<東京怪談ノベル(シングル)>


獣の檻と古き呪縛〜解放

純白の薄絹で作られた天蓋のベットにいたのは、シンプルなネグリジェ姿の女賢者とメイド姿のレピア。
くすくすと妖艶な笑みを浮かべ、楽しげに女賢者は頭の上で両手を縛り、わずかに衣服を乱れさせたレピアにまたがると、手慣れた手つきでリボンタイをほどき、きっちりと止めてあったブラウスのボタンを2つほど外す。
恥ずかしさに顔を赤くし、身をよじるレピアを無視し、女賢者は迷うことなくブラウスの下に手を入れた。

「お許しくださいませ、ご主人様」
「逆らうことは許さないわ、レピア。私に全てゆだねるの」

必死に哀願するレピアを面白そうに眺めながら、女賢者はその耳に唇を寄せ、死刑宣告のように囁いた。
逆らうことは許さない、絶対の命令にレピアは徐々に抵抗する意思を失い、女賢者のするままに、その身をゆだねた。
大人しくなったレピアに満足すると、女賢者はその白い肌に何度も指先を滑らせ、何かを確かめる。
と、その指先にまとわりつくように漆黒の影が現れ始めると、女賢者はその影を手でつかみ、レピアの呼吸に合わせ、上下させる。
すると、影は金貨ほどの大きさはある、円錐状の楔となり、ゆっくりと―だが確実に、レピアの肌から抜け落ちた。

「成功ね。これで呪いは解けた」

ほっとした表情を浮かべ、額に浮かんだ汗をぬぐった途端、全身から力が抜け、レピアの隣に突っ伏して脱力する女賢者。
少々―いや、かなり危ない解呪方法だったが、これ以外なかったのだから良しとしてもらいたい。
短く何度も激しく呼吸を繰り返していたレピアだったが、徐々に落ち着きを取り戻していった。
安定した呼吸と乱れのない魔力の波動を確認し、女賢者はレピアを半ば叩き起こし、用意した別の―シンプルなローブに着替えさせる。
その瞬間、メイド服の呪縛が解け、レピアの目に正気の光が戻る。

「気分はいかが?レピア。無事解呪できたわよ」
「お礼を言わせていただくわ、賢者殿。それよりも、エルファリアを!」

自慢げに胸を張る女賢者にレピアは悲壮な表情で、エルファリアを助けてほしいと懇願する。
そんなに必死にならずとも助ける気でいた女賢者は大きく息を吐くと、優雅な仕草で立ち上がり、ついてきなさいと促す。
尊大とも取れる態度だが、その絶大な力の一端に触れていただけに、レピアは大人しく従った。

向かった先は祠から北にある深い針葉樹林の森。
魔物だろうか、時折、低いうなり声や争いあう雄叫びが聞こえ、レピアは我知らずと身体が震えた。
対して、女賢者は落ち着いたもので、辺りをきょろきょろと見渡し、何かを探していた。

「何か探しているの?」
「ん?探しているというか、現れるのを待っているってところだけど」

怪訝に思うレピアに女賢者が能天気に答えた瞬間、二人の後ろにある茂みが大きく揺れた。
何事かと思った次の瞬間、黒く大きな何かが飛び出し、唸り声を上げて、二人を威嚇する。
新手の魔物か、と警戒してふりかえったレピアは愕然とし、その場に立ち尽くす。

「あら、ようやく出て来たわね。エルファリア王女」

目的の人物が現れてくれたので、女賢者は嬉しそうに手を叩いて笑うが、血の気を失ったレピアに一睨みされるが、きれいに受け流されてしまう。
なんて人なのよ、と胸の内で怒鳴りながら、レピアは息を飲み、凄まじい悪臭を放ち、獣らしく四本足で唸りを上げるエルファリアに右手を差し出して、声をかけた。

「エルファリア、私よ?レピアよ。貴方のお陰で呪いが解けたの……さあ、帰りましょう。今度は貴方が呪いから解放され」

番だ、と告げるよりも早く、唸りを上げたエルファリアが地を蹴り、牙をむいて襲い掛かる。
あまりのことに動けなくなるレピア。
女賢者は世話が焼けること、と後頭部を掻きながら、素早く呪文を完成させると印もなく、エルファリアに向かって放つ。
青白い光がレピアの肌に牙が付き去るよりも早く、エルファリアの身体を包み、一瞬にして、その身体を物言わぬ石像へと変化させた。

