<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


穏やかな午後の出来事
●ティーセットと書物を囲み
 ある日の午後――優しげに日差しが降り注ぎ、時折心地よい風が通り抜ける。暑くもなく寒くもない、そんなうららかな日のこと。こぢんまりとしたとある古い洋館の庭先で、小さなテーブルを挟んで向かい合い、午後のティータイムを楽しんでいる女性2人の姿があった。そのテーブルの上にあるのはティーポットと2つのティーカップ、それと……開かれた分厚い1冊の書物。
「ね、ご覧なさい、スヴァン。この一文ですけれど……」
 開かれたページの下部に記されたある一文をつぅ……っと指先で示しつつ、オリガ・スカウロンスカヤは目の前に座る深紅のドレスに身を包んだ女性に話しかけた。
「あら、どちらの一文ですの?」
 スヴァンと呼ばれた女性――スヴァンフヴィートは椅子から少し腰を浮かせ、身を乗り出してその一文を見ようとしたが、あいにくページの下部であったことと、何より書物自体が自分から見て逆向きになっていたこともあって、頭の中にその一文がまるで入ってこなかった。
「……隣に椅子を運んでいいですかしら?」
「ええ、構わないわよ」
 スヴァンフヴィートの言葉に、笑顔で返すオリガ。それを聞くや否や、スヴァンフヴィートは椅子から立ち上がると、そそくさと自らの椅子をオリガのすぐ隣へと運んで座り直した。これできちんと先程の一文を追えそうである。
「では改めて。この一文ですけれど――」
 隣にやってきたスヴァンフヴィートの方を、書物と交互に何度も見ながら解説を始めるオリガ。スヴァンフヴィートもまた、解説を聞きながら書物と交互にオリガの方を何度も見る。
「……ああ、そうですのね。つまり、先日のあの作品を知っていることによって、より何を伝えたいかが分かると、そういうことですわね」
「ええ、その通りかしら。もちろん知らなくても意味は通りますから、この後の彼と彼女の反応の違いが――」
 スヴァンフヴィートが理解した様子を見て、さらに突っ込んだ解説を始めるオリガ。文学徒としての師匠オリガと弟子スヴァンフヴィート、これは2人にとってはよくある風景だった。

●その美しき髪を前にして
「――ですから、この少し前に話していたこととほぼ同じ事柄でも、言い回しを変えていることによって、相手への感情の違いが分かり……」
 書物の方を見ながら左右のページを交互に指先で示すオリガ。未だ続く解説を聞いているスヴァンフヴィートの目には、オリガの横顔が映っていた。相変わらず、長く豊かで美しい金髪だ。スヴァンフヴィートもまた金髪であるのだが、オリガのそれとはちょっと違うような気もしなくもない。例えるなら生地の違い、といった所か。
(あら……?)
 と、スヴァンフヴィートはふと気付く。
(……そういえば、異なる髪型を目にした覚えがないような……?)
 なんやかんやあって、弟子としてオリガに拾われ、オリガの住まう洋館に居候することとなったスヴァンフヴィート。それから今まで、スヴァンフヴィートが見ていたオリガの髪型は現在のそれから大きく逸脱していない。巻く訳でもなく、結ぶ訳でもない、長い髪を自然に流しているとでも言えばよいのだろうか。特に凝った髪型はしていない。
 一旦気付いてしまうと、オリガの解説よりも、髪型の方に気が向かってしまう。考えてみれば、髪飾りの類もあまり付けている所を見た覚えはない。いやいや、もちろんそのままでも十分綺麗なのであるけれども。あるけれども……どこかもったいないような気もする訳で。
「――スヴァン? ……ねえ、スヴァン?」
「あっ……」
 オリガからの何度かの呼びかけに、スヴァンフヴィートは思考の深海からハッと引き戻された。目の前のオリガは、少し心配そうにスヴァンフヴィートを見つめている。
「どうしたの、大丈夫かしら?」
「え……ええ、大丈夫ですわ」
 オリガの言葉に、こくんと頷くスヴァンフヴィート。それを聞いて、オリガがふぅ……と安堵の息を小さく漏らした。その姿を見たスヴァンフヴィートの口が、自然と動き出していた。
「――あの」
「何かしら?」
「髪型を、変えてみませんこと? 例えばそうですわね……わたくしと、同じ髪型などに」
「……はい?」
 オリガは、きょとんとした顔をハーフアップの髪型であるスヴァンフヴィートへと向けた。

