った。
「ママ……ぁ……」
それ以外の言葉を忘れてしまったかのように、少年は呟いている。
夢見月は理解した。自分は、してはならない事をしてしまったのだ。
「何かを、思い出してしまったようですね……忘れなさい」
ヨアヒムは片膝をつき、少年の肩に手を置いた。
「忘れても、人は生きてゆけます」
「……とりあえず、ごはん食べよう?」
少年の目の前で、夢見月は携行食の包みを開いた。
いくつかの、穀物の塊が現れた。夢見月が元いた世界では、ごくありふれた食べ物である。
ぼんやりと見つめていた少年が、それを手に取って口に運んだ。
「……何……中に、何か入ってる……」
「おにぎりよ……シャケも昆布も手に入らなかったから、それっぽい干し魚とか海藻とか入れてみたんだけど」
「おいしい……」
食べながら少年は、周囲を見回した。
「おいしいよ、ママ……あれ? ママはどこ……ママって、何……?」
「さ、何かしらね」
夢見月は思わず、少年を抱き締めた。真紅の瞳から、涙が溢れる。
声が震え、詰まった。
「ごめんね……」
|
|