<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


森の魔女と子供達



 酒場に張り出された依頼の数々の中で、その依頼だけは誰の目にも留まらないらしく、壁の隅で縮こまるようにしてそこにあった。偶さかレギーナがその張り紙に目を留めたのは依頼料の、この酒場に集まる冒険者――たまにそれ以外の連中も居る――にしてみれば「お話にならない」と笑うしかないような安さばかりが理由では無かっただろう。依頼者の名を示すサインの筆致があまりにも、そう、幼かったのだ、要は。
 常の淡白な表情は崩さぬままではあったが、レギーナが思わずその張り紙に手を伸ばしたのは必然であっただろう。
 依頼の内容は小村に現れると言う墓荒らしを退治して欲しい、というもの。しばし思案したものの、矢張り署名の幼い筆跡が視界にちらついて、レギーナは溜息とは呼べぬ程度の細い息をついた。酒場の主が、物好きだねぇと苦笑する。
「そいつの依頼主? お前さんの想像通りだと思うぜ。子供さ、村の子供だっつったな。たまたま通りかかった旅芸人の一座が依頼書を受け取って持ってきたんだよ」
 依頼料は期待できないぞ、と念押しするように言われたものの、そこまで聞けばレギーナには十分だった。
 子供は笑顔で居た方がいい、とレギーナは常々思っている。
 その為の助力が出来るのならば、たまには赤字覚悟の仕事も、悪いものではない。



 それが二日前の出来事だ。依頼を引き受けたレギーナは、都市からそう遠くは無いものの、主要な街道からは外れているが為にかなり小規模な村に辿り着き、依頼主の子供達と顔を合わせた。村外れの炭焼き小屋に住む二人の兄と妹が依頼主だ。見目の幼く、華奢な体躯のレギーナに、兄の方はあからさまに落胆した様子を見せたものの、そうした依頼主の反応は珍しいものでは無かったから、レギーナはそれについてはあまり気に留めていなかった。
 問題は、依頼の内容だ。二人はレギーナに耳打ちをするように、告げた。
「村の人達は、墓荒らしを、《森の魔女》の仕業だって言うの」
 妹の方が縋るようにレギーナの服の裾を握りながら言う。
「…あの人は、墓荒らしなんてしないよ」
「成程。それで、子供達だけで、冒険者に依頼を出したのですか」
 大人達は、森の「魔女」を山狩りでもして追い出す積りなのだろう。
 依頼内容が腑に落ちて頷いたものの、レギーナは眉尻を僅かに下げた。まずは情報を整理しなければ。
 村外れにある兄妹の住む小屋は、こぢんまりとした質素なものだった。二人の両親は二月前に起きた水害で、運悪く同時に亡くなったのだと言う。15歳になる兄が、村の人々の細々とした支援を受けながら、妹の面倒を見ているのだ――というのがレギーナが既に受けている説明だった。それだけではない。小さな小屋には、村中の子供達がこっそりと集まって、興味と期待を込めた視線をレギーナへと注いでいる。
「森の魔女さんはいい人なんだよ。大人達は、あの人は悪い魔女だから、近付いちゃ駄目だって言うんだけどさ」
「でも俺、あの人に助けて貰ったよ。森で怪我した時に、薬とおやつをくれたんだ」
「あ、私も。森の奥には悪い奴が居るから、近付いちゃ駄目だって怒られたけど、お菓子をくれたの」
 子供達が口ぐちに、てんで勝手に話すもので、状況を整理するのは骨が折れた。途中からレギーナは荷物から紙とペンを取り出し、メモを取りながら時系列と、依頼の内容を整理する羽目になったほどである。
 順序立てて整理すると、こうだ。
 まず、村の近くの森に、どこからか流れ着いてきたらしい「魔女」が住み着いた。
 この村は、街道からは外れているから、余所者が流れてくること自体非常に珍しい。当然村人達は警戒する訳だが、折悪く、「魔女」の出現と同じタイミングで、村の近くで度々「魔物」が目撃されるようになり、村人達は「魔女」の仕業、と決めてかかってしまったのだそうだ。
