<東京怪談ノベル(シングル)>
新たなる夢へ
誰もいなくなった塔内に、夜明けの日光が射し込んで来る。
エルファリアの膝に抱かれたまま、レピアは石像に変わっていた。
塔の主であった魔女は、人の心を取り戻し、咎人の呪いより解放された。
だがレピアの身を苛むそれは、一向に解けない。
人の心を取り戻す、と言うより、誰よりも強い人の心をすでに持っているレピアが、これからも咎人の呪いに苦しめられる事となる。
「私は……貴女に、何をしてあげられるの? レピア」
エルファリアが問いかけても、レピアは答えてくれない。固く冷たい石像と化したまま、膝の上で眠っている。
「いつまでも傍にいてあげる……それしか、ないと思うわ」
声がした。
姿を消した、と思われた魔女が、いつの間にかそこに佇んでいる。
「だけど貴女が……聖獣王の血を引く貴女が、その長い生涯をなげうつ覚悟を持てると言うのなら……」
「……出来るのですか、咎人の呪いを解く事が……レピアを、救う事が」
膝の上で石像を抱いたまま、エルファリアは問いかけた。
「生涯をかけて誰か1人を、ようやく救う事が出来るかどうか……人の力など、その程度のものと聞いております。その誰かが、私にとってはレピア……教えて下さい。咎人の呪いから、貴女のようにレピアを解き放つ方法を」
「私にかけられていた、ちんけなものとは違うわ。傾国の踊り子を束縛しているのは、人間の憎しみと哀しみを根源とする本物の『咎人の呪い』……私のように、ぐれて改心したくらいで解けるような代物ではないのよ。それでも、まあ同系列の呪力である事は確かだから」
魔女が、エルファリアの傍らで身を屈め、レピアの石化した髪を撫でた。
「私でも……助言の真似事くらいは、してあげられるかも」
気が付いたら、服を脱がされていた。
「……あれ……ここは……」
レピアは、うっすらと目を開けた。
湯煙と岩肌、そして湯。
見慣れた、と言うより懐かしい、温泉の風景である。
「おはよう? レピア」
懐かしい声。懐かしい、エルファリアの姿。
何もかも懐かしい、エルファリア別荘の露天風呂だった。
レピアは、服を脱がされたと言うより、汚れたボロ布を身体から剥ぎ取られていた。
「え……あたし、石になってた? どうやって運んで来たの?」
「貴女にはね、石の小さなお人形になってもらったわ……まったくもう。どのくらい、お風呂に入っていないの」
そんな事を言いながらエルファリアが、レピアの全身を洗いにかかっている。まるで洗濯物のようにだ。
「積もるお話はあるけれど、その前に……綺麗になりましょうね」
エルファリアの綺麗な手が、レピアの白い肌のあちこちを揉み洗う。
揉まれ、洗われ、レピアは身をよじった。
「ち、ちょっとエルファリア、くすぐったいから! 痛いから!」
「はいはい、大人しくしましょう」
エルファリアが何かを念じ、呟いた。
呪文。
それに気付いた時には、レピアの身体は動かなくなっていた。
「こ……これって……エルファリア……?」
「……ごめんなさいねレピア。石化の、魔法よ」
エルファリアは言った。
「魔女の方から、咎人の呪いに関して色々と教わったの。もちろん私の頭では理解出来ない事が大半だったけれど……呪いの仕組みを応用してレピアだけを一時的に石化する、くらいの事は出来るようになったわ。貴女がまた獣に変わって暴れ始めた時のために」
エルファリアが何を言っているのか、レピアにはよくわからない。
ただ1つ、魔女、という単語だけが頭に残った。
「魔女……そうだ、あいつ……!」
身体が、手足から少しずつ、石に変わってゆく。
そうでなければレピアは即座に露天風呂を飛び出し、魔女の塔へと向かっていたところであろう。エルファリアをあんな目に遭わせた女を、蹴り殺すために。
「あの女……あいつだけは、許さない……!」
「駄目よ、レピア」
エルファリアが、厳しい声を発した。
たおやかさの中にある、この厳しさも、ひどく懐かしい。
「あの方は、人の心を取り戻した……だから貴女も、憎しみは捨てて」
