<東京怪談ノベル(シングル)>
美しき凶獣たち
手足が動かない。
その拘束感の中で、エルファリアは目を覚ましていた。
「ぅ……こ、ここは……?」
目が覚めても、起き上がる事は出来ない。
手枷・足枷の備わった、巨大な石の寝台の上に今、エルファリアはいる。たおやかな手足を拘束され、仰向けの姿勢で磔にされている。
「気が付いたかのう」
声がした。幼い、女の子の声。
6、7歳くらい、と思われる幼い少女が、石の寝台の傍らに立っていた。
その小さな身体を、白い、古めかしい装束に包んでいる。
歴史を学んでいた際に、エルファリアも見た事がある。古代ソーンの、賢者の正装だ。
そんな装いをした少女が、くりくりと可愛らしい瞳で、寝台上のエルファリアをじっと観察している。
「美しいのう……引き蘢っておっては出会えなんだ美しさよのう。やはり、たまには外を出歩いてみるものじゃ」
「何……何を、言っているの……貴女は、どなた……?」
エルファリアは、わけがわからなかった。何も、思い出せない。
自分は確か、別荘の自室で、書類の整理をしていたはずだ。
1つ思い出した。そこへ、この少女が現れたのだ。まるで迷い込んで来たかのように。
迷子ならば、まずは親御の事を聞き出さなければならない。恐らくは別荘の近隣の住民であろうが。
とりあえず、お茶とお菓子を振る舞おうと思い、エルファリアは侍女を呼ぼうとした。
そこで、この少女が何かを話しかけてきたのだ。その言葉の内容は、思い出せない。
もしかしたら、何か呪文の類であったのかも知れない。
ともかく、そこから先の記憶がエルファリアにはなかった。
そして今、気が付いたら、このような場所にいる。
「わしか。わしはのう、まあ見ての通り賢者の地位にある者じゃよ。つい最近、157回目の若返りをやらかしたところ……うん? 159回目じゃったかな」
少なくとも外見は幼い女賢者が、可愛らしく首を傾げる。
「まあともかく500年近く、ここに引き蘢っておる。じゃがエルファリア王女、そなたの噂は聞いておったぞい。平和の象徴、民衆の希望。いかなる悪人をも涙だけで改心させる聖女じゃとな……ううむ。こうして見ると噂通りじゃのう。そなたは美しい」
くりくりと可愛らしい瞳が、ぎらりと燃え上がった。
「噂通りの美しき聖女を、じゃな……操り人形のメイドに変えて思う存分、アレしてコレして愉しみおった者がおる。わし、あやつにだけは負けたくないのじゃ」
女賢者の小さな身体が、石の拘束寝台によじ登って来る。
「かと言って、あやつと同じ事をしたのでは芸がなかろう? 別の方向性で、そなたを愉しんでみようと思うのじゃ」
「やめて……」
エルファリアは息を呑んだ。
女賢者の息は、荒くなっている。
「そなたをな、心の無い怪物に作り変える……そのためにまず、そなたから心を抜き取る。いかなる悪人をも改心させる、優しく純真なる心をのう」
少女の小さな手が、エルファリアの衣の裾を、ゆっくりと捲り上げてゆく。
「心を奪い取る手段としては……こ、これが一番なのじゃよフヒヒヒヒヒ」
「や、やめなさい……やめて! やめてえええええええ!」
寝台に拘束されたまま、エルファリアは泣き悶えた。
形良い胸の膨らみが、天井に向かって激しく揺れた。
聖都エルザード郊外に「難攻不落の地下迷宮」と言われる古代遺跡がある。
秘宝・魔宝の類が数多く埋蔵されており、一攫千金を狙う輩の出入りが跡を絶たなかった。
「おう……けっこう奥深くまで来ちまったなあ俺ら」
「お宝。お宝の匂いが、してきやがったぜええ」
冒険者、と言うより盗掘者に等しい者たちが、今日もまた迷宮内をうろついている。
「あれ、なかなか良さげなブツじゃねえかあ?」
「どれよ……おう、あれかあ」
金銀財宝が見つかった、わけではない。
彼らが前方に発見したのは、石像である。単なる石材を、美しい女性の形に彫り上げたもの。
まるで生きているかのような、女人像だ。
「こ、こいつぁ……そこいらの生身の女よりずっと、そそるじゃねえかオイ」
「ただの石でも、こりゃあ立派な芸術作品だ。値打ちもんだぜ」
「こここの胸なんてよォー、石のくせに柔らかそう、たったまんねえええ」
石像に欲情し、抱きつこうとした男が次の瞬間、錐揉み状に回転しながら鼻血をぶちまけ、吹っ飛んだ。
女人像による、拳の一撃……否。その女人は、石像ではなくなっていた。
優美な背中から、いつの間にか皮膜の翼が広がっている。
「な、何だ……こりゃああ……」
「が、ガーゴイルだあああ!」
恐慌に陥った盗掘者たちに、牝のガーゴイルが美しい牙を剥き、襲いかかった。
