<東京怪談ノベル(シングル)>


悟りを開きし者の華麗なる悪趣味

平穏無事な王都エルザードの昼下がり。
親友・レピアが石化の呪いで動けぬことから、エルファリアは一人でお忍びという大胆な行動を起こした。
結果、別荘は上に下にの大騒ぎとなっているのだが、当人は気にも止めず、楽しんでいたが、これがのちに『最悪の日々』と呼ばれる事態を引き起こすなど考えもしていなかった。

頭からすっぽりとフードを被り、人目につかぬように教会の路地に隠れて、往来する人々を眺める怪しい人物―なのだが、周囲の人は全く気付かない。
どれほど気づかないかというと、その人の真横を子供たちが歓声を上げながら駆け抜け、気配に鋭い犬や猫が欠伸しながら通り過ぎていくというほどだ。
それもそのはず。この人物、フードの下は『絶世』と呼ばれるほど美しい容姿を持った女賢者―なのだが、はっきり言って、筋金入りの人嫌いで、過去の一件から大の男性嫌い。
明晰すぎる頭脳の持ち主ゆえに、一層の拍車がかかり、普段はエルザード郊外にある祠に引きこもり、晴耕雨読、という日々を送り、滅多にエルザードには来ない。
だが、ある切羽詰った事情から、ごくまれにやってくることがある。
それは――

「ふぅ……なかなかいい子がいないわね」

大きくため息をつき、ずれかかった分厚いフードを直す。
人に気づかれないのだから、別にこんな重武装でなくてもいいのだが、たまにカンの強い人間に気づかれるので、用心を重ねているわけである。
街に来てから2時間。そこまで気長に眺めているのも変質、いや、驚異的なのだが、切羽詰っているので、この程度の時間は想定内。
しかし、自分のめがねにかなう人材――見目麗しき乙女、いわゆる美少女がなかなか通りかからないなど、実に嘆かわしい、と女賢者は思った。

「今日はもう引き上げようかしら?いくら切羽詰っているとはいえ、妥協はしたくないわ」

ぼそりと呟きながら、もう一度視線を送り――通りがかった一人の女性に釘つけになった。
柔らかそうな髪。穏やかで透き通った瞳。しなやかで気品に満ちた身体。
思わずガン見し、その女性が通り過ぎるのを見送ると、女賢者は目をギラリと光らせて、その場から一瞬にして移動し、先回りした。

こじんまりとした雑貨店の店先に置かれた、繊細な絵付けの施された白磁の皿を手に取り、エルファリアは感嘆の息を零す。
王宮で使われる食器と引けを取らぬほどの材質にでありながら、実に安価な値段で流通しているとは、本当に素晴らしいと思う。
ある意味、感動的だ。
しげしげと眺めた後、丁寧な手つきで皿を置くと、エルファリアは別の―生成り色のカップを手に取ろうとする。

「ちょっとよろしいかしら?お嬢さん」
「え?」

背後から、優しげな女の声がかかり、エルファリアが振り返ると、そこには分厚いフードを被った―男なのか女なのか、一見すると分からない人物―女賢者が立っていた。

「私に何か御用ですか?」
「このバレッタ、貴女の物かしら?名前が入っているですけど、何ておっしゃるのかしら?」

やや、というより、かなり無理のある問いかけだったが、エルファリアは何の疑いもなく、女賢者の問いかけに応じてしまった。

「私はエルファリア、と申しますわ」
「そう……エルファリアね」

フードの奥に隠れた女賢者の瞳が不敵に輝いた瞬間、ぐるりと世界が反転する。
いきなり視野が暗くなり、ただエルファリアの目の前に浮かぶ真っ白な紙。
その上に書かれていたのは、自分の名。だが、そこから文字が浮かび上がり、名前が変わっていく。
同時に意識が朦朧とし、混濁していく中、女賢者の声が染み込んでくる。

「エルファリア、お前の名を貰い受ける。これからお前は私のメイド……メイドのファリア。私を主として仕えなさい」
「は……い、ご主人様」

ぼんやりとした意識で、エルファリアは女賢者の言葉にただうなづき、その瞬間、女賢者はにやりと微笑んだ。
その瞬間、人々の記憶から『王女・エルファリア』の存在は消え失せた。ただ一人を除いては。

楽しげに行き交う人々の流れに逆らい、レピアはエルザードの街中を走り回っていた。
何一つ変わらない街並み、別荘で働く使用人たち、陽気に笑いながらあいさつを交わす人々。
だが、大きく変わっていることが一つある。それは自分だけでなく、このエルザードにとって極めて重大な事項だというのに、とレピアはほぞを噛み、当てもなく探し回る。
半年前、突如として行方知れずとなった王女・エルファリアを。
王家の大事な王女殿下が行方不明となれば、大騒ぎとなるべきなのに、そうならなかった。
なぜなら、人々の中に、エルザードの王女は存在していないのだ。
あの運命の日、石化の呪いから目覚めたレピアの前に、笑顔で迎えてくれるエルファリアの姿はなく、不思議に思い、通り掛かった侍女に訪ねて、愕然となった。

