<東京怪談ノベル(シングル)>
深い森の魔女―後編
八つに引き裂かれたエルファリアの石像を憎悪の眼差しで見下していた魔女だったが、やがて冷静さを取り戻し、にやりと微笑を口の端に浮かべた。
そして、忠犬よろしく、傍らでうずくまるレピアを見た。
「レピア、この石像を館に運んでおいで。このまま野ざらしにするよりも、この私の役に立ってもらおうじゃないか」
くくくっと喉を鳴らし、大きく高笑いを上げながら館へ戻っていく魔女にレピアは大きく一声鳴くと、バラバラに散らばった石像を一つずつ館へを運びこんでいく。
八つのうち、顔は寝室に、胸は浴室に運び込ませると、魔女は満足そうに石像のエルファリアに触れ、微笑んだ。
聖獣王の一人娘、というが、強力な魔法を使うどころか、低級の―大した魔法さえ使えない王女様と来た。
だが、どんなに使えなかろうと、聖獣王の娘。その身に秘めたる魔力は絶大なはず。
―ならば、わが身のために、魔力増幅装置として有意義に使わせてもらう。
くすくすと心底楽しそうに笑いながら、魔女は愛でるに値しない石像部分を無造作に屋敷の広間に置いておいた。
思った通り、石像からあふれ出る強い魔力が体中に満ち溢れ、魔女は満足そうに寝台に寝そべると、エルファリアの顔を愛でるように一撫でする。
美しいもの―特に美少女・美女に目がない彼女にとって、エルファリアの美しさは十分すぎるほどの満足感を与えた。
「この美貌、やはり愛でるに値する。美しいものは我がもとで愛でるに限る……悔しかろう?エルファリア。だが、全ては軽率なるお前が悪いのだぞ?たった一人で我がもとに来たりするから、このような目に合うのだ」
狂ったように笑う魔女にエルファリアの身体からあふれ出る魔力を受け、高まっていく力に酔いしれていった。
―エルファリア様が行方知れずに。
―深き森の魔女の卑劣な罠に捕まったそうだ。
―その身を石像に変えられて、八つに引き裂かれたんだらしいよ。
―おいたわしや、王女様。卑劣なる魔女の手の内に
―おいたわしや、おいたわしや
嘘と真実を混ぜ込んだ話が聖王都中に流れ、王宮内でも行方知れずとなった王女捜索・救出が始まって数か月が過ぎていた。
森の最奥にある館では、変化が起こりつつあった。
豪華に飾り立てられた無人の広間に、突如として巻き起こる風の渦。
空間を歪め、かき混ぜるような風が消え失せると、そこには館の主たる魔女が降り立っていた。
軽々と床に足をつけた瞬間、魔女は不思議そうな表情を浮かべ、腕や足に首を回して背のあたりを見る、などといった動きをして、全身を隈なく見て、また首を傾げ、頭を掻いた。
気まぐれに街へと行き、自分好みの美少女や美女を物色していたのだが、人さらいの魔女の噂は王都中に広まっていたせいで、一人で出歩く者などいるわけがなく、仕方なく引き上げてきた。
だが、この数か月。館から離れ、街へと行くたびに全身を襲う激痛が薄れてきていた。
同時に少女を攫うことや理性を奪い、野生化させた少女たちを見るたびに、ひどい罪悪感を覚えるようになったことに気づき、そんな自分に魔女は戸惑いを覚えていた。
「いったい、なんだっていうの?痛みがなくなりつつあるのは、呪いが解けてきている証拠よね。でも、この罪悪感はなんなの」
見当もつかない、と苛立ったように、魔女は寝室のベッドに寝転がると、顔だけとなったエルファリアの石像を撫でつつ、ため息を吐き出すしかなかった。
己を縛める呪いが解けかかってきていることは喜ばしい。
館の四方を囲むように結界の柱を作り上げ、大地の魔力や野生化させて、番犬代わりとしている少女たちからあふれ出る魔力を集めて、解呪の術に使っていたが、それが何かの影響を及ぼしたのか、と思い至り、魔女は慌ててベッドから起き上がると、地下にある書庫へと駆けこんで、しらみつぶしに書物や古文書を当たった。
だが、館に使った術にそういった力はなく、ただ己を縛る苦痛のみを取り去るだけ、としか記されていない。
そこまで調べ終わった魔女は深々とため息を吐き出し、天を仰いだ。
結界を張ってから数か月。呪いが解けるのはもう間もなく。
喜ばしいのに、いまいち喜べない自分に魔女は言い知れない不安に襲われるのだった。
夜空を彩る白銀の月が満月へと変わる頃、結界の柱に変化が起こった。
流れ込む魔力を受け、四方の柱は淡く光り輝いていたが、ふいにそれが蒼い光を内から放ち、その表面に無数の亀裂が走っていく。
館の寝室で、その異常に気付いた魔女は気色に顔を輝かせて、その様子をじいっと見守った。
蒼から赤へと光の色が変化し、やがて強烈な閃光を放ったかと思うと、音もなく四方の柱は同時に砕け散る。
