<東京怪談ノベル(シングル)>


獣の檻と古き呪縛〜楔の砕き方

暴れ狂う人の姿をした獣を女賢者は苦も無くもなくかわす。
仕留めきれなかったことに苛立ちを隠せずに唸りを上げて襲い掛かってくる獣―否、レピア。
並みの人間なら恐れをなして、逃げ出すところだろうが、彼女は全くひるむことなく、魔力を集めた右手をかざす。
ふわりと沸き立つ泉のごとくあふれ出た魔力の奔流がこぶし大ほどの球になり、唸りをあげて襲ってきたレピアに叩き付ける。
その凄まじい衝撃にレピアは白目をむいて、気絶し、その場に転がった。

「あ〜も〜いい加減にしなさいってのよ。この数か月、飽きもせず、良くも襲ってくるわ」

さて、今日の解呪に取り掛かりますか、とぼやきながら、女賢者は気絶したレピアを半ば引きずり込むように、寝台へ連れてくる。
相変わらず身体を洗わせてくれないので、強烈なにおいがするわ、寝台の敷布は汚れ放題だが、それもしばらくの辛抱だ。
気を失っていれば、見目麗しき乙女、かなりのピンポイントなんだが、根深く染み込んだ呪いが全て台無しにしている。
あの気高き王女様に呪いを引き受けてもらったとはいえ、ここまで凄まじい呪いとは思いもしなかった。
眠りと束縛の魔法で抑え込み、身体に染み込んだ呪いを打ち消す解呪の魔力を注ぎ込み、少しずつ消していく。
焦って、一気にやろうとすれば、レピアの命が失われてしまう。
ゆえに時間を掛けてきたが、まさか数か月間、毎日のように格闘を繰り返すとは思いもしなかった。
が、それも今日まで、と女賢者は思う。

「う……」
「あら?お目覚めね」

小さな呻きに、女賢者はにやりと口元を釣り上げ、その目覚めを待つ。
呻きの後に震える瞼、そして緩慢に、だが確実に動き出す身体。
野生化の呪いに封じられたレピアという人格の目覚め。
時間をかけて待っただけはあるが、本当の勝負はこれからだ、と女賢者は思っていた。

長い間、重くのしかかっていたベールが一気にはぎ取られ、薄い光が差し込み、視界が一気にクリアになっていく。
沈み込んでいた意識―自我に血が通い、滞っていたものが流れ出すのを感じる。

「こ……こは?」

かすれた声が自分の物だと認識するのに、しばらく時間が掛かった。
視界に飛び込んできたのは見たことのない天井、壁、寝台。
自分がどこにいるのか、ままらなかったレピアの耳に飛び込んできたのは、不敵かつ自信にあふれた女の声。

「おはよう、レピア。やっと正気に戻れてうれしいわ」
「あ・なたはっ!また私を呪いで束縛しようっていうの!?」

覗き込んできた記憶にない女にレピアは混乱し、悲鳴に近い叫びを上げると、女は眉をひそめ、怪訝な表情を浮かべた。
妙なことを叫ぶものだ、と思いつつも、女賢者はベッドの脇に置いたベルベット張りの椅子に座る。

「何を言っているのか、理解に苦しむけど、私はある人物の依頼であなたにかけられた呪いを解除していたところよ。ようやく自我を取り戻してあげたってのに、何言ってくれるのかしら?」

額をびきりと引きつらせながらも、笑顔でくぎを刺すのを忘れない女賢者の一言にレピアは鋭く反応し、素早く襟首を掴んでくる。
怒っても逆効果、と判断し、好きにさせたが、やられっぱなしでいるほどお優しい性格ではないのが、この女賢者が自分たるゆえんである。

「どういうことなの?教えてもらえないかしら」
「言ってくれるわね、全く……依頼主の話によると、貴方は1年近く前、どこぞの悪趣味魔女に捕まって、人の姿をした獣にされたのよ。しかも無責任なことに、改心した魔女は同じような被害者たちを放置してくれたらしくてね……で、貴方は依頼主に助けられたんだけど、獣のままだったのよ」

