<東京怪談ノベル(シングル)>


地下迷宮の猛獣使い 前編

怒りに燃えながらも、主人たる王女への敬意を失わないように務める侍女たちを前に、エルファリアは小さくため息を零す。
彼女たちの要求はもっともで、何一つ反論はできない。
だからといって、受け入れるには重すぎる決断だった。

「王女様、悩む必要などありません。はっきり申し上げれば、状況は充分に分かっておられるでしょう!」
「私たちは別に理不尽な要求をしているわけではありません」
「そうです。私たちはただ普通に職務をこなしたいのです!」

きっと眦を釣り上げて訴える侍女たちに、低く唸りを上げる存在にエルファリアは米神を抑える。
彼女たちが怒るのは無理もない。原因は唸りを上げている動物―ではなく、自分の友人である麗しき女性・レピア。
ただし、今現在は少々……否、かなり変わり果てている。
美しい容姿はそのままなのだが、全身は薄汚れ、華麗だった踊り子の衣装は見る影もなく擦り切れたボロ布で、下着姿という恥も外聞もない姿。
なんとか衣服を着させようと侍女たちは努力したが、獣のごとく―いや、獣そのものでしかないレピアに逃げ回られただけでなく、唸り声を上げて威嚇するだけでなく、襲い掛かってくるという始末。
おまけにところ構わず、粗相をするものだから、掃除係の侍女たちが涙目になりながら片付けている。
そんなことが積もりに積もり、とうとう限界を超えた侍女たちは結束し、ストライキを起こしたというわけだ。

「皆の気持ちは分かりました。ですが、レピアは」
「ええ、えええええ、充分に理解しておりますわ!王女殿下っ!レピア様が魔女に捕まって、呪いをかけらたということはっ!!」

何とか侍女たちの気持ちをなだめようと、凛と背を伸ばし、言葉を尽くそうとするエルファリアに対し、ストライキの首謀者たる侍女頭はギリリと眦を釣り上げて、反論を許さずとばかりに食って掛かった。

「ですがっ!これ以上は我慢の限界ですっ!!いくら殿下の御頼みでも、聞くことはできませんっ!!そのレピア様もどきの駄犬……いえ、野犬を屋敷内に住まわせないでくださいっ!!」
「そうですっ!!野犬は野犬らしく、外に……いいえ、人様の迷惑にならぬように裏庭で飼ってくださいませっ」
「これ以上、その犬がいるというなら陛下に訴えます」
「仕事放棄は続行しますっ!姫様が全ておひとりでなさればいいんだわっ」

威嚇されるわ、噛みつかれるわ、追い回されるわと、散々な目に合わされてきた侍女たちの怒りは限界を超え、ついには荒ぶる感情そのままに泣き叫ぶ。
さすがのエルファリアも反論出来ず、はなはだ不本意ではあったが、侍女たちの訴えを聞くしかなかった。

呪いをかけられ、理性を失い、獣と化した大切な友人を人目につかない裏庭に移した時、エルファリアは胸がつぶれる思いだったが、ギロリとにらみを利かせる別荘中の侍女たちを前に泣き言は言えず、自分にしかなつかなかったレピアをそこに放した。
しばらくの間、落ち着かないのか、周囲を探ったり、匂いを嗅いだりと、完全に犬のそのものの行動をしていたレピアだったが、やがて環境を気に入ったのか、嬉しそうに裏庭を駆け回り始めた。

「完全な犬、ですね」
「全くですわ。あれがレピア様とは信じられません」
「いい加減になさい。呪いをかけられたレピアに対し、あまりに無礼。口を慎みなさい」

頭痛の種だったレピアが広大な裏庭を駆けずり回る様を見て、侍女たちがしみじみと、言いたい放題につぶやくのを聞いて、エルファリアは我慢の限界が超え、全員を叱咤する。
申し訳ありません、姫様、と口だけ謝罪すると、そそくさと仕事に戻っていく。そのあまりに軽い足取りにエルファリアは反論する気力を失い、レピアを心配そうに見つめると、大きく肩を落として、自室へと引き上げていった。

そんなエルファリアの心配とは裏腹に、レピアは嬉しそうに鬱蒼と雑草が生い茂る裏庭を駆け回る。
理性の欠片すらないレピアにとって、ここは楽しくてしかたがない。
思う存分に駆け回っていたレピアだったが、ふと気づけば、庭の片隅にぽっかりと口を開けた穴を見つけ、犬よろしく鼻をひくつかせ―楽しそうに顔を輝かせ、そこに飛び込んだ。
人1人がやっと通れるほどの狭い通路を駆け抜けると、目の前に広がったのは石積みの水路と通路。
水路を流れるのは人々の生活用水で酷く汚れた汚水と鼻を突くような不快な異臭。
そして、辺りをうろつくのはモンスターと化した捨てられたペットたち。
状況から察するに、王都の地下を流れる下水道にたどり着いてしまったようだったが、レピアは一層顔を輝かせて、モンスターに向かって駆け出して行った。

