<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【炎舞ノ抄 -抄ノ肆-】秋白

 今日再び、この場所に赴いて。
 もしや姿がないか、と辺りを捜して。
 …ああ、居ないのだろうか、と残念に思って。

 今日に限らず、何らかの理由でこの場所に出向く度に、通りすがる度にそんなことばかりが気になって。
 もう、以前にお会いした時からさえも、随分と時間が経ってしまっているのに。
 さすがに、もう疾うに、何処か遠くへ去られたのやも――秋白様ご自身が、最早この場所から去って久しいのやもしれないのに。
 …わたくしのことなど、もう、お忘れになっているやもしれないのに。
 それでもまだ、諦められずに。

 秋白様の姿を捜して。

 日々の営みの中、空いた時間を見付けて、また、ここに来てしまって。
 居ないことを確かめて、今更になってもまだ、と諦めの悪い自分に呆れて。
 溜息を。
 吐いたところで。

 ――――――…せいしろう、さん? と名を問うような声がしました。

 後ろから。
 聞こえた声。

 驚きました。
 驚喜、と言えたかもしれません。
 …けれどすぐに、幻聴かとも疑いました。
 ですがそれでも今、声が聞こえた――と思えた――驚喜の方が大きくて。その衝動のままに、思わず後ろを振り返っていました。
 予期して、けれど同時に幻だろうと諦めてもいた姿が、ありました。
 何度もここに来て、捜していた、その姿が。
 そこにあるのを認めました。
 …それでもまだ、幻聴だけではなく、幻覚までとも己を疑いました。
 けれど。
『童子』の能面を被っていたその姿が――やや慌てたように能面を取るその姿が、その能面の下から見覚えのある金色の双眸がひどく意外そうな色を浮かべたのも、認められて。
 わたくしの視る幻だけでは有り得ない姿だと、間違いなく『そう』であると――そこに居るのだと。
 今度こそ、信じられました。
「…秋白様?」
 呼び掛ける声が、少々上擦ってしまったか、とも思いました。ですが、そんなことは構いません。ただ、わたくしのこの声が本当にこのお方に届くなら。是非ともしかと届いて欲しい、そうとだけ願って。
「…やっぱり、松浪静四郎さんだよね」
「はい。静四郎でございます。またここで、この場所でお会いできましたこと、とても嬉しゅうございます」
「うん…ちょっとびっくりした。…戻って来たら静四郎さんが居るんだもん」
「戻って来たら、ですか?」
「? そうだけど」
「…と言うことは――ここは秋白様にとって『戻って来る』べき場所となられたのでしょうか?」
 この丘。
 帰るところも行くところもない、自分の『位置』すら定かではないと、仰っていたその御身で。
 戻って来る、などと言う言い方ができるのであれば。
 …今の秋白様が、ご自分がそこに居ていいのだと、ご自分でお認めになられているようにも思えて。
 不躾かと思いながらも、確かめたくなって。
 そう、続けてしまったら。
 …秋白様は、何処かきょとんと、不思議そうにわたくしの顔を見上げていました。
「だって、ここに居れば静四郎さん来るかもしれないじゃん」
 そう、さらりと言われた時点で、わたくしは思わず息を呑みました。
 わたくしに返されたのは、ごく軽い、少し拗ねたような――子供らしい甘えをほんの僅かだけ含んだ科白です。
 …この秋白様が、そんな風に仰って下さるとは。
「――っ。そう思っていて下さるのですか。有難う御座います。なかなか足を運べず、申し訳ありません」
「ううん。そんな事ない…って言うか、静四郎さん、なかなか足を運べないどころかよく来てくれてたのに、ちゃんとお話し出来なかった事も何度かあったよね。ごめん」

 ?

