<東京怪談ノベル(シングル)>
セレスティア誕生
私は、とりあえずサイコロを振ってみた。
「うん、このパラメーターだと女性かな。あざとい美少女キャラは避けて、20代半ばの大人の女。おっとりした感じで、でも芯はビシッとしてて、母性本能が強くて、包容力があって……っと、だからNPCをあんまり気合い入れて作り込んじゃ駄目なんだって」
「随分と御熱心に、一体何をしていらっしゃるのやら」
和服とエプロン。まるで大正時代の女給さんのような格好をしたエルファリア王女が、コーヒーを持って来てくれた。
そして、私のパソコンを覗き込む。
「お仕事ですか?」
「私は、自宅にまで仕事を持ち込まない主義でしてね」
NPCのキャラクターシートに数値や情報を打ち込みながら、私は言った。
「今やってるのは、趣味のゲームのシナリオ作りです。今週末に、みんなで集まってやる事になってますのでね」
言いつつ私は、何故こんな所にエルファリア王女がいるのか、ぼんやりと気にしていた。
私の自宅である。
安アパートの一室だ。マイホームや結婚など夢のまた夢という一人暮らしをしている私の傍に、何故かエルファリア王女がいる。
和服にエプロンなどという格好の似合う、若く美しく高貴な女性と、私はいつからか同棲しているのであろうか。
あの連中が知ったら、さぞ羨ましがる事であろう。
今週末、あの連中が、ここに集まる事になっている。私の作ったシナリオで、プレイする事になっている。
その時に、エルファリア王女を紹介する事になるのだろうか。
「貴方の、お仲間の方々……」
王女が、いくらか重い口調で呟いた。
「貴方と同じく……ソーンに、召喚されるかも知れない方々……」
「ソーン……とは? はて……」
キーボードを叩く手を止めながら、私は首を捻った。年齢相応に、脂ぎって弛んだ太い首。
ソーン。聞いた事もない、ただ妙に懐かしい感じのする単語である。
否、と私は思った。懐かしむべきは、今のこの状況なのではないか。何となく、そんな気がした。
パソコン画面内のキャラクターシートを、じっと見つめながら、エルファリア王女が訊いてくる。
「……それで、この方の御名前は?」
「名前ですか。そうですねえ、上品な女性の名前……やっぱりサ行かな。さ、サリナ、シルフィー、スレイ、セレス……セレスティア、これで行きましょう。セレスティア24歳、水系の精霊使い。はい決定決定。どういうキャラになるかはプレイ次第、あいつら次第です」
キャラクターシートは完成した。あとは、これをプリントアウトするだけである。
「なるほど……このようにして貴女は生まれたのね、セレスティア」
画面内のキャラクターシートに、エルファリア王女が話しかけた。
いや違う。王女は、私を見ている。私に向かって、話しかけている。いくらか苦笑気味にだ。
「造物主の荘厳なる御業のようなものが、あったのかと思っていたのだけれど……随分と大まかな、と言うか適当なものだったのね」
「こんなもんですよ、NPCを作る時なんて」
応えつつ私は、少しずつ、何かを思い出していた。
「設定には凝りたくなってしまうものですけどね、確かに。だけどNPCなんて最終的には、あの連中のプレイに押しまくられて、単なる背景になるのが関の山ですから」
そう、思い出した。あの連中との週末のプレイは、確か中止になってしまったはずである。
ゲームマスターである私が、この世界から消え失せたせいで。
「思い出したのね、セレスティア」
エルファリアが、じっと私を見つめている。
その黄金色の瞳に映っているのは、首元の弛んだ中年男の、呆然とした間抜け面だ。
「貴女はシャッテン・レギールンに捕われ、洗脳に近い事をされていた。そのせいで精神が不安定な状態にある……貴女には、しっかりと己の心を取り戻してもらわなければいけませんから」
「なるほど。だから今、私は……自分のルーツを、見せられているんですね」
もしも、この時、この場にいなかったら。ここから、逃げ出していたら。
中年男の心を持つ淑女として、ソーンに転生する事もなかっただろう。
だが今、ここから逃げ出す事など出来はしない。
何故なら私は、過去に戻る事が出来たわけではないからだ。私は今、夢を見せられているに過ぎない。
厳密には夢とは違うのだろうが、まあ夢のようなものであろう。
夢を見ている時、これは夢であると朧げながら認識出来る時がある。今が、まさしくそうだ。
などと思っている間に、それは始まっていた。
部屋に、大穴が空いた。
私はそう感じたが、実際は床に穴など空いていない。部屋は無傷である。
あるはずのない大穴の中に、私は落ち込んで行った。
どこまでも落ちて行く、ようでいて浮かんでもいる。
宙を舞っている、と言うよりは水中を漂っている感覚だ。
息は出来る。本当に呼吸が出来ているのかどうか定かではないが、少なくとも苦しくはない。
だが私は今、死んでいた。こんな状態で、生きていられるわけがない。
私は、溶けていた。
風呂に浸かったまま死亡し、1年近く放置された男性の画像というものを見た事がある。ちょうど、あんな感じだ。
煮込まれたかのように私は溶け、渦巻いている。
その中から、白いものが浮かび上がって来る。
白く、ほっそりと綺麗な、それは骸骨であった。
私の身体が、骨格から再構成されつつある。
ドロドロと渦巻いていたものが白骨にまとわりつき、各種臓器や筋肉に変わってゆく。
柔らかな筋肉が、白い肌に包まれてゆく。
青い髪がサラリと伸び、たゆたった。
無表情な細面の頭蓋骨は、今や眠り姫そのものの美貌に変わっていた。
グロ画像同然の有り様であった私の肉体が、たおやかなウンディーネの細身に作り変えられてゆく。
それを、私は体感していた。
(そうだ……私は、セレスティア……)
再構成された脳で、私はまず、それを認識した。
中年男の心を持った淑女が、誕生した瞬間である。
私は目を開き、己の姿を見下ろし見回した。
しなやかな細腕。ふっくらと隆起した胸と尻、その間で綺麗に凹みくびれた胴。すらりと伸びた両脚。
グラドル顔負けの肉体に、ドレスかレオタードか判然としない、青い薄手の衣装が貼り付いている。
私にいくらかでも絵心があれば、キャラクターシートには、このようなイラストを描いていただろう。
いや。そんな想像上のイラストを遥かに上回るほど、実物のセレスティアは美しい。
「私は美しい……なんてセリフが、普通に出て来てしまうのか」
自分の美しさを認識する。自分を、美しいと思う。
女性化とはそういう事なのかも知れない、と私は少しだけ思った。
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