そう全ては1年近く前。
魔女の呪いを受けて、人の姿をした獣に変えられたレピアだったが、運よく依頼主のエルファリアに保護されたまでは良かった。
だが、獣の呪いは解けず、依頼主の別荘から勝手に飛び出し、行方不明になってくれたレピアだが、どういうわけか、迷惑魔女と取引のあった―これまた傍迷惑な女の猛獣使いによって調教を受け、飽きたのかどうか分からないが、手が付けられなくなった状態で依頼主の元に返された。
だが、別荘に戻ってきたのはいいが、姿は人、中身は獣は変わっていないので、相当迷惑だったわけで。
使えていたメイドたちがボイコットで、ストライキを始め、困り果てた依頼主は、隠棲していた超有能賢者である自分を頼った―

「ってわけなのよ、お嬢さん。ご理解できたかしら?」

若干、主観と脚色が入っているが、説明を受けたレピアはあまりのことに衝撃を受けていた。
魔女に捕まってから1年以上が過ぎていただけでなく、人としての理性を失い、獣として生きていたなど信じたくはなかった。
だが、全身から発する凄まじい異臭がそれが事実であることを告げていて、さらに追い込まれる。

「ショックを受けるのは分かるけど、現実を見なさい。今やるべきことをやりましょう」
「なら、この臭いを洗い流したいわ。お風呂をお借りできるかしら?」
「いいわよ。私も入りたいところだったから」

精一杯にこやかに笑うレピアの中に見え隠れする呪いを見つけ、女賢者は内心ため息をつきながら、風呂場へと案内した。

高い天井に広々としたモザイク張りの空間。たっぷりと沸き立つ湯が張られた大理石の一部屋ほどの広さを有する風呂。
臭い消しの薬草を混ぜ込んだ石鹸で全身をきれいに洗い流し、湯につかると、ようやく人心地がついたレピアは向かい側に座っている女賢者に改めて頭を下げた。

「貴方のお陰で助かりました。お礼を言います」
「気にしないで。貴方を救ったのは私だけはなく、ご友人のエルファリア王女のご協力があってこそ、よ」
「そのことですが……私にもう一度、獣の呪いを移して」

友人、エルファリアが自分を救うために呪いを受けたことを知り、心痛めたレピアは悲壮な表情で頼もうとした瞬間、女賢者が鋭く睨み、一喝した。

「バカなこと言わないでちょうだい。呪いを移す、移し返す……なんて真似をしても解決しないわ。ただの堂々巡りにすぎないの。もっと建設的に考えるなら、貴方の心に穿たれた呪いの楔を取り除くことよ。それが済んでから次の事を考えましょう」

毅然と言い放つ姿は賢者たる威厳に満ち溢れ、レピアは素直にうなづき、彼女の指示に従おうと決意を固めた。
その決意に満ちた表情を見て、女賢者は次なる手を打つべく、風呂から上がると、一着の服を手元にとりよせた。

品位に満ちたシルク製のメイド服。
平然と手渡された瞬間、なぜ、という思考で固まるレピアに女賢者は確信に満ちた笑顔で着るように進める。
何か深い考えがあるのだろうが、なぜメイド服?しかもエルファリアの匂いがするとは。
疑問だらけの顔をするレピアに女賢者はやれやれと首を振ると、椅子に座る。

「それには特殊な魔法が掛かっているのよ。ある種の記憶退行を引き起こす作用があってね……かつて貴方に何があったのかを調べたいわけよ」

本当かどうか、はなはだ疑わしいが、呪いを解くために尽力を尽くしてもらってい手前、それ以上は文句は言えず、レピアは大人しくメイド服を着込む。
きゅっとブラウスのボタンを留めた瞬間、意識が遠のき、レピアは目を閉じ―次に気づいた瞬間、そこに立っていたのは、主たる女賢者に従順な一人のメイド。
完全に掛かったことを確認すると、女賢者は足を組み直し、しゃんと背を伸ばして立つレピアと向き合った。

