<東京怪談ノベル(シングル)>


聖竜の導き


 NPCに、個性を持たせてはならない。
 ゲーム内で個性を発揮するのは、PCのみでなければならないのだ。
 この辺り、いくらか勘違いをしているマスターが多過ぎる。
 NPCなど、村人Aや町人Bに毛が生えた程度の作りで充分なのである。
 PCより目立ってはならない。
 積極的に戦闘に参加し、PCそっちのけの活躍を見せるなど、もってのほかだ。
「もう全部あいつ1人でいいんじゃないかな……なんて思われるようじゃ駄目なんだよ」
 私は、頭を捻っていた。
 PCをサポートするためのキャラクターが必要となれば、以上の理由から必然的に、戦士系ではなく僧侶系……回復魔法の使い手、という事になってしまう。
「回復魔法だから僧侶、というのは少しありきたりだな。精霊使い、で行ってみようか」
 水や大地の精霊ならば、回復のイメージを持たせられる。
 回復だけではない。精霊使いなら、攻撃魔法もいくらかは使いこなせるだろう。火の精霊を召喚し、敵を焼き尽くす。風の精霊の力で、敵を吹っ飛ばす。戦闘でも、大いに活躍出来る……
「……いやだから、活躍させちゃ駄目なんだってば」
 自分の作ったキャラクターを大活躍させたいのであれば、漫画を描けば良い。小説でも書けば良い。
 ゲームのシナリオ作りで、それをやってはならないのだ。
 私は、とりあえずサイコロを振ってみた。PCと同じように、能力値から作ってみる事にした。
 上手い具合に、知力や精神力が高く、腕力の低いキャラクターが出来上がった。
「うん、このパラメーターだと女性かな。あざとい美少女キャラは避けて、20代半ばの大人の女。おっとりした感じで、でも芯はビシッとしてて、母性本能が強くて、包容力があって……っと、だからNPCをあんまり気合い入れて作り込んじゃ駄目なんだって」
 私は苦笑した。
 キャラクターを作るというのは結局、こういう事なのだ。どうしても、設定に凝りたくなってしまう。個性を持たせたくなってしまう。目立った活躍を、させたくなってしまう。
 自分はプレイヤーではなく、ゲームマスターなのだ。
 PCが活躍出来る環境を整える。それが役目なのである。
「あとは名前と、年齢くらいでいいや。ええと、上品な女性の名前……やっぱりサ行かな。さ、サリナ、シルフィー、スレイ、セレス……セレスティア、これで行こう。セレスティア、24歳、水系の精霊使い。はい決定決定。どういうキャラになるかはプレイ次第、あいつら次第だ」
 きっちりと作り込んだコンピューターゲームではない。人間が相手の、テーブルトークRPGである。
 しかも私の相手は、まあ私自身も含めての話だが、多人数オンラインゲームなど影も形も無かった頃からサイコロを振っている、筋金入りの連中だ。
 NPCなど、いくら詳細な設定を作ったところで、あの連中のプレイに押しまくられ、最終的には単なる背景になってしまうのが関の山である。
 その程度で良いのだ。NPCというものは。
「さて、彼女をどこで登場させるか……おおっと」
 地震が来た。私はまず、そう思った。
 だが、部屋は揺れていない。揺れているのは、私自身だ。
 身体が揺れる。意識が、魂が、揺さぶられている。
 直後、床が抜けた。部屋に、大穴が空いた。
 私はそう感じたが、実際は床に穴など空いてはいない。部屋は無傷である。
 あるはずのない大穴の中に、私は落ち込んで行った。
 どこまでも、落ちて行く。ぼんやりと、そう感じた。
 脳裏で、1人の女性が微笑んでいる。
 顔は、よくわからない。顔も、名前も、まだ存在しないはずの女性。
 にっこりと、優美に微笑んでいる。それだけが、何となくわかる。
(セレスティア……?)
 それが私の、最後の意識だった。