「魔物、ですか。それはどういったものですか?」
 この問いかけには、しかし子供達は困り果てた様子で顔を見合わせ、それからちらちらと、依頼主である兄妹の方へ視線を向けた。妹の方が泣きそうな顔をして俯き、兄の方が嘆息してから、短く答える。
「…俺はそういうの詳しくないけど、魔女は『屍喰鬼(グール)』だって言ってた。墓荒らしの犯人も、そいつだろうって」
「ああ、なるほど。でも、珍しいですね。あまりこちらの地域には出現しないはずです」
「だから、村の人は《魔女》がそいつを呼び出したんだろうって言ってるんだ」
 成程、と二度目の得心を得て、レギーナは腕を組んだ。屍喰鬼自体はさほどの脅威ではない――何度か退治を依頼されたこともあるし、恐ろしい魔物、という訳でも無い。が、何やら村人達が誤解をしているらしいことと、子供達に慕われている「魔女」とやらが、何故か誤解を解こうとしていないらしい点は引っ掛かる。
「…俺の父ちゃんと母ちゃんも、そいつに喰われたんだ。お墓に埋葬して、すぐの頃に」
 思案していたレギーナは、しかしそんな独白を聞いて、顔を上げた。
「屍喰鬼に、ですか…」
 レギーナは――見目こそ幼い少女の形だが、その正体は人ならぬものである。とはいえ人の世界で暮らして長いから、特にまだ幼い妹が、両親の遺体を「喰われた」というのは、きっと辛いことなのだろう。レギーナとて、身体は人ではないとはいえ、魂を持つ身であるから、死を悼む、という感覚自体は理解も共感も出来る類の感情であった。
「分かりました。――まずはその、『森の魔女』という方に会わせてもらえませんか。屍喰鬼についても情報を持っているようですし」
 話を聞いてみたいのだ、と主張すると、子供達はしばらく顔を見合わせあい、思案げにしていたが、やがて一番年嵩でもある依頼主の兄の方が頷く。
「いいよ。ついてきて」



 村に程近い森はまだ人の手の入った明るさを保っているが、それでも小道を大きく逸れて分け入れば、人の手の及ばぬ薄暗さを見せる。
 昼間だと言うのに生い茂った葉に日差しを遮られた足元は暗く、シダの葉をナイフ――武器とは別に、雑用をこなすために持ち歩いているものだ――で払いながらレギーナは少年の背中を追いかけることになった。少年の方は森に随分と慣れているらしく、熟練の狩人や冒険者でも見過ごすような僅かな獣道をすいすいと歩いていく。やがて、薄暗い影が僅かに途切れ、レギーナは顔を上げた。
 どうやらそこは、巨木が倒れ、陽光が差し込むようになった僅かな空き地であるらしかった。少年が足を止めたので、恐らく魔女の住処は近いのだろう。辺りにそれらしい建物は無かったが、レギーナも足を止め、それから少年にそっと耳打ちをする。
「…あちらの樹の影にでも、隠れていてくれますか」
「どうしたんだよ?」
「つけられてます。森に入ってからずっと」
 少年は目を丸くして、それから次いで不審そうに眉を寄せたが、レギーナの真剣な表情に気圧されたのだろうか。渋々と言った体で頷き、すばしっこい身のこなしで木陰へと姿を隠す。それを見送ってから、レギーナは険しい表情のままで背後を振り返った。
「…そろそろ姿を見せてください」
 ――それから、ゆっくりと視線を一点へと定める。
「私を不意打ちする積りですか」
 その言葉に木陰で灰色の影が蠢いた。一瞬だけ間を置いて、やがて愉快そうな笑い声が聞こえはじめる。
「うふふ、ハハハハ! 気付いてたのか!」
「……何だか甘く見られたみたいで、心外ですね。気配を隠す積り、無かったでしょう」
「いやいや? これでも精一杯隠れてた積りだよ? あはは、カンがいいなぁあんた。その形は冒険者か」
 答えながら姿を現したのは、灰色の女だった。髪も眼も、衣服も、背にした巨大な剣も、爪の先まで灰色だ。薄暗いとはいえ木々の緑にあふれる森の中で、まるでそこだけ、ごっそりと色彩を欠いたようにも見える。