 思わず小首を傾げます。
 ひょっとして、秋白様はわたくしに足労を掛けたとお気になされていらっしゃるのでしょうか。
 もしそうならば、見当違いなのですが。
 ここに足を運ぶのは、秋白様の都合も考えず、わたくしが勝手にしていることです。それも、わたくしの方で都合のいい時にしか来ていません。秋白様が引け目を感じるような――お気になさることではありません。
「秋白様。謝ることなどありませんよ。わたくしが勝手にしていることなのですから。そんなにお気になさらないで下さいませ」
 それより。わたくしは、今、秋白様がどうしていらっしゃるのかの方が、ずっと気になっていました。
「秋白様には、お変わりはありませんでしたか?」
「えっと…それって、前に別れた時から今までの間に、って事だよね」
「はい。もし何かおありでしたら、よろしければお聞かせ頂けませんか?」
「…。…やっと『直接会えた』、って事かな」
「それは…貴方様が『ここ』まで追い掛けて来られたどなたかと、ですか?」
 少し考えながら、確かめます。
 以前に仰っていた、秋白様が『ここ』――ソーン世界に来た目的。…文句の一つも言うつもりだと、それだけの義理はあると仰っていた――その相手と会えた、と言うことなのでしょうか。
「そう。ま、会えたって言っても、ほんのちょっとの間だったんだけどね。言葉を交わす間も無くて、すぐに邪魔が入ってさ」
「邪魔…ですか」
「まぁ、前から『あの子』には何だかんだでいつも邪魔されてるようなものなんだけどね。でもあの場合は邪魔されて良かったって言えば良かったんだけど。『あの子』に『笹を握らせてあげた』のを、わかりやすくあいつに見せ付けられた事にもなるから――ってああ、あなたにこの話はしない方がよかったね」
「いいえ。秋白様が話して下さるのなら――肝心のお話を理解し切れないのだろうわたくしに、貴方様が話す価値を認めて下さるのなら、どんなお話でも。このような形でしかお力になれない非力なわたくしを、どうぞお許し下さいませ」
「って許すも何も…静四郎さんが許しを請うような事は何も無いよ。全部、ボクが勝手なだけの話なんだから」
「わたくしも勝手ですよ? ですから今こうして、図々しくも貴方様とお話しすることを乞うているのです」

 わたくしにとって、僅かでもこうして秋白様とお話しできる時間は、とても待ち遠しく、愛おしいのです。
 ええ。許されるなら、ずっと貴方様のお心に寄り添い、穏やかな時を分かち合って生きていけたらと…――

「――…と、失礼致しました。出過ぎたことを申し上げました」
「…」
「…秋白様? えぇと…呆れてしまわれましたか?」
「ううん。…何だか凄く勿体無くて」

 ?

 何がでしょう。
 今何か、勿体無いようなことがあったでしょうか、と本気で疑問に思います。己の言った言葉を思い返します。秋白様に勿体無いと言われそうなこと…やっぱり、何でしょう?
 わかりません。
 秋白様は、俄かに悩んでしまったわたくしに、ふわりと微笑い掛けて下さいました。
 それは、とても穏やかな、安らいだ笑顔でもあって。
 わたくしはそれだけで、心の底からほっとしてしまいました。秋白様がこうして微笑えるのなら、今俄かに生まれたわたくしの悩みなど、どうでもいいことになります。
 ですが、そんな秋白様の微笑む顔に、僅かな翳りと苦味が混じりました。先程勿体無いと仰られたことに、何か関わりがあるのかもしれません。
 …また、心配になります。
「えっとね。…何だか凄く勿体無いってボクが思うのは、静四郎さんのその気持ち。ボクなんかに…って言うとまた、そんな事無いってあなたにすぐ言われちゃいそうだから言わないけど。でも、何かこそばゆい。どうしてもボクが言ってもらえるような事じゃないって気がしちゃう。そんなに真っ直ぐに言われた事なんか、ボクが『こう』なる前にも無いしさ」
「そうなのですか?」
「うん。どうしても、素直に受け止めるのに躊躇っちゃうよ。静四郎さんの事だから、たぶん、全部本気なんだろうけど」
「はい。本気ですよ。自分の心に嘘はつけません。秋白様が以前、ここが自分の『位置』と思っていいのかと仰って下さった時は、本当に嬉しかったのです」
 勿体無くなどありません。わたくしの方でも秋白様の言葉に喜びを頂いております。
 ですから、こうして。
 この場所に来て、お話しを。
 何度でも。
 秋白様にとって、ご迷惑でないのなら。
 できることならもう誰も『笹を握る』ようなことがないように、貴方様がいつまでも心健やかに過ごせるように。
 それが、わたくしの唯一つの願いなのです。
「…そっか」
「はい」
 秋白様の仰っていること――しなければならない譲れないこと。これまで幾度か、話して下さった事柄。その内容。『笹を握る』と言う言い方に託した意味。勿論、わたくしの理解が正しいかどうかはわかりません。
 けれど、わたくしのこの気持ちだけは、はっきりと伝えておきたくて。
 ご様子からして、秋白様の方でも受け止めては下さったようです。
 ですが同時に、秋白様の微笑む顔には――何処か、困ったような色も混じっておりました。
「…でもやっぱり、勿体無いよ」
「どうしても、そう思われますか?」
「…うん。ほら、ボクが今静四郎さんにした話って…結局、『何も止めてない』って話になるから――それこそ静四郎さんのお願いの逆に行っちゃってる感じだし、なんか悪いなって」
「悪いなどと。わたくしは『できることなら』とお伝えもしましたよ。できないことであるならば、わたくしの勝手な願いに対して悪いなどと思う必要は全くありません。秋白様がご自身で選択なさったことなら、わたくしは否定するつもりはありませんよ。…それは、秋白様にとってお辛いことにならない選択をして欲しいとは思っておりますが…『何も止めない』と言うその選択も、秋白様にとっては大切な、譲れないことなのでしょう?」
 以前、仰っていた通りに。
「…うん。静四郎さんにあれだけ親身にしてもらってたのに、本当に止めてもいいかもなってあの時は思ったのに、結局まだ迷ってる。で、迷ってる間に直接『あいつ』に会えちゃったから…また迷いが強くなったって感じなんだよね。『あいつ』の姿を目の当たりにしたら、やっぱり止めちゃ駄目な気がしてさ。でも、前に静四郎さんに言われた事も、嬉しかったから」

