<東京怪談ノベル(シングル)>


セレスティア、勤務中


 このソーンという世界が存外、平和ではないという事が、そろそろわかってきた。
 秩序の中枢たる、ここ聖都エルザードと、敵対している自治体がいくつか存在するらしい。
 その中でも最大勢力と言うべきが、アセシナート公国。
 彼らにしてみれば、エルザードが異世界からの人材召喚に成功したとなれば、確かに心穏やかではいられないだろう。
 その人材が、歩くチートとでも言うべき水操師であったとなれば、尚更だ。仮想敵国が核兵器を保有した、に等しい事態であろう。
「私に、核兵器並みの力なんて本当にあるのかどうか……は、ともかく」
 書類の流し読みをしながら、私は言った。
 エルファリア王女と同じく、外出禁止の身である。王宮内で仕事をするしかない。
「奪ってしまえ、という事になってしまうんでしょうねえ。アセシナートの人たちとしては、確かに」
「貴女が本当に奪われていたら、それは恐ろしい事になっていたでしょうね」
 エルファリア王女が応えた。
 私が選別した書類を、さらに読み込んで卓上に並べ直し、てきぱきと優先順位をつけながら。
「アセシナート公国は、水操師としての貴女の力を、躊躇いもなく破壊と殺戮に用いたでしょう……貴女は、彼らの言いなりになるところだったのよ」
 エルザード王宮内。王女専用の、執務室である。
 そこでエルファリアと私セレスティアは今、一応は公務中であった。
 エルザード直轄領各地から、様々な書類が上がって来る。治安に関する情報、税収の報告、民衆からの嘆願書、その他諸々。それらが、こうして王女のもとへ回されて来る。
 様々な書類を、まずは私が選別しなければならない。
 国政の素人である私にも、こんなものは多忙な王女に目を通していただく必要なし、としか思えないような書類が、あまりにも多いからだ。
「五行……でしたか? セレスティアの水の力に対抗し得る手段が、構築されてしまっている。シャッテン・レギールンであれば、それはまあ当然として」
 私が選別した書類に、羽ペンで何やら書き込みをしながら、王女がいささか呆れている。
「わかりやすい酒池肉林の罠に陥ってしまうなんて……まったく。こんな事は言いたくないけれど貴女、私が思っていた以上に俗物だったのね」
「あら、ご存じなかったんですか? 王女様。初めてお会いした時から私、俗物なところしかお見せしていませんよ」
 笑いながら私は、次の書類を手に取った。
 エルファリア王女個人に対する罵詈雑言が、びっしりと書き込まれている。
 脅迫状か、あるいはストーカー的な恋文かも知れない。
 とにかく、この執務室に回されて来る書類は、半分近くがこの類のものだ。
 私は即、丸めてゴミ箱に放り込んだ。まあ楽な仕事ではある。
 次の書類を、手に取った。
 とある村からの、嘆願書である。
 領主が不当に税を搾取しているから罰して欲しい、という内容だ。
 真実ならば王女の手を煩わせる事もない、私が出向いてその領主と話をつけるところだが、その前にいくらか調べてみる必要はあるだろう。村人たちの方に何かしら問題がないと、判明したわけではないのだ。
 エルファリアがこれから目を通してくれるであろう書類の束に、その嘆願書を重ねながら、私は訊いてみた。
「王女様は……イケメンをたくさん集めて侍らせてキャッキャウフフとか、してみたいと思った事ありませんか?」
「……愚かな質問は不敬罪ですよ、セレスティア殿」
 そんな答え方をしながら王女は、さらさらと羽ペンを走らせている。
 彼女としても、こんな会話をしながら対応を指示できるような書類ばかりだ。
 私としては、こんな会話をしながらでなければ、やっていられない仕事ではあった。
「うわ……また」
 文面を見た瞬間、そんな声が出てしまうような書類を、私は手に取ってしまった。
「え〜と、なになに……王女エルファリアはもはや王女ならざる者として腹を切って死ぬべきだ。理由は24歳であり、19歳を過ぎたる者はもはや王女を名乗る事は許されず、18歳以下の身も心も清らかな美少女のみが王女・姫君の身分にふさわしく、20代半ばの王女などもはや王族詐称にも等しい大罪であって」
「音読して下さらなくてもいいですから」
 王女が苦笑した。
「読んで疲れるような上申書が多いのは事実ね。少し、休憩しましょうか」
「こんなのは上申書って言いませんよ」
 まあ24歳の王女様って、なかなか斬新な設定だとは思いますけど。とは、私は口には出さなかった。
 執務室の片隅に置かれた来客用のソファーに、王女は挙措たおやかに腰を下ろし、私は気怠げに身を投げ出した。
 鈴で呼ばれたメイドたちが、紅茶とお茶菓子を運んで来てくれる。
 私はビールと油物が大好きな中年サラリーマンで、お洒落な喫茶店だのスイーツだのには全く見向きもしなかったものだ。
 だが今は、こんな調子である。
「あ……このフルーツタルト、ひょっとして白山羊亭の? 私これ大好きなんですよ〜」
「王家直属の料理人やお菓子職人を雇うよりも、あそこに注文したほうがお安く済みますから」
 言いつつ王女は、じっと私を見つめている。
「それにしても……長かったわね、セレスティア」
「え……と、半年くらい? 私、あの洞窟で捕まってたんですねえ」
 半年間。私はあの洞窟で、ゴーレムたちに下の世話までされながら、夢を見続けていたのだ。
 それを私は忘れていた。思い出したい事でもなかった。
 だが城付きの洗心医による治療で、全て思い出す羽目になってしまったのだ。
 アセシナート公国の狙いを知るために、必要な事であったからだ。
 半年間、私は女として最高の悦楽に浸っていた。
「女にさせられていた……なぁんて言ったら、ちょっと卑猥ですけどね」
「そのせい、かどうかはわからないけど……前より少し女性らしくなった、ように見えるわよセレスティア」
「私が、ですか?」
 ソファーの上でダラダラしている己の姿を、私は見下ろし観察した。
 いつものように青色のドレスを貼り付けた肢体は、半年間ずっと怠惰にしていた割にはボディラインが崩れる事もなく、しなやかな凹凸を保っている。
 この世界に現れた時から、私はこうだ。外見が女らしいのは、最初からである。
「まあ中身はアレですけどね。女らしさと対極にある、脂ぎった中年男のまま……それより、このタルト美味し〜い。紅茶と合いますねえ」
「黒山羊亭で、お酒とお肉を合わせているよりは……ずっと女性らしいわよ?」
 王女が微笑んだ。いくらか、苦笑に近い。
 セレスティアと成ってから私は確かに、ビールや手羽先と同じくらい、紅茶とスイーツが好きになった。
 それを女らしさと呼べるかどうかは、わからない。