「あなたは…傭兵、ですか?」
 疑問形になったのは、傭兵と呼ぶには毛色が違う、と感じたからだ。かといって同業者――冒険者、という風情でもない。立ち居振る舞いを見れば素人ではないことだけは分かるのだが。
 困惑するレギーナを余所に、女は大剣を構え直した。真っ直ぐにレギーナを見る瞳には、愉しげな感情が浮かんでいる。
「…私は村の連中から『魔女退治』を依頼されたんだ。あんたは?」
「子供達から、『墓荒らし』の退治を頼まれました」
 ふむ、と女は頷いて、それから更にこう問うた。
「じゃあ私がこれから『魔女』をぶちのめしに行く、って言ったらどうする?」
 レギーナは瞬間、躊躇して、背後の木陰に隠れた少年へ視線を向けた。今にも飛び出しそうな形相をしていた少年が、その視線を受けて再度引っ込む。
「…私の依頼主は、それを良しとはしないようです」
 そう返すと、女はニタリ、と、人の悪そうな笑みを浮かべて、
「なら、魔女退治の前に、あんたを排除しないといけない訳だ」
「え?」
 そうなるんだろうか――レギーナが困惑している間に、女が冗談みたいな脚力で地面を蹴りつけ、彼女の眼前に迫っていた。秒数で言えば1秒にも満たないだろう、巨大な、鉄塊と呼んだ方が良さそうな武骨な塊が迫るのを見ながら、レギーナの思考回路は火花が散りそうな速度で猛烈に回転した。短剣は駄目だ、受け流せるような一撃ではない。消去法でポーチから鋼糸を取り出してピンと張り、鉄塊を受け止めるのではなく滑らせ、その勢いで思いきり後方へ飛ぶ。――勢いを殺しきれずに樹の幹に叩きつけられたが、幸いにして身体がバラバラになるようなことはなかった。
 レギーナに体勢を立て直す余裕を与えまいと、女が再び地面を蹴る。今度は頭上――見るからに重量のある得物を抱えたまま、彼女は大樹の幹を蹴ってレギーナの頭上へ飛んだのだ。振り下ろされる一撃を転がってかわし、レギーナは再度考える。
(どうしましょう?)
 冷静に思考が回ったのは、眼前の女から、おおよそ殺意も敵意も感じられなかった為だった。――むしろ表情を見るに、「無邪気に遊んでいる」様子さえ感じられる。が、足元を狙うようにレギーナが低い体勢を取るや否や、彼女は大剣で地面を殴りつけた。大樹の幹がびしり、とひび割れる音を響かせ、地面に積もっていた落ち葉が全て衝撃で吹き飛び、抉れ、細い若木が次々と倒れ込んでくる。倒れ掛かってきた若木の中でも頑丈そうなひとつを足場に選び、レギーナは思いきり女の懐に潜りこむように、跳躍した。手には鋼糸。相手の意図が見えないが、遠慮をする必要もない、そう判断して、彼女は女の首を狙う。即座に反応して、灰色の女は大剣で自らの首を庇うと、巻き付いてきた鋼の糸を皮手袋に覆われた手で握った。無造作にそのまま引っ張ろうとするので、慌てて手を放す。牽制のために短剣の一つを投げつけ、再びレギーナは距離を取った。
 ドォン、と一際大きな音を響かせ、樹が倒れる。
(あの子、無事でしょうか)
 依頼主の少年の身を案じるレギーナが内心で冷や汗をかいていると、眼前の女が、不意に大剣を降ろした。灰色の頭をがりがりとかいて――そうすると、彼女の耳が猫科のケモノのそれであることが良く分かった。獣人系の種族だったらしい――
「悪い。子供を巻き込むつもりは無かったんだが、ちと熱くなりすぎた」
「え?」
 レギーナが背後を見ると、倒れた若木の影で、怯えたように少年が立ちすくんでいた。
「怖い想いさせたな。悪かった」
 再度、女が告げて、今度は頭を下げる。少年へ向けた謝罪らしい、と理解するのに少し間があった。少年の方も戸惑ったようで、眉根を寄せたまま猫耳の生えた頭を睨んでいる。依頼主と、襲撃者をそれぞれ見比べ、レギーナはようやく自らも構えを解いた。息をつく。
「少し、お話を整理する必要がありそうですね。…私はレギーナ。冒険者です。あなたは?」
