<東京怪談ノベル(シングル)>


水竜の巫女、綺麗事を語る


 汚れは、水洗いで落とすものだ。洗濯も入浴も、水が無ければ出来ない。
 洗浄。それが水の、人間から見た第一の役割である。
 洗浄する。それはすなわち汚れを落とす、汚れる前の状態に戻すという事だ。
 元に戻す。あるべき姿に、ありのままの状態に戻す。それが水なのだ。
「ありのぉ〜、ままの〜ぉ、ひっく」
「ほら、まっすぐ歩いて……飲み過ぎよ、セレスティア」
 エルファリア王女が、私を支えてくれた。
 夜のベルファ通りである。歌いながら千鳥足状態で歩いている酔っ払いは、私だけではない。
「いやぁ、聞いて下さいよ王女様。私この歌、大好きでしてねぇ」
 語りに入る自分を、私は止められなかった。
「でもねえ、大ヒットする歌には絶対、何かしら文句つける奴が出て来るんですよ。ありのままでいいなんてのは努力しない奴の甘ったれた自己肯定でしかない、とかね。だけど人間、生きてれば絶対どこかで、ありのままの自分ってものを他人に見せなきゃならない時が来るんです! そりゃ格好悪いですよ、無様なもんですよ。だけどね、ありのままの自分からは人間、誰も逃げられないんです!」
「はいはい、その通りですね……少し、どこかで休みましょうか」
「ちなみに私、映画の方は見てませーん。ひっく」
 へらへら笑いながらも、私は異変に気付いていた。
 水中を泳ぐ魚は、水面の微かな揺らぎを、水質の微かな汚染をも、鋭敏に感じ取る。
 自分たちのいる水中に、異物が混入して来た。言葉で表すとしたら、そんな感覚であろうか。
 人間、生きていれば絶対どこかで。人間、誰も逃げられないんです。
 そんな事を言っていた私セレスティアは、しかしどうやら人間ではないらしい。
 エレメンタリスという種族で、いわゆる地水火風の精霊、のようである。
 私は水のエレメンタリス、すなわちウンディーネとして、このソーンに転生した。
 地のエレメンタリスはノーム、火のそれはウルカヌス、風はシルフ。それがソーンにおける四大元素の精霊で、火がサラマンダーではないのが珍しいと言えば珍しい。
 ちなみに私がNPCとして作成したセレスティアは、人間の精霊使いであった。
 あのTRPGとは世界感の異なる、このソーンにおいては、私は精霊そのもの。水の精霊ウンディーネである。私のような、酔いどれ中年男がだ。
 大抵のイラストレーターが水系の清楚な美少女として描く、あのウンディーネである。
 外見は確かに青系統の似合う美女だが、中身は酔っ払ったサラリーマン。そんな私が、ウンディーネである。
 誰かに謝らなければならない気分が、なくもなかった。
 ともかく、私は水の精霊である。水の揺らぎを感じ取るが如く、危険を感じ取る事が出来る。
 周囲の酔っ払いたちに紛れ込んで、害意ある者たちが近付いて来る。それが、わかってしまう。
 私は見回した。
 明らかに酔っ払いではない男たちが、複数の方向から迫って来る。
 酒は入っていないようだが、薬物の類は決めているかも知れない。目が、おかしな据わり方をしている。
 これから人を殺そうとする者の目だ、と私は思った。
 そんな目をした男が4人、姿勢低く突進して来る。腰の辺りで、短剣を構えながらだ。
 ドスで突っ込んで来るヤクザそのものの動き、である。
 狙いはエルファリア王女。そのついでに、私も殺そうとしている男たち。
 私も王女も、白兵戦・肉弾戦の類は全くの素人である。殺意を持って突っ込んで来る男たちをかわす事など、出来るはずがない。
 だが4本の短剣は、私にも王女にも触れることなく逸れて行った。
 男たちが、互いにぶつかりそうになりながら、よろめいている。何が起こったのか、わかっていない様子だ。
「貴方たちは……!」
 エルファリアがようやく、自分の命を狙われている事に気付いたようだ。
 男たちが短剣を構え直し、再び突っ込んで来る。
「エルファリア王女、お覚悟……!」
「貴女が死ねば、偽りの平和は失われる!」
 そんな事を口走りながら、しかし男たちは、短剣を王女の衣の裾にさえ届かせる事なく、脇に逸れて転倒した。まるで、水に押し流されたかのように。
「無駄な事だよ」
 言いつつ私は、男たちの瞳に映る自分の顔を観察した。
 たおやかな美貌の中で、両眼が青い光を発している。
「王女にも私にも『ありのままの状態を維持する力』が働いている。私の魔力が続く限り、エルファリア王女は……水、のようなものさ。刃物で傷付く事は、あり得ない」
 偉そうな事を言っている私自身、驚きを隠すのが実に大変だった。
 水操師の持つ『保護』の魔力。知識として聞いてはいたが、試すのは初めてなのだ。
 これほどのものとは、思わなかった。
