<PCシチュエーションノベル(グループ3)>
気持ちに名前を
聖都は物流と人々の往来の中枢であり、集まる人も物も、各地域の特色を取り揃えて、市場は見目にも賑やかだ。客引き、値引き、交渉、あるいは喧嘩、そんな無数の喧騒の中甲高い声と同時に女が指を四本立てて何事かを言い募る。その前に居た商人が無言で首を振り、指を二本。二人は睨みあって、次いで同時に、三本の指を立てて頷き合った。そのまま握手し、商品と、貨幣の詰まった袋を交換して女は立ち去る。楽しげに、銅貨の詰まってずっしりと重たい袋を投げ上げていた彼女は、そのまま、後ろでぽかんとやり取りを見守っていた女性にウィンクを一つ。
「ざーっとこんなもんよ」
ウィンクを投げられた女はと言えば、瞬きの後で微笑んだ。
「ありがとうございます、エスメラルダさん。私一人じゃ、こんなに見事に中古品の処分なんてできませんでした」
「アリサのお陰よ。さっき、あの商人さんの娘さん夫婦、見事に仲裁したじゃない。そのお礼ってんでイロつけてくれたのよ」
「あれは…大したことじゃあありませんよ。あの方達は互いを想い合うが故に喧嘩をしていたのですから」
私はそれを教えてあげただけですよ、と、エスメラルダと呼ばれた女性の目の前、20代半ば程に見えるハーフエルフの女性はおっとりと微笑んでいる。アリサ、という名前のその女性は、いかにも清楚なロングスカートをひらりとなびかせ、歩き出した。その横をエスメラルダも並んで歩く。こちらは職業柄身体を動かすこともままあるため、動きやすさを重視したパンツスタイル――加えて、あちこちに商品を仕込むポケットがついている。対照的な二人ではあったが、不思議と、気が合った。
年齢は、ハーフエルフであることからも分かる通り、アリサの方がうんと年上だ。だが、教会や神学校で人生の殆どを過ごした彼女はどこか世間ずれしていないところがあり、そのせいか、世慣れたエスメラルダの方が面倒を見るような状況に陥ることもままある。今回もそうだった。たまたま行き会って、教会で不要になった中古の燭台や食器類の処分に彼女が困り果てていたので、それならばとエスメラルダが胸を叩いたのが数刻前。直後、娘夫婦の喧嘩に悩んでいた商人を見つけて、ならばとアリサを送り込んだのも、実はエスメラルダの手腕だ。――とはいえ娘夫婦二人の結婚式を、かつてアリサが執り行っていたことも幸いしたと言える。
それにしても、とエスメラルダは、仲介料として心ばかりの銅貨を抜いて革袋をアリサへ渡しながら内心で、鼻歌を歌いつつ銅貨を受け取り、薬と包帯と、と備品の補充を早速算段し始める年上の友人を見遣った。
「ねぇ、アリサ」
「何でしょう? あ、ねぇ、エスメラルダさん。包帯って纏めて買った方がやっぱり安上がりですよね?」
「それはまぁ、そうね、大量購入した方がある程度安定して…いや、そうじゃなくってね。資金的な余裕が出来たら、ちょっとお洒落しようとか、そういうことは考えないの?」
お洒落ですか、と、アリサはその言葉を不思議そうな表情で繰り返した。耳慣れない言葉を聞いた、という表情だ。その様子を見て、エスメラルダは思案し、それから質問を変えた。
「じゃあ『綺麗だね』とか『可愛いね』って言われたい相手は居る?」
この言葉には、アリサは二度、三度と瞬いてから――何を思い浮かべたのだろう。ぱっと頬を染めて、それから「いえ、べつにその、そんなつもりじゃ」と一人でぼそぼそと何やら言い訳めいたことを言い始める。
ほほーう、と、海千山千、経験豊富な商人であるエスメラルダはにんまりその様子を見て笑った。仕事熱心で他人の恋路には熟練していて、多くの夫婦を取り持ち、数多の恋路を解決してきたアリサだが、今まで一度も自分の恋の話をしているところを見たことが無かったもので、エスメラルダは内心ひそりと心配していたのだ。彼女は、実の所恋を知らずにこの仕事をしているのではないか――と。