と、同時に魔女の身体にその光が降り注ぎ、パアンっと空気が破裂する音を立てて、見えぬ何かが消え失せていくのを感じ取った瞬間、その身からどす黒い何かが掻き消えて、天空へと立ち上って消えていった。
閉じていた目を開けた瞬間、魔女は長い夢から覚めたように、しばし呆然としていたが、館の外から聞こえてきた少女たちの人ならぬ遠吠えにハッとなった。
慌てふためいたように、外へ飛び出すと、口のあたりをよだれでべったりとさせ、頭から泥や汚物を浴びて汚れきったレピアを筆頭とする少女たちが輪を作って吠えたてていた。
美しかっただろう手や足は傷だらけになっただけでなく、爪は伸び放題で、血と泥が入り混じったものが張り付き、艶のあっただろう髪は伸び放題、汚れ放題。まるで山姥のようなザンバラ髪を振り乱していた。
それを目の当たりにした瞬間、魔女はああ、と短い声を上げて、その場に崩れ落ちると、己がしでかした罪業に打ちのめされてしまった。
「なんて……なんてことを私はしたの?」
今までの魔女からは絶対に出なかったであろう後悔の言葉。
それに応えるように、魔女を取り囲むように、ふわりと八つの石材―砕かれたエルファリアの身体が現れた。そこからは柔らかい、清廉な光があふれ出て、大地に降り注いでいた。
そう、己の呪いを解くために大地の魔力を吸い上げていた魔女だったが、同時にエルファリアの身からあふれた魔力が大地を伝って吸い上げられ、呪いを解くだけでなく、魔女の邪悪な心を完全に浄化させていたのだ。
「あああ、王女殿下。エルファリア様。なんとおいたわしいや……すぐに解放いたしますゆえ、どうぞお許しを!!」
その光に応えるように、魔女はすっくと立ち上がると、両手を天に向かって突きあげ、解放の魔法を解き放つ。
七色に輝くオーロラのような光のベールが森中に降り注ぎ、砕けたエルファリアや駆け回っていた少女たち一人一人を包み込み、すうっと消えていく。
気づくと、エルファリアは館の前にある庭に立っていた。
その周りには困惑し、泣き出しそうな表情をした攫われた少女たちが身を寄せ合って、座り込んでいる。
「これはいったい?」
「全ての呪いを解いたのです。エルファリア様」
呆然となるエルファリアの前に両膝をついた魔女が頭を下げ、許しを請うようにかしこまった。
「私の愚かなる振る舞いでエルファリア様や何の罪もない少女たちに大変な思いをさせてしまったことをお詫び申し上げます。貴女様の大いなる魔力が私の中の邪悪な心を打消してくださったお蔭で、己が罪の大きさに気づきました」
怯え、小さくうずくまる少女たちに魔女は合わせる顔もありませんと、ひたすら頭を下げ、エルファリアの前に額を擦り付けた。
「彼女たちは元通りの姿で街へと返し、私はこの森から去って、どこかで静かに暮らします。もう二度とエルザートには近づきません」
「魔女殿。正しい心を持ったのならば、同じように苦しむ人たちを救いなさい。それが贖罪となりましょう」
情けないとばかりに縮こまる魔女にエルファリアが慈悲深い笑みを向けたその時、狂ったような遠吠えが聞こえた。
少女たちが悲鳴を上げ、エルファリア達のそばに逃げたそこに、にたりと獣じみた笑いを浮かべ、ザンバラ髪の女―レピアが幽鬼のようにゆらりと姿を見せ、ぐるるるるるっと低く唸り声を上げた。
無残極まりないレピアの姿にエルファリアは言葉を失くし、魔女は驚愕して頭を抱えた。
「なんてことっ!彼女―レピア殿への術が強すぎたのだわっ!!エルファリア様、あの方は完全に人の心を失ってしまったんです。全て私のせいです」
悔しげに地面をたたいて、嘆く魔女にかける言葉もなく、エルファリアはおおーんっと遠吠えを上げる親友・レピアに愕然としながらも、放っておくことなどできはしなかった。
行方知れずだった王女と魔女に捕まった少女たちが無事に街へ戻ってきた、と明るい話が街を駆け抜け、一時、お祭り騒ぎとなった。
だが、エルファリアの心は晴れることはなかった。
野生化したままのレピアを別荘に連れ帰ったが、一向に戻る気配はなく、相変わらず獣のようにはい回っていた。
同じように野生化した者や魔物と生きるためとはいえ、戦わされたことが一因となっている。ですが、どんなに時間が掛かろうとも、必ずや呪いは解けましょう、と解呪の魔法を残してくれた魔女の言葉を胸に、エルファリアは暴れ狂うレピアを見捨てず、共に過ごす道を選んだのだった。
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