「レギーナか。私はレシィ。まぁ、そうだな、本職は別にあるんだが、副業で傭兵やってる。ここへは魔女退治を頼まれてきたんだが、あんたは『墓荒らし』退治だって?」
 妙だな、と女――レシィは首を捻った。
「私が聞いた話だと、それも『魔女』の仕業だから、魔女を追い出せってことらしいが」
「あいつらは、『森の魔女』を追い出したいだけなんだ。余所者で、得体が知れないから、ただそれだけで」
 むっとしたような表情で、ようやく少年が口を挟む。
「…『墓荒らし』は魔女の仕業じゃない」
「…どうやら、その『魔女』の話を私も聞いてみる必要がありそうだな。レギーナ、私も同行しても構わないか?」
「私は構いません。…いいですか?」
 最終的な判断は依頼主に託される。少年は少しの間、猫耳の女傭兵を睨みつけていたが、やがて渋々と言った様子で頷いた。
「魔女を襲ったりしないなら、いいよ」
「オーケイ、約束しよう。何なら我らの始祖の名に誓ってもいい」
 彼女の一族の流儀なのだろうか、変わった決まり文句ではあったが、それだけ本気だと言うことだろう。レギーナは頷いて、女の隣に並んだ。


 案内された先にある魔女の家は、こぢんまりとして居心地の良さそうな小屋であった。少年の住む炭焼き小屋よりは年季が入っているようだったが、ここに生まれた時から住んでいる少年達すら、その小屋がいつからそこにあるのかは知らないのだと言う。
「それで、今日はどうしたの。お客さんなんか連れてさ」
 「魔女」だという人物はその小屋の中で、レギーナとレシィにお茶を勧めながら首を傾げて見せた。「魔女」と言うからてっきり女性だと思っていたのだが、レギーナの目の前に居るのは、20代かそこいらの男性である。
「屍喰鬼の件、この人にお願いしたんだ」
 少年の答えに、彼は僅かに眉を顰めた。一度嘆息してからレギーナに顔を向け、頭を下げる。
「…すまないね、子供の依頼なのに引き受けてくれたのか。あんな依頼、請ける人が居るとは思わなかったよ」
「いえ。子供が困っていると思えば、放ってもおけませんから」
 淡々としたレギーナの返答に、彼は困ったように僅かに眉を下げたものの、すぐに視線を落とし、硬い口調でこう告げた。
「しかし、屍喰鬼の件は俺の責任だ。申し訳ないが、この依頼は無かったことにしてくれないか」
 彼の言葉に、先に反応したのはレギーナではなかった。依頼主の少年だ。椅子を蹴立てて立ち上がり、彼は机を叩く。
「エメ! 何でだよ!」
「…ルル、俺は言った筈だよ。余計なことはするな、って」
 だが、魔女の返答は冷淡ですらあった。幼い顔を一瞬歪め、少年は怒りを持て余す様に息を吸ってからくるりと踵を返してしまう。
「もういい、エメのことなんて知らない!」
 吐き捨てるように叫んで彼が扉を乱暴に閉めると、場を沈黙が支配した。居た堪れない空気を破ったのは、レシィの方だ。
「…あんたの責任って、どういうことだい。魔女」
「…まぁ、うん、そうだな…。君達は村の人じゃないから、教えてもいいか」
 嘆息して、彼は机に頬杖をついた。憂鬱そうに、こう答える。
「簡単に言ってしまうと、俺は呪われてるんだ。一か所に留まると、異世界との『扉』が開きやすくなって、魔物が発生しやすくなる」
「あー。あんた、あれか。悪魔と契約しようとして、失敗したクチか」
 レシィの言葉にさすがに驚いて、レギーナは目を瞠った。彼女の青い瞳に見据えられ、居心地悪そうに青年が目を逸らす。
「俺じゃなくて、俺の元級友だよ。結局、そいつは契約に失敗して、近くに居た俺が巻き添え食った形だな。…ともあれ、そろそろ潮時みたいだ。俺はこの森を出ていくよ」
 そうすれば、屍喰鬼ももう出現はしないだろう、と。
 彼は淡々とそう答える。
 本当に彼の言う通り、彼の存在自体が魔物を引き寄せているのだとすれば、レギーナには返す言葉が無かった。ただ、彼が立ち去れば、子供達はきっと寂しいだろうな、とも思えたもので、安易に頷くことも出来ない。少しの間懸命に思案して――傍から見れば常の淡白な表情のままではあったが――、ようやっと彼女が絞り出せたのはこんな言葉だった。
