<東京怪談ノベル(シングル)>
夜風の女
人を殺して、物を奪う。最低の行為である。
そういう事を平気でやらかす者たちを、ガイ・ファングはこれまで大いに討伐してきた。賞金稼ぎとして、当然の仕事だった。
無論、正義の味方を気取るつもりはない。
だが人を殺して金品を奪うような輩を、剛力で捻り潰したり鉄拳で打ち砕いたりする事には、何の疑問も感じなかった。狩りの獲物として仕留め、金に換える。そうされて当然の者たちであると、ガイは思っていた。今も思っている。
「……俺も、そうかな」
呟いてみる。
深夜である。夜行性の生き物たちが、山林のあちこちで奇声を発している。
だから、というわけではないがガイは今、眠れなかった。
宿泊場所と定めた洞窟の中で、地面に座り込み、太い腕を組んでいる。
すぐ近くでは、修行仲間である男が、ガイに劣らぬ巨体を横たえ、呑気な寝顔を晒していた。
かつて死神と呼ばれた闘士。眠っていると、単なる気のいい大男にしか見えない。
ガイは眠れず、目の前にあるものを見据えている。
地面に置かれた、真紅の球体。
ガイの巨大な掌に載せると、いささか小さく見える大きさである。
夜闇の中で、淡く発光しているかのような輝き。
宝玉の類である事は間違いなさそうだった。
ガイは、人を殺して、これを奪った。
結果として、そういう形になってしまったのだ。
赤竜の鎧を着ていた男の、遺品である。
原形のなくなった屍を、せめて墓でも作ってやろうと思いつつ運び上げた際、転がり落ちてきたのだ。
値打ちもんなら、売っちまえばいいじゃねえか。死神はそう言った。あんまり深く考える事じゃねえと思うぜ、とも。
確かに、その通りではあるのだ。
返そうにも、持ち主であった男はすでに死んでいる。殺さなければガイが殺されていた、だけではなく大規模な山火事が起こっていただろう。
そういう理屈は抜きにして、最後に残った形だけを見てみると、やはり自分が殺して奪ったという事にしかならない。ガイは、どうしてもそう思ってしまう。
「……お悩みのようですわね」
声がした。冷たい夜風を思わせる声。
涼やかな眼差しを、ガイは感じた。
洞窟の入口付近。微かな月明かりの中、ほっそりと優美な人影が佇んでいる。
「殿方は、私たち女からすれば取るに足りない事で案外、深くお悩みになるもの……ですが、貴方がそのような方で助かりましたわ」
ガイは呆然とした。自分に最も縁がない、と思われる存在が、そこに立っていたからだ。
美しい、女性である。
細く優美な身体は、マントかローブか判然としないものに包まれている。
「その宝玉が元々、私たちのものであると申し上げたら……貴方のお悩み、綺麗に解決するのではなくて?」
「そいつは……そうだが」
女性と普通に会話をするのは、もしかしたら生まれて初めてかも知れない。そんな事を、ガイは思った。
「それは赤竜の鎧を着た男が、私たちの聖地より奪い去ったもの」
女性が言った。
「我が一族の、新たなる命の誕生を司る秘宝……返して、いただけますわね?」
涼やかな眼差しが、静かに燃え上がる。
この女性は命を捨てている、とガイは感じた。自分と戦い、刺し違えてでも、この宝玉を取り戻そうとしている。
単なる美女ではない事は、見ればわかる。
何しろ声をかけられるまで、ガイはその存在に全く気付かなかった。気配を、感じなかったのだ。
眠れずにいたガイであるが、もし熟睡している時に、この女性が訪れていたとしたら。
宝玉をあっさり取り返されていた、だけではない。彼女が賞金稼ぎの類であったとしたら、ガイは殺されていただろう。
それをせず、自分がこうして目を覚ましている時に、堂々と話しかけてきた女性。
信じる理由としては充分だ、とガイは思った。
一族の、新たなる命の誕生云々といった事情も、今はどうでも良い。
ガイは立ち上がり、歩み寄り、真紅の宝玉を手渡した。
ガイの掌に載せると小さく見える宝玉。女性の繊細な両手で、辛うじて包み込める大きさである。
それを美しい五指で愛おしげに撫で、マントあるいはローブの懐にしまい込みながら、彼女は言った。
「願いを1つ……叶えて差し上げられますわ」
「願い? 俺のかい」
「ええ。宝玉を取り戻して下さったお礼に……おっしゃって? 貴方の、望みを」
まじないのようなものだろう、とガイは思う事にした。
「……賞金首を、そろそろ廃業してえんだがな」
「賞金稼ぎの方々に、お命を狙われていらっしゃる?」
「ああ。それはそれで実戦の修業になってたけどよ……山火事を起こしてまで、続けるもんじゃねえからな」
無惨に焼かれた山林を、今は再生させている最中である。
そこへまた、炎を使うような賞金稼ぎが攻めて来ないとも限らないのだ。ガイの首に、賞金が懸かっている以上は。
闇社会の大物たちが、高額の賞金を懸けてまで、ガイの命を狙っている限りは。
このたおやかな女性に、それを取り消させる事など、出来るわけがない。
だが、彼女は言った。
「お金が目的で貴方を狙う方々は、いなくなりますわ」
その優美な姿が、ふわりと翻ってガイに背を向ける。
「穏やかな日々が、貴方に訪れるでしょう……戦いが恋しくなるほど、穏やかな日々が」
夜風が、洞窟の中に吹き込んで来る。
ガイがそれを感じた時には、女性の姿は消えていた。
「おいおい……一体、何が起こったんだよ」
ガイは思わず、そんな言葉を発していた。
山麓の町である。
ちょっとした買い出しのついでにガイは、賞金稼ぎ組合の窓口に顔を出していた。
堂々と貼り出されてあった賞金首ガイ・ファングの手配書が、撤去されていた。
寂しさ、に近いものを、ガイは感じてしまったのだ。
「そいつは、こっちの台詞さ」
窓口の係員が言った。
「まったく、わけがわからんよ。とにかく組合の上の方から、あんたの手配書を全部剥がして捨てるように命令が来たんだ。闇社会の旦那方が、あんたに懸けていた賞金を取り消しちまったらしい……あきらめた、とも思えないんだがな」
あの女性が、何かをした。
闇社会に、何かしらの働きかけを行ったのか。
(あの女……裏町の顔役か何か、だったのか?)
考えて、わかる事ではなかった。
魔力の類か、あるいは得体の知れぬ影響力か。
とにかくガイにとっては計り知れぬ手段を用いて、あの女性は本当に、願いを叶えてくれたのだ。
得体の知れぬ力、でも何でもない。単純に強いだけ、なのかも知れない。
だとしてもガイは、戦ってみたい、とは思わなかった。
どれほど強くとも、女性を戦う対象として見る事は、ガイには出来なかった。
|
|