 だからまだ、決められなくて――決めてないから、止めてもない。
 秋白様は、少し、後ろめたそうにそう仰います。

 ですが、今、わたくしに話して下さっている秋白様のそのお姿は。
 わたくしの前で「自分の位置はここと思っていいのか」と、「本当に止めてもいいかも」と話して下さった時と同じ、構えのない穏やかさを感じられて。
 秋白様が『あいつ』と言うお方や、『ソーンに来た目的』に関わること。以前、それらの話をしていた時のような、危うさや痛々しさは薄らいでいるようにも思えて。
 件の能面の面差しが、『童子』のままであることもそれとなく確かめて。

 …以前にわたくしに言われたことが嬉しかったなどと、言って下さって。
 それだけでも、わたくしにとっては望外の喜びであると、おわかりですか? 秋白様。



「――…あ、変わった事って言えばさ、ついさっき妙なひとにもあったんだよね。多分、ボクみたいに異界から来たひとじゃなくて、こっちの世界の、ソーンのひと」
 秋白様は不意にそう続けて来られます。思い出したことを口に出しただけのようでもあり、話を逸らそうとしたようでもあり――そのどちらでもあったのかも知れません。
 どちらにしろ、ソーン世界のお方らしいと仰る以上、秋白様の『事情』とは直接関わりのないだろうお方であるとは察しが付きます。秋白様の口調やご様子からしても、気晴らしになるのだろう、悪くないお話なのだろうとも思えます。
「おや。そのお方に、何かお気に留まることでもおありでしたか?」
「うん。えっとね、そのひと、全然ボクの事気にしないんだよね。単に関わり合いになりたくなくて努めて気にしないようにしてる――みたいな無理してる感じも全然無くてさ。ただ、すっごく自然体のまんまで、とことん気にされてない感じだったんだ」
 そこまで仰ったかと思うと、秋白様は小さく肩を竦めて、また、微笑います。
「ほら。…こう言っちゃなんだけど、傍から見てボクの存在ってどう考えたって変じゃない? いや、静四郎さんにはそんなことないですとか否定されるかもしれないけどそれはちょっと置いといて。ボクの見た目や格好もこうだし、こんな場所に一人で居て、いきなり妙な事話しかけたりして来る訳だし。…絶対何かしらの形で気になるものだと思うんだけど。色んな意味で」
「…それは…そう、ですね」
 秋白様の仰る通り、変と言う言い方は否定したいと思いますが…わたくしもわたくしで、秋白様のお着物や、お一人で寂しそうにしてらっしゃることが気に掛かって、お声を掛けた…のが秋白様とお話を交わす初めの切っ掛けだったことは事実です。
「でね、ボクの方がそのひとの事気になっちゃって、ちょっとそのひとに付いてってみたんだよね。なんか、近くの池に魚釣りに行く途中だったらしくってさ。…それでボクもさっきここから離れてたんだけど」
「では、本当にわたくしと顔を合わせる直前…にそのお方にお会いしたんですね」
「そう。…釣りなんて言われたらボクが『こう』なる前以来だから何かすっごく久し振りだなぁって興味が湧いちゃって。でもこのひと、実際池に着いたら餌も疑似餌も付けずに釣り糸垂らしてそのまんま全然動きが無くってさ」
「…。…それは…釣れるのでしょうか?」
 素朴な疑問が生まれます。