「立ち去るならせめて、彼…ルルに、謝罪と、理由を告げてから行って下さい」
 でも、と反駁しかけた魔女の言葉にかぶさるように、続ける。
「…あなたのために依頼を出したんです。その気持ちは、くんであげてください」
 レギーナの言葉に何か思うところがあったのだろうか。魔女は目を伏せて沈黙し、一方レギーナの隣でレシィは全く空気を読まずにお茶を啜っていた。 しばしの思案に、しかし結論を下したのは魔女自身ではなく、外から聞こえてきた悲鳴であった。幼い少女の悲鳴。
「きゃああああああ!」
「ッ!?」
 レギーナは反射的に立ち上がり、外へ飛び出す。後から魔女とレシィがついてくるのを感じながら扉を開くと、そこには、依頼主の少年と、その妹。二人が今にも、屍喰鬼に襲い掛かられようとしているところだった。兄の方が妹を庇うように覆いかぶさり、そこに無慈悲な爪が振り下ろされる。鋭いそれは少年の背中を引き裂くかと思われたが、硬質な音を立て、あらぬ方へと弾かれた。
「大丈夫ですか、二人とも」
 手に鋼糸を構えたレギーナが駆け寄り、二人を立ち上がらせる。
「何で来たんだよ、サフィ!」
「だ、だって…魔女さんが心配、で…」
 兄の詰問に、妹が泣きながらそう答えているのを、魔女の青年は静かに見つめていた。それからゆっくり、二人へ歩み寄る。
「…ごめんな、二人とも。俺も慕って貰えたものだから嬉しくて、つい長居をしてしまった」
「魔女さん」
「君らの両親にも…惨いことをした。アレは俺の責任だ」
 そんなことはない、と否定を口にしたいところだったが、レギーナはその時、茂みから飛び出した屍喰鬼を食い止めるのに必死だった。屍を喰らう修正のあるこの魔物たちは、性質の悪いことに、屍が無くなると生きた人間を襲うようになる。特に子供や病人といった弱者を鋭く見抜き、的確にそうしたものを襲うのだ。
 つまりこの場の屍喰鬼たちの狙いは間違いなく、子供達である。
「レギーナ。ちょっと下がりな」
 茂みに警戒の視線を向けるレギーナの肩を、レシィが軽く叩く。視線を上げると、灰色の瞳に間違いなく自分と同種の怒りが浮かんでいるのが見て取れ、思わず言われた通りレギーナは一歩下がった。そこへ、
「…ふっ!」
 気合一閃。
 大剣で、レシィは茂みを薙ぎ払った。隠れ潜んでいた屍喰鬼達が数匹、悲鳴を上げて飛び出してくる。
「さて、姿さえ見えりゃこっちのもんだ。…子供達はこっちに任せな。こういう場所じゃあんたの方が小回りが利くだろ?」
「…分かりました。そちらは任せます」
 レギーナは鋼糸を構え直す。敵は屍喰鬼が4匹。こちらは一人で、背後に一応の援軍はいるが、あくまで子供達を護ると宣言している以上、多くは期待できまい。
「魔女さんは――」
「エメでいい。…多少なら魔法で援護できるが…」
 言葉を濁した彼の様子を見れば、妹の方ががっしりとそのマントの裾にしがみついていた。あれでは身動きはとれまい。苦笑して、レギーナは身を翻す。子供達を狙う上で邪魔だと察したか、屍喰鬼の一体が彼女に襲い掛かったのを跳躍でかわし、枝の上から糸を一閃。絡め取られた屍喰鬼はギィ、と耳障りな悲鳴をあげるが、動きを止めたそこに魔女の唱えた呪文が呼び出した小さな石の礫が直撃し、沈黙した。
 この世ならざる場所からやってきた魔物は息絶えると、死体のひとつも残さずに霧散していく。彼らが屍を喰らう性質を持つことを考えれば、皮肉なことのようにも思えた。
「あと3匹…」
 呟いたところに、屍喰鬼が一体弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。子供を襲った一体が、どうやらレシィに返り討ちにあったらしい。機を逃すまいとレギーナは追撃を始めた。