「エルファリア!」
「石化の魔法よ、すぐに解けるわ」

この世の終わりとばかりに石像となったエルファリアにすがるレピアに女賢者はそっけなく告げると、冷やかな眼差しで見下ろした。
研ぎ澄まされた刃を思わせる冷たさにレピアはエルファリアを抱えて、小さく身震いをする。

「さて、レピア。エルファリアにかかった呪い……容易に解けるものじゃないわ。誰かが犠牲にならなきゃならない」

分かる、と覗き込んでくる女賢者の圧力にレピアはひるみそうになる心を奮い立たせ、うなづく。
その答えに満足したのか、女賢者は依然と同じ―呪いの解呪法を告げた。

「エルファリアにかかっている呪いを別の者に移し返す。そうすれば呪いは解けるけど、別の犠牲者が生まれるわ。でも、だからと言って、このままにしておけば、エルファリアは永遠に獣として暮らすことになる……さぁ、どうする?誰か犠牲を」
「なら、私に移してくれればいいのよ。エルファリアは私を助けるために呪いを受けたのだもの……なら、私に呪いが戻ってくるのは道理というものじゃなくて?」

それに、とレピアは痛ましげな眼差しで石像と化したエルファリアを抱きかかえると、はっきりと言った。

「元々は私の呪い。美しいエルファリアが四つん這いで悪臭を放ちながら、森をうろつく姿はこれ以上耐え切れないっ!!さぁ、今すぐ移してください」

迷いのない言葉に女賢者はひどく感心しつつ、もしやという思いを胸に、すぐさま魔法を発動させた。
禍々しい紅い光が二つ。石像となったエルファリアの胸から抜け出し、レピアの身体に吸い込まれる。
だが、そのうちの一つはレピアに吸い込まれる寸前、パァァァァンッとはじける音ともに溶けて消えていく。
それを見届け、女賢者は大きく目を見開き―にやりと意味ありげな笑みを浮かべた。

「何……どうかしたの?」
「なるほど、身を捨てても誰かを守ろうとする深き愛―真実の愛、ね……よかったわね、レピア。貴方、呪いの一つ―咎人の呪いから解放されたのよ」

にやりと嬉しそうに笑う女賢者の言葉にレピアは呆気にとられ―やがて、大きく目を見開き、歓喜の表情に満ち溢れていく。
喜びに打ち震えるレピアを横に、女賢者は石化したエルファリアの魔法を解く。
血の気の通う肌を取り戻し、ゆっくりと目覚めるエルファリアに女賢者はにっこりと笑いかける。

「ごきげんよう、エルファリア。身を捨てた献身的な愛に応えて、貴方たちにかかっている最後の呪い―野生化の呪い、抑え込む術を教えてあげるわ」

賢者の誇りにかけて。
そう告げると、女賢者は二人の額に手を当てた。


惜しげもなく湧き出る湯に満たされた―ダブルベットほどの大きさはある―真っ白い陶製のバスタブ。
王室御用達のバスボールが溶け、薄く色づいた泡で満たされたその中で、レピアとエルファリアは幼い少女のように、楽しげに身体を洗いっこする。
酷い悪臭はたっぷりと泡だった石鹸がそれを包み込み、肌についていた汚れが落ち、あふれ出るお湯と共に流れていく。
まるで長い間、レピアを呪縛していた呪いと同じように。

「良かったわ、エルファリア。貴方にかかってしまった呪いが解けて」
「いいえ、レピア。貴方を長い間、苦しめていた咎人の呪いが解けたことが嬉しいわ。これで日の中を生きていけるのよ」

幼子のように互いの身体を洗いながら、レピアとエルファリアは笑いあう。
その楽しげな笑い声が碧く澄み切った空にどこまでも響き渡る。
永劫の時に縛られた咎から解き放たれ、高く飛び立つ白い鳥のように、いつまでもいつまでも聞こえていた。


FIN