<東京怪談ノベル(シングル)>


深い森の魔女―中編

青ざめた表情でかしこまる斑咲に、王女にして主たるエルファリアは椅子から立ち上がると、もう一度確かめるようにゆっくりと言葉を紡いだ。

「間違いないのですね?斑咲」
「はい、エルファリア殿下。彼女―レピアは聖王都の郊外にあります深き森の館に住まう魔女に囚われ、人の姿をした獣にされております」

今にも別荘を飛び出していきそうな勢いのエルファリアを制するように、斑咲はぐっと言葉に力を込め、恐れながら、と主の顔を見据える。
普段滅多にしない行為。だが、そうでもしなければ、エルファリアを止めることなどできはしないと分かっていた。

「エルファリア殿下おひとりで乗り込むのは危険すぎます。相手は多くの少女たちをかどわかしている邪悪なる魔女。御身にもしものことがあれば、陛下がどれほど御心痛あそばされるか……どうか、軽はずみな行動はお慎みください」

片膝をついて、深々と頭を垂れる斑咲に少々、気圧され、後ずさるエルファリアだったが、囚われている友人・レピアへの思い、辛うじて踏みとどまった。
気を落ち着かせるように、もう一度椅子に座るエルファリアを見て、斑咲はほんの少し安堵の表情を浮かべるが、すぐに気を引き締めて、説得にかかる。

「囚われたのは私の大切な友人……半年以上も消息が分からず、とても心配していたのです。ようやく居場所が分かったというのに、助けに行くな、という道理はありません、斑咲」
「いえ、そうではありません。殿下御自ら動くことはお止め下さいと申しているのです。相手が相手故、手練れの冒険者たちに依頼をかけるか、騎士団を動かすか……そういうことをお考えください」
「友を救うのに他者の力を借りよというのですか?!自分は安全なところにいて、他の者を危険にさらすなど……私には、そのようなことできません!!」

冷静に押しとどめようとする斑咲の意をくもうとせず、エルファリアはひどく激昂すると、椅子を蹴倒して立ち上がり、部屋を飛び出して行ってしまう。
その姿を見送りながら、斑咲は大きく息を吐き出した。

「何が起こるか分からないから、軽率な行動を取るな、と言ってるのが分からないのか?友人思いは良いが、聖獣王の娘だと自覚してくれ、と言ってるんだ」

ぼやきとも呆れとも取れるつぶやきをこぼし、斑咲は本件を報告すべく、聖獣王の元へと駆け戻る。
何かしらの咎めを受けるとも考えられるが、王の事だ。自分の娘のことはよく理解しているので、そういったことはない、と分かって入る。
それでも斑咲は気が滅入って仕方がなかった。

―深き森に隠されし館。その館に住まうは、一人の邪悪なる魔女。
―彼のものに見つかるな、彼のものより姿を隠せ。
―囚われれば二度と戻れぬ。捕まれば人でなくなる。
―恐ろしや、恐ろしや。
―隠れよ、逃げよ、捕まるな

街に広がるはやり歌のような警告。
年頃の美しい娘たちは息をひそめ、魔除けの施された家から一歩も出ようとしなくなり、大人たちは魔女除けの守りを絶えず身に着けて、街を歩き、商売をする。
そんな重苦しさは自然と活気を奪い、暗い空気が街を支配していた。
別荘を飛び出し、森へ向かおうとしたエルファリアは街の様子と攫われた少女たちの噂を聞くたびに、胸を痛め、囚われているだろうレピアへの思いを一層強くさせた。
闇を纏い、多くの人々の思いを食らっているような、魔女の住む深い森の入り口にたどり着いたエルファリアは一瞬、その気配に圧倒されそうになるが、意を決して踏み込んだ。

昼間だというのに、全く薄暗く、生い茂った木々が天で輝いているだろう太陽の光を弱めてしまってるだけでなく、エルファリアは今、自分がどこにいるのかすら分からなくなっていた。
時折、人とは思えぬ、不気味な唸り声に足を止め、エルファリアは周囲を見回しながら、奥にあるという魔女の館へと少しずつ進んでいるつもりだった。
手入れがされていない茂みを突っ切り、少しだけ拓けた窪地に出た瞬間、前方の茂みが突如、大きくざわめき、エルファリアはぎくりと身を竦めた。
同時に聞こえてきたのは低く、人とは思えない唸り声。
だが、どこか聞き覚えのある声、とエルファリアが思った瞬間、それは茂みを大きく揺さぶって飛び出して、無防備なエルファリアを地面に押し倒す。

「きゃぁぁぁっ!!!」

何が起こったのか、一瞬理解できず、悲鳴を上げたエルファリアの鼻を凄まじい悪臭が付き、思わず顔をしかめた。
だが、自分の肩を押さえつけるものの前脚の感触が獣のそれとは違うことに気づき、エルファリアはきつく閉じていた目をゆっくりと開き―あまりのことに絶句した。

