<東京怪談ノベル(シングル)>


地下迷宮の猛獣使い 後編

深い森を貫く街道を馬車で走らせながら、猛獣使いの女は浮かない表情でため息を零す。
業界では名の知れた、超一流の猛獣使いと知られた女は、その筋の愛好家である貴族や豪商などからも引っ張りだこ。
中でも、この森の奥に住まう魔女は彼女にとっては上客というだけでなく、貴族たちから依頼を受け、預かった美少女たちを魔女の魔力で野生化させ、躾をするという相互関係にあった。
だが、その関係も終わりだ。悪しき魔女であった彼女がどういうわけか、改心してしまい、もう二度と少女を野生化させないと宣言してしまったからだ。
言葉は悪いが、需要はあっても供給がなければ、野生化美少女達の躾ビジネスは成立しない。
―今躾けている美少女達が仕上がったら、この仕事から足を洗うか
ぼんやりと思いにふけりながら、猛獣使いは雄叫びを上げながら走り回る野生化美少女達が目の届く範囲から逃げないように注意を払う。
王都の地下にある下水道のはずれにある広大な空間。
良い躾場所を探していた猛獣使いが偶然見つけた最良の領域。人の目も届かず、どれほど大声で叫ぼうと喚こうとも迷惑をかけない上に、悪趣味な愛好家の貴族様に送り届けるにも都合のいい場所だった。

「まさか、あの魔女が改心するなんて思いもしなかったわね」

つくづく残念に思いつつも、次の仕事を探さなくては、と冷静に考える自分がいるのに、猛獣使いは苦笑する。
なにせ猛獣を躾けることは彼女にとって、まさに天職だった。
ただし、理性を打ち消され、野生化した、愛らしくも、気高く、美しい少女たちの躾、という、やや斜め上な仕事だが。

とにもかくにも、残った少女たちをきちんと躾をしなくては、と奔走していた時だった。
下水道に現れたモンスターを食らう、美しき魔物の噂を耳にしたのは。

「下水道の魔物?」
「ああ、スゲー美人だが、凶暴な魔物だとよ。その姿を見た奴はあっという間に食い殺される、なんて噂だ」

顔なじみの道具屋の店主が青ざめた表情で教えてくれた話に、猛獣使いは綺麗な眉をしかめた。
つい数週間前から流れ出した噂らしいが、下水道に何度も足を運んでいる彼女はとんと、その姿を拝んだことはない。
だが、そんな美しい魔物がいると言うなら会ってみたい、というのは、猛獣使いの性なんだろう。
やがて腕利きの冒険者たちによる討伐が検討されていると耳にし、やつらを出し抜くために、下水道を探索し――とうとう見つけた。
汚物などで汚れきってはいたが、雪花石を思わせる白い肌に伸びやかな肢体。
申し訳程度に纏った踊り子の服らしいボロから覗く質の良い下着。
おそらくも何も、あの魔女が最後に作ったであろう、どストライクな野生化美少女―レピアは完璧な猛獣使いの好みだ。
一目見た瞬間から心はきまっていた。

―この女、私がかんんんぺっきに躾けてあげるわ

半ば音符が乱れ飛びそうなほどハイテンションな喜びようで猛獣使いは襲い掛かるレピアの攻撃をかわし、封印の水晶に閉じ込めて、ようやく捕えたというわけであった。

スキップができそうな軽い足取りで、自分が支配する下水道のエリアに戻ってきた猛獣使いは、育てている野生化美少女たちを捕えた頑丈かつシンプルな細かい鉄格子で作られた檻の前に立った。
猛獣使いの気配に気づいた美少女達は四本足で立ち、低いうなり声を上げて警戒の声を上げる。
警戒しているのは猛獣使いではない。彼女が手にしている水晶玉を、だ。

「警戒しなくていいわ、お仲間を連れてきただけだから」

嫣然と微笑みかけながら、猛獣使いは手にしていた水晶玉を檻の中に放り込む。
ふーっと低く威嚇の声を上げ、水晶玉から飛び下がり、遠巻きに見る野生化美少女達。
パリンという音ともに水晶が砕けた瞬間、白い光と共に一抱えはある物体が出現し、美少女達は一層唸り声をあげ、警戒する。
その物体はぐにゃりと姿を変え、大きく伸び――柔らかな、かつ、優美なラインを描き、一人の女―レピアへと姿を変えた。
突如解放されたレピアは驚いたように、その場をぐるぐると回るが、警戒していた美少女達はクンクンと鼻を鳴らし、やがて同類と判断したのか、身体を擦り付ける。
最初、戸惑っていたレピアも彼女たちが同類で、仲間と判断したのか、嬉しそうに身体を擦り付け返す。
これが動物、例えば子犬や子猫、もしくは小動物ならば、微笑ましいのだろうが、檻の中にいるのはあくまで人間。
しかも理性を完全に壊されて、野生化した麗しい乙女―普通で言うところの美少女たち、だ。
そんな少女たちが獣じみた声を上げて、身体を擦り付け、睦んでいる姿はある意味で空恐ろしく感じるが、ある意味では何とも言えない美の結集ともいえる光景のだろう。
猛獣使いの女にとって、この光景は完全に至福の光景。

