<東京怪談ノベル(シングル)>
牝獣と令嬢
結局いくらか暴力的な刑罰を下す事にはなる、にしても裁判は必要である。正当なる法で裁いた、という形は作っておかなければならない。
「ええと……あたしは、どうなるのかな」
レピアが、いくらか戸惑っている。
「あたし人、殺してるけど何人も……裁判で死刑とかになっちゃう? エルファリアがあたしの事、死刑にしてくれるんなら別にいいけど」
「そのような事……冗談でも言わないで」
一言で、エルファリアはその会話を打ち切った。
聖都エルザード郊外、小規模な森林の小径である。
王女エルファリアは、踊り子レピア・浮桜と共に、しかし森の散歩を楽しんでいるわけではない。
法の裁きを受けさせなければならない相手が、この小さな森の中に住んでいるのだ。
王女自らが、犯罪者の捕縛を行う。犯罪者のもとへ向かう。兵を引き連れて、ではなく踊り子1人のみを伴って。
正気の沙汰ではない。それはエルファリアも自覚はしていた。
「知り合い……なんだ? エルファリアの」
レピアが訊いてくる。
「兵隊を使って無理矢理に取り押さえる、なんて事はしたくない相手なんだ?」
「友達……私は、そう思っていたわ」
エルファリアは答えた。
「今思えば、私……一方的に友達ぶるだけで、何もしてあげられなかった」
「……なるほどね。どういう奴なのか、大体わかったような気がする」
言いつつレピアが立ち止まり、エルファリアを背後に庇った。
獣が1匹、木陰から現れたところである。
「がぁううぅぅ……わん!」
エルファリアも、そろそろ見慣れた存在……精神を獣のそれに変えられた、美しい少女。
愛玩動物として、手入れはされているようだ。これまで見慣れてきた獣の少女たちと違って、髪も肌も清潔である。
だが人の扱いを受けていない事に違いはない、その少女が、可愛らしく牙を剥き襲いかかって来る。
「こういう事をしてる奴らの、同類……って事だね」
レピアの細腕が、鞭のようにしなった。
手刀、であろうか。エルファリアの目で、捕捉出来る動きではない。
その一撃を、どうやら首筋の辺りに叩き込まれたようである。獣の少女が一瞬にして意識を失い、倒れ込む。
しなやかな細腕と豊かな胸で、そっと抱き止めてやりながら、レピアは言った。
「エルファリアの友達でも、許さないよ。あたしが無理矢理しょっぴいてやる」
「待ってレピア……それは確かに、最終的にはそうなってしまうかも知れないけれど」
目的の場所は、すでに見えていた。
立派な、だがいくらか寂れた感じの邸宅。森に隠れるようにして、建っている。
「お貴族様の別荘……だよね」
「ええ……王家とも繋がりの深い大貴族よ」
その身内から、罪人が出てしまう事になる。
人買いから、人を買った罪。
あの獣使いの女から、獣として調教された少女たちを買った者は当然、他にも大勢いる。
大半が貴族である。ほぼ全員に今頃、官憲の手が入っているはずであった。
「だけど貴女だけは、私の手で……いえ、私の力で人を捕縛する事など出来ないけれど」
エルファリアは、別荘の庭園に足を踏み入れた。
白山羊亭の屋外席のように、テーブルと椅子が置かれた庭園。
若い女性が1人、その椅子に座り、大して美味そうにでもなく紅茶を啜っている。
身なりは綺麗で、顔立ちも美しいが、暗い。その美貌からも瞳からも、かつてあった明るい輝きが一切、消え失せてしまっている。
「その子を、放してあげて……」
口調も、暗い。
「貴女たちに噛み付いたのだとしても、それは私を守るためだから……」
「もちろん放してあげる。解放してあげる。お金で女の子を買い漁るような、腐れ貴族からはね」
気を失った獣の少女を抱き上げたまま、レピアは言った。
「で、この子をあんたに売りつけた女の事……知ってる限り、喋ってもらうよ。あんまり拷問みたいな事したくないからさ、素直に」
「待って、レピア」
エルファリアは、進み出た。
「……お久しぶり。私の声など、聞きたくもなかったでしょうけど……貴女は私を、許してはくれないでしょうけど」
「貴女には何の恨みもありませんわ、エルファリア殿下」
女性が、エルファリアの顔を見もせずに言った。
「お忙しい王家の方を頼ろうとした、私が愚かだったという事……」
「お願い。聞いて。私、本当に申し訳なかったと思っているわ。貴女の力に、なれなくて」
「あー……ちょっと、いいかな」
レピアが、いくらか遠慮がちに言葉を挟んできた。
「あたし、きっと部外者なんだろうけど、でもここに来ちゃったからさ……差し支えなかったら、一体何があったのか聞かせてくれない?」