しかしこの反応を見るに、どうやらその心配は杞憂のようだ。
さて問題はだ。エスメラルダは頬を染めている親友を見ながら次の思案に移る。――相手は誰か、という点だ。アリサは先にも述べた通り世間ずれしていない。年齢こそ重ねているものの、恐らく人の悪意に接してきた経験はエスメラルダの方が上だろう。
(悪い男じゃないといいんだけど)
なにぶん、事件に巻き込まれやすい年上の親友なのである。
エスメラルダが真っ先に心配したのがその辺りだったことも、むべなるかなというところだった。
久方ぶりの聖都で旅の荷を整理し、趣味で続けている小さな菜園の様子を見、収穫物に満足し、さて得た報酬で買い物でも、と出てきた市場であった。褐色の肌が特徴的なその青年の瞳は、人ごみに見慣れた姿を見つけて思わず、と言った風に口元を綻ばせた。
「アリサさん!」
絹の様な黒髪が呼ばれて翻る。彼の姿を見とめた女性は、黒い眼を瞠った。
「アレクセイさん」
ふわりと微笑むその頬が薔薇色に染まるのも可愛らしい。
「え、知り合い?」
その黒髪の女性――アリサの隣にはもう一人。アリサとは好対照、と呼ぶべき姿の女性が居る。何しろアリサしか目に入っていなかったもので、アレクセイ、と名を呼ばれた青年は初めてその姿に気付き、近寄ってきたその女性に慌てて頭を下げた。
「は、初めまして。アリサさんのお知り合いでしょうか」
「ええっと、うん、まぁ。そちらこそアリサの知り合い?」
値踏みをする視線が突き刺さる。闊達そうな表情は矢張り、見るからに大人しげな楚々とした振る舞いのアリサとは正反対だ。腰に手を当て、じろじろと眺められ、居心地の悪さを覚えて、笑みは顔に貼りつけたまま、彼はアリサを見遣った。視線を請けた彼女が「ああ」と微笑む。
「こちら、エスメラルダさん。私のお友達です」
「これは…ええと、アレクセイ・シュヴェルニクです。エスメラルダ…さん?」
「ふーん。…見たトコ悪い奴ではなさそうだけど」
面白くなさそうに鼻を鳴らして、紹介された女性、エスメラルダは握手を求める彼の手を軽く握り、また思案気に唸る。横に居たアリサは、親しい女性が親しい男性を妙に厳しく値踏みしているのが分かるのか、落ち着かなさげにエスメラルダを見遣った。
「あの…エスメラルダ、さん? 彼に、何か?」
「何か、そうね、何か無いかなと思ったんだけど、とりあえず現状難癖つけられるところが見つけられなくて、安心していいのか困るべきなのかを悩んでる所よ」
「はぁ…」
意味が分からないらしく、アリサは困惑しきりの様子でアレクセイの方へ視線を移す。と、彼と視線がぶつかり、互いに困惑を共有して微苦笑を交わした。その様子を横目に見ていたエスメラルダはまた、面白くなさそうに眉根を寄せる。
「アレクセイ、って言ったわね。職業は?」
「え? はぁ、平日はこちらの商会で美術品や楽器を担当させてもらってます。鑑定も多少なら。あとは休日には少しばかり冒険者を…」
「腕には自信が?」
「ど、どうでしょう。器用貧乏だと思いますけど、剣と魔法双方扱ってます」
「趣味は」
「土いじりを…あの、何の尋問ですか、これ」
じと目で腕組みをしているエスメラルダに、さすがにアリサが嗜めるように声をかけた。
「エスメラルダさんってば、どうしたんですか。アレクセイさんは、とっても良い方なんですよ。そんな風に試すようなこと…」
「ふーん。『とっても良い方』なんだ。へー。アリサ、彼とはどういう関係?」
「へ? お、お友達…でしょうか」
アレクセイの方も戸惑いに首を傾げるしかない。じっとりと湿度のある目線で睨みあげられ、アレクセイとしては初対面の彼女にそうも執拗な質問を受ける心当たりなど欠片も無い訳で。
(気付かない内に僕が何かした訳じゃないよな…!?)