 浮かんでいる。
 宙を舞っている、と言うよりは水中を漂っている感覚だ。が、息は出来る。
 本当に呼吸が出来ているのかどうか定かではないが、少なくとも苦しくはない。
 それは自分がもはや生きていないからではないのか、と私は思った。
 巨大なものが、近くにいる。
 それが何なのかは、よくわからない。目も、よく見えないのだ。
 ひたすらに巨大なシルエットだけは、何となく感じ取れる。
 プレシオサウルス、あるいはエラスモサウルス。いわゆる首長竜に近い、ような気がする。
 私は、自分が小魚にでもなったような気分に陥っていた。このままでは食べられてしまう。
『食べはせんよ。消滅しかけた人間の魂など、美味くも何ともないからな』
 首長竜が言った。
 声を発しているのかどうかは不明だが、とにかく巨大な意思だけは伝わって来る。
「消滅……しかけているのかな? 私は……」
『お前たちの世界に、ソーンへの入口が開いてしまったのだ』
 首長竜が、謎めいた事を言っている。
『時折、起こってしまう事でな……お前のように不運な人間が、そこへ落ち込んでしまう。無論、人間の脆弱な肉体と魂では、異世界間の往来など出来はしない。大抵の者は、ここで跡形もなく消滅する』
「そうか……私は、運が悪いのか……」
 自分が何者であるのかも、私は思い出せなくなっていた。どうやら不運な人間であるらしい。
『否……むしろ幸運なのかも知れん』
 首長竜が、それを否定した。
『こうして魂が、いくらかでも残っているのだからな。それを元に、お前をソーンの住人として再構成する事が、今ならば出来るかも知れん。どうする? 元の世界のお前とは、全くの別人と化してしまうであろうが』
「何でもいいよ……助けてくれるのなら、早めに頼む」
 脳裏で、誰かが微笑んだ。
 顔の無い女性。名前の無い女性。
 私は彼女を……うまく言えないが「作って」いた、ような気がする。
『我が名は聖獣リヴァイアサン……お前の名は?』
 首長竜が、訊いてきた。
『名前だけは、お前自身で決めるが良い』
「セレスティア……」
 私は即答した。
 自分の名前は、もはや思い出せない。
 なのにセレスティアという名前だけは、意識の片隅に残っている。
 それが口に出てしまった瞬間。名前も顔も無かった女性が、明確な容姿を獲得した。
 青い髪、青い瞳の、美しい女性だった。


 2つの世界を繋ぐ通路が時折、開いてしまう。
 何故そのような事が起こるのかは、誰にもわからない。
 通路などというものではない、とエルファリア王女は思う。言うならば、恐ろしい怪物が巨大な口を開くようなものだ。そこへ落ち込んだ者は当然、食われて跡形もなく消化される。
 生きたまま2つの世界を往来する事が出来る者など、いないはずであった。
 だが、この女性は現れた。
「宿命……などというものが、本当にあるのでしょうか……」
 寝台に横たわる女性に、エルファリアは語りかけた。
 返事はない。青い髪の女性は、眠り続けている。
 エルザード王宮。エルファリア王女の政治的勢力圏とも言える楼閣の、一室である。
 異世界よりの来訪者、現れし時、ソーンは大いに乱れ平和は失われる。
 あるいはソーン乱れ平和失われし時、異世界より来訪者、現れる。
 古くからの言い伝えであり、それを信じる者は王宮にも多い。
 異世界からの来訪者は凶兆、ゆえに殺すべし。そんな声が、聖都エルザードでは高まっている。
 凶兆たる者を、こうして庇い匿っている。それを理由にエルファリアを糾弾・攻撃せんとする王侯貴族も、少なくはない。
 確かにソーンは今、平和とはいささか縁遠い状態にある。
 それが、誰か1人のせいであるはずがない。
 1人の女性を、凶兆などと吊るし上げただけで解決する事ではないのだ。
「私は信じます。貴女が、凶兆などではなく……吉兆であると」
 眠り続ける女性に、エルファリアは語りかけた。
「異世界より来たる救世主、などという役目を押し付ける事は出来ませんが……何人たりとも生存かなわぬ異世界感の通路を、通り抜けて来られた方がいる。それはソーンを、良き方向へと導く出来事の前兆であると、私には思えてならないのです」
 青い髪の女性は、眠ってる。
 今は閉ざされている、その瞳も、澄み渡った空あるいは深き海のような、青色に違いない。
 エルファリアは、そう確信していた。