ふわり、と音もなく石畳に降り立つと、鞭を片手に持った――身体のラインを強調させたボンテージファッション姿の女はずれたシルクハットをかぶり直し、踵を高らかに鳴らして歩き出す。
鼻につくのは、ひどい異臭で我慢ならなかったが、全ては目的の物を見つけるためだ。

王都の地下深くを流れる下水道に、愚かな貴族たちが捨て去ったペットがモンスターとなり、彼らの楽園と化している。
凶暴とかしたモンスターたちに誰も手を付けることが出来ず、ただ放置するしかない。
命が惜しければ、地下の下水道に近寄るな。
それが数週間前までの噂。
だが、ある時を境に噂が変貌し、その真相を確かめるべく、女はここに喜び勇んで乗り込んできた。
――地下の下水道に住まうモンスターの楽園に、汚れきった、だが、見目麗しい女の姿をした魔物が突如現れ、襲っている。
容姿とは思えないほどの凄まじい力を持ち、凶暴なモンスターたちを食いちぎる様は野獣に等しい、と。

月に2度、魔除けの札をつけて、下水道の点検に入る作業員たちが目撃したのは、汚物で汚れきった下着姿の女が己の数倍はあるモンスターに襲い掛かり、その肉を引きちぎる様。
あまりに恐ろしい光景に作業員たちは我先だって地上へと逃げ帰り、事の次第を訴えた。

当初、騎士団や冒険者による討伐も考えられたが、あいにくと腕利きの戦士たちが不在であったことから、下水道へ通じる、ありとあらゆる通路を全て封鎖し、モンスターたちが出て来られないようにする措置が取られた。
その結果、モンスターたちがどうなっているのか、全く分からず、未知の領域となり、持て余す状況に至った。
だが、数日前。王都でもよく知られた、超一流の冒険者一行が帰還し、ようやく下水道のモンスター討伐が行えると、役所の担当者が小躍りするほど喜んでいたのを、横目で見た女は誰にも知られぬ秘密の通路を使い、下水道に向かったのである。
――モンスターを食い殺す野獣のような女を捕まえるために。

密閉空間だけあって、女の足音はひどく響き、通路の横穴でうとうととまどろんでいたレピアはぴくりと身体を震わすと、のそりと起き上がって、そこからはい出す。
鼻をひくつかせれば、ここに住むモンスターたちとは一線を画す、というよりも、完全に別次元の――華やかな香水の匂い。
あまりに強い香りにレピアは低く唸って、不快さを訴え、近づいてくる足音に警戒を露わに全身の毛を逆立てる。
カツン、カツンと近づいてきた足音はレピアの数歩前で止まり、何かに感動したような感嘆の息を零した。
唸り声を上げて威嚇するレピアの身体に反応したのか、天井に埋め込まれた探知式のライトが点灯し、レピアにとっての敵の姿がくっきりと浮かんだ。

「ぐるるるるるるっ!!」
「あらあら、見事に野生化した美少女ね。改心したとはいえ、いい仕事ぶりだったわね、あの魔女」

口に泡を立て、怒りに染まった目で睨みつけてくるレピアに女は感動しつつも、面白そうに見つめ返す。
綺麗な肢体をしているが、汚物で汚れ放題な上に食い殺してきたモンスターたちの返り血が全身にこびりつき、見るも無残な姿だ。
理性を破壊されてずいぶん時間がたっているというのに、未だに治る気配もない。
完全な野生に目覚めてしまっているなら、好都合、と女は右手に握った鞭を勢いよく振り下ろし、石畳にびしりと打ち付ける。
鋭くしなる鞭の音に、一瞬、レピアは身体をすくませるが、すぐさま殺気をほとばしらせ、女に襲い掛かった。
研ぎ澄まされた両手の爪が女の顔を引き裂くかに見えた。
だが、女は余裕たっぷりとばかりに、レピアの攻撃をかわすと、一瞬にして背後に回り込み、右手に握った鞭を振り下ろす。
唸りを上げて振り下ろされた鞭を本能でかわし切り、レピアは身を翻すと、女に再び襲い掛かる。
そのしなやかさに女はぞくりと身を震わせると、懐から手のひらに乗る水晶玉を取り出す。

「まさに理想的な子だわ、貴女……この私、最高の猛獣使い(ビーストテイマー)がきっちりとしつけて差し上げますわ」

語尾に音符が付きそうなほど、嬉しそうな声で女―猛獣使いは叫ぶと、手にした水晶玉をレピアに掲げた。
闇を貫く眩い光が下水道にほとばしる。
思わず両腕で顔を覆ったレピアの身体がわずかに浮いたと思った瞬間、凄まじい力で光を発する水晶玉に抵抗する暇もなく吸い込まれた。

「はい、回収完了。さぁ、きっちりとしつけてあげるわね、お嬢さん」

レピアを閉じ込めた水晶玉に口づけると、猛獣使いの女は軽やかな足取りで来た道を戻っていった。