王家とも繋がり深い大貴族。エルファリアは、そう言っていた。
聖獣王とも個人的な親交のあった人物で、為政者としての才覚も見識の高さも、そして財力も、並ぶ者なしと言われていたらしい。
その大貴族が病死し、並ぶ者なき遺産を巡って揉め事が起きた。
大貴族は、身分の高い人物には珍しく男女関係は清廉そのもので、側室は1人も持たず、子供は、正式な奥方との間に令嬢が1人いるのみであった。
遺産は、その令嬢が受け継ぐものと当然視されていた。
「その御令嬢が、あんたってわけね」
美味そうでもなく紅茶を啜っている女を見据え、レピアは言った。
「なのに、こんな辺鄙な所に住んでる……要するに、もらえるはずの遺産をもらえなかったと。そういう事?」
「遺産を受け継いでしまったのは、亡き大貴族の奥方……つまり彼女の母君よ」
説明をしてくれているのは、エルファリアだ。
「とても策謀に長けた女性で、遺産を巡る裁判に影響を及ぼし得る高位要職の方々を、ことごとく味方に付けてしまったわ。娘である彼女は孤立無援……いえ、本当は私が付いてあげるはずだった」
「なるほどね。それなら勝ったも同然じゃないの」
エルファリア王女による後ろ楯。これはもう冗談抜きで、百万の味方にも匹敵するだろう。
この令嬢の母親が味方に付けたという「高位要職の方々」がどの程度のものであろうと、人望においてはエルファリアの足元にも及ぶまい。
レピアは、そう思うのだが。
「だけど私は……彼女の後ろ楯を務める事が、出来なかった」
何故、と訊こうとしてレピアは、今までの話を思い出した。
大貴族が亡くなり、その遺産相続問題が生じていた頃。
それはエルファリアが、かの魔女に拉致され、獣と化していた時期と、ほぼ重なる。
結局この令嬢は、誰による後ろ楯もないまま勝ち目のない裁判に臨み、敗れ、本来受け継ぐはずであった遺産を全て母親に奪われた。
いや全てではない。この小さな別荘と、生活のための捨て扶持だけは与えられている。
「私の味方なんて、誰もいなかったわ……最初から、ね」
令嬢が、吐き捨てるように呟いた。
レピアの頭に、血が昇った。
「じゃあ何よ……遺産が手に入らなかった、ってだけで何、こんなにいじけちゃってるわけ!? あげく人買いなんかと付き合い持って! 自分の思い通りになる相手を、お金で買おうなんて!」
「れ、レピア、落ち着いて……」
エルファリアが、なだめに入る。
レピアは気が付いたら、令嬢の胸ぐらを掴んでいた。
「貴女……すごい力ね……」
掴まれながら、令嬢が暗く微笑む。
「その力で、殺したければ殺しなさいよ私なんて……貴女なんかに、わかりはしないわ。財産のない貴族が、どれほど惨めで価値のない存在なのか」
「お願い……どうか、そのような事を言わないで」
エルファリアが、涙を浮かべている。どんな悪党でも改心させてしまう、と言われる涙だが。
「駄目だよエルファリア、こういう女を甘やかしちゃあ」
エルファリアに抱き支えられ眠っている獣の少女に、レピアはちらりと視線を投げた。
「思い通りにしかならない小動物を飼って、自分を慰める……くらいなら、いっそ本物の獣を飼ってみなよ」
獣になっている間は、咎人の呪いから逃れられる。
だからレピアは、石像の代わりに獣となって、昼間は大いに暴れた。
どのように暴れているのか、レピア本人の記憶には残らない。何しろ獣なのだから。
「貴女……本当に、獣なのね」
元々やつれ気味であった令嬢が、さらに疲れ果てている。
「所構わず粗相をして……一体、誰が掃除をすると思っているの」
「もちろん、あんた。飼い主なんだから」
のんびりとベッドに肢体を横たえたまま、レピアは言った。
夜はこうして人間の意識を取り戻す事が出来る。エルファリアが、呪いを調整してくれた。
「動物を飼うってのは本来こういう事。わかってなかったのかなあ? お嬢様は」
「私……貴女の飼い主になんて、なった覚えはないわよ。なのに勝手に住み着いて、家の中をめちゃめちゃにして」
ぶつぶつと文句を言いながら令嬢が、散らかった部屋の掃除をしている。
なかなかの手際の良さではある。こんな別荘で、侍女もいない独り暮らしを強いられていたせいであろう。
「ほらほら働け、御主人様。ちゃっちゃと綺麗にしないとぉ、もう一緒にお風呂入ってあげないよ? 一緒に寝てもあげないよ?」
「別に……そんな事、求めてはいないわっ」
箒と塵取りを使いながら令嬢は、ぷいと顔を逸らせた。
「だけど……貴女の踊りだけは、少しだけ素敵よ。また見せなさいよね」
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