「だよね? やっぱりそう思うよね? 何か、釣れなかったら改めて餌付けるつもりではあるみたいだったんだけど…そのままずーっと動きが無くっていいかげん時間が経っててさ。…それでもまだそのひとにとっては様子見てる段階だったんだろうけど。で、ボクも暫くそのひとの事観察してたんだけど…何かあの調子だと、多分今もまだそのまま微動だにしてないんじゃないかなーって気がするくらい本当に動かなくてさ」
「…。…そのお方は、釣りをすること…と申しますか、時間を潰すことが目的なのでしょうか。それともお魚を獲ることが目的なのでしょうか。前者であるならばいいのですが…もし後者であるのなら…差し出がましいとは思いますが、忠告して差し上げた方がよろしいのでは」
 余計なお節介であるとは承知ですが。つい、気に掛かってしまいます。

 と。

 口に出してしまっていたところで、秋白様がわたくしの手を取りました。細い手指がわたくしの手をぎゅっと握ったかと思うと、秋白様はわたくしの顔を見上げます。そして、じゃあちょっと行ってみよう、とそのままわたくしの手を引きました。
 そして、わたくしが何を言う前に、秋白様は一歩を踏み出して――わたくしも秋白様に続いて、足を踏み出したと、思ったのですけれど。

 ――――――踏み出した先のそこは、それまで秋白様と居た筈の、いつもの丘ではありませんでした。



 いったい自分は今何処に居るのか――俄かに混乱します。混乱しますが、今、何が起きたのかは頭の何処かで薄々わかってもいました。きっと、秋白様のお力で空間跳躍…が行われたのでしょう。瞬時に別の場所へと転移して出る力。それは、細かい原理は違うかもしれませんが、わたくしも、似たことを行えはします。
 ですから、そう言った能力をお持ちでない方と比べれば、驚きはまだ少なかった…とは思うのですが。
 それでも驚きがなかった訳ではありません。
「と、秋白様!?」
「ほら、あのひとだよ」
 転移して出た場所、そこで秋白様に示された先には、一人の殿方がいらっしゃいました。そのお姿を見るに、どうにもお疲れになっているようで、お身体からも力が脱けているようにお見受けします。表情らしい表情もありません。澄んだ池の畔に座り、釣り竿を前にして――釣り糸を池の中に垂らしているようでした。彼の座る傍らには無造作に片手剣が置いてあります――剣士様なのかもしれません。すぐ側には緑色の毛並みをした猫が丸くなって眠っています。…不思議な色の毛並みです。
 水を張ったバケツもすぐ近くに置かれていました。中にはお魚が数尾泳いでいます。…位置関係からして、このお方の釣果だと思われます。
「あ、釣れたんだ」
「…」
 彼は、言葉では何も返しません。
 ですが、秋白様に言われて、釣れた、とそのまま鸚鵡返しに肯定してらっしゃった…ような気がします。…何故かわたくしにはそう感じられます。
 秋白様の言葉も続きます。
「で、餌もやっと付けたんだ…付けてから普通に釣れるようになったんだ。って事は別にボクたち改めて来なくて良かったかも。にしても、ボクたちいきなりこの場に出て来たんだけど、その割にお兄さん全然驚いてないね?」
「…」
 …わたくしたちがいきなり現れようが、面倒臭いことにならなければどうでもいいのだそうです。
 何故か、口を開いてらっしゃらないのに、彼の言いたいのだろうことがわかる気がしてなりません。勿論、それはわたくしの勝手な思い込みなのでしょうけれど…どうも様子を窺っているに、秋白様ともそんな感じで…それで普通に「話して」おられるようです。
 彼にとっては、これが普通の意思疎通の方法なのでしょうか?