「私が死ねば、偽りの平和が失われる……とは? 一体、どのような意味なのですか」
 エルファリアが、男たちを見据えて問う。
 問いかけるまでもない、という気が私はした。
「王女様は、ご存じないと見える……ソーンという国が、いかに腐りきっているのか」
 人を殺そうとする者の目で王女を睨み返しながら、男たちは言った。
「平和というものが、いかに国を! 人心を、腐らせるのか! 平和主義者の王女様には理解出来んと見えるな!」
「平和の象徴たる貴女の存在が失われれば、この国のだらけた民衆も気を引き締めるであろう! 我々はな、ソーンの行く末を憂えているのだよ!」
 私が思った通りの、言葉である。
「……私が元いた世界にもね、君たちのような輩は大勢いたよ」
 酔いが急速に醒めてゆくのを感じながら、私は言った。
「大して生活に困窮しているわけでもないのに、わけのわからない自分探しのような事を始めて……まあネットに罵詈雑言を垂れ流すだけで終わる奴が大半だったけど、殺人事件を引き起こしたりする連中も、いなかったわけじゃあない。君たちが、まさにそれさ」
「何を……我々の正義を愚弄するか!」
 男たちが、激昂している。
 私は、冷静な口調を保った。
「今は認めた方がいい。私がいる限り、エルファリア王女に危害を加えるのは不可能……という現実をね」
 現実。嫌な言葉ではある。
「現実を否定したくなる気持ちは、わからないでもないよ。現実って本当に、嫌なものだからね。だけど人は、現実からは逃げられないんだ。魚が水の中から出られないのと同じ事。現実という激流を、上手く泳いでゆくしかないんだよ。ありのままに、というのは、そういう事だと思う。私は、そうしてきたつもりだ。君たちも……少なくとも衣食住足りているのなら、こんな馬鹿な事をして、それらを台無しにしてはいけない。衣食住足りていないのなら働け。働き口がないと言うのなら、私が王女を通じて聖獣王陛下にかけ合ってみるから」
 酔うと説教をする上司。それが私だ。
 酔いが醒めたと言うのに、説教めいた言葉がよどみなく出て来てしまう。
 頭が良くなっている。と言うか、綺麗事を言う能力が、こちらへ来てから向上しているようであった。
「利いた風な口を……!」
 男の1人が、反発してきた。
 よく見ると、この男だけ、短剣ではなく少し大きめの剣を持っている。
 4人の、恐らくはリーダー格なのであろう。
「貴様のような輩が、権力者の手先となって、この国をここまで腐敗させたのだ! ええい構わん、この女もろとも王女を殺せ! 切り刻め!」
 他の3人は、しかし動かない。明らかに、尻込みをしている。
 私がいる限り、王女に危害を加えるのは不可能。その現実を、受け入れつつあるようだ。
 リーダー格の男が、しかしそれを許さず、大きめの剣を振るっていた。
「裏切り者が!」
 鮮血がしぶいた。映画の血糊ではない、本物の人血。
 3人の男が倒れ、真紅の汚れを路面に垂れ流す。
「何という事を……!」
 エルファリア王女が、息を呑む。
 私は、リーダー格の男を睨み据えていた。
 鬱屈している若者を言葉巧みに勧誘し、テロを行わせる。そんな組織があるのだろう。私が元いた世界にもあった。
「権力者を守る魔女め! その邪悪なはらわたを引きずり出してくれるぞ!」
 大きめの剣を威嚇の形に振り回しながら、男が喚く。
 会話は、してやる事にした。
「私は日本人だったからね……テロリストには、過敏に反応せざるを得ない」
 私の頭で、髪飾りが。全身で、青い衣装が。うっすらと、光を発している。
 足元が、微かに揺れた。地震、であろうか。
「セレスティア……駄目!」
 エルファリア王女が、すがりついて来る。
「エルザードの地下水脈が、荒れ狂い始めている……海竜装の力を解放してはいけない! この街が、地の底へ沈んでしまうわ!」
 そんな事が起こる前に、事は片付いた。
「てめえ、街中で刃物振り回してんじゃねえよ!」
 道行く酔っ払いたちが、リーダー格の男を袋叩きにしている。
「ここは確かに血の気の多い奴ばっかだけどなあ、最低やっていい事悪い事ってのがあんだよ!」
「てめ、酒飲まねえで薬キメてんなあ? んな奴がベルファ通り歩いてんじゃねええ!」
 王女が、慌ててそちらへ向かう。
 私は1つ、溜め息をつきながら、軽く片手を掲げた。
 全身の光が、その掌に集中し、放出された。そして、倒れている3人の男を包み込む。
 回復。対象を、元々あるべき状態に戻す魔力。毒や負傷という汚れを洗い流す力。
「うっ……ぐうぅ……」
「痛い……痛いよぅ……お母ちゃぁん……」
 辛うじて一命を取り留めた男3人が、のたうち回り、泣きじゃくっている。
 私の力では、傷を治す事は出来ても、痛みまで洗い流してやる事は出来ないようだ。