だけど、あいつはエルファリアを。
そう言葉を紡ごうとする唇までもが、石に変じてゆく。
完全に石像と化したレピアを、エルファリアは丁寧に丹念に、隅々まで洗い続けた。
「あー……ひどい目に遭った」
夜の街を歩きながら、レピアがぼやく。
身に着けているのは、エルファリアから借りたドレスである。
「まさか、この時間帯に石になるとは思わなかったよ」
「石になりたくなかったら、あの方への憎しみは捨てる事。いいわね?」
言葉と共にエルファリアが、じっと金色の瞳を向けてくる。
レピアは、頷くしかなかった。
「わ、わかったよ……エルファリアが、あいつを許すって言うんなら」
「そういう事。貴女も私も、こうして元通り、また一緒に歩く事が出来るわ。それでいいじゃないの」
嬉しそうにエルファリアが、レピアの腕にしがみついて来る。
「またレピアと一緒……私は他に、何も要らない……」
「エルファリア……」
本当に、これでいいのか。レピアはふと、そんな事を思った。
無論、エルファリアの気持ちは嬉しい。自分にとっては、身に余る幸福だ。
(あたしは、こんなに幸せじゃいけない……あたしみたいな、呪われた女が……)
その呪いに、自分はエルファリアを巻き込んでしまっている。
この王女は今まで、獣に変えられ食い殺されかけたりと、散々な目に遭ってきた。
レピア1人に施されているはずの『咎人の呪い』が、エルファリアの身にも及んでいる。要するに、そういう事ではないのか。
この場にいない魔女に、レピアは心の中から語りかけた。
(あんたの事、許してあげるよ……あたしに、あんたを責める資格はない……)
「……つまらない事を考えているわね? レピア」
エルファリアの黄金の瞳が、間近からレピアの目を覗き込んでくる。
「そ、そんな事ないよ。あたしもエルファリアと一緒で幸せで……こんなに幸せでいいのかなって、そんな気分になっちゃって」
「貴女が不幸になったところで、誰の助けにもならないわ」
言いつつエルファリアは、目立たぬ建物の前で立ち止まった。
アルマ通りの片隅でそっと営業している、小さな仕立て屋。
実は知る人ぞ知る職人の店で、エルファリア以外にも、王侯貴族の見る目ある人々が贔屓にしている名店である。
「新しい踊り衣装を、仕立ててもらいましょう」
エルファリアは微笑んだ。
「貴女は踊り子、多くの人々を幸せな気分にさせるのが仕事でしょう? まずは貴女自身が、幸せにならなければ……ね」
踊り衣装を身にまとうのは久しぶり、という気がする。
「以前のものと、あまり変わらない衣装になってしまったわね結局」
ベッドに腰掛けたエルファリアが、少しだけ残念そうな声を発した。
王女の別荘の、寝室である。
「レピアの新しい装いも、見てみたかったわ」
「だってエルファリアが全部ダメ出ししちゃうんだもん。あたしの注文」
「レピアが際どいものばかり注文するからよ……仕立て屋さんも困っていたじゃないの。駄目よ、あんな胸と腰に紐を巻き付けただけの」
ふわり、とエルファリアがベッドから立ち上がり、身を寄せて来た。
美肌も露わな踊り子の肢体に、たおやかな細腕が絡み付く。
「今の格好だって充分、際どいのに……これ以上、私以外の誰かに肌を見せる事は許可しません」
「ち、ちょっと……」
か弱い王女の腕を、レピアは振り払う事が出来なかった。
エルファリアが、泣いているからだ。
「貴女は私だけの踊り子なのよ、レピア……」
「エルファリア……」
「寂しかった……」
応える言葉を、思いつけない。
レピアはただ、エルファリアを抱き締めた。
2人の身体はいつの間にか、ベッドに倒れ込んでいた。
「咎人の呪いを、解いてあげたい……」
レピアの強靭な細腕と豊かな胸に抱かれたまま、エルファリアが声を震わせる。
「それが出来ないのなら、貴女の呪いに巻き込まれてもいい……レピアと同じ呪いを、私も」
「馬鹿……」
レピアはエルファリアを、思いきり抱いて黙らせた。
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