―何をおっしゃっているのですか?レピア様。この国に王女殿下なんていらっしゃいませんよ

にこやかに、だが、きっぱりと言い切った侍女の言葉にレピアは愕然とし、エルファリアを探し回ったのだが、どこにも姿はなく―それどころか、本当に彼女がいたという痕跡さえなかった。
その事実に打ちのめされ、一時は自分がおかしいのではと疑いもしたが、記憶の中で確かに微笑む彼女を思い、探し回っていた。
今日も今日とて手がかりもなく、レピアはがっくりと肩を落とし、別荘へと戻ろうとした瞬間、その視界の端に見覚えのある姿が映った。
驚き、慌てて、人ごみに消えた姿を追いかけたレピアは八百屋の前で、探し求めた彼女―エルファリアを見つけた。

「エルファリア!ああ、良かった……どれだけ心配したか」
「え?あの」
「一体何があったの?それにその姿、まるで」

買い物籠を手にし、困惑しきった表情を浮かべたエルファリアに構いもせず、レピアは早口にまくし立てると、その腕を取って別荘へと戻ろうとする。
だが、さすがに驚愕したエルファリアはその手を振りほどくと、困惑しきった表情でレピアを見返した。
あまりの光景に店員のみならず買い物客たちもざわめきだす。
そんな周囲の様子にエルファリアは少々戸惑いながらも、レピアを見返して、はっきりと答える。

「どなたかとお間違えではないですか?私はある御方にお仕えしているメイドのファリアですが」
「な……何を言ってるのよっ!貴方はっ」
「ここでは皆さんの迷惑になります。ご主人様にお会いすれば、私がメイドであることがはっきりとしますわ」

変わらない笑顔でにこやかに微笑されると、レピアは何も言えず、ただうなづくしかなかった。

ファリアと名乗るエルファリアに連れられてやって来たのは、エルザードの郊外にある―人目につかない祠。
こんな寂れたところに住んでいたのかと思うと、レピアは胸が痛くなる。
だが、エルファリアは気にも止めず、レピアを伴って祠に入っていった。
入ってみると、中は思ったよりも広く、清潔で、なによりも明るい。
呆然となりながら、辺りを見回すレピアの耳に届いたのは、気だるげな女の声。
その声のする方を振り返り、レピアは我が目を疑った。

「あら、御客人なのね。ファリア」
「はい、ご主人様」

胸と腹から下を覆うだけの―古代衣服を身に纏った絶世の美しさを誇る女賢者にかしずき、身体を投げ出すエルファリアの姿。
妖艶な光景に一瞬、息を飲み、次の瞬間、怒りが爆発した。
大事な友人のみだらな姿。そして、それをさも当然のように引き受ける女賢者。
彼女が全ての元凶と気づき、レピアは怒りそのままに襲い掛かった。

「あら、きれいな顔をしているのに残念ね」

にっこりと笑いながら、レピアの攻撃をかわし、女賢者は右手を突き出すと、眩い光が炸裂させた。
凄まじい閃光にレピアは目がくらみ、きつく目を閉じると手足に拘束され、叩き潰される。

「くっ……卑怯者め」
「誰が卑怯者よ。人の家に勝手にもぐりこんできたのだから、覚悟はいいわね?」

両手両足を光の輪で繋ぎ止められ、転がるレピアを優雅な手つきで撫でながら、女賢者はちょっと好みだものね、とつぶやくと、素早く何かを唱え始める。
その定められた音律にからめ捕られ、レピアは意識を手放した。

「さて、どうやら解放した方がよさそうね」

お迎えが来るなんて、さすがは王女様、というべきかしら、という女賢者の苦笑交じりの声が脳裏に響き、何かがはじける音が聞こえた。
何が起こったのか、と必死に目を開けようとするが、うまく行かない。
と、誰かが身体を揺り動かされ、ようやく目を開けると、そこにいたのは、何とも言えない苦笑を浮かべたエルファリアの姿。
大きく目を見開くレピアにエルファリアは口元に人差し指を当てて、静かにと合図を送る。

「調子に乗って半年も拘束して悪かった。あるべき場所へお帰りなさい、って、彼女―賢者殿が」

事態を把握できないレピアにエルファリアは肩を大仰にすくめ、人騒がせな方だったわね、とあきれるしかなかった。