<東京怪談ノベル(シングル)>
新たなる1歩、変わらぬ1歩
「これが最後の機会になるかも知れねえんだぜ、ガイの旦那」
船長が言った。
「俺たちと一緒に帰ろう。命を粗末にしちゃあ、いけねえよ」
南の大陸の、正門とも言うべき港町である。
ガイをここまで運んでくれた貨物船は、ここで荷物を降ろした後、この大陸からソーン本土へと運んで行くものを新たに積み、出発する事となる。
「駄目だぜ船長。荷物はここで全部、降ろしてかなきゃあ」
ガイは、船長の肩にぽんと右手を置いた。
「もちろん俺だって、命を粗末にする気はねえよ。けどなあ……大事にしても粗末にしても命って奴ぁ、無くなる時は無くなっちまう。そういうもんだと思うぜ」
「旦那……」
「世話んなったな」
貨物船の乗組員たちに背を向け、片手を上げて歩き出そうとするガイ。
船員たちが、声をかけてくる。
「おい旦那! パンツはけパンツ」
「街中なんだからよ、褌1丁で歩き回っちゃいけねえよ」
「おお、そうか」
ガイは頭を掻き、己の姿を見下ろした。褌だけを巻き付けた、筋骨隆々の半裸身。
「こいつはこいつで、気に入ってたんだがな」
「南の蛮地っつっても、服も何にもいらなくなるような場所じゃねえ。もうちっと奥地まで行きゃあ、わかんねえけどな」
船員の1人が言った。
「本当に、何にもわかんねえ……何が起こるか、わかんねえ場所なんだ。ガイの旦那もよ、無茶ばっかしてねえで、何かあったら逃げて生き伸びなきゃ駄目だぜ」
子供たちが、傍らを走り抜けていった。
3人、いや4人。1人は、ふっさりとした獣の尻尾をなびかせている。よく見えなかったが、1人は角らしきものを生やしていたようだ。
大通りを歩きながら、ガイは見回した。通行人たちを、ちらりと観察した。
商談をしながら歩いている2人の男。片方は、長いクチバシを伸ばしている。
ガイと同じく流れ者の、傭兵あるいは用心棒らしき大男。たくましい身体は鱗に覆われ、顔面では5つの眼球がギラギラと凶猛に輝いている。
いちゃいちゃと腕を組んで歩く若い男女。男の方は船乗り風の人間で、女は長い髪をニョロニョロと蠢かせている。髪の毛ではなく、無数の触手が頭から生えていた。
筋骨たくましい4本腕の男と、ふさふさとした狼男が、酒場の店先で派手に殴り合っている。男と男の勝負なので、ガイは放っておく事にした。
都市と呼んでも差し支えない規模の、巨大な港町である。
人間と、そうではない者たちが、見たところ半々であろうか。
子供や女性が普通に歩き回っているところを見ると、ある程度の治安は保たれているようである。
ガイは、立ち止まった。
ソーン本土と同じ、賞金稼ぎ組合の看板が、視界に入ったのだ。
聖獣王の支配が及ばぬ地域、と聞いてはいたが、組合の組織力は及んでいるようである。
「いらっしゃい」
受付でガイを出迎えてくれたのは、分厚い灰色の肌の巨漢だった。
腕っ節も強そうだが、それよりも鼻の力が凄そうだ、とガイは思った。象の頭の、大男である。
「あんたは……賞金稼ぎに厄介事を依頼、って感じじゃないね。大抵の厄介事は自力で片付けてきたって顔してるよ。仕事、探してるのかい?」
「まあな。ここで登録させてもらえると助かるんだが」
ガイは言った。
「この辺りは初めてなんで、よくわかんねえが……俺みたいな奴の仕事の種が、ゴロゴロしてるような土地柄なのかい」
「いっぱいあるよー、飯の種。大丈夫、賞金稼ぎになっとけば、それだけで食っていけるさ」
象男が、微笑んだようである。
「食っていけないような奴は……食っていけなくて困窮する暇もなく、死んじまうからな」
奇怪な魚が、皿の上で牙を剥いている。
この牙で網を食い破り、漁師に噛み付く事もあるという。
「よう。美味しくなっちまったなあ、お前」
微笑みかけながらガイは、香ばしく焼き上げられた怪魚にガブリと食らい付いた。
魚の風味を最大限に活かした、塩味である。
新鮮な魚を食べられるのは、港町ならではだろう。
普通の魚料理から、海蛇の煮込みといったものまで、幅広く味わえる酒場食堂である。
一通り食べてみてガイが最も気に入ったのが、この凶暴な怪魚のシンプルな塩焼きであった。
バリバリと小骨もろともかじりながら、ガイは思案した。
「さて……これからどうするよ、俺」
賞金稼ぎ組合で登録を済ませ、『仕事』に関する様々な情報を入手した。
この港町からもう少し奥地へと入り込んだところで洞窟に棲み、旅人を襲い、討伐に向かった戦士の一団をも皆殺しにした怪物。
村1つを滅ぼし、村人たちの亡霊を配下として悪事を働く妖術師。
麻薬の大規模な栽培生産を行い、ソーン本土の様々な犯罪組織の資金源となっている蛮族。
どこから手をつけて良いのか悩むほど『仕事』はある。
「……ま。今まで通り、やるだけだな」
筋肉と技、そして気の力を活かして戦う。ひたすら戦う。他に、自分が歩ける道などないのだ。
ガイは、がぶがぶと酒を呷った。
米の酒、であろうか。魚に合う。
どちらかと言うと食べ物の方が主役で、飲み物にはこだわった事がない。酒も、あまり飲まない。酔っ払って不覚を取った戦士や格闘家の話は、いくらでも聞こえて来る。
だからと言って過剰に酒を恐れるのは、それはそれで、あまり格好の良い話ではない。
「ま、酒で死んじまったら……それはそれで、そこまでの命だったって事だ」
ガイはそう思い定め、今日くらいは飲む事にした。
そんなガイ・ファングを、少し離れた席から、じっと観察している男たちがいる。
「あの男か? ……確かに、強そうには見えるな」
「単なる大食い大酒飲みのデカブツじゃないのか?」
「そんなはずはない。あの海域を通り抜けてきた船の、用心棒だぞ」
「あの事……依頼してみるか、仕事として」
「よそ者の賞金稼ぎにか!?」
「その方が、後腐れがなくていい……俺たちではどうにもならないのは、事実なんだ」
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