彼が内心にそんな動揺を得たのも無理からぬことではある。
さて一方、あたふたとしている彼の様子に、質問を投げ続けていたエスメラルダは腰に手を当てて嘆息した。
彼女は彼女で、内心にこんな感想を浮かべていた。
(…悪い奴ではなさそうだけど。何て言うか…のほほんっていうか、おっとりって言うか。アリサの想い人って言うならもっとしっかりした人の方が安心できるんだけど!)
先のアリサの表情を思い出す。恋をする乙女そのもの、と言った様子で頬を薔薇色に染めて、恥ずかしそうに目を伏せて。そして、とエスメラルダは眼前の、頼りなさげな風情の男性を改めて睨み遣る。
アリサを慕う男性は多い。見目の美貌は勿論として、あの通りの楚々とした所作で、しかし時には無茶をして怪我をこしらえる男達を叱り飛ばすような気概をも持ち合わせている女性だ。好意を集めない訳がない。だが、そのどれをもアリサは暖簾に腕押し、と言った様子の天然っぷりで受け流していた。しかしだ。
彼女の観察眼は、アレクセイに呼びかけられた瞬間のアリサの笑みを見逃していない。
あんなに嬉しそうな彼女の笑みは、そうそう見られるものではない。
(この男が、アリサの想い人? ホントに?)
じっとりと見上げれば居心地悪そうに見返される。長年の商売の中で磨かれた観察眼は伊達ではない。エスメラルダは短いやり取りでこう結論付けた。
(…お人好し。のんびり。アリサとペースは合うかもしれないけど、アリサを支えられるかって言うと)
やや難あり。
そんな裁定を下したところで、しかし彼女は内心に認めた。
(いやまぁでもアリサが惚れ込むくらいだもの、きっともっと良い所があるに違いないわ。…あーあ、何か、悔しいなぁ)
要は嫉妬だ、ということを認めないほど、エスメラルダは狭量な女性では無かった。鋭敏な観察眼は、自分にさえ向けられるものだ。とはいえ、
「アレクセイって言ったわね。――アリサを泣かせるような真似したら、容赦しないわよ」
腰に手を当て、精一杯に胸を張ってそう告げるくらいは許されていいだろう。しかしそれまできょとんとしていたアレクセイだが、この言葉に一度瞬きをした後、胸に手を当て足を引く、いわゆる騎士の一礼をして見せた。恰好こそ日曜冒険者の気軽なそれだが、不思議と様になって見える。
「それは勿論、心得ていますとも」
あらお上手、とアリサはその姿に、ふわりと微笑むから、存外に彼の品のある所作には慣れがあるのか。
(――意外と出来る男じゃないの)
エスメラルダは面白くなくて、もう一度鼻を鳴らして、しかし内心でのアレクセイへの評価点をほんの少しだけ上方修正した。あとは今後の付き合いの中で見定めようと心に決める。
近況の報告に、彼の趣味の土いじりで最近作り始めたハーブの話。一部は薬効がありそうだから是非、と告げられて、アリサは有難くその言葉に甘える事にする。近いうちに伺いますね、と告げられたので、
「…楽しみにしています」
言葉は掛け値なしに本音であった。そんなやり取りを経て、アレクセイは商会での用事があるとかで急ぎ足に去って行く。
その背が人ごみに消えてしまうまで見送っていると、横で咳払い。慌ててアリサは顔を上げた。エスメラルダが隣で頬を膨らませ、拗ねた子供のような表情になっている。
いけない。すっかり彼女の事を忘れてアレクセイとの会話に夢中になっていた。
「ご、ごめんなさいエスメラルダさん…」