「さて、レピア。貴方にいくつか質問をする。正直に応えなさい」
「はい、ご主人様」

従順なレピアの言葉に、別の意味で意識が遠のきそうになるのをこらえ、女賢者は問いかけた。
この華麗なる踊り子にかけられた呪いの真実を確かめるために。

「以前、誰に仕えていたの?そこで何があったのか、話しなさい」

強い強制力のこもった『力ある』言葉にレピアは小さくうなづくと、遠い記憶をたどるように瞳を泳がせた。
それは随分と昔の話。
美しい、色とりどりの花々に囲まれた瀟洒な城。
そこは高貴なる血統に連なる貴き方々の住まう場所で、卑賤なる身の上でしかない自分が軽々しく踏み込めるところではない。
身の回りのお世話をするという栄誉ある仕事を持って、初めて踏み込める麗しき城だった。

「ずいぶんとすごい盛りようね」

頬を引きつらせる女賢者のツッコミを無視し、レピアはうっとりとそのころのことを語り続ける。
毎夜毎夜開かれる華麗なる舞踏会。
美しく着飾った貴婦人、エスコートする一流の紳士。
華麗なる音楽に満ちた広間で踊り合う人々の姿をうっとりと見つめるのは自分だけでなかった。
その城の離れにある小さな館。重厚な扉と精緻な調度品に絹の掛布と敷布に包まれた天蓋つきのベットに守られて、主の大切なる掌中の珠。
愛しい愛しい姫君。麗しく、清らかで、自分など足元にも及ばない美しい御方。
舞踏会にお出ましになられれば、たちまち社交界の華として慕われただろう。

「だから、ものすごく美化してない?そんな貴族令嬢がいるわけないじゃない」
「お黙り下さいませ、ご主人様。そのお方は本当にお美しい方だったのです……ただ一つ悔やまれるのは、あの御方が微笑まれる機会を作ることが出来なかった私の不手際」

美辞美麗に食あたりを起こしそうになる女賢者のさらなるツッコミを受け流し、大仰に嘆くレピア。
女賢者はようやく確信に入ったかと気を取り直し、黙って話の続きに耳を傾けた。

お嬢様にお会いしたのは、本当に偶然のこと。
病弱で館からお出になられたことのないお嬢様を慰めるため、石像の一つとして買われたのが石化した私。
ですが、魔力の強かったお嬢様は一目見るなり、私が呪いを受けた者であることを見抜き、そばに置かれました。
夜、呪いの解ける時間にお会いしたお嬢様は卑賤なる身の私にこうおっしゃられました。

―私を笑わせることが出来たなら、呪いを解いてあげましょう。でも、できなければ、お前は呪いを解く対価として私の世話をするメイドとなるのですよ。

「本当にお優しい方でしたわ」
「どこが!?笑わせることが出来なきゃ、メイドになれって何?貴族ってのはこれだから」
「いいえ、お嬢様は本当にお優しかった。私はその期待に応えることが出来ず、お嬢様のメイドとなりました」

にこやかに、満足げに笑うレピアに女賢者は何も答えなかったが、これで確信が持てた。
呪いの楔はその時にかけられたもので、かけたのは、気まぐれなお嬢様だ、と。
しかし、話を聞く限り、このお嬢様は単なるわがまま姫ではなく、それなりの考えを持った―聡明な印象があるのだが、なぜ呪いなどかけたのか。
疑問に思う女賢者にレピアは悲しげに瞳を潤ませた。

「お嬢様はお体が弱く……数か月後、天に召されてしまわれました。最後に呪いが解けずにすまない、と、私ごときの身をご案じなされて……誠にお優しい方でしたわ」
「それは真実か……そういえば、聞いたことがあるわ。ある貴族の病弱な令嬢にとてつもなく高い魔力を持った子がいたけど、一族から気味悪がられて、幽閉されいたって。なるほど、呪いを解くためにそばに置いたわけか」

なんとも不器用なやり方をする令嬢に祈りをささげ、女賢者はようやく呪いを解く糸口を手に入れることができ、口元を小さく歪めるのだった。