レピア・浮桜が目を覚ました時、すなわち夜になって石像から生身の踊り子へと戻った時。
世界は、またしてもエルファリア王女の存在しない世界と化していた。
「まったく。しょっちゅう、いなくなるんだから……捜すのは、もう慣れっこだけどね」
自分も、同じくらいの頻度で行方不明になってはエルファリアに捜させている。あまり偉そうな事は言うまい、と思いながらレピアは地下迷宮を歩み進んで行った。
秘宝・魔宝が大量に眠っていると言われる迷宮だが、そんな物に興味があるわけではない。
ここにレピアが足を踏み入れた理由は、ただ1つ。
迷宮に棲む、美しく凶猛なガーゴイルの噂。その真相を確かめるためだ。
あの王女は、石像にされた事がある。獣にされた事がある。
ならばガーゴイルにされていたとしても、それほど不思議はない。
「ま、それはあたしもだけど……」
レピアは立ち止まった。
思った通り、エルファリアがそこにいた。
皮膜の翼を広げ、牙を剥いている。
石化した肌は、汚れて苔むし、湿っぽい異臭を放っている。
それでも、間違いなくエルファリアだ。
「何やってんのさ。今度は、こんな所で」
レピアはまず、微笑みかけた。
「そんなに汚れちゃって。帰ったらまず、お風呂入んないとね……」
手を、差し伸べる。
その手を握る事なく、牝のガーゴイルは襲いかかって来た。
レピアは、しなやかに身を反らせた。
石の細腕が、凄まじい速度で眼前を通過し、迷宮の柱を直撃・粉砕する。
破片と粉塵を蹴散らすように、エルファリアは羽ばたき、白く美しい牙を剥き、レピアに食らい付こうとする。
「やめて……駄目だよ、エルファリア……」
レピアの声が、震えた。身体が、震えた。心も、震えている。
石像にされた事がある。獣になった事がある。それは、エルファリアだけではない。
レピアもだ。
獣に変化していた期間、その時に行った捕食と殺傷。全てにおいて、エルファリアよりもずっと上である。
今や、レピアの中には獣がいる。こんなふうに襲いかかって来られたら、目覚めてしまう。
たとえ相手が、エルファリアでもだ。
「駄目……だってば……ぁああああ……」
レピアも、牙を剥いていた。
美しく引き締まった胴が捻転し、むっちりと力強い太股が跳ね上がる。魅惑的な脚線が、鞭のようにしなってガーゴイルを打ち据える。
エルファリアは、砕け散っていた。
石の生首が、石の手足が、レピアの周囲に散乱する。
「あ……ぁああああ……ああああああああああああ」
蹴り終えた足を着地させ損ね、転倒しながら、レピアは吼えた。
石の屍が散乱する中、激しくのたうち回りながらレピアは、人間の声を出せなくなっていた。
獣の絶叫が、咆哮が、迷宮内に響き渡った。
「うるさいのう……大事な実験の最中じゃと言うのに」
小さな女の子が、迷宮の奥から、ひょっこりと姿を現した。そして、いささか不機嫌そうに歩み寄って来る。
大昔の賢者の服を着た、幼い少女。
レピアは起き上がりながら跳躍し、襲いかかっていた。
「お前……お前か! お前がエルファリアを、おまえがあああああああああッッ!」
「あわ……わわわわわわ、ちちちちちちょっと待った! 生き返る、エルファリア王女は生き返るから!」
その叫びが一瞬でも遅かったらレピアは、少女の小さな身体を引き裂いていただろう。
「繋ぎ合わせて、心を入れれば! ちゃんと生き返るから! 王女の優しく純真な心、わし大事に取ってあるからああああ!」
元に戻ったエルファリアが、きょろきょろと周囲を見回している。
「……レピア? 私……一体、何を……」
「ああ思い出さなくてもいいよ。まあ、いつも通りの事さ」
ふらふらと歩くエルファリアを右腕で支えながら、レピアは、左腕で小さな荷物を抱えている。
ぐるぐる巻きに縛り上げられた、小さな女の子。その頭では、大きめのたんこぶが膨らんでいる。
「あのう……わし、これからどうなってしまうんかのう……?」
「ゆっくり考えるさ。2度とこんな事しないように、あんたの心を入れ替える……それには、どうすればいいのか。ま、ゆっくり考えようじゃないの」
レピアは、幼い女賢者を思いきり揺さぶった。悲鳴が上がった。
エルファリアが、見かねて声をかけてくる。
「れ、レピア……あまり乱暴な事をしては駄目よ」
「えっく……うえぇん……え、エルファリア王女はやっぱり優しいのう……今度はガーゴイルなんかと違う、もっと美しい魔物に変えて差し上げむぎゅううぅぅ」
レピアは女賢者を細腕で締め上げ、胸を押し付け、黙らせた。
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