●仕上がりはこのように
「でも本当にいいのかしら……。そういうのが似合うのは、もうちょっと若い子の方が――」
「お任せくださいまし」
 オリガの若干ためらいのようなものを含んだ言葉を、後ろに立つスヴァンフヴィートは笑顔とともにこの一言で封じる。そしてオリガの髪を少量左手に取り、その柔らかな手触りを確かめた。痛みも見られない良好な髪質だ。
「綺麗な髪ですもの、たまには異なった髪型にしても、罰など当たりはしないですわ」
 と言い、スヴァンフヴィートは右手に持った櫛をオリガの髪へとすっ……と通した。丁寧に2度、3度と撫でるように櫛を動かし、オリガの髪の1本1本が絡まらぬよう梳かしていく。
「そ、そうかしら? そうね……ええ、そうね。分かったわ、スヴァン。あなたに全てお任せするわよ」
 その言葉とともに、少しばかり上がっていたオリガの両肩からふっ……と力が抜けた。ためらいからの緊張が抜け、スヴァンフヴィートへ身を委ねることにしたのだろう。
「ねえスヴァン。仕上がりまで目を閉じていた方がよいのかしら? その方が、出来上がりを楽しむにはよいわよね」
 ……どうやら微妙に乗り気になったようである。なんやかんや言いつつも、オリガも付き合いはよいのだ。
「そうですわね……ではそういたしましょう」
 手を動かしつつ頷くスヴァンフヴィート。それを聞き、オリガが静かに目を閉じた。聞こえてくるのはスヴァンフヴィートが自らの髪を梳かしている音と、そんな彼女の息づかい、それと遠くでさえずる小鳥たちの声だけである。
 それからどのくらい経ったのだろう、やがてスヴァンフヴィートの声がオリガのすぐ前から聞こえてきた。
「どうぞ目を開けてくださいまし」
 それを合図に、オリガはゆっくりと目を開けた。真っ先に飛び込んできたのは、鏡に映るちょっと違った雰囲気をまとっている自らの顔であった。スヴァンフヴィートが鏡を持って前に立ってくれていたのだ。なるほど、髪を少し上げるだけでもなかなかに印象は変わるものだ。
「ああ……とてもお似合いですわ」
 そう話すスヴァンフヴィートはとても嬉しそうな表情をしていた。それはそうだろう、愛する師匠とお揃いの髪型になったのだ。そんな状況に、ご機嫌にならないはずがない。
「…………」
 一方オリガは、しばし黙って鏡の中の自分の姿を見つめていた。その様子に、嬉しげだったスヴァンフヴィートの表情が引き締まる。
「……スヴァン」
 オリガがやや上目遣いになって、スヴァンフヴィートの名を呼んだ。
「はい」
 若干緊張した面持ちでオリガの次の言葉を待つスヴァンフヴィート。そして――。
「どうもありがとう。とてもよい仕上がりよ、スヴァン」
 オリガはにっこりと微笑み、スヴァンフヴィートの労をねぎらった。
「!」
 オリガの感謝の言葉に緊張が解けたスヴァンフヴィートは、鏡をテーブルの上に置くと、嬉しさのあまり不意にハグをしてしまった。
「……そう言っていただけて、頑張った甲斐がありましたわ」
「あらあら……また甘えん坊さんになったのかしら」
 スヴァンフヴィートに優しげな眼差しを向けるオリガ。またと言うからには、これまでにも何度となくあったのであろう。もっともスヴァンフヴィートにしてみれば、ここまでの姿を見せるのはオリガ相手だけであるのだが。
「ちょっと待っていてくれるかしら。ティーポットの中身を新しくしてくるわね。ティータイムを続けましょう」
 そこそこ冷めてしまったであろうティーポットに目を向けて、オリガが言った。仲良し師弟の穏やかなる午後は、まだまだ続くのであった。
 余談ながら――スヴァンフヴィートに変えてもらった髪型を、オリガはそれからしばらくの間続けたという。どうやら結構気に入ったようである。

【了】