 戦闘は、呆気なく終わった。時間にしても数分だろう。知性の低い彼らはただただ「子供を狙う」という挙動を変えないもので、迎撃しやすかった、というのも大きい。
 辺りに他の気配がなくなったことを確認して、レギーナは大きく息をついた。
「…これでしばらくは大丈夫でしょうか」
「そうだね。でも、俺が居るとまた…」
 魔女の青年が顔を顰める。
「…やっぱり俺はここを立ち去るよ。長居をしてしまったのがいけない」
「え!」
 案の定、と言うべきか――子供達が目を丸くし、ついで言葉の意味を理解してゆるゆると泣き顔になって行くのを、レギーナはどうすることも出来ずに眺めるほかなかった。魔女の言う通り、彼が呪われている身の上でそうなっているのなら、長居が出来ない、というのも事実なのだろう。
 隣を見れば、レシィも複雑そうな顔をして子供達を見ている。
「……どうにか、ならないんでしょうか」
 ついそう零すと、レシィがうーん、と一つ唸った。
「難しいな。私は専門じゃないが、この手の呪詛は悪魔ともう一度交渉するくらいしか解呪方法が無いはずだ」
 では彼は、この先ずっと放浪を続けなければならないのだろうか。思案する彼女を余所に、レシィが笑った。
「なぁ魔女、エメ。一か所に留まらなければ呪いは影響しないんだろ?」
「? ああ、そうだが」
「なら、またここに来ればいい。少し時間を置いて、ほとぼり冷める頃に。…それで我慢出来るか?」
 後半の問いかけは、泣きべそをかき始めた少女へ向けたものだ。彼女は目を丸くして、それからまた、魔女の服の裾にしがみついた。
「また、来てくれる?」
 魔女は一瞬だけ苦い顔をしたものの、やがて観念したのだろう。幼い子供の頭をぽんぽんと撫でやりながら、
「そうだな。次の春にはまた来るよ、約束する」
「ほんと?」
「本当。…だからあんまり泣くんじゃない。兄ちゃんも泣いちゃうだろう」
 俺は泣いてないよ、と憮然とした様子で返す言葉が強がりであろうことは容易に知れる。レギーナはレシィの方を見上げて苦笑し、それから、小さく告げた。
「先に帰りましょうか。別れを邪魔するのも野暮ですから」



「…一応依頼は果たしたことになるのかなぁ、これ」
 森から村への帰り際、ぼそりと零された愚痴のような言葉に、レギーナは生真面目に首を傾げる。彼女の受けた依頼は「魔女を追い払う」ことで、レギーナの受けた依頼は「墓荒らしを退治する」である。
「一応、二人とも依頼は達成した、ということで良いのでは」
「…じゃ、そういうことにしておくか。…レギーナにも手伝ってもらったし、依頼料は折半でいいかな」
 そっち、あんまり依頼料出ないだろ、とレシィにずばり図星を刺されて、しかしレギーナは首を横に振った。元より赤字は覚悟の上で来たのだ。
「構いません。私は子供達から依頼料を受け取っていますから」
「そっか。…でもよく引受けたね、子供からの依頼なんて」
 我ながら確かにそう思う。レギーナは己のここまでの行動を振り返り、僅かに、ほんの微かに笑みを浮かべた。
「子供は、好きですから」
 その言葉に、レシィは一度目を瞠ってから、楽しそうに笑い声をあげた。
「そうか、奇遇だね。私もだ。…良かったらどう、ウチに寄って行かない? ここから近いし、子供が山ほど居るんだ。冒険者の話なんて滅多に聴けるもんじゃないから、話でもしていってくれると助かる」
 聞けば、寄り道するにしても左程の距離でもないようだ。
(どうしましょうか)
 帰り道に急ぐ理由は特にない。強いて言うなら財布の中が心もとないくらいか。僅かに躊躇したものの、結局、レギーナは彼女の提案に頷くことにした。



 ――後日、孤児院の子供達から質問攻めに遭い、レギーナは「屍喰鬼と戦う方が楽だったかもしれない」と後悔をする羽目になるのだが。
 それはまた、別のお話である。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 3856 / レギーナ 】