「ぐるるるるるっ」
「れ、レピアッ!!なんてことなのっ」

その眼前にいたのは、行方知れずとなり、身を案じていた友人・レピアその人。
だが、自慢の踊り子衣装は見るも無残にズタズタに切り裂かれ、全身のあちこちは汚物にまみれている。
それが鼻をつくような凄まじい悪臭の元となっていたことにエルファリアは気づき、ひどく心を痛めた。

「レピア。分かりますか?私です、エルファリアですよ」

優しく、微笑みながら、そっと獣と化したレピアの頬に手を伸ばすが、寸前で、レピアは乱暴にエルファリアを突き飛ばして離れると、ぐるるるるるっと、威嚇の声を上げて、睨みつけてくる。
それでもひるまずに触れようとするエルファリアにレピアは苛立ったように牙をむき、容赦なく獣のように爪を振り下ろす。
鋭く研ぎ澄まされた爪に衣服が切り裂かれ、白い肌に鮮血が浮かぶ。
だが、エルファリアは何とかレピアを正気にさせようと、構わずに呼び続けるが、全て徒労に終わった。

「あらあら、なんて愚かで可愛らしい方なのかしら、エルファリア王女。そんなことをしても無駄だというのは分かりませんか?」

くすくすと楽しげな、だが、悪意のこもった女の声が響き、それに反応するようにレピアはエルファリアから離れると、嬉しげに犬のごとくかしこまる。
一陣の風が吹き抜け、思わずエルファリアが目を閉じ―次に目を開けた瞬間、邪悪としか言いようのない笑みを浮かべた漆黒のローブをまとった魔女が悠然と立っていた。

「貴女がこの森に住まう魔女……どうして、このようなひどい事が出来るのです?!」
「楽しいからよ、王女様。貴女のように高貴な生まれの方には分かると思いますわ。生まれながらにして、多くの者にかしずかれ、大事に大事に守られてきた偉大なる聖獣王のただ一人の世継ぎ、唯一の王女」

切り裂かれた衣服を押さえ、毅然と問い詰めるエルファリアに魔女は表情を少しも変えずに、ごく当たり前とばかりに言い放つ。
その答えにエルファリアは背筋に冷たいものが走るのを禁じ得なかった。

「ここにいるペットたちは皆、私を守り、楽しませるために存在しているのよ、王女様。美しい者に守られながら、私はこの森の館で暮らしているだけ。貴女と同じようにね」

にこやかに笑って見せる魔女にエルファリアはキッと眦と釣り上げると、凛とした表情で彼女を見据えた。

「いいえ、違います」
「なんですって?」
「確かに私は王女として、守られてきました。けれど、ただ守られるだけでなく、多くの人々を守る義務を同時に背負っているのです。多くの人々が私を愛し、守ってくれるように、私も多くの人々を愛し、守ります。だからこそ、ここに来たのです!私が愛する友人を、民を救うために!!ただ力で人をねじ伏せているだけの貴女を心から守ろうとは誰も思わない!!」

王女としての気品と誇りを滲ませて、毅然と言い放つエルファリアに一瞬だけ、魔女は圧倒されるが、すぐに顔を真っ赤に染めて怒りを爆発させた。

「黙れっ!!世間知らずの、愚かな王女!!」

逆上した魔女の叫びに呼応し、一瞬にして地面に描かれて魔法陣から伸ばされた無数の黒い手がエルファリアを捕え、勢いよく地面に叩き付ける。
息が詰まるほどの激痛にエルファリアが顔をしかめつつも、ひるむことなく言葉を紡いだ。

「人に愛されたいなら、人を愛しなさい。でなければ、誰も貴女を愛してくれない」
「お黙り!!その生意気な口、封じてくれるわっ」

激昂した魔女はさらなる魔力を黒い手に注ぐ。
無数に分かれていた手は融合し、大きな二つの手になると、エルファリアの全身を包み込み、固く握りしめる。
漆黒の光が指の隙間から零れ落ち、やがて終息し、地面に無造作に落とされる。
そこに転がっていたのは、灰色の石像と化したエルファリア。
怒りに身体を震わせた魔女は己が魔力を使い、王女を石像としたのだが、それだけでは収まらなかった。
ぐるりと周囲を見回し、怯えたように身をすくませるレピアを見ると、魔女はにやりと妖艶に微笑んで、無造作に命じた。

「レピア、この忌々しい石像を砕いておしまい。その上で私が大事に、大事に愛でてあげましょう。王女様」

その命を聞くや否や、レピアは嬉々として石像に襲い掛かると、なりふり構わず腕を振るって、石像を打ち砕いていく。
親友の手で、大きく八つに砕かれていくエルファリアの姿を、魔女は狂ったように笑いながら眺めていた。

数日後、街で一つの噂がささやかれた。

―麗しき我らが王女エルファリア様が魔女に捕まった
―いや、捕まっただけでない。その身に呪いをかけられ、石像にされたとか
―それだけではなく、その身を八つに引き裂かれ、魔女の館に飾られたそうじゃ
―おお、なんと無残な
―帰らずの森じゃ、あの森は。踏み込めば誰も帰ってこられぬ
―なんと惨い。だれぞ王女様をお救い出来る者はおらぬかのう

真実か否かを確かめることはできないまま、噂は何日も何日も街の中を駆け抜けていった。