 …いえ。

 それより。
 今、この彼は――秋白様のことを、『秋白』と言う名前なのか、とわたくしに確かめて来ているような気がしました。…ああ、今わたくしはここに出て開口一番、秋白様のお名前を呼びましたからね。
 ですが、そんな気がしてはいても本当に「そう」であるのか自信は持てないので、わたくしの方でも直接このお方に確認を取ってみようと思います。
 こちらの勝手な思い込みだけで、話を進めてしまう訳には行きませんから。
「あの、今…問わず語りでわたくしに秋白様のお名前を確かめましたか? そう受け取ってしまって構わないのでしょうか…ああ、わたくしは松浪静四郎と申します。貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
 まずは、そこから。
「…」
 黙ったままで、ごく軽く、頷かれました。
 それからまた――たっぷりと間を置いてから、今度こそ口を開いてケヴィン・フォレストと仰られました。
 どうやら、それがこのお方のお名前のようです。
「あ、それボクも初めて聞いた」
「…」
 伝えてないから当然、だそうです。
 …曰くこのケヴィン様、喋ること自体が面倒臭いので、言外に意図を読み取って「会話」して欲しいとのことらしく。
 少々、面食らってしまいました。
 本当に、世の中には色々な方がいらっしゃいます。
「…で、秋白様のお名前でしたか…確かに秋白様と仰いますが…ああ、わたくしの口からお伝えしてしまってよろしかったのでしょうか。当の秋白様がここにいらっしゃるのですから、秋白様ご自身に確かめられた方がよろしかったのでは…?」
「いや、別に静四郎さんの方に確かめてもらってもボクは全然構わないけど。単にさっきも何となく自己紹介しそびれてただけだから」
 で、ボクが『秋白』だと何かあるの? と秋白様が不思議そうにケヴィン様に訊いています。
 と。

 ………………は? と思いました。

 ケヴィン様が言外に仰い?ますに、『秋白』と言うのは人知れずエルザードとその近隣であちこちを破壊した容疑が掛かってるお方の名前なのだそうです。
 町並みの中にいつの間にか破壊の痕跡だけが残っていると言う形の事件で、原因調査の依頼があった時にその名をお聞きになったのだとか。
「…なんですか、それ」
「へぇ、お兄さんてそこまで辿り着いてるひとだったんだ?」
「…。…心当たりがおありなのですか? 秋白様?」
「静四郎さんにはあまり言いたくない話だよ。…申し訳無くて、言えない話。それから、多分辿り着いてる人ってまだ少ないと思う話。…気付いてそうな人も、表向きには隠してるんじゃないかなって気がしてたんだけど」
「秋白様…」
 伝えられた話に、わたくしは少し、悲しくなります。が、無言のままのケヴィン様は、そんな話を出した?割にはその話題をもう気にしてらっしゃらないようです。やはり、どうでもいいとのことで。…ただ、その調査の時に聞いた名が今出て来たので確かめてみただけなのだとか。秋白様も仰っていた通り、先程お二人でお会いした時は、自己紹介も何もしなかったそうですので。
 あくまで、それだけの理由だったそうです。
「…そうなの? それだけ? ……………お兄さん、ほんっとにボクの事気にしないね。そんな物騒な事の関係者っぽいって知ってたら普通もっとこう、何か思うところがありそうな気がするけど」
 …面倒臭いからどうでもいい。
 ケヴィン様は相変わらず無言のままで、けれどわたくしたちにはきっぱりとそう伝えたいようです。
 …本当に、心底、面倒臭いの一言に尽きるようです。
 ケヴィン様の、釣り竿に向かっているお姿に変わりはありません。
 ふと、釣り竿が上げられました。引きがあったようです――釣れたようです。びちびちと跳ねる姿が釣り糸の先にあります。ケヴィン様は針から魚を外すと、先程の釣果が入ったバケツにまた魚を放り込みます。
 放り込んだところで、ケヴィン様は釣り竿を傍らに置きました。そして今度は、何やら酷く億劫そうに立ち上がったかと思うと、これまた億劫そうに周囲を見渡し、何かを探し始めました。
「…ケヴィン様?」
「どしたの?」
 …どうやら、ケヴィン様は小枝か何かをお探しのようで。魚を焼く為に、火を熾すおつもりのようです。そう気付いた時点で、わたくしも秋白様も、何となくそのお手伝いをし始めてしまいました。
 秋白様の仰っていた通り、何だか不思議なお方です。



 三人で――主にわたくしと秋白様の手で、だった気がしないでもないのですが――拾い集めた枯れ枝で、ケヴィン様は焚き火を始めました。それから、小枝を串にして魚に刺して、熾したその火で魚を炙っています。お食事の為の釣りだったのですねと声を掛けたら、言外にお金も依頼もないからとのお返事が。…他人事ではありません。食い扶持を得るのは大変です。思わず同意しつつ切々と語ってしまって――秋白様もそんなわたくしを目を丸くして見ていることに気が付きました。…少々はしたない真似をしてしまったかもしれません。
 不意に、ケヴィン様から焼き上がった魚を一尾渡されました。思わず目を瞬かせます…一拍置いて、頂く訳には、と固辞しようとしたら――ケヴィン様の意識はもうわたくしに向いておりませんでした。既にご自身でもまた別の焼き上がった魚に齧り付いてらっしゃいます。…今返すと言ってもお邪魔になる気が致しますし、何より一度渡されて――受け取ってしまった以上は、今更返すのは折角のお気持ちを無にするのも同然になるかもしれません。…有難く頂くことにします。
 秋白様の方でも同様の魚をケヴィン様に勧められていたようです。熱そうにはふはふしながらも、齧り付いて――召し上がっています。焦げの味と魚の味がする、と何かが釈然としない様子でぼやいてらっしゃいます。…焼き魚を食べて、焦げと魚の味がすると言うのは当然なのでは? とわたくしは思うのですが…ふと疑問に思いつつ、わたくしも勧められたお魚を有難く頂きます――塩のひと振りもしていないと言うことですね、とすぐに秋白様の発言の意味がわかりました。ケヴィン様の方からも、面倒臭いから味付けもしてない、とあっさり伝えられた気がします。…本当は面倒臭いのではなく、お連れであるらしい猫さんに合わせたと言うこともあるのかもしれません。猫さんにも焼き魚を一尾差し上げているようですし。
 味付けがなくとも、お焦げが香ばしくて、美味しいです。新鮮なお魚ですから滋味も充分に感じられますし、本当に有難いことだと思います。秋白様も、ぼやきながらも頂いた分をきちんと食べ進めています。
 …その姿を拝見していて、わたくしはこれまでの邂逅で秋白様と語らって来たお話を、ふと、思い出しました。

『食べる』こととは、生命を頂いて、生きると言うことにもなりますから。
 ですから今、やはり秋白様もきちんと『生きて』おられますよ、と。
 そう、改めてお伝えしたくなりました。



 …秋白様に、そのことをお伝えしてから。

 わたくしたち三人(と一匹)は――勿論、焼いた魚も食べ終わり、焚き火の火の始末も、片付けもきちんとした後にですが――秋白様のお力で元の丘にまで転移して戻ることになりました。…ケヴィン様のご希望があったから、もあります。曰く、歩くのが面倒臭いから、瞬間移動とか出来るなら連れて行ってほしい、とのことで。…ケヴィン様と言うお方は、何をするのも全てがご面倒…と言うことなのかもしれません。初めてお姿を見た時にお疲れの様子に見えたのも、何か理由があってちょうど疲れていたところ――な訳ではなく、常からこうであると言うことなのかもしれません。…さぞ難儀なことかと存じます。
 元の丘に着いてからは、ケヴィン様はすぐに、じゃ、とばかりにごく短い別れの意思だけを伝えて来ます。それだけで名残惜しい様子もなく、あっさりと今度はエルザードの方向に歩いて去って行きました。緑の毛並みの猫さんも当たり前のように後に付いて去って行きます。
 ケヴィン様は、口を開いては何も仰いません。本当に色々なことを気にされないお方とお見受けします。わたくしはその背に、お気を付けてお帰り下さい、とやや遅れてですが声を掛けることだけはしました。とは言え、ケヴィン様のお耳にわたくしのその声が届いたかどうか自信はありません…そのくらい、お声を掛けるタイミングを逸してしまいました。…ケヴィン様との「お話し」の仕方は難しいです。何だか申し訳ありません。

 わたくしと秋白様がその場に残されます。
 ふと秋白様のお姿を見ると、うーん、とばかりに思い切り伸びをしています。清々しそうなご様子です。そして――ボクもそろそろ行こっかな、と、ごく軽く、見た目通りのあどけない童のように仰っていました。

 …秋白様ご自身が興味を抱かれた、偶然出会った通りすがりのお方。そのお方が釣った魚をご相伴に与りつつ、暫しの時を過ごしたこと。纏めてしまえばたったこれだけの――偶然の積み重ねで辿り着いた、ほんの他愛無いことに過ぎません。…それでも、たったそれだけのことでも秋白様のお心に、ひとときの安らぎを与えてくれた…と言うことなのかもしれません。

 未だ「止めるかどうか決められない」と仰る秋白様。ですが、止めることも考えに入れて下さっていることは――わたくしの願いを選択肢に入れて下さっていることは、わたくしにとってとても嬉しいことになります。
 これから秋白様がどうなさるのか。それは、ほんの幾度かお会いして、僅かに言葉を交わした程度のわたくしになど、きっと、窺い知れないことになるのでしょうが。

 それでもわたくしは、秋白様のお心を信じたいと思います。
 秋白様が、仮初にでは無く、本当の意味で心健やかに過ごせるようになるまで。

 ずっとわたくしは、待っておりますから。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■視点PC
 ■2377/松浪・静四郎(まつなみ・せいしろう)
 男/28歳(実年齢39歳)/放浪の癒し手

■同時描写PC
 ■3425/ケヴィン・フォレスト
 男/23歳(実年齢21歳)/賞金稼ぎ

■NPC
 ■秋白

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          ライター通信
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 松浪静四郎様にはいつもお世話になっております。こちらこそ大変御無沙汰しております。
 今回は『炎舞ノ抄』四本目の発注、有難う御座いました。

 まずは大変お待たせ致しました。作成自体も相変わらず日数上乗せの上、期間いっぱい使わせて頂くもしくは少し過ぎるかも…と言う遅さなのですが(汗)、特に今回の場合は…『炎舞ノ抄』シリーズ自体が約五年と言う、これまで参加して下さっていた方も忘れてしまうだろう程に間を置いての募集になってしまって。にも拘らず窓にほぼ即日で気付いて頂けたと言うのは大変恐縮で。本当に有難い限りです。

 ノベル内容ですが…途中からですが、今回は他PC様と同時描写になっております。それも関係してか、これまでの三本と少々趣が違って来ています。何だかんだで釣りにお付き合い頂く事にもなりました。また、そちらでの反応は、主にPCデータ等からしてPC様ならこうしそうか、こうなりそうか、と当方で考えた形で描写させて頂いております。見当違いになっていなければ良いのですが、如何だったでしょうか。
 と言う訳で、同時納品(…の筈だったのですが諸事情でズレ込んでしまいました)のケヴィン・フォレスト様版のノベルも合わせて見て頂けると、松浪静四郎様がケヴィン・フォレスト様からどう見られていたかが描写されていたりもしますので、合わせてどうぞ。

 松浪静四郎様には本当にいつも秋白の事を色々と気遣って頂けまして有難う御座います。…何やら毎度そんな事を書いている気もしますが、本当にこちらが恐縮するくらい繊細にお気遣い頂けるので。秋白の方でも松浪静四郎さんと会える事を楽しみにしていると思います。
 その割に、秋白の方で松浪静四郎様の願いを聞き入れるかどうかについては、まだ不透明ではあるのですが。

 如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける時がありましたら、その時は。

 深海残月 拝