<東京怪談ノベル(シングル)>


闘神、真の戦い


 食わねば生きてゆけぬ。人も獣も、魔物の類も、それは同じである。
 自然と共に暮らす。それは例えば吟遊詩人の歌に登場する清らかな乙女のように、色とりどりの花々に囲まれて動物たちと仲良く過ごす事……ではない。花や小動物を愛でる事ではない。
 殺して食らう事であり、殺されて食われる事である。
 ガイ・ファングにとって動物は、凶暴な熊や猪であろうと愛らしい小鳥や野兎であろうと、絞めて捌いて食らう対象でしかない。植物もまた、すり潰して傷薬や香味にしたり、実を枝からもぎ取ったり根や地下茎を掘り出したりして、同じく食らうものでしかないのだ。
 逆に自分が死ねば、動物たちに食われ、植物たちに養分を吸収され、野ざらしの髑髏が残るだけである。
 人にとって自然とは、むしろ戦う相手なのではないか。
 そんな事を思いながらガイは、緑豊かな山林の風景を見回した。
 寝起きをしている洞窟の、周辺である。
 風にそよぐ、緑の木々。穏やかではある。
 獣が獣を喰らい、死したものは虫にたかられ、土に還ってゆく。そんな生きるための争いを包み隠した穏やかさだ、とガイは思う。
「……負けねえぞ、てめえらには」
 そんな言葉をかけても、返事などない。
 その代わり、気配が漂って来た。
 腹を空かせた熊や狼、ではない。魔物でもない。もっと不愉快な禍々しさを感じさせる気配。
「出て来やがれ」
 ガイは、声をかけた。
「不意打ちを仕掛けようってんなら、さっさとしな」
「……勘がいいね。まるで臆病な小動物みたいに」
 男が1人、木陰から姿を現した。
 真紅の鱗鎧をまとう長身の男。細く痩せこけた顔には、狂気が滲み出ている。
 どこかで見た顔だ、とガイは感じた。思い出せない。そして、思い出す努力をしている場合でもない。
「ガイ・ファング、あんたはただの動物だ。火を恐れて何も出来ない!」
 男の両眼から、狂気の眼光が迸り出る。
 炎が生じ、轟音を立てて渦を巻いた。
 火炎の攻撃魔法、にしては何かがおかしい。邪悪な魔力は確かに感じられるが、それはこの長身の男からではない。
 彼が身にまとう、真紅の鱗鎧からだ。
「この『赤竜の鎧』が、私に力をくれた! どんな勇者も小動物のように恐れさせる、炎の力を!」
 男の叫びに合わせて炎がうねり、ガイを襲う。
 激しく強力な炎だが、命中精度は劣悪と言っていい。
 ガイが1歩、巨体を後退させるだけで、紅蓮の渦は標的を見失って荒れ狂い、周囲の山林を薙ぎ払う。
 緑の木々が、炎に包まれる。
 洞窟の周囲は、一瞬にして火の海と化した。
「てめえ……!」
「命はもらうよガイ・ファング! あんたを倒せば大金が手に入る! もっと強力な魔法の武具を買いそろえて、私は無駄な努力もなしに最強の存在となる! 地味に鍛えて強くなるなんてのは馬鹿のする事さあ!」
 さらなる炎が発生し、轟音を響かせてガイを襲う。今度は比較的、狙いが正確ではある。
 どこで見た顔であったか、ガイはようやく思い出した。組合の窓口に、手配書が貼り出してあったのだ。
 炎の魔法を悪用し、放火や殺人・強盗を繰り返している賞金首。
 その正体は、どうやら魔法の防具を身にまとい、その魔力に呑み込まれてしまっただけの、単なる狂人のようである。が、手加減をしてやる余裕はない。
 一刻も早くこの男を倒さなければ、山火事が止められなくなる。
「心頭滅却……!」
 ガイは呟き、念じ、気の力を全身に巡らせた。
 筋骨たくましい巨体を、淡い白色の光が包み込む。
 そこへ炎が激突し、紅蓮の飛沫となって飛び散った。
 ガイは、無傷である。
「なっ……!」
 狂笑を発していた男が、声と表情を引きつらせて息を呑む。
 ガイは、地を蹴った。
 引きつり硬直している男に向かって、白い光をまとう巨体が、猛牛の如く突進して行く。
 心頭滅却、とガイは名付けてみた。気の力で耐熱能力を得る、新技である。
 男の怯えに呼応したかの如く、炎が生じ、渦を巻いた。そしてガイを包み込み、白い光に弾かれて飛散する。
 炎の飛沫を蹴散らしながら、ガイは片足を離陸させた。
 そして相手の男を、前方から踏み付けた。幾度も、幾度も。
「気功! 乱舞脚!」
 赤竜の鎧に、いくつもの大きな足跡が穿ち込まれる。
 中身の肉体が、一瞬にして原形を失った。
 潰れた鱗鎧と、人体の残骸が、一緒くたに吹っ飛んでゆく。
 ガイは周囲を見回した。
 火は、消え失せている。火炎の魔力の根源たる赤竜の鎧が、装着者もろとも破壊されたためであろう。
 残されたのは、直立する木炭の群れと化した木々。黒く無惨な、森の焼け跡である。
「こいつは……」
 ガイは絶句し、立ち尽くした。
 人にとって自然とは、むしろ戦う相手。
 その戦いに勝つというのは、しかし、こういう事ではないはずであった。


 黒焦げになった地面から、草の新芽が点々と現れつつある。
 木炭と化していた木々が、焼け焦げた樹皮を剥離させ、その下から枝葉を伸ばしてゆく。ゆっくりと、目では認識出来ぬ速度でだ。
 再生しつつある山林の中で、ガイは巨体を屈ませ、右拳を地面に打ち込んだ姿勢を保っていた。
 植物再生法。
 破壊された自然を、その土地の気脈を活性化する事で回復させる術法である。
 回復は遅く、だが術者の消耗は早い。
「ぐっ……」
 前のめりに倒れかけた己の身体をガイは、地面に拳を押し付けたまま辛うじて支えた。
 気力を、ほぼ全て地面に流し込んだ。
 そこまでして木々や草花を再生させようとしているのは、焼けてしまった山林に対する償い、というわけではない。
 自分が最低限やらなければならない事だからだ、とガイは思う。
 この山に意思があったとしたら、いくら償ったところで、自分を決して許してはくれないだろう。
「俺は、もう……ここにはいねえ方が、いいのかもな……」
 炎を使うような敵が、また攻めて来るかも知れないのだ。
 ガイは立ち上がり、目を閉じ、頑強な腹筋を凹ませて、絶叫のような呼吸音を響かせた。
 気功回復術。
 これで気力を回復させた後、再び植物再生法を行使する。山林が完全に甦るまで、それを繰り返す。
 この山を下りる事になるにせよ、これだけは済ませておかなければならない。