<東京怪談ノベル(シングル)>
セレスティア、PCデビュー
寝過ごして遅刻をした時というのは、目が覚めた瞬間、感覚でわかるものだ。
「いけない……!」
私は、布団を跳ね飛ばすようにして上体を起こした。
そして理解した。会社に遅刻、どころではない事態が起こっている事にだ。
天蓋付きの、豪奢なベッド。
呆然と立ち尽くしている、メイドらしき若い女性。
目覚めたばかりの自分を取り囲む、あまりにも異様な環境を、しかし私は夢だとは思わなかった。
つい今まで、夢の中にいたからだ。
どのような夢であったのかは、よく覚えていない。
とにかく私は、空中か水中かも判然としない空間に、浮かび漂っていた。
そして、首長竜のような巨大な生き物と、何やら会話をしていたのだ。
今は、大富豪の寝室らしき部屋で、豪奢なベッドに身を置いている。
立ち尽くしているメイドさんに、私はとりあえず訊いてみた。
「あの……ここは……?」
「……ま……まさか、お目覚めになられるなんて……」
メイドさんが、そんな事を言っている。
私はどうやら、治る見込みのない重病人のような扱いを受けていたようだ。
「ど、どうか、そのままお待ち下さい……今、エルファリア様に来ていただきますから……」
メイドさんが、転びそうな足取りで身を翻し、部屋を出て行った。一言、言葉を残しながらだ。
「私どもでは、何も御説明出来ませんから……」
玉石混淆、と言っていいだろう。
現代日本人の主人公が異世界へ行って大活躍、という内容の小説である。
ライトノベルなどという呼び方がされる以前から、数多くの作家が用いていた設定で、ファンタジー小説の原点とも言える発想だ。
世に溢れているものを、私もいくつかは読んでみた。
もちろん名作もある。
いささか残念な出来映えの作品も、少なくはない。
玉石取り混ぜた、それら数多くの作品に共通する点が1つある。
それは主人公が若い、という事だ。
少年少女がほとんど。社会に傷付けられた20代の青年も、いないわけではない。
私が彼らの仲間入りをしたら、平均年齢を上げてしまう事になるだろう。
「許されるんでしょうか……私のような冴えない中年男が、主人公なんて」
「貴女が何をおっしゃっているのか、私にはわかりかねますが」
エルファリア王女が、いくらか戸惑っている。
「貴女は中年の男性ではありませんよ。ほら、鏡を御覧なさい」
目の前にあるのが鏡であるなどと、私はとても信じられなかった。
私であるはずのない何者かが、映っているからだ。
不摂生丸出しで無様に弛んでいたはずの腹部は、綺麗にくびれて引き締まり、その分、胸と尻がふっくらと張り出している。
どう見ても女性の身体だ。それもグラビアアイドル顔負けの、完璧なボディラインである。
すらりと形良く伸びた両脚は、運動不足の中年男であった私よりも、ずっと俊敏に動けそうだ。
そんな身体に、ぴったりと薄手の青いドレスが貼り付いている。
装いだけではなく、髪も青い。染めたものではあり得ない自然な色艶を煌めかせながら、さらりと流れる青い髪。貝殻細工と思われる髪飾りが、まるで角のようでもある。
「海竜装……水の聖獣リヴァイアサンに仕える巫女の、正装です」
エルファリア王女が、説明をしてくれた。
聖獣リヴァイアサン。その名には、聞き覚えがある。
夢に出て来た首長竜が、そう名乗っていた。
あの怪物に、私は巫女として仕えなければならないらしい。
「水を司る能力者……水操師として、貴女はこの世界における新たな生を得たのです。信じていただけないとは思いますが」
「……いえ信じますよ、王女様」
私は自分の身体を見下ろし、胸の膨らみがある事を己の目で確認した。
尻回りも胸に劣らずふくよかで、胴体は美しくくびれている。
女性に変わってしまった事はともかく、腹が引っ込んでくれたのは、まあ喜ぶべき事ではあった。
再び、私は鏡を見た。
顔立ちは美しい、そして若々しい。20代半ば、といったところであろう。私は、男から女に変わった、だけでなく若返ってしまったのだ。
紛れもない。今ここにいるのは、セレスティアだ。水の精霊使いとして私が制作していた、NPC。
それが今、実存する肉体を得て、ここにいる。NPCではなく、私が動かすPCとして。
「私は、水操師セレスティア……それは、どうやら受け入れなければならない事実のようです」
私は、王宮の庭園に向かって方手をかざし、念じた。
念の力で、水の精霊にアクセスする。そういう事が、普通に出来てしまう。
何故なら私が、このセレスティアというキャラクターを、そのように作ったからだ。
庭園で、池の水面が激しくうねった。水中で、巨大な怪物が暴れているかのように。
そうではなく、水そのものが怪物と化していた。
激しく隆起した水が、凶猛な竜の形に固まりながら、水飛沫を飛ばして暴れうねり、咆哮する。
衛兵たちが、悲鳴を上げて逃げ惑う。
私は息を呑んだ。正直、これほどの事が出来るとは思わなかったのだ。
「水操師として、この世界に転生した……そこまでは良しとしましょう」
水の竜を池に戻しながら、私は言った。
「問題は、この後ですよ……私は、何をすれば良いのでしょうか?」
「ソーンを……善き方向ヘと……」
エルファリア王女が、そこで口籠った。
エルファリアという名前で、王女であるらしい。彼女に関して私が知るのは今のところ、それだけだ。
ファンタジー系の小説でも漫画でもゲームでも、王女というキャラクターは10代の美少女が大半である。
だがエルファリア王女は、セレスティアの設定年齢と同じく24歳であるという。
なかなか勇気ある設定だ、と私は思わざるを得なかった。日本のファンタジー作品においては、24歳など年増の部類であろう。
「貴女のような力ある御方を……私は、権力闘争の類に利用してしまう……かも知れません……」
消え入りそうな声で、エルファリアは言った。
「それでも、貴女の力が必要なのです……ソーンを、救うために」
「参ったな……伝説の勇者とかの、役ですか」
戦士系のキャラクターにしておけば良かった、と私は思った。
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