「麗しき踊り子のお嬢さん、ここにはあなたと敵対する者たちはいないわ……完璧に仕上げて、この私の……猛獣使い人生最高傑作に仕上げてあげるわね」

悦に入った、恍惚に満ちた声で猛獣使いは高らかに宣言すると、ようやく落ち着きを取り戻したレピアをはじめとする美少女たちをうっとりとした視線を送るのだった。

宣言通り、猛獣使いの入れ込みようは凄まじかった。
例えば食事。ほかの者たちは投げ込まれた食事を争うように、自由に食べていたが、レピアだけは鋭い鞭が飛び、一拍待てがかかる。
最初はたて突き、怒り任せに猛獣使いに襲い掛かろうとしたが、逆に鞭でいなされただけでなく、素早く、かつしなやかに鞭を入れられ、その痛みから従わせられた。
しかも超一流を名乗るだけあって、レピアの身体に入れた一撃は傷痕は残らず、うっすらと赤くなるだけという神業ぶり。
そのテクニックを完璧に駆使し、猛獣使いは自由奔放でやりたい放題だったレピアを徐々に躾けていった。
加えて、猛獣使いが躾しまくった美少女達が鞭打たれて、唸るレピアを労わるように傷口をなめたり、身体を擦り付けて慰める、といった―なんとも危うい美しさに猛獣使いがため息を零していた。
そんな、楽しい躾が半年ほど続くと、レピアは抵抗の意思を完全に失い、優美でしなやか、かつ従順な獣へと変貌を遂げた。

「はぁ〜完璧だわ。この美しさ、従順さ、気高さ、そして女たちの頂点に立つ強さ……まさに私が目指した至高の獣よっ!!」

檻の中でゆったりと寝そべりながら、野生化美少女達を従えて、女王然と君臨するレピアの姿を見て、猛獣使いはある種の興奮状態で叫ぶと完全なトランス状態に入ったような高笑いが下水道に響き渡った。


その連絡が入ったのは、彼女―レピアが行方不明になってから半年が過ぎていた。
若干、興奮した執事が主であるエルファリアに匿名の―だが、上質の紙を使った親書を捧げた。
いぶかしげに手に取ったエルファリアだったが、その親書を一読した瞬間、顔色が変わり、思わず椅子を蹴って立ち上がったほどだ。

「この手紙は!?」
「はい、金で雇われただけという少年がある人物から王女様にお届けしろと預かったというお話です」

意気込んで尋ね返すエルファリアの気迫に執事はやや押されつつも、にこやかに答えた。
エルファリアが意気込むのも無理はない。
半年前、理性を壊され、野生化してしまったエルファリアの友・レピアが別荘の裏庭から行方知れずになった。
手を尽くして探させたが、手掛かりはなく、あっという間に半年もの月日が流れていた。
もう無理なのかもしれないと落ち込んでいたエルファリアの元に届いた吉報。
差出人は不明。だが、はっきりと書かれていたのはレピアの名。

――殿下のご友人、レピア殿をお預かりしております。レピア殿の御身は無事でありますゆえ、御心配なきよう……3日後の夕方、同封しました地図に示した郊外にて、レピア殿をお返しいたします。お迎えをよろしくお願い申し上げます。

知性を感じる達筆で書かれた内容をエルファリアはすぐに信じ、執事たちに迎えの手配を指示した。

目立たないが、繊細な彫り物が施された―王族専用の馬車で息を詰めるように座ってたエルファリア。
指示されたその日。ようやくレピアに会えるという喜びと手紙の真偽を確かめなかった不安に挟まれながら、相手を待つ。
だが、いくら待とうと、約束の時間が過ぎても、一向に誰かがやってくる気配はない。
いてもたってもいられなくなったエルファリアはとうとう馬車を飛び出すと、受け渡しの場所で会った空き地に踏み込み、周囲を見渡す。
だが、人の気配はなく、ただ風だけが通り過ぎていくだけ。
騙されたのか、とがっくりと落ち込み、重い足取りで馬車に戻ろうとしたエルファリアの足に何かがあたり、ふと見ると、一つの水晶玉が転がっていた。

「これは!」

水晶から強く感じる魔力に混じって、懐かしい友人の気配を感じとり、エルファリアはうれし涙を流しながら、その場に膝をつきながら水晶を掻き抱いた。