「別に、気にしてないわ」
口ではそう言いつつ、つんとそっぽを向く所作はどう見てもご機嫌斜めだ。アリサは更に慌てて年下の友人を前に眉を下げる。
「違うんです、その、アレクセイさんとは久々にお会いしたからつい嬉しくって」
「ふーん。どれくらいぶりに遭ったの」
「…1週間と少しぶりです」
そっぽを向いているエスメラルダの眼が光ったことに、アリサは気付いていない。
「何だ。私なんて、アリサに会ったの、2週間ぶりなのよ」
「それは、だって、エスメラルダさん、遠方に仕入に行ってらしたから」
「寂しくなかったんだ」
「寂しかったですよ?」
当たり前じゃないですかと宥めるように告げられ、ようやっとエスメラルダは少しばかり機嫌を直したようだ――とアリサは思っていた。ほっと安堵の息をついたところで、
「そっか。アレクセイに会えないのもそんなに寂しかった訳」
不意打ちのように告げられて、言葉に咽る。
「え、それは、その、あの、確かに寂しいしついうっかりアレクセイさんのことを考えてしまったり薬草の種を用意してしまったりしますけれど、寂しいですけども」
「ほうほう。ほほーう。そんなにしょっちゅうあいつのこと考えてるんだ」
――指摘されてアリサはここ最近の自身を振り返り、居た堪れなくなって両手で頬を覆った。綺麗なものを見つけたら後でアレクセイさんにも報告しよう、と思うし、教会の近所に出来た新しいカフェには彼と行ってみたいと思うし、教会の庭のハーブガーデンの世話をしている時は土いじりに励む彼のことを思い出すし、他にも、頻繁に彼の顔ばかり思い浮かべていると今更気づいたのである。
そんな彼女の様子に、エスメラルダがにんまりと笑う。その表情で初めてアリサは、彼女がちっとも機嫌を損ねていないことに気が付いた。
「好きなんだ。アレクセイのこと」
好き。
当たり前じゃないですか、と返そうとして、その言葉の意味の小さな、しかし埋めようのない差異に気が付き、アリサは言葉をまた飲みこんでしまった。
――好き。
胸に手を当てる。少しだけ、心臓が速い。
「……すき、なんですね。私。彼の事が」
半ば呆然とそう呟いたら、また心臓が一度とくん、と鳴り響いて、アリサは目を閉じた。今更に名前を得たその感情は、ずっと胸の中にあったのに。
毎日毎日、恋をする人々を、縁を繋ぐ人々を見守っていたのに。
「気付いてなかったの、アリサってば!」
エスメラルダの言葉は全く以て正論で、アリサは返す言葉を持たない。ただ、彼女は次いで、大慌てで友人の肩を掴んだ。
「ど、どうしましょう、エスメラルダさんっ…アレクセイさん、明日教会にいらっしゃるって言ってて、その、私、どんな顔して逢えば!」
「…いやそりゃいつも通りでいいんじゃないの?」
「私、いつもどんな顔してるんでしょうか…!」
エスメラルダも流石にこの焦燥ぶりには呆れたか、肩をすくめた。しかし親友を見捨てる程に彼女は薄情でもない。肩をとんと叩いて、彼女が言うには。
「とりあえず、さっきのアリサは、きっとアリサが毎日見てる花嫁さんみたいな顔をしてたわよ」
つまりとっても、幸せそうな顔!
そう保証をされても、どうしていいのか分からない。明日彼の顔を正面から見られるだろうか。アリサはただただ、形と名前を得た感情を前に、立ち尽くすほかに無かった。
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