<東京怪談ノベル(シングル)>
凪ぎの刻 〜Langsame Zeit〜
●Madchen
レギーナ(3856)が、その少女に気がついたのは偶然だった。
何時からと問われれば、街角でだらだらと長い時間過ごしているのを数ヶ月前から何度も見かけていた。
この日も何をする訳でもなくぶらついていた少女にレギーナが声をかけたのは、ほんの気まぐれだった。
少女は、主の道楽でやっているような、客なんて滅多に来ない店に勤めているのだと少女は言った。
毎日暇なのでこうして店番をさぼって街に出掛けているのだという。
「暇なら、何かすればいいじゃない。何かやりたい事とかないの?」
そうレギーナは、尋ねた。
「やりたい事はないけど、夢はあるかな」と少女は笑った。
「何?」
『働かずに生きる事』と少女は言った。
「服の着替えも食事も、わたしが面倒と思う事は、全部召使いがやってくれるの」
何人も召使を雇えるようなお金持ちと知り合う必要があるが、お金持ちに出合えるようなサロンに行く為に働くのは、嫌だと少女は言った。
「必死に働いても両親みたいに死んじゃえばお終いよ」
「ご両親は、亡くなったの?」
そうだと少女は、答えた。
「少しお金を残してくれたけど、すぐに無くなっちゃったわ。お陰で働かなきゃいけなくなったんだけど」
少女を雇ってくれたのは、今の店ぐらいしかなかったのだという。
いっそ働かないで済む。人形になりたい。と、ぼやく少女にレギーナは静かに微笑んだ。
「お金持ちじゃないけどあなたの願いを叶えてあげられるよ」
レギーナに腕を掴まれた少女は、レギーナの手の硬さと冷たさに驚き、思わず体を固くした。
「大丈夫。何も怖くないから」
少女はこの時、初めてレギーナを”見た”。
人形のように可愛らしい顔をしたレギーナは、一体何なのか。
意識が遠のく中、少女は自分より頭一つ小さかったレギーナを。いつもより高くなっている空を見上げていた──。
●Luscious Zeit
少女が目を覚ますと見知らぬ部屋にいた。
何処か生活感のない部屋だった。
ふと見れば目の前に飾られた鏡の中に自分とそっくりな球体関節人形が座っていた。
(嫌だ。服までそっくりじゃない……)
居心地の悪さに少女は、身じろぎをした。
否、身じろぎをしようとしたが動けない自分に驚いた。
混乱する少女の前に、何時の間にかレギーナが立っていた。
「気分は、どう?」
『あたしに何をしたの? 体が動かないわ!』
「何って働かないで良い人形にしてあげただけだよ」
小柄なレギーナの身体が、少女人形の身体に大きく覆いかぶさってくる。
小さく悲鳴を上げる少女に怖がらなくて良いとレギーナは、優しく言い、少女を抱き上げた。
くるりと身体の方向を変えられた時、少女は見た。
鏡に映るのは、レギーナに抱きかかえられた自分そっくりの人形であった。
レギーナは、人形の腕を取って言った。
「あなたは自分で腕を動かせないけど、こうやって私はあなたの腕を自由に動かせるよ」
少女の意思とは動く自分の腕に、少女は呻いた。
レギーナは人形の腕を動かし続け、手が頬に触れた。
触れる感覚は、人の温かみのある頬とは違う、陶器の滑らかさと冷たさ。
柔らかな隆起を描く胸は、心臓の鼓動は感じられず、頬と同じ陶器の硬さであった。
叩いた太腿は、乾いた陶器の音がした。
──自分は、人形になってしまった。
理解出来ない。
否、したくない現実に金切り声をあげて叫ぶ少女。
「人形になった子は誰でも最初は叫ぶけど、すぐに慣れるよ」
何人の少女が自分と同様に人形にされたのだろう。
レギーナに必死に助けを請う少女。
人形に必要なのは、難しいことではない。
ご主人様からの『無償の愛を受け入れる』事と『その愛を愛で返す』だけ。
あなたには、ピッタリだとレギーナは微笑んだ。
屈託のない笑顔を向けるレギーナと身の上に降りかかった突然の不幸に恐怖し、少女は気絶した──。
●Boring Wissenschaft von Puppen in ruhiger Alltag
──レギーナと二人で暮らし始めて何日になるだろう。
暫くの間は、着替えの際、レギーナに肌を見られるのが恥かしかった。
また髪を梳かれるものも、嫌悪であった。
レギーナは文句を言い続ける少女人形に嫌な顔もせず、毎日笑顔で話しかけ、大切な宝物のように世話を続けた。
──繰り返される人形の日常。
綺麗な服に着替えさせられ、服に合った髪に整えられているうちに、
少女人形の中にあった嫌悪感は、氷を溶かすように消えうせていった。
レギーナが言ったようにお姫様のように扱われているのだ。
人間として退屈な日々を暮らしていた時に比べれば天地の差。
夢のような生活である。
そう悪くないかもしれない。そんな気持ちが何時の頃か少女人形の中に生まれていた。
だが、自分は、自由な人間なのだ。という気持ちも捨て切れなかった。
実際、人形の身体で困るのは、自由に動けない事だった。
レギーナと一緒の時は、窓際に連れて行ってもらって飽きるまで空を眺めたり、
時には友達のように仲良く街中を散歩したり出来たが、
仕事で何日も帰ってこないとひたすら部屋の壁を見続けることになる。
これでは籠の中の鳥である。
──だがそれすらも人とは違う人形の時間の感覚。
何をするのでもなく繰り返される昼と夜。
過ぎていく緩慢なまでの風の凪いだ海のように、
ただ待つだけの気が遠くなる時間にも、少女人形は慣れてしまった。
(ああ、なんて退屈なんだろう)
何時からか知らず、優しく語り掛けながら髪を梳いてくれる手がひたすら恋しかった──。
「ただいま。ごめんね。予定より長引いちゃった」
部屋に戻ってきたレギーナは、雪のついたコートを脱ぎ、優しく人形の頭を撫でた。
『お帰りなさい、レギーナ。ねえ、ずっと寂しかったんだよ。何して遊ぶ?』
無意識から出た言葉にびっくりする人形だったが、レギーナは気にした様子もなく、まずは身体のお手入れが必要だといった。
「ずっとお世話が出来ていなかったからね。身体におかしいところがないか見なきゃ」
「なんだか手足のバランスが悪くなっているね。
分解してお手入れしようね。分解は初めてだけど、怖くないからね」
『うん』
着たままで埃っぽくなってしまっていた服を脱がせ、手足をバラバラにしていくレギーナ。
「右足を繋ぐゴムが伸びちゃっているから交換するね」
真剣な表情でバラバラにした手足を柔らかな布で拭き、伸びたゴムを手早く交換していくレギーナを、人形は楽しそうに見ていた。
再び結合された身体に新しい服を着せるとレギーナは、人形の髪を丁寧に梳いていく。
『ああ……気持ち良い』
人であった事の方が夢だったのかもしれない。
そう人形は思った。
「うん、良く似合うよ」
鏡の前に立たせ着替えた姿を人形にも見せるレギーナ。
レギーナの笑顔が、人形にも嬉しかった。
『ありがとう、レギーナ』
「じゃあ。遊ぼうか」
『うん♪』
レギーナと人形は、一緒にいられなかった時間を取り戻すように飽きることなく遊び続けた──。
<了>
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3856 / レギーナ / 